2012年5月8日火曜日

おもかげの国うつろいの国(食べる読書96)





ちょうど三年前になるだろうか。

あるバーにバイト仲間と飲みに行った時のことだ。そこは外国人のお客さんが頻繁に来る店だった。ちょうど私たちが行った時も何名かの外国の人がいた。ほとんど西洋系だったと思う。

そこで一人の外国の人と話をした。彼はイスラエル人で、日本へは旅できていると言っていた。仕事は新聞記者をしているとのことだった。日本語は三週間で学んだにしては上手で、日本語と英語を織り交ぜながらの会話だった。

その時日本の感想を訊いた。


すると彼は、「何を見ても何を聞いても驚きで新鮮だ。」といったようなことを言った。どこが新鮮なの?と聞いても、「何もかもだ。」みたいな感じだった。


その時は日本の独自性はわからなかった。外国から見たらそんなもんなんだろうな、ぐらいにしか思わなかった。


しかし、本書を読むと日本の歴史を通して一貫している日本らしさというか価値観をなんとなく知ることができたと思っている。


日本は結局長期的視点に立って自分から何かを創り出そうとか自分から変えていこうという考えはあまりないんだろうと感じた。無から有を生むという価値観はないと感じた。


まあ、実際自分も無から有を生むっていうのは何かどこかしら不自然だと感じるし、しっくりはこない。


その代わり、日本の特徴として流れを読む・活用するという能力が優れているんじゃないかとも思った。


外部との交流が容易でない島国の中にあって、台風・地震・火山噴火などなど日本には様々な自然現象がある。そこには一貫性を感じさせるものはなかった。よって、八百万の神が生まれたのだろうし、それらをどう解釈するかということに関しても独自の視点を持つにいたった。


著者が挙げる「うつろい」や「おもかげ」はそんななにかの流れを表すものである。


まだまだ私が知らないことも多いし、人類が解明できていないことも多い。


だが、ちょっと立ち止まって考えてみると何かを「知る」とはどういうことかということにも目を向けるべきだとも感じる。現代の「知る」とはその対象を再現できることを意味していると考える。それは科学的視点によるものである。


もし、「知る」対象自体が変わるとするなら、我々はそれらの変化を把握できるだろうか。あるいは、変化を把握することが「知る」ことであるととらえていいのか。


そんな問いに何かしらのヒントを与えてくれそうな気がするのが、本書で語られる日本の価値観だ。


以下抜粋

歴史のどこかに強いナショナル・アイデンティティの軸の確立があったわけではなく、また数人の思想家や芸術家によって日本を代表するイデオロギーが確立されていたわけではなく、むしろ、さまざまな矛盾や相克を組み合わせて乗り切ってきたところに日本社会や日本文化の良さや面白さがあるのではないか


日本の歴史のなかで表現されてきたイメージとメッセージを、それぞれ「情報」と呼ぼうということです。これは歴史を因果関係ばかりで見がちになることから脱出するのにも、役立つ見方をつくります。


面影というのは、何かをきっかけに、とりわけ「思い」をもつことがきっかけになって浮かぶプロフィールです。プロフィールといっても人とはかぎりません。


一定しないもの、ちょっと見落としているうちに変化してしまうもの、そういうものに対して「うつろい」という言葉が使われている。


これらの言葉が、対象がその現場から離れているとき、また対象がそこにじっとしていないで動き出しているときに、あえて使われていることに気づかれたと思います。すなわち、「ない」という状態と「ある」という状態とをつなげているようなのです。


どこの民族の古代語もそうですが、日本語(倭語あるいは大和言葉)もその発音のつながりによって、何かの言葉が何かの言葉を連鎖させたり、連想させるようにできていました。とくに日本は文字がなかった社会が長かったですから、語り言葉や歌い言葉のつながり方によって、イメージやメッセージが組み立てやすくなっていたはずです。


いわば本場のフォーマルな文物がリアルとしての「真」で、それに対してまだ未熟なカジュアルな文物を、とりあえずヴァーチャルな「仮」としたのです。


和漢の表現がたえず対同的に比べられ、和歌集や屏風といった一緒のメディアに同居していたということです。


神仏習合は日本の宗教形態の中で特異な位置を占めているのではありません。むしろそれがもともとのバックグラウンドでした。その神仏習合という大きな下敷きの上に、仏教も神道も成り立っていると考えたほうが当たっています。


日本語の歴史を考えることは、日本文化の根底を流れる情報編集動向を掴むのには欠かせないものだと、私は考えています。


落花飛葉に「はかなさ」をおぼえる感覚がすでにあらわれています。それだけでなく、水の流れも風の流れも「常ならぬ」ことを示し、色・声・香・味・触・法の六塵さえうつろいやすく、人間の徳目さえ自分で縛りつけていても何にもならないという哲学が表明されています。


公家社会に武家が交じってくる平安末期になると、誤解をおそれないでいえば、無常はそこらじゅうに充満していて、むしろその無常をどのように変じていくかという苦心工夫のほうが目立ってきたほどなのです。


古代から「常」というイメージはどこかの遠いところや、そこから伝わってきたり流れてきたりするものに、想像を逞しくして付与されていたのです。
常なるものや常世の特色は、永遠性や不変性にありました。


私たちの「常」と「無常」の感覚は、神話伝承ルートからも仏教思想ルートからも交差していて、それがさらにウツロとウツロイの語感編集ともおおいに交わり、そこに、肯定と否定を、凸と凹を、浄土と穢土を、「はか」と「はかなし」を、「裏の苫屋」と「花も紅葉も」を、それぞれすばやくまたぐイメージの編集力が高速に往還していたということなのです。


ヴァーチャルなウツにたいするリアルなウツツは正反対の意味をもちながら、それぞれリバースに行き交っていたのでした。そのウツとウツツを、ウツロイがつないでいたのです。


茶の湯にかぎらず、世阿弥も「衆人愛敬」と言ったように、日本の遊芸文化や芸能文化はつねに主客の関係をどのように大切にするかということを前提にしてきました。それは主客の「あいだ」がちょっとしたことで変わるということを知っていたからです。そのちょっとしたことを好みで支えていくのです。


かつての貴族社会が主だった一門や一族を中心に構成されていたのに対して、また、かつての武家社会が御恩奉公・本領安堵をもって成立していたのに対して、江戸時代にはこうした縛りとはまた別の、「文」や「役」がくまなくめぐらされたのでした。


階層や役割やグループが細分化されればされるほど、それらの活動や目的を情報的な目印として明示する必要がふえ、それがひいては、法被や手拭や提灯に至る物品の大量生産や大量制作を次々に生み出したということです。


丹羽正伯、稲生若水、小野蘭山といった名は、あまり知られていない人々かも知れませんが、実はこのような産物・物産の分類調査のエキスパートであって、このような人々がいなければ、日本は自立の用意などできなかったというべきです。


今日の歴史教科書問題もそうですが、自国の歴史をどう著すかということは、国にとっても民にとっても、国内にとっても外国にとっても、どれひとつ容易な問題ではないのです。徳川社会はそのこと自身を自己編集することによって、初めて「日本」というものに向き合った時代となりました。



幕府の方針からしても、予想通りではなかったものの、日本の「中国離れ」は否応なくおこったのです。けれども、実際の幕藩体制のなかでは、それが国際的な政治面から切り離されて内政化されました。鎖国とはそのことです。その内政転換期に実学的な産業経済面が接ぎ木され、それが結局は徳川社会の実質になっていったということなのです。


世界の神話はたいてい民族の起源や国土の創成や、また神々や歴史の発生に関する物語が語られています。そこでは、「つくる」や「うむ」や「なる」といった基本動詞によってその発生が説明されています。


日本の神話や風土記では、もっぱら「うむ」や「なる」がたくさん使われていて、そこで何がおこったかといえば、「そう、そこで、そうなったのです」というような、説明にならないような説明ばかりが使われているのです。これは分割や分配とは、どうもちがいます。


宣長は「もののあわれ」や「やまとだましひ」とは、どこか一点に求められるものではなく、また、どこかに起源が特定できるものではなく、それはたえず「本来」から「将来」に向かう途次にしかあらわれないということを主張したのです。


実は国学も、また古学も、いま思索している対象がもっている言葉以外の概念をもってきてそれを規定してみたところで、何かを考えたことにはならないと、それだけを言ったわけなのです。


日本には「専守防衛論」ばかりが多いということです。海上権を制するという発想がないのです。これでは「おもかげの国」は守れません。


日本はつねに「判例法」や「慣習法」を重視してきた国で、どんなことも実態を見てから法令をくみあわせて切り抜けてきました。
これに対してアメリカなどは、制定した法がひとつの現実そのものを意味するようになっていて、法は理想であって、かつまた現実対処の方針そのものなのです。それゆえべつだん褒めるなどまったくないのですが、アメリカで正義と義務の法が一つ通れば、大規模な空爆も可能なのです。


この国家は一言でいえば、議院内閣制度をもった立憲君主制というものですが、岩倉具視や大久保利通の幕末維新の構想が示しているように、この大日本帝国という国は「玉」を抱くことによって成立した有司専制国家でした。もともと法制度と法意識が甘い日本において、とりわけ超法規的な存在だとみなされていた天皇をもって近代国家をつくろうというのですから、これはどうみてもどこか全体的に暗示的なのです。そもそも天皇を戴くいう意味が追及されてはいません。


とくに王政復古による明治維新とは何だったのかとふりかえると、黒船のような圧力の前で、ひょっとしたら別のプランもあったかもしれない天皇制というものを、あのように慌てて統帥権の最高責任者にしてしまったのは、実は国家プランがなかったというより、やはり外交政策がほとんど機能せず、それはまわりまわって「外国」に弱い日本の姿の露呈だったかと言われても、仕方がないかもしれません。
しかし、私は、はたしてそれだけだろうかとも思っています。そこには「おもかげの国」の追求がやはりなかったのかとも、思えてくるのです。


当時の日本のキリスト教は、内村鑑三や海老名弾正や新渡戸稲造がそうであったように、日本人の理想の生き方を問うためのものになっていたのです。


これら(三宅雪嶺、陸羯南など)は、今日予想されるような国粋主義やウルトラ・ナショナリズムとはそうとう異なるもので、どちらかといえば日本は「西洋の開化」をめざすのではなく「日本の開化」をめざすべきだというものです。
すなわち「外部の必要」ではなく「内部の必要」を説いたのです。国体論を書いた加藤弘之でさえ「内養」といいました。そういう意味では、開明的保守主義です。


さきほど私は、日本には「制度法」がないということを言いました。それが黒船以降の幕末の動揺を決着させられなかった原因のひとつであり、ひいては「王政復古と欧化体制」というバランスを崩させて欧米一辺倒となり、その反発が日本主義や排外主義へと日本を駆り立てたという経緯もお話ししてみました。けれども、内村から見るとキリスト教社会では最初から制度があって、その制度から抜け出せないことがその精神を腐敗させていると見えたのです。


「ほんとうの日本国民をつくりまするには、どうしても日本国民の魂、日本の国の土の匂ひに立脚した郷土童謡の力によらねばなりません」


九鬼は「無」や「無常」が、何かを失ってそこに芽生えるものであって、そこに何か欠けているものがあることによって卒然と成立することに思いいたったのでした。


明治維新というのは、一言でいうのなら、日本を植民地にするまいという攘夷運動と、まったく同じ意図による開国運動が切り結ぶように交じったところでおこった大きな変化です。


人間の歴史というものは、そこから前へ向かって生きていかなければなりません。そのためには、何かに出会う必要がある。出会ってどうするかといえば、恋をする。その恋は異性間の恋だけではなく、異質なものへの恋ということで、これまでお話ししてきたことでいえば、日本文化が恋をした相手は、漢字や仏像や唐物などでした。


その異質との出会いを新たな文化装置のなかで鍛えていくと、そこから僅かながらも(つまり偶然性も関与しながら)独自にウツロイ出てくるものが見えてくるはずです。そこにスタイルやモードを見いだして、洗練させていく。私が本書でのべてきた言葉でいえば、これは「数奇に徹する」ということになるでしょう。


私は、どこかで「なる」「つぎ」「いきほひ」のうえに「むすび」が熾るような、「おもかげの国」と「うつろいの国」が今日なお息づいているということを確信しています。


以上
またね***



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