以前の投稿では、100年、1000年スパンで考えるきっかけにれいわ新選組がなっているという内容だった。
なぜそう思ったか。
当時のれいわ新選組の参議院選挙の候補者が、既存の団体にあぶれて選挙への影響力がない当事者たちだったことである。
現代の問題の根源は、現場のリアルな声が政治などの政策に反映しないことだと考える。
それは、選挙という現場の声を反映するにはすでに適しなくなっている統治方法を終生普遍なものと人々が信じているからではないか。
人々は選挙の普遍性を信じているくせ、選挙には行かないのだ。
なぜなら、選挙に行っても何も変わらないからである。
選挙において最も効果を発揮するのが団体票だからである。
現代社会の構成員は以前からだんだんと団体から個へとその多様性の流れとなっていったが、それに合わせるように、個へとなった人々の考えを反映するような統治方法の改変が議論どころが提案されることもなかった。
その結果、かつてあった労働組合の人々の票が宙に浮いてしまい、企業のロビー活動により政治や政策は企業のマーケティングと化してしまった。
そんな時現れたのが、れいわ新選組だった。
既存の団体には属せず、選挙を通した統治方法においては不利な人たちが立候補していた。
それを見て私はこう思ってしまった。
なるほど、個々の社会的に弱い人々といった、企業優遇の負の側面を政治にフィードバックさせる何かしらの仕組みを構築していくんだな、と。
新たな統治方法の提案を選挙と政策を通して実践していくんだな、と。
だが、違った。
あれから2年たつが、れいわ新選組から、現在の統治方法に関する言及はない。(れいわ新選組を常にチェックしているわけではないが…)
言及するのは常に、現在の政治や政策の過ちとそれに対する解決法を述べるのみである。
対症療法の域を脱していない。
そして、2年前もある懸念が頭にあったが、それを打ち消してしまった。
ほんの少しでも、統治方法を変える可能性があるのなら、応援しよう、と、その懸念を頭の隅へ追いやってしまった。
その懸念とは、単なるマーケティングということだ。
選挙は、ご存じ単なるマーケティングである。
決まった人数の有権者からどれだけ多くの票を集められるか、というマーケティングである。
どのタイミングでどんな内容をどのように表現し、どのメディアを使い、訴えるか。
何度も言うが、選挙は団体票が有利である。
だが、現在は自民党支持の各利益団体以外は団体票を見込めない。
なら、自民党に勝つためにはどうするか。
団体をつくればいい。
現在の政治に不満な人は多いはず。
が、メディアでは当然そういった声は出ない。
現在の政策に不満な人々を、最大公約数とできるような政策を打ちだせば、彼らを団体票とみなせなるのではないか。
おそらく、こういうことなのだろうと思う。
光があれば影がある。
どんな政治であっても、必ずそれに不満な人はいる。
現在の政治では利益を享受できない人々をいかにひとくくりにし、共通認識をつくっていくか。
これが野党の変わらぬ戦略だろう。
ある意味、洗脳合戦である。
与党は、現在の政策がいかに国民のためになっているかをアピールし、野党は現在の政策により国民がいかに不利益を被っているかを根拠に解決策として党の政策をアピールする。
となると、勝負を決すのは、その政策が優れているかどうかではなく、いかに多くの有権者に自身の考えを信じ込ませるか、となる。
これを人は、「民主主義」と呼ぶ。
あほか。
そこに人の生活はない。
あるのは、一方的に決めつけられたアイデンティティだけだ。
政党が自身の都合の良いように人々をカテゴライズしたという、アイデンティティのみである。
われわれは、政治家が決めたモノの見方を強制されているだけである。
自分で自分の価値観をつくれないのである。
現在の感染症の定義も、WHOが一方的に決めた内容に従うのみである。
各国で感染者とその死亡者が出ているが、感染対策の要となる死体解剖がWHOにより禁止されている。
死体解剖なしで的確な対策などできるわけがない。
これも一方的に決められているだけである。
われわれのリアルは、ポストトゥルースや反知性主義、分断などとカテゴライズされ、他の人々にそのリアルが伝わっていかない。
地に足をつけることすら許されない世の中となっている。
そんな現状で、ちょっとでも希望につながるかもしれないマーケティングを行っている、れいわ新選組。
「人の心をもてあそびやがってえー」、なんて言うつもりはないですが、
地獄は続くよどこまでも、という現実を突きつけられました。
期待に目が曇って盲目となり、頭がお花畑になってました。
ありがとうございます。
一人一人がそれぞれの闘いを地道に続けるのみだ。
時代によって次代を創る生き方は異なる。
現代において、次につながる生き方とは何か。
これも続けた先にしか成せないものである。
盲目ではいけない。
以上
またね***