2009年12月31日木曜日

幼女と煙草(食べる読書15)



幼女と煙草
」 早川書房 ブノワ・デュトゥールトゥル 著

面白い。が、後半にいくにつれてしゃれにならないなと感じてくる。群集心理とは違うとは思うが、いやに現実の真理が含まれていると思う。皮肉たっぷりなことが多いが、妙に納得してしまう。

読んでて、真実には到達できないんだなと感じざるを得なくなってしまう。人はある事実に対してそれを内包する更なる事実を勝手に作って生きているように感じた。その事実が真実に近づけばいいが、必ずしもそうではないし、立場によって作り出す事実は異なる。時間と空間に制限のあるわれわれ人間は、すべてを把握できるだろうか。だが、この挑戦がそのまま社会の高度化ということなのだと思う。社会権が比較的新しい権利として社会の中に根付いてきたのもこの表れではないか。

どちらにしても、この本は普通に生活していたのでは見えない”社会の盲点”に気づかせてくれる。

ここで、あとがきにある著者のこの本についてのコメントを載せる。
「前向きな要素(健康、子供の保護、メディアなど)がかつて見られた圧政のやり口と同じくらい乱暴な暴虐行為にどうやって姿を変えるのか。また、以前は権力と支配という名のもとに振るわれていた暴力が、今日どうやって善と正義の名のもとに行使されるのか。これは現代のひとつの特徴だと僕は思っている。」

また、訳者はこういっている。
「私たちの生きる社会は不確かな人の心で動いており、それゆえに善と悪とは紙一重であることを浮き彫りにして見せたのである。」

以上のコメントは、この本をうまく表現していると思う。

以下、面白いと思った表現を抜粋する。
「彼の関心ごとは、死が目前に迫っていることや若い盛りに無へ沈み込むことではなく、自分に権利があるものを獲得することだけなのだと。」

「ひどく頭の鈍い犯罪者がこれほどにまで大胆に、前代未聞の法的問題を手中にしている」

「子供の存在は、多くの人間の心を動かすと同時に、残りの人間の心をいらだたせる。」

「”煙草”と”生きること”に接点ができた。人が、”煙草に救われた”のだ。
忘れられた法律条項のおかげで、煙草は”人間の親友”となった。」

「喫煙に反対する複数の団体が押し付けた規則は、何より受刑者個人の保護と受動喫煙を対象としているが、別の見方をすれば、煙草ははなはだ体に悪いので、消えてほしい人物に対してそれを禁止する理由はどこにもないのである。」

「警察並みの尋問の的確さは、事実のばかげた貧弱さと対照的だった!」

「脆きものへの愛を、」

「彼らの低いモラルが、そのモラルをさらに簡略化して粗野なバージョンに変えた、ここでしか通用しないモラルを再生産しているということも。彼らは、時代の幻想に押し付けられたメディア受けする恥ずべき行為が身に付いていた。」

「この犯罪者は僕のおかげで、より高尚な目標を得たのだ。」

「人質たちは相変わらず、カメラの前で恐れおののいているようだった。一方、自由のある世界では、彼らはいまやスター扱いされていた。」

「地球の生活環境の悪化を前に誓いを表明したあとですぐに別の関心ごとに頭を切り替えるということが、彼らにはできるのだった。」

「人生というものをまだしっかり理解していない人間がいることに同意いただいた上で、両親を慰めながら死ぬ病気の子供たちのことを考えてみてください。その子たちにとって死は、表面的で実体がないに等しい通過点に過ぎないんです。かたや、働き盛りまっただなかの大人にとっては、ノスタルジーの強烈さと深淵を除くときのおびえというのは計り知れないものです。」

「この子はひどく愚鈍そうだ、ということは何かを説明することすら無駄なんだ。しかも僕のことを、赤ん坊のころから手の届くところに置かれている数え切れないほどの余興の一つとしてみている。」

「ただの一秒も、無実を証明させてもらえないからです。」

「弱者を守ることばかりにこれほど気を使う世の中で、男は、四、五十歳の平凡な男は、少しの同情も受ける資格がないのでしょうか?」

「彼女は世界の不幸に魅力を感じていながら、まだ傷や苦しみにとことん寄り添ったことがないように見えます。」

「ごく凡庸な参加者であり、浅はかで頑固で人の心を動かすことがほとんどないという特徴において人類の典型そのものですーそして、それがために不思議と気高いのです・・・。」
以上
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2009年12月30日水曜日

涙の数だけ大きくなれる(食べる読書14)



涙の数だけ大きくなれる!
」 フォレスト出版 木下 晴弘 著

泣きました。鼻水だ~だ~です。すごいよ、人をこんなに感動させるのは。

この本は、塾講師だった木下さんが、生徒たちに自主的に勉強してもらうために語った心の話を集めたものです。「”勉強は何のためにするのか””幸せってなんだろうか””あきらめないこと”努力の本当の意味”感謝する気持ち”など、人生で大切なことをいろいろな角度で伝えました。そうした話に心を動かされた生徒は、もう何も言わなくても勉強し、みな第一志望校へ合格していきました。」

それは、人生と自分のする勉強がつながったということなのだ。

多くの話が載ってるが、特に心を揺さぶられたのは、「ある生徒の高校受験」と「兵庫県にある塾の合宿」である。

「ある生徒の高校受験」は、数字にはあまり表れないが生きるうえでもっとも大事なことを教えてくれた。

「塾の合宿」は、人は一人では生きれないし、人と共に生きることのすばらしさに気づかされました。

日頃、自分は一人の人間として、子供たちに何を伝えられるだろうと考える。そして、今は自信を持って教えられることはないなあと感じる。まだ自分自身確かな結果を出せてないからである。それまでの結果までの過程は話せる。が、それで・・・となってしまう。まあ、まだ修行が足りないということだろうか。でも、子供たちに対する想いには自信がある。それを具体化するのが課題かな。

まさにこのブログのタイトル「一日を生きる!」に通じる。

以下、抜粋
「どんなにつらい時でも、どんなにくじけそうな時でも、人生に失敗なんてない。全力で生きるとき、人は輝いているのです。」

「大きな道があって、それが本当に君の歩いて生きたい道であるなら、その道を歩むことは絶対にあきらめてはならない。肝心なのは、あくまでその道を行くこと。道を捨てないことなんだ」

「あなたの夢がかなうということは、あなたが自分らしく信念を貫き通して生きた証でもあるのです。
そして、あなたがあなたらしく生きている時、必ず応援してくれる人が出てくるはずです。
時には涙を流すこともあるでしょう。でも、その涙のあとには、きっと新しい明日が待っているのです。
だから、あなたの夢をあきらめないでください。」

「日々の基礎努力をつけるという目的からすれば、ちゃんとやって当たり前のことだろう。こうしたやって当たり前のことを、当たり前と思えないほどの情熱を傾けて行う、それを努力というんだよ」

「当たり前のことをやり続ける。」

「一つのものに狂えば、いつか必ず答えにめぐり合う。私は、りんごの木にこのことを教えてもらったのです」

「私たちが何かの行動を起こしたときに得られるものは”失敗”でも”成功”でもなく、”ある気づき”であるということです。」

「あなたがもし、”自分にとって都合の悪い出来事”に直面しているなら、それは”失敗”ではなく二度と起こらないようにすることができるチャンスなのです。」
以上
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2009年12月20日日曜日

大人げない大人になれ(食べる読書13)



大人げない大人になれ!
」 ダイヤモンド社 成毛 眞 著

いいねえ!好きだなあ、こういう人。というか、こういう人を目指してるな、おれは。

自然体でいいんだよと思わせられる。

題名の通り、大人げないことが道を切り拓くよといった内容。そこには、本質的なことも多く、だけど楽しいことでもある内容だ。生きるとはどういうことか。やはり、この一個の人間として存在する自分から物事を考えればおのずと出てくる生き方だ。世の中のことなんかどうでもいい。でも、それとのつながりは軽視しない。この一見矛盾する二つの共存。自分に素直に生きればそうなってくるのだ。

以下、気になった部分抜粋


大人げない大人になれ!


「変化に対応するだけでなく、変化を自ら創り出すことが求められる。」

「ビジネスの世界でも、自分の能力には、一見して釣り合わないようなリスクの高い仕事に挑戦しよう、という気概が重要だと思うのである。」

「ネオテニーという言葉の説明をしよう。この言葉は、動物が胎児や幼児の持つ特徴を保持したまま成長する過程を指したものであり、日本語では、幼形成熟や幼形進化などと訳される。」

「大人になるということは、自ら成長の歩を緩めてしまうことになりかねないのである。」

「あまのじゃくの考え方は、あえて否定することで意見対立の確信に迫っていくから有用なのである。これは物事の本質と言い換えてもよい。」

「周りが無駄なもの、余計なものだといっても、自分が良いと思えばとことんこだわるのである。こうして追及していくと、その間隔はおのずと人とはずれていくのだと思う。」

「誰だって本来持っている感覚が、人とまったく同じだということはない。」

「自分のことを売り込みたいのであれば、やはり自己中心でなければいけないと思う。相手を褒めて媚びるのではなく、相手に自分を褒めさせることを目指さなければならないのだ。」

「過激な発言で、次第にこいつは何をやるか分からないと恐れられるようになったからである。こうした人を目の当たりにすると、周囲の人間は理不尽なことをされたくないと思うようになるのだ。そして、はらはらすると同時に、この人は何か普通ではない奇跡を起こしてくれるかもしれない、と期待も入り混じった感情をもつようになる。」

「組織に新たな変革が求められる際には、多少の不満や反論は押しのけていくことが必要である。結果さえ見えれば、そうした不満はすぐに消える。そうすることで、すべての力を一つの方向に振り分けることが可能になるのだ。その核となるものには、小手先の論理や利害には揺るがない確固とした理不尽さが求められるのである。」

「単に新しいものだけをよしとせず、新旧を問わず柔軟な考えを保持することである。」

「人を惹きつけるようなことができるのは、子供のように簡単な言葉を使って、自分の考えと感情をストレートに表現できる大人げない人のはずである。」

「自分のやりたいことに向き合うことは、誰にでも出来ることである。あなたが今強いられている我慢は本当に必要なことなのか。」

「自分が持つ可能性を大事にしたいのであれば、目の前のことだけに没入し、何かしらの変化を察知するにつけ、次のベストを探すというスタンスを保持することが重要である。」

「若者たちは言葉のテクニックだけうまくなってしまい、その真意がよく読めないのではないか。こうした技術は、あくまで公式の場において余計なことをいわないためのものであって、個人の考えの基礎になるようなものではない。」

「若者の使命は新たなことに挑戦していくことである。そのためには、将来を楽観的に信じなければならないし、過去の独善的な考えに支配されてはいけないと思うのだ。こうした意味で、若者には、おじさんの言うことは9割が間違いだと考えてほしいというわけである。」

「強い刺激を受けると自分が持つ感度の上限と下限が広がっていくから、小さなことでは失敗とも成功とも感じなくなるのである。」

「子供や大人げない人たちは寄り道を好み、興味をひかれることがあると本題から外れていってしまう。」

「周りの環境に自分を無理に合わせたり、誰かの真似はしてこなかった。そんなことはできるわけがないと分かっていたからだ。」

「大人げなく生きるとは、どこまでも自分に素直に生きるということでもあるからだ。」

「集中が途切れ、ふと一休みした時は、心地よい疲労が体に残っている。」

「既存の体制に何か弱点があるとすれば、それをよく知っているのは、その体制の中で恩恵を受けている人だ。その仕組みがなぜ利を生むのかを理解し、これがいつまでも続くように守ろうと必死になっているからである。だから、こうした人たちは、その弱点に近づく人間に対しては烈火のごとく怒り出す。逆に的外れなところを突いている人には、ニヤニヤと笑いながら、まあ頑張りなさい、と声をかけるのである。」

「大人たちは普段冷静を装っているが、自分にとって致命的なことになると突然怒り出す。だから、大人や既存勢力を相手に戦おうと思えば、相手を怒らせるところまでやるぐらいが丁度いい。」

「どんな仕事でも、自分なりの工夫を加えれば楽しい遊びにすることはできるはずだ。」

「30代前半までは、給料の7割が本代、あとの2割がパソコン関係、最後の1割が生活費という具合であった。そのせいで生活の苦しい時代もあったが、今の自分があるのは、間違いなくこういったお金の使い方をしたおかげである。」

「時間があれば、その時々で思いついたことにしたがって熱中し、そのうちに飽きたり、他のことをしたくなってきたら我慢せずにすぐ次のことへ乗り換える。だから一点集中浮気型である。」

「一つのことに熱中していると、時間が濃縮され自然と他のことをするための時間ができてくる。そうすればまた思いついたことをやればいいのである。」

「本から刺激を受けることができれば、内容を覚えていなくても、おのずと自分そのものが変わってくるのである。」

「自分のスタイルを崩すことなく、世の中を少し斜めに構えながら楽しく生きたのである。」

「大事なことは、それが仕事であれ趣味であれ、真剣になって遊び尽くすことである。」

「目の前にある常識はまず疑い、自由に仮説を作ることが重要であることは疑う余地もないのだ。」

「これからの企業は、面白みのある経営哲学や環境を用意することで、誰よりも活躍する“大人げない人”を集めなければならない。」

「本を読んで人生に役立てようと思ったとたんに、なんだかつまらなくなってしまう。」

「カエサルは大人げなく、そして本質的な思考の持ち主だったようだ。」


大人げない大人になれ!


以上
またね***


バーチャルカンパニー

昨日、「バーチャルカンパニー大企業市場 in  愛知学院大学」に行ってきた。

学生たちがバーチャルカンパニーを作り、どんな事業をするかをプレゼン。そして、指南役とバーチャルカンパニーの問答が行われる。それで、指南役その他一般参加者からの投志金額を集めるというもの。

面白かった。

起業する際の考え方など参考になった。

①、理念と事業内容は一致しているか。
②、事業のコスト・流通・販売などは現実的か。

この二つが大事かなと感じた。どちらも満足にこたえられていたチームはなかったが、どちらか一方が優れていたら、どうにか投志したいと思わされた。実際、高額投志を得たチームは、どちらかが満足のいく内容だった。

理念と事業内容がしっかりしていて、でも販売コストなどは十分でないチームは、その事業に対する想いを語ってくれたので、どうにか応援したいという気にさせられた。

逆に理念などは個人的に弱いかなと思うが、コスト管理や販売方法など現実的に練られた商品を考えていたチームは、その内容だけで納得させられた。だから、投資しても回収できるだろうなと思わされた。

いい勉強になりました。

が、このイベントの最後に、大学生代表の方が話してたことがとても印象的だった。彼は他大学からの参加で投志役だったのですが、「指南役の方々はとてもいいことを言ってくださっていた。だけど、それを真剣に受け止め、メモしているメンバーがほとんど見られなかった。」と語ってくれてた。とても大事なことだよお。

ここで、バーチャルカンパニーメンバーがこの大企業市場においてどこに焦点を置いて参加したかがわかる。はっきり言ってこれは作られた市場だ。彼らは、この大企業市場をこなすことに焦点が当たっていたのだろう。だから、その場その場で真剣に全力で指南役の質問にも答えていた。だが、彼らの生きる”場”はここではないだろう。彼らの生きる”場”は未来にあるはずだ。だから、大学で学んでいるはずなのだ。大学生代表の人が言うように、彼らの当てるべき焦点は、「この大企業市場で、起業するにあたって学べることはすべて学ぶ」ではなかっただろうか。こういうとこに焦点が当たっていれば、代表の人が言うように、自然とメモを取っていたはずだ。

これは当日の私自身にもあてはまる。当日会場につくまでどういうことをするのか全く分からなかった。で、大体の大枠がわかってきたとこで、「ここから学べることは何だろう?」と考えた。この時点ですでに出遅れている。そこからいろいろ紆余曲折あり、結果としてどこに焦点を当てて参加したかというと、「指南役の人はどういう考えのもと、学生から情報を引き出そうとしているか?」である。指南役はある程度起業に対して深く精通しているという前提のもと、どう考えるのが起業するにあたって妥当かということを学ぼうというとこに焦点を定めたからである。

で、その結果が上に記した二つである。まあ、適切に導き出せたかは知らないが、普段できない視点から物事を見れたのが貴重だった。

他にもいろいろ考えたことはありますが、長くなるのでこの辺で終わります。

鵜飼先生、虫鹿さん、このような素晴らしい場を紹介してくださってありがとうございました。
楽しかったです。

以上
またね***

2009年12月14日月曜日

不毛地帯2

ドラマ「不毛地帯 DVD-BOXII(第十一話~最終話)
」第5話、第6話を見た。面白いねえ。

今回は、第三次中東戦争直前を背景に様々な人間模様が描かれていた。

いろいろ気づくところもあり、考えるところもあった。

やっぱり、人はそれぞれ見てるものは違うということを再認識した。われわれは同じ世界に住んでいるが、誰一人としてその世界を同じように見てはいないのだ。

第6話で二人の人が“心の平安”について言及していた。二人とも、自分の価値観を語っていたのである。私にとって何ものよりも優先するものであると。そう言ってくれると、人はその人の生き方を少しは理解する。

“キャリアの教科書”でもあったように、自己表現しないと他人は自分のことをわかってくれない。それは、相手の自己表現も正当に聞くことでもある。

また、こいうことを以前何かで読んだ。「相手の本音を知りたいなら、相手を怒らせることだ。」また、「その人の価値観を知りたいなら、その人が何に怒っているかをわかればいい。」「その人がどんな人間であるかを知るには、その人の座右の銘を知りなさい。」

三つとも別の本だったと思うが、ここには共通した真実がある。我々は他人のことなどわかっていないのである。だから、どうにか知ろうとする。

では、“知る”とは何だあろう?プラトンの「テアイテトス」はそれについて論じた書物であるが、結論は出なかった。が、このドラマを見て思ったのが、「知るとは、活動が前提であるし、次の活動を生み出す前提になるものではないか。ちょうど、我々が二本の足で歩くように。左足の次には右足が前に出て、次に左足という具合。」

壹岐は、異例な出世に対する社内の反発に対する対処として、社長に提案をもちかける。「役職なし」か、「会社のナンバー2の地位」である。

だが、こうは考えられないだろうか。“キャリアの教科書”のコンセプトワークである。これは、自分の果たす目的達成のため、プラスアルファの能力を身につけなければいけないということではないかと。壹岐は、自分の考えを実行することしか考えてこなかった。しかし、今までのやり方ではどうもうまくいかなくなってきた。なぜか。周りの壹岐に対する感情が良くないからである。さあ、どうする。昔の部下の小池の言葉「壱岐さんはいいよな。軍でも商社でも自分の考えを指揮するだけだもんな。(自分では動かないんだよな)」がヒントではないか。これは小池の本音だ。それを壹岐も分かっている。が、それに対してどう対処すればいいかわからない状態だと思う。


不毛地帯 DVD-BOXII(第十一話~最終話)


「虎穴に入らずんば、虎児を得ず」だろう。ぶっちゃけ、社員一人一人と真剣に2,3時間くらい話す覚悟がないと社内での反発はなくならないだろうな。

人は金だけでは動かない。ここではそれも物語っている。じゃあ、金以外で何が人を動かしているだろう。今回は、地位やメンツ、誇りだろうな。各部のそういうとこに配慮して対応してれば、反発もそんなに強くはなかったのではないか。

はっきりいって、壹岐には、次の行動を起こす“知”がない。それは、周囲の人を自分の味方にさせる接し方だ。

こういうことを考えると、まあ昔の作品だから仕方ないとは思うが、何となく時代遅れなドラマだなとは思う。確かに今の時代にも通用する大事な部分はあるが、これからの時代に求められるようなことはあまり得られないような感じはする。

その理由は、もうでかい企業は少なくなるからだ。また、昔のように組織の秩序がしっかりしている企業は生き残れない確率が高くなるからだ。その理由は、急速な変化への対応が遅れるからである。今、より変化へ対応しやすい組織とは?、どんな組織文化ならそれが可能かというのが一般的な論点ではないかと思う。この論点も、勝ち組にとっては古いだろうが…。そんな時代に、こういうドラマを制作するとはどういうことだろう?と考えてしまう。しかも、会社を舞台にした経済小説?のような筋書き。まあ、ぼろくそ言ってるけど、今放送しているドラマの中では、ダントツに面白いと私は思います。というか、これしか見てない。

観ててもどかしい部分があるのは否めない。今回の件も、船を調達するのに電話一本でその部に丸投げするのはおかしいと思う。情報収集で疲れてるのはわかる。が、自分で取ってきた案件なら責任もってそれを実行する、あるいはさせるべきだろう。確かにそれぞれ役割はある。が、その役割を果たさせるのも上司だけの役目ではなく、各部がそれぞれの部に対して行う必要が出てくる。ワンマンになってはいけないが、責任をすべてかぶるならだれも文句は言わないだろう。

ここで、日産GT-Rの開発を総指揮した水野和敏氏が言ってたことを引用したい。「トップの考えを普通の人に伝えるパイプ役が必要。それは、トップの言葉を翻訳する役目である。織田信長には、豊臣秀吉や柴田勝家がいた。すべて先進的なことをやる時にものすごく大事なことは、その頭の、脳みその中身を、普通の人に翻訳してくれるパートナーの存在ってすごく大きい。」

何かを成すにはその考えが動く人すべてに行き渡らないといけない。

壹岐に必要なものとして、先にあげた“知”あるいは、壱岐の考えを翻訳して人を動かす右腕が必要と思う。

いろいろ取り留めもなく考えが出てくる。最後に、これは要求になるのかな。ドラマの登場人物たちに対して、「変わってみたらどうだろう。自分を貫き通すのは素晴らしい。初志貫徹だし、普遍的な価値だ。だが、自分が変わってみると世界は変わって見えるんじゃないか。その変わった世界を見てみたい。価値観の変わった壱岐の見る世界を。」


不毛地帯 DVD-BOXII(第十一話~最終話)


以上
またね***



2009年12月11日金曜日

キャリアの教科書(食べる読書12)



キャリアの教科書
」 PHP研究所 佐々木 直彦 著

キャリアについて書かれた本。キャリアは、雇われる力(エンプロイアビリティ)へつながるものである。この時代、どんなビジネスマンでも雇われる力が求められているという考えから、雇われる力をどうやって養うかということを書いてある。

これまで人生の道はどんな集団に所属するかに焦点が当てられていた。が、時代は、集団自体が危うくなってきている。なのに、人々の人生設計の基本的思考は、相変わらずどんな集団に属するかのままだと日ごろ感じてた。だから、みんな将来が見えない暗い顔になってる。若者や子供は自分の将来に希望をなかなか見いだせてない。新しい考え方が求められている。

この本は、その新しい考え方のヒントを与えてくれるものであると思う。

具体例があり、実感として腑に落ちる部分があると思う。そして、一貫しているのが、基本は“自分自身”ということだ。何を、どんな仕事をするにも“自分”が出発点だし、その結果に対して評価するのも“自分”なのである。


キャリアの教科書


この“自分”とは何か?これを意識レベルで理解する道具としてこの本では、「五つの質問」を挙げている。
  1. 自分は何ができるのか
  2. 自分は何をしてきたのか
  3. 自分は何をやりたいのか
  4. 自分はなぜそれをやりたいのか
  5. 自分の人生をどのようなものにしていきたいのか
の五つである。
これは、”柱”である。人生の。ここから漏れることをしているということは、方向性が異なることをしている。それは、仕事をするうえで、周囲の人からの信用を失うことへとつながっていくだろう。なぜなら、人を説得するにはこの“柱”をもとに話すほうが周りの同意を得やすいからである。まず、ここをしっかりぶれないようにする。
次に、キャリアを切り拓いていく三つのワークを紹介している。
  • フィールドワーク(現場で実践する)
  • コンセプトワーク(考える)
  • ネットワーク(人とつながる)
これらは相互に関連しているので、一つのものを高めると他の二つも効果が上がっていく。
この三つは日常生活で活用できるので、日々の指針にできる。
・フィールドワーク
自分の能力を高め、活躍する場がないと、いくらぶれない軸をもっていても意味がない。フィールドワークは、その“場”をつくりだすことである。「長期的なビジョンを実現させるために、仮説として当面のゴールを設定し、そのプロセスを一つのフィールドワークとしてデザインして行動を起こすことは、エンプロイアビリティを創造するために非常に有効な方法といえる。」
・コンセプトワーク
自分を知ることである。人は生きていくうえで、環境の変化・立場と役割も変化していく。「歌がすきで歌手になった人も、成功すればするほど、純粋にうたう能力だけでなく、プロモーションでラジオに出たり、雑誌の取材を受けたり、いきなりレポーターにマイクを向けられたときにファンを前に気の利いたコメントをいわなくてはいけないということが起きる。そうしたことをこなして初めて、好きな歌を歌い続けることができるという面があることは否定できない。」自分がどんな人間かが定まっていれば、環境や立場、役割の変化にもおのずと果たすべきことが見えてくる。「いつも自分らしくあり続けようとし、自分が自分とかわした一番大切な約束を守り続けていく。だからこそ、状況に合わせて、変えるべきでない自分の大切な部分以外の自分を変えることをいとわない。」
・ネットワーク
自分にはやりたいことがある、果たすべきことがある。そんなとき、必要な出会いを自分で作り出すことができるのはとても重要だ。その際にするのが“自己表現”だ。「”何をやりたいか”も、過去から現在に至る中に、なぜそれをやりたいと思うようになったかという腑に落ちる理由があれば、相手は納得できる。そういう説明ができることで、相手は、現在の自分を評価してくれ、未来の自分に期待して支援してくれる可能性も出る。」しかし、自分のことだけ話すのでは人脈はできない。相手の話も聞き、お互いにとって利があるなら、行動していくことだ。「プレゼントは一方的なものではない。もともとプレゼンは、相手の協力のもとに、ある目的をはす為のコミュニケーションだと考えたほうがいい。」
夢はあるが、今何をすればわからない時。ふと気がつくと自分は何をしてきたのか、何を求めてたのか、わからなくなった時。この本を手にすることで気づくことがあるし、やることも見えてくるだろう。まだまだすべてを理解するには至らない。「プロデュース能力」同様、実行しつつ見返す本だと思う。
なんか、目の前が開けてきた感じはした。どんな考えのもと将来を見るのか。それを勝ち取るために何が必要か。夢や希望、自分の可能性を信じられる本です。ありがとうございます。


キャリアの教科書


以上
またね***


2009年12月7日月曜日

不毛地帯

私はテレビを持ってないので、遅ればせながらドラマ「不毛地帯 DVD-BOX 1
」を見た。まだ4話までだけど…。

面白いし興味深い作品だなと楽しんでます。「白い巨塔 DVD-BOX 第一部
」と似てて、山崎豊子さんは、人間模様を描くのがうまいなと感じます。

4話まで見てて、自分なりに考えるところがありました。

やっぱり、人間は自分が司令塔にならないと幸せにはなれないなと。自分が主役なんだと。

この作品のテーマの一つに、“組織と個人”があると思う。その組織と個人の相いれない部分で、苦しみながらも自分なりの選択をしていく姿に多くの視聴者が共感するのかなと思った。でもねえ、そこで苦しんでる時点ですでに自分の人生において負けなんだよなあ。

この四話までの中で、私の思う人生の勝者は、”貝塚官房長”だな。悪者だけど。なぜか?答えは簡単で、自分の求めてるものがはっきりしていて、それを得る最も確実性の高いものを選択しているからである。全くぶれていない。ここは学ばないといけないところ。

ドラマの中で、久松長官が、壹岐に「泥水をずいぶん飲んだもんだな。」というシーンがある。久松長官も壹岐も人生において何を求めているんだろう?そこが彼らの言動からはあまりはっきりしなかった。ここでいう「泥水」というのは、家族からの信頼や親友の死、世間の評判だろう。これらを捨てていかないと目標は果たせない。その苦しさ。ここが“組織と個人”の問題としてみることができる。

が、こういう見方は適切でないなと観てて思った。


不毛地帯 DVD-BOX 1


ここで私の言う“組織”というのは、社会の仕組み・構造も含めてのこと。組織というのは個々人の集合体であるが、それぞれ役割は異なる。それは組織を存在させるために必要不可欠であるしそれ自体が組織ともいえる。また、その組織は社会の中では、ある特定の役割を果たす。ちょうど、個人が組織において役割を果たすように。
また、仕組みは一つの価値をこの世に生み出す役目もするし、その価値の存在を示すものでもある。たいていの組織はピラミッド型の仕組みになっている。それは、指揮・命令系統をはっきりさせるためである。これは組織としての責任の所在も明らかにする。これがないと組織は成り立たない。なぜか?組織として一つの価値を社会に提供するには、組織自体も一つの価値観を持たないといけないからである。しかし、人間は一人一人考えが違う。組織の中で一人一人がそれぞれ違うことを言っていたのでは、一つの価値に絞ることもできないし、組織としても動かない。それぞれが異なる方向へ向かうからである。だからこそのピラミッド型なのである。

今の日本は民主主義という一つの価値観を表す社会システムになっている。第二次世界大戦中は、ファシズムという価値観を表す社会システムになってただろう。江戸時代は江戸時代の価値観を表す社会システムになっていた。一つなんだよ。たった一つ。

しかし、我々人間は一つの事実に対して、いろいろな解釈ができる。これは、いろんな価値観を一つのものにつけることができるということだ。たとえ、社会的に受け入れられない価値観だとしても。

ここで、ドラマ中の人物を比較してみたい。自殺した川又と貝塚官房長である。二人はそれぞれ防衛庁を自分の人生においてどのように見てただろうか。二人の言動から推測してみたい。
川又:自分の夢をかなえる場。自分の活躍するステージ。まず、自衛隊ありき。
貝塚:自分の欲求を満たすために利用するもの。道具。どう使うかは自分で決める。まず、自分ありき。

とても対照的。ドラマでもよく対立してた。

私は、人間はそれぞれの生き方を追求して、それぞれらしく生きることが正しい在り方だと考える。それは、今は民主主義の時代だから、民主主義的な生き方をするということではなく、自分が社会主義が正しいと信じるならそう生きるということだ。生まれてきた場所や育った環境に依存するのではなく、その中でどう自分を貫くのかということである。

川又は、日本の防衛をしっかりしたいと夢をもっていた。なら、たとえ、自衛隊の中で閑職に飛ばされて、それが自衛隊ではかなえられそうにないと分かったなら、ほかの方法を考えてほしかった。当時、自衛隊はあったが、いろんな面でアメリカ軍の情報や軍事力にかなり依存していた。今もあまり変わらないとは思うが…。こういうことを考えると、アメリカ軍に入って日本を担当するとか、自分のできる範囲で、防諜などで自衛隊に貢献するとか、夢へ向かうステージを変えてもよかったんじゃないかなと思う。無意識に“組織”に依存していたんじゃないかなと思う。組織の中にいる自分からしか物事を考えられなかったんだろう。

一方、貝塚は、常に組織の外にいる自分から物事を見ていた。一人の人間として自分は何がほしいかという視点から物事を見てきたんだろうと感じた。だから、組織に埋もれることなく、いや、だからこそ、組織を利用するという発想ができる。決して社会学者のように社会の仕組みをわかった上で、この仕組みを利用したわけではないだろう。ただ、ひたすら社会的なものを脱ぎ捨てて、一個の人間として何を欲してるかを見失わなかった。そして、一応順調?なのかは分からないが、前に進んでいる。この生き方には、敬服する。なかなかこういう人は見当たらない。現実世界で。面白い。

以上が、冒頭の自分が人生の司令塔にならないといけないと感じた理由です。

また、“組織と個人”の問題で壹岐が苦しむことのヒントもここにあると思う。さっきも書いたが、壱岐は第二の人生の目的は何なのかということが定まってないために、いろんなことに振り回されるのではないか。壹岐は自分のしたいことをしているのだろうか。壹岐は、一人の人間として子供たちに何を教えられるだろうか。組織の中の一人として極めることが人生の目的なのか。それとも、一人の人間として、家族や友人とかけがえのない関係を築いていくことなのか。もしかすると、この二つのどちらかを選ばないといけないということを理解するための道程としての「不毛地帯」なのかも。

面白いよこのドラマは。いろいろ考えさせられる。楽しいね。
ありがとうございます。


不毛地帯 DVD-BOX 1


以上
またね***

2009年11月30日月曜日

宇宙につながると夢はかなう(食べる読書11)



宇宙につながると夢はかなう~さらに強運になる33の方法~
」 フォレスト出版 浅見帆帆子 著

めっちゃ売れてます。その理由が読んでわかりました。

いいこと言ってるんだよお~。しかも大事なこと。今日家帰って、気がつくと掃除してたからね!半年に一回くらいしか掃除してなかったのに…。

個人的にとても面白い考え方だなと思った。し、とっても興味深かった。特に”波動”という捉え方。確かに我々は普段、ド・ブロイ波を出してるのかもしれないけど、そのことなのかも。なんて思ったりした。

これまでは、できるだけ論理的に考えを整理して、組み立てて、…といった具合で思考を深めていってた。が、浅見さんは、感覚ですべてを語ってるなと感じる。はっきり言って、この本に書かれてあることは証明できるのか?なんて思う。が、腑に落ちる。納得いく。その通りだと叫びたくなる。ここが、読んでて楽しかった。おれとは違う、世の中の捉え方をしているなと。だけど、方法が違うだけで、結論は共通してる部分も少なからずあった。

この本は大事な本だ。普段の生活の中で、つい忘れてしまう大事なことが分かりやすく優しいタッチで描かれている。読んでてとても癒されるというか、自分に素直になれる。とてもリラックスできる。そりゃあ、売れるわヽ(^o^)丿

以下、気になった箇所です。


宇宙につながると夢はかなう~さらに強運になる33の方法~


「本当に運をよくするという考え方というのは、生きることへの不安や寂しさがなくなり、まわりへの憎しみや嫉妬、比較や争いなどとは無縁になり、今生きていることに深い幸せを感じることにつながる方法です。」

「迷ったときに、イメージしてみてください。どちらにするほうが、あなたがあなたらしく居心良く感じますか?どちらのほうが無理がなく、その後のあなたがきれいさっぱりと次のことに向かえますか?」

「初めに“気が進まない”と思っても、“引き受けた以上はそれを楽しもうと思い、全力で向き合って進める!”と決めれば、それはよい波動になるので良い流れを引き寄せます。」

「本音の通りに進んでいるからこそ、うまくいっている」

「言葉は今のあなたの環境を勝手に決めてしまいます。そして、言っている本人が一番その言葉に縛られるのです。」

「本当に大切なことを伝えていこうとするとき、仕事はただの手段であって、どんな種類の作業にも優劣はありません。」

「魂が喜ぶことをしていると、それに携われること自体が楽しくてしょうがないので、その作業(仕事)がうまくいくか、成功するか、有名になれるか、人から評価されるか、または失敗したらどうしよう、というようなことはほとんど考えなくなります。」

「実現した瞬間の状況を、できる限り詳しく思い描いてください。どんな様子で実現するか、周りの人がどんなふうに喜んでくれるか、生活や気持ちがどのように変わるか…このときに何より効果的なのは、実現した時のあなたの“気持ち”を想像することです。」

「あなたが夢のことをイメージし始めると、今のあなたに足りない必要なこと、勉強しなくてはいけないことが集まり、逆にその夢にふさわしくない考え方や行いを見直させられるようなことが起こるのです。」

「その夢だけに幸せにしてもらおうとは思っていないので、ほかにも幸せを感じることがたくさんあり、日々他のことにも目が向いているので、夢が一つだけではなく同時進行していることもあります。」

「ふと思いつくというのは、その思いついた“とき”がタイミングです。ということは、時間がたてばタイミングを逃すのです。」

「気分が良くなるというのは、決してその場限りの気休めではなく、“気が良くなる“わけですから、見えないレベルで確実にあなたの何かが浄化されているのです。」

「自然の素晴らしさをしみじみ感じるようになると感性が強まり、あなたという受信機が宇宙の波長とつながって、ひらめきや情報がどんどんやってくるようになります。」

「変えることのできない環境だとしても、あなたが“影響を受けない”という意識を強く持てば影響されないようになります(逆に言うと、このような環境にいる人は、自分の意識をコントロールする絶好の練習場所が日々与えられていることになります。)」

「”これは私のストレスではない”としっかり切り替えて、あなたの楽しいことに向かってください。」

「考えて気持ちがグーッとマイナスになりはじめたら、“あ、考えなくていいんだった”とすぐに切り替えて、その分、あなたが考えるとわくわくする楽しいことに意識を集中してください。」

「自分の意識がどこに向かっているかいつも確認!コントロールする」

「ネガティブな感情も含めて、そう感じている今のあなたをそのまま認めてあげると、そこでその気持ちは解消されます。その気持ちを解消すれば、それに執着することもなくなります。」

「ある出来事からわき出してきた強い感情は、そのたびにしっかりと向き合って味わなければ、あとから必ず足を引っ張られることになります。」

「あなたの感情を大切にしてください。その嫌な事件や出来事からあなたがどんなにマイナスの思いに沈んでも、つらさのあまりどんなに醜いことを考えたとしても、それでいいのです。“ああ……つらかったんだな、傷ついたんだな”と認めてあげてください。」

「本当に影響を与えられる人は、その本人が自分の生活に心から感謝して幸せを感じることができているのです。」

「あなたが幸せを感じてワクワクと毎日を過ごすようになると、次は自然にまわりに目が向きます。」

「入れたいと思ったら出せばいいのです。」

「楽しい情報が入ったら、周りの人とそれを共有してください。」

「今抱えている問題に新しい流れがほしいとき、行き詰っているように感じるときは、そこを考えて憂鬱になったり不安になるのではなく、まず部屋を掃除してみてください。」

「埃がたまりやすい隅っこには、邪霊をはじめ、いろいろなマイナスのものがたまるとされているので、特にまめに掃いて(祓って)ください。」

「帰ってきたときにホッとするたびに、今日一日外でためてきたマイナスのものがリセットされるようになります。」

「”これを知らせてくれるために起こったんだな”と理解できるようになると、同じようなトラブルは起きなくなり、運の悪い連鎖もとまります。」

「自分の波動の質(あなたの意識が何を考えているか)に集中すれば、起こることは変わってきます。」

「運の良くなる言動をするかしないかで、同じ人であっても生活に起こることが変わります。」

「自然には力がある」

「日々の生活に、あなたが一人で立ち向かっているのではなく、自分の後ろにはものすごい数の応援団が控えていると知ることは、あなたをきっと安心させることでしょう。」

「“気持ちが変わった”というのは、その瞬間にそれまでの流れが変わった、ということです。」

「体は宇宙の波動をキャッチする受信機なので、常にメンテナンスしておく必要があるのです。」

「どうでもいいことにいちいち惑わされて、心の波動を下げるのはもったいないことです。今の人生で人間としての時間は一応限られているのですから、余計なことでイライラしている暇はありません。」

「何度もあったことのある人に対しても、会うたびに“今日初めて会う”というつもりになってください。それまでのその人のイメージをクリーンにして、新しい情報、刺激、メッセージを受け取るのです。」

「流れに乗っている人は、すべてのことに対して偏見がないので(少ないので)、いつでもどこからでも自由に、今の自分に必要な情報をキャッチしています。」

「今あなたが抱えていることも、あなたにとって一番良いタイミングの時に必ず動きが出てきます。」

「楽天的で、いい意味で忘れっぽい人、あまり深刻にならない人に悪いことが起きにくいのは、余計な心配をしないからです。」

「自分にとってのタイミングがそろったら、必ず良い方向へ動き出す。ヒントになることがきっとやってくる。それまで安心して待っていよう」

「自然の流れで起こる変化を受け入れる」

「人間は、日常生活で実感していないことに心から納得することはできないのです。」

「やってみて、もし効果がなければその時点で辞めればいいことです。」

「どんなに効果のある方法でも、それに慣れて自分のものにするまでには行動力が必要です。」

「あなたが幸せを感じる事柄を起こしたいと思ったら、まず、今の環境を“ありがとう”と思い、マイナスのエネルギーを断ち切ってください。」

「ゆったりとリラックスした状態で今日一日のことを思い出し、今日も無事に終わったことを感謝してください。あなたが意識を集中させて引き寄せたいことを確認してください。
反省することがあれば、その時に済ませてください(これから気をつけようという確認程度です)。
お願いがあるのであれば、このときにお願いしてください。」

「最後に、うれしいことを想像してください。考えると幸せな気持ちになること、そうなったらうれしい未来のこと、やさしい気持ちになることを思い出し、居心地のいい幸せな気持ちになって眠ってください。」

「至福を感じて毎日を過ごすことができている人たちの源泉は、“自分は宇宙に愛されている“という漠然とした、でも確かな感覚。この感覚に気づくと、ますます人間らしく感性豊かになり、毎日が楽しくなります。」


宇宙につながると夢はかなう~さらに強運になる33の方法~


以上
またね***


2009年11月16日月曜日

DRS

去る11月12・13・14日は、DRSというセミナーに行ってきた。

気がつけば、ずっと被害者でしか物事を見てなかった。なにもしてなかった。自分の人生なはずなのに、…何やってんだ!!!情けなくて悔しくて…、自分の道は自ら切り拓くと思ってやってきたはずなのに…、ただ自分を正当化してごまかしてただけだ。

自分を受け入れてなかったんだ。この宿命から目をそらしてた。だから何をやっても苦しかった。これがおれなのに。これがおれのやることだし、ここがおれの居場所。この時代にここに生れてきた自分。

本当にほしいものは、家族との絆だと気づけた。家族は愛してるが、途中で家族への奉仕を止めてしまった。それが苦しかった。見返りがないからと辞めた自分。余計息苦しくなった。自由を求めたのに、自由ではなかった。

このおれには夢がある。それは家族から出てる。夢の原点は家族なんだ。そして、それは、おれに生きることを、生きる尊さを教えてくれているんだ。生きるとはどういうことか、感じた。そこから逃げ出したかった自分。そんなのできるわけないと怖かった。逃げたかった。でもどこにも行けなかった。目の前に立ちはだかる、この人生でおれの成すべきこと。そう見てた。

でも、今は少々違う。おれに、道を示してくれる。どこへ進めばいいか、何をすればいいか、何を求めればいいか。だんだん、おれをおれたらしめてくれる存在になっている。そして、同化していくだろう。

“挑戦”。これは二十歳前後のころから、自分の人生を一言で表すと何かと考えた時に出した答えだ。人生を終えるとき、振りかえり、自分の人生に題名をつけると何だろう?ということだ。そして、50、60年先を見通して生きてきたつもりだ。だれにも理解されないが、おれ自身、おれの成す宿命はそのことをわかってくれてる。

そんな唯一の理解者に、いつの間にか目をそむけていた…。日々の生活で、妥協を重ね、理想を語れなくなってた。セミナーでは、反省ばかりだった。が、大事なことに気づけた。ありがとうございます。

ひたすらまっすぐだ。意図100%で、ひたすらまっすぐ、まっすぐだ。自分に素直にまっすぐ進め!!他人はどうだっていい。おれの夢は、人をさらに高めるためにある。負けるな。ただ、正直に自分を進め!!そこのみがおれの存在。そこにいない(ひたすら進まない自分)のは、俺じゃない。その時点で、この世におれはいない。たとえ、物理的に生存していようと、それはすでに俺じゃない。見た目じゃない、心で多くの人がおれを見るか、多くの人の心におれが語れるかだ。ソクラテス、孔子、キリスト、プラトン、コロンブス、ニーチェ、坂本竜馬などのようにだ。

この高平大には夢がある。次世代を切り拓く哲学思想を構築することだ。これが、私の成すことだ。

以上
またね***

2009年11月10日火曜日

竜馬がゆく(食べる読書10)




「竜馬がゆく」 文春文庫 司馬遼太郎 著


竜馬がゆく 全8巻セット (新装版) (文春文庫)


ついに読み終わったあ~!!三ヵ月四カ月かかったかも…。八巻です。初めての歴史小説です。素晴らしい本に出会えました。というか、素晴らしい人物に会えました。竜馬に惹かれっぱなしです。すごい。とても参考になり、勇気づけられもした。

竜馬の一貫した考えの一つに、「自分は何かを成すために生れてきた」という想いがあったと思う。他の志士たちがどんどん行動を起こしていく中、まだ自分の成す時期ではないと自制して、ついに自分しかできないことを成し遂げた。時勢というのも重視していた。

“薩長同盟”、“大政奉還”どちらも竜馬なしでは遂げられなかった。どちらも、未来を拓くものである。

なぜこれらを成せたのか。竜馬が、当時の人より一段高いところから世の中を見ていたからではないかと思う。世間一般の常識にとらわれず、自分の頭で体で物事を判断していったからだろう。その判断の基準は、「何を成すか」である。本にも書かれていたが、竜馬は初めての“日本人”だろう。この日本列島を一つの国であり、自分はその国の一員であるという認識。周囲とは考えが異なるが、気がつけば周りは竜馬の魅力に引き込まれている。そして、己の道を貫いた。学ぶところが多い。

以下、心にきた部分を記す。

「禅寺に行って、半刻、一刻の座禅をするよりも、むしろそのつもりになって歩けばよい。いつ、頭上から岩石が降ってきても、平然と死ねる工夫をしながら、ひたすらにそのつもりで歩く。岩石を避けず、受け止めず、頭上にくれば平然と迎え、無に帰することができる工夫である。」

「衆人がみな善をするなら、おのれひとりだけは悪をしろ。逆も、またしかり。英雄とは、自分だけの道を歩くやつのことだ。」

「私は、窮屈なのが大嫌いなのだ。こうして天地の間に寝ているのが一番いい」

「事を成すのは、その人間の弁舌や才智ではない。人間の魅力なのだ。」

「行動はわしに任せ、噂は人の口に任せる。」

「一つしかないからどんどん投げ込むんだ。一つしかないと思って尼さんが壺金でも抱いているように大事にしていたところで、人生の大事は成るか。」

「人の命は事を成すためにある」

「なまの人生は、自分で、自分のがらにかなう舞台をこつこつ作って、その上で芝居をするのだ。他人が舞台を作ってくれやせぬ」

「事を成さんとすれば、智と勇と仁を蓄えねばならぬ」

「時期がくる。それまでは沈黙して、ただ行動準備をしているにかぎる。」

「時流に同調することが正道ではない。五年後には、天下ひひとしてこの竜馬になびくでしょう」

「天下がこれを非とするも自分が正しいと思えば断乎として往くのが男である」

「よほどの大事の瀬戸際でない限り、座興の議論などに勝っても仕様がないもの」

「政治というのは、庶人の暮らしを立てさせてゆくためにあるものだ。」

「ああいう場合によくないのは、気と気でぶつかることだ。闘る・闘る、と双方同じ気を発すれば気がついたときには斬りあっているさ」

「闘る・逃げる、と積極、消極の差こそあれ、おなじ気だ。この場合はむこうがむしょうやたらと迫ってくる。人間の動き、働き、の八割までは、そういう気の発作だよ。ああいう場合は、相手のそういう気を抜くしかない。」

「人がことを成すには天の力を借りねばならぬ。天とは時勢じゃ。時運ともいうべきか。時勢、時運という馬に乗って事を進めるときは、大事は一気呵成になる。その天を洞察するのが、大事を成さんとするものの第一の心掛けじゃ。」

「人間、生死などを考えるべきではないな」

「寿命は天にある。人間はそれを天にあずけっぱなしにして、仕事に熱中してゆくだけでいい。」

「志を持って天下に働きかけようとするほどの者は、自分の死骸が溝っぷちに捨てられている情景を常に覚悟せよ、勇気ある者は自分の首がなくなっている情景を常に忘れるな、ということです。」

「勝は、となりの大清帝国がなぜ外国に侵略されつつあるかを知っている。すべて国内の体制がもろく、官人党を結び、党利を考えて国家を考えざるがためだ。」

「勢いである。人の運命も勢いに左右され、一国の運命も勢いに左右される。」

「こまごまとした議論よりまず玉をとることだ」

「気の弱きは善多く、気の強きは悪多し」

「西郷の哲学では、愛嬌とは女の愛嬌ではない。無欲と至誠からにじみ出る分泌液だと思っている。」

「この歴史の緊張期に必要なのは、何もしない思慮深い老人よりも、むしろああいう狂気なのではないか」

「人間、不人気ではなにも出来ませんな。いかに正義を行おうと、ことごとく悪意にとられ、ついにはみずから事を捨てざるをえなくなります。」

「金より大事なものに評判というものがある。世間で大仕事を成すのにこれほど大事なものはない。金なんぞは、評判のあるところに自然とあつまってくるさ」

「人間というものはいかなる場合でも好きな道、得手の道を捨ててはならんものじゃ」

「竜馬の行動が一日遅れれば一日歴史が遅れる、という事態になっていた。」

「男はどんなくだらぬ事ででも死ねるという自信があってこそ大事を成し遂げられるものだ」

「事の成るならぬは、それを言う人間による」

「生死などは取り立てて考えるほどのものではない。何をするかということだけだと思っている。世に生を得るは事を成すにあり」

「仕事のことさ。仕事と言っても、あれだな、先人の真似ごとはくだらぬと思っているな。釈迦や孔子も、人まねでない生き方をしたから、あれはあれでえらいのだろう」

「純情だけでは、人間の乱は鎮められんからな」

「古来、英雄豪傑とは、老獪と純情の使い分けのうまい男をいうのだ」

「利が、世の中を動かしている」

「時勢は利によって動くものだ。議論によっては動かぬ」

「経済が時代の底をゆり動かし、政治がそれについてゆく。」

「仕事というものは騎手と馬の関係だ。いかに馬術の名人でもおいぼれ馬に乗ってはどうにもならない。少々下手な騎手でも駿馬にまたがれば千里も行けるのだ。桂や広沢における長州藩、西郷や大久保、五代、黒田における薩摩藩は、いずれも千里の良馬である。土州浪士中岡慎太郎にいたっては、馬さえないではないか。徒歩でかけまわっているようなものだ。
(男の不幸は、馬を得るか得ぬかにある)
竜馬にも、藩はない。しかしこの男は中岡と違って“亀山社中”という、私藩ともいうべき馬を、独力でつくりあげようとしている。」

「焦っても事は成らん」

「男子は決して困った、という言葉を吐くな。どんなことでも周到に考え抜いたすえに行動し、困らぬようにしておく。それでもなおかつ窮地におちた場合でも“困った”とは言わない。困った、と言ったとたん、人間は智恵も分別も出ないようになってしまう。」

「人間、窮地に陥るのはよい。意外な方角に活路を見いだせるからだ。しかし死地におちいればそれでおしまいだ。だから俺は困ったの一言は吐かない。」

「武市半平太という男は、釈迦、孔子、ソクラテスの類いだ。おれとは人間の種類が違う。おれは秦始皇、漢高祖、織田信長、ワシントンの類いだ。人間の悪や不潔や不純を使って仕事をする」

「男は、わが思うおのれの美しさを守るために死をも厭わぬものぞ」

「へんぺんたるわれら郷士の感情は、新しい日本の築きあげのためには捨てねばならぬ。」

「おれは後藤を使う。後藤を殺してしまえば使えまい。人間の死体ほど役立たずなものはないからな」

「双方、下心があってのことさ。後藤もわしを利用しようとする。わしも後藤を利用しようとする。そういう必要が生じてきたというのは、時運というものだな」

「竜馬の論でいえば時運をいち早く洞察してそれを動かすものこそ英雄だという。」

「まじめでよいときもある。しかしまじめがかえって事をこわすときがある」

「ただ将来のみを語った。これは人物でなければできない境地だ。」

「人はみな平等の権利を持つ世におれはしたい」

「世に活物たるもの、みな衆生なれば、いずれを上下とも定めがたし。今生の活物にてはただ我をもって最上とすべし」

「まんじゅうの形はどうでもいい。双方、舌を出して餡がなめられればいいのだ」

「人の世に、道は一つということはない。道は百も千も万もある。」

「面白き、こともなき世を、面白く、住みなすものは心なりけり」

「物事に惚れるような体質でなければ世上万般のことは成りがたい」

「“坂本さん、あんたは孤児になる“ “覚悟の前さ”」

「時流の孤児になる。時流は今、薩長の側に奔りはじめている。それに乗って大事を成すのも快かもしれないが、その流れをすて、風雲の中に孤立して正義を唱えることのほうが、よほどの勇気が要る。」

「回天はついには軍事力によらずば成りがたいだろう。その肚はある。しかし、万に一つそれを回避できるとすれば、その策をまず施さねばならぬ」

「とにかく、薩長を戦争で勝たせてしまえば英国にのみ利が行き、まずいことになる。戦争によらずして一挙に回天の業を遂げれば、英仏とも呆然たらざるを得ない。日本人の手で日本人による独自の革命が遂げられるのだ。その革命には徳川慶喜でさえ参加させてやる。かれを革命の功臣にさせてやる。されば、英仏ともあっけにとられて、手を出すすきがあるまい。」

「批評は頭脳の仕事である。その施すべき時機を見つけるのが、実行者のかんというべきであろう。」

「腐ってきたと言っていい。自分の情熱を満足させる場がないために情熱が内攻して自家中毒を起こし始めている」

「しかない、というものは世にない。人よりも一尺高くから物事を見れば、道はつねに幾通りもある。」

「ただ安政以来、日本史上最大の混乱の中で奔走してきたこれらの男どもは、その圭角と傾斜と破綻と、そして露わにむきだした真実のために非業の中で死んだ。」

「一つの概念をしゃべる時、その内容か表現に独創性がなければ男子は沈黙しているべきだ」

「財政の独立なくしては、思想の独立もなく、行動の自由もない」

「こういう話は話す者も聞く者もつい昂奮しがちなものだ。しかし昂奮すれば理の筋がわからなくなる。“例えばこの庭をながめ、楊梅の話をしながら、それと同じ調子で話し合ってみる。すると物事の道理が明らかになってくる。そういうものでありましょう。」

「幕府衰亡という問題を冷厳な社会科学的な態度で語り合う」

「古来、武士は主家あるを知って国家あるを知らなかった。忠義は知っているが、日本を愛することは知らない。」

「日本人が有史以来、初めて国際社会の中に自分というものを、否応なく発見させられた」

「この前古未曾有の時代に、鎌倉時代や戦国時代の武士道で物を考えられてはたまらぬ。日本にとっていま最も有害なのは忠義ということであり、最も大事なのは愛国ということです。」

「議論に勝つということは相手から名誉を奪い、恨みを残し、実際面で逆効果になることがしばしばある」

「仲良く、などは、よほどの悪趣味か無智のしるしですよ。」

「若者が物事を真剣に考え、徹底的に考え抜くときに、もはやいい加減な調和の中などで仲良く暮らしてゆけない」

「物を考えぬ阿呆どもだけが仲良し」

「男子はすべからく酒間で独り醒めている必要がある。しかし、同時に、大勢と一緒に酔態を呈しているべきだ。でなければ、この世で大事業は成せぬ」

「当初我々は、貴官が交渉の目的でこの土佐にやって来られると伺っていたが、どうやらそうではないらしい。いやしくも拙者は使臣である。それを前にただいまのお手前の無礼兇暴の態度はどうであろう。されば御目的は交渉ではなく挑戦と見た。挑戦ならばこれ以上拙者がここで座っているのは無用である。談判の中止を希望する。」

「何事も気にかけずぼんやり休養」

「お互い、あと五十年の寿命があっても無意味である。時勢の解決はここ一、二年のうちにつく。だからせめて二、三年生きられるように努めてくれ」

「たれが、古い歴史にとどめを刺し、新しい歴史を興すか」

「思想は人それぞれあってよく、そういう議論は閑人に任せておけばよい。歴史はいまや思想や感傷を超えてしまった。もはやこのぎりぎりの段階では歴史とは物理現象のようなものである。」

「ここ数日の辛抱は日本百世のためだぜ」

「その慶喜の心中の激痛は、この案の企画者である竜馬以外に理解者はいない。」

「おれは日本を生まれ変わらせたかっただけで、生まれ変わった日本で栄達するつもりはない」

「こういう心境でなければ大事業というものはできない。おれが平素そういう心境でいたからこそ、一介の処士にすぎぬおれの意見を世の人々も傾聴してきてくれた。大事を成し遂げ得たのも、そのおかげである。」

「仕事というものは、全部をやってはいけない。八分まででいい。八分までが困難の道である。あとの二分はたれでも出来る。その二分は人にやらせて完成の功を譲ってしまう。そうでなければ大事業というものはできない」

「竜馬に言わせれば、自分の命にかかずらわっている男にろくな男はいないというのである。」

「われ死する時は命を天にかえし、高き官にのぼると思いさだめて死をおそるるなかれ」

「世に生を得るは、事を成すにあり」

「死生のことを考えず事業のみを考え、たまたまその途中で死がやってくれば事業推進の姿勢のままで死ぬ」

「生死は天命にある。それだけのことだ。」

「時代は旋回している。若者はその歴史の扉をその手で押し、そして未来へ押しあけた。」

あとがきから引用

「悪人の霊魂を祈らば我に智恵よくつくものなり。また釈迦、アレキサンダー、秀吉、始皇。而して泉の如く策略も亦生ず」

「薄情の道、不人情の道、わするることなかれ」

「義理などは夢にも思うことなかれ。身をしばらるるものなり」

「衆人みな善をなさば我一人悪を為せ。天下のことみなしかり」

「私心を去って自分をむなしくしておかなければ人は集まらない。人は集まることによって智恵と力が持ち寄られてくる。仕事をする人間というものの条件のひとつなのであろう。」


竜馬がゆく 全8巻セット (新装版) (文春文庫)


以上
ありがとうございました。
またね***


2009年11月6日金曜日

’09新時代シンポジウム

去る11月3日、新時代シンポジウムに行った。

五大先見人と言うにふさわしい素晴らしい講師の方々の話を聞いた。
大和信春先生、福田純子先生、林英臣先生、芳村思風先生、藤原直哉先生、そして、コーディネーターとして清水義晴先生。

それぞれ独自の視点から次の時代を語っておられた。共通していたのは、これまでとは意識レベルで変わらないといけないということを感じた。言葉は違うが、五人とも向かうところは同じなので、アプローチの仕方も、本質は同じだと感じる部分もあった。

はっきり言って、消化しきれてないというのが本音。レベルが高い。なかなか行間が読めなかった。だが、こんな考えもあるというのは大いに勉強になった。ありがとうございます。

個人的には、自分の考えの方向性と似ているので、自分の解釈しやすいように変換して理解している部分が多く、特に目新しいというものではなかった。というのは、大和先生、清水義晴先生の本を読んでいたので、そこで、すでにかなり衝撃を受けていた。

激動時代は変化対応ではなく、自分でやるという意識で。
自分を通して全体、宇宙をつかむが、自分の中のセンサーである感性が磨かれないといけない。感性は、素直でないと鈍る。
揺れ動く時代では、適応能力が高くないといけない。笑顔は、その能力の一つ。
平和の時代は、今日のことだけ考えればいいが、乱世ではこの乱世の後のこと(未来)を考えないと生きる元気がなくなる。今は、古いものを整理するための混乱。
今は、資本主義・西洋文明期・人類前史の終わりである。

変化適応→役立ち優先
降りてゆく→差を取り除く
台湾が中国を復活させるカギになるかも
三つの要素で転換期が動いた。原点・大局・行動。幕末では、国家神道(原点)。蘭学・洋学(大局)。陽明学・儒学(行動)。
祈り=上手に心の運転できた
苦しいときほど未来のタネまいた
困ったときほど人を助ける
天分:1、内なる声に耳傾ける。2、危機感持つ。3、運命を肯定する。
人がつぶれるのは自分の運命を否定しているから。「こんな程度でへこたれてたまるか」という気持ち。
一人一人が自分の頭で自分の解決策を創る。
“動く”ことで、時間・空間できる。
孤独感・無力感感じた時、心はダメージ受ける。
物事は何でも始めは一人。
希望のないまま生きる。

嵐の向こう側にある太陽の光を垣間見た気がしました。
常に光はある。それは、自分自身が発している光によるものである。なぜなら、光がないとものは見えないからだ。

もう出し惜しみはしない。出し惜しみはしない。出し惜しみしない。出し惜しみしない。自分の能力を出し惜しみはしない。俺はもっと上に行ける。全力で今のことをこなせ。能力はある。それを出すだけ。妥協してたら、先はないよお。

明るかったです。素晴らしい場を提供してくださって本当にありがとうございました。自分の勉強不足も分かりましたし、頑張ってらっしゃる人が多いということもわかりました。とても明るく、刺激的な時をありがとうございました。皆さん大好きです。

以上
またね***

2009年10月25日日曜日

恥の殿堂(食べる読書9)



恥の殿堂 (小学館101新書 58)
」 小学館101新書 落合信彦 著

落合信彦は私の好きな作家さんの一人です。その彼の初めての新書本。

“恥”をキーワードに、現在の社会に対する意見を記した本。これまでの落合さんの本も“恥”に触れてた部分はいくつかあった。なので、基本的には、いつもの落合さんの文章で書かれている。

いろいろな“恥”について書かれていたが、共通するのは、一人の人間という視点から物事を見れなくなった時点から“恥”になるんじゃないかと感じた。「一人の人間として何を成せるか。」という視点。政治家の恥は、国家国民に対して何ができるかではなく、次の選挙のことを考えるところが恥。一人の人間として、政治家という立場で何を成すか。

この世の中には色々な役割がある。人間は社会的動物なので、互いが役割を果たさないといけない。それは、まず一人一人が地に足をつけ、立つことが前提。そこから、社会的役割を果たしていくのだ。しかし、現実は、自分の足ではなく、政治家という役職にもたれかかっている。すでに、人間を放棄しているというか、なんだろう?こういう人に、あなたは何者ですかと問うと、なんと答えるだろう?やはり、役職しか答えないんだろうな。つまり、人間ではなく、社会システムという主人に使われる召使いのようだ。こういった“恥”を他に多数取り上げている。マスコミの恥。親の恥。若者の恥。教育の恥。スポーツの恥。アメリカの恥。中国の恥。独裁者の恥。である。

この恥について落合さんはこう分析している。人が、グリード(強欲)に心を奪われたからだと。もともと人は、デザイア(欲望)がある。これによって、人間は時代を動かしてきた。しかし、グリードがそれを上回ってしまった。そして、グリードの対象はお金のみ。そのためなら何でもやるといった具合だ。じゃあ、どうすればいいのか。


恥の殿堂 (小学館101新書 58)


「人の心から生まれたグリードを克服するのは、人の心から生み出すモラルからしかあり得ないのだ。」と筆者は語る。「“足るを知り、分に安んず。“非現実な高望みをせず、自分が置かれた状況を把握する。そして、きちっと定めた心の軸を持って自分の抱く夢や理想に突っ走る。軸さえしっかりしていれば、悪木には近づかないし、盗泉の水は飲まない。成功しても大金を得ても、転落して貧乏になっても、“知足安分”の精神で生きれば、恐れるものは何もない。」

以前もこのブログに書いたと思うが、ヤスパースという哲学者は、釈迦や孔子・キリストが語る考えは、人の際限ない欲望を抑える役割を果たしたと言った。おそらくそういうことだろう。人の生きる道はグリードにはない。では、どこにあるのか。それを探すところからが、人間の生きる道だと思う。他から与えられるものではないのだ。

落合さんには、いつも勇気・希望といったものをもらう。本当に感謝しているし、いつか自分が一人前になって、仕事で落合さんに会うことがあったら、「ありがとう」と言いたい。「あなたのおかげでめげずにどうにかここまでやってこれました・・・」と。いつもありがとうございます。あなたは、私に、素晴らしい世界があるということを教えてくれました。本当にありがとうございます。


恥の殿堂 (小学館101新書 58)


以上
またね***


2009年10月23日金曜日

素直な心になるために(食べる読書8)



素直な心になるために (PHP文庫)
」 PHP文庫 松下幸之助 著

あの松下幸之助さんだからこそ書けた本ではないかと思う。

素直な心について書いてある本。

読んだ印象としては、なんかはっきりしないことに対していらつく感じ。だけど、その世界観に入っていくことはできる。素直な心について書いてはあるが、「素直な心とは~である。」といった定義があるわけではない。だが、いろんな視点から素直な心について考察してある。だから、確かに素直な心というものが存在はしているのだろうと、推測できる範囲である。その素直な心による影響を深い洞察力で語っている。ただそれだけの本ともいえる。が、ここに未来へのヒントがあるようにも思う。

素直な心とは、時と場合によって表現の仕方は変わるし、その影響の現れ方も違う。何より、自分と他人がどう受け止めるか。これも素直な心でひとくくりにまとめて論じているところが大雑把かなと思う。

だが、普段の生活の場面場面において深く考察していくと、松下幸之助さんが語っているように、確かに素直な心というものがそういった日常のことを解決してくれそうに頭ではなく体で腑に落ちる。


素直な心になるために (PHP文庫)


ここで、現代科学がどんな考えのもと発達してきたか考えてみたい。
その根本の思想は、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」である。これは、疑わしいものはすべて排除し、間違いなく確かなものだけ認めてあげるということ。だから、科学は発達してきた。なぜか。数字を使うからである。文学や社会科学などは対象となるものすらはっきりしないものをしっかりと把握する術を持たない。しかし、科学は、対象物を明確にし、それを数字でその明確化を裏付けできるということができる。それは数学という道具があって成り立つ。が、これは数字の性質上、一つの面からしか物事をとらえられない。だから常に対象物は数字で把握できるものに限るのである。というか、対象物と言った時点で、自分を含めた何物かは客観的に把握できないということを意味しているのではないか。

数字は時と場に制限をかける。この、常に時間は流れていく現実に対して、ほんの一瞬のほんの限られた場しか数字は表示できないのだ。我々人間生活は違う。家では、父親として子供を教育し、妻に対してはよき伴侶でなければならない。同じ空間(場)にいても担っているのは複数の役割である。これをどう数字化するか?おそらくできないだろう。職場では、上司であり、部下であり、取引先であり、お得意様であり、同僚であり、公共の社会人である。こういう次元の異なる世界を瞬時に処理して生活しているのが我々人間なのだ。同じ時と場所で異なる関係を同居させられる。逆にいえば、世界(価値観)を創るのが人間ともいえるのかもしれない。

今起こっている世界的な問題。環境問題。人口問題。経済問題。などなど。これらは一つの視点からしか見なかったために起こってきたのではないか。あらゆる視点(あらゆる時と場合)を同時に処理できるようなものであっただろうか。人間の目をそこにくぎ付けにするだけのものではなかったか。

今、世界は変わるチャンスであると信じている。具体的にどんなふうに変わるかははっきりわからないが、大まかな方向性は何となく感じている。それは、「静」から「動」へ、である。いままでは、一つの側面からしか物事を見れなかった。その側面では対応できないとわかると、また新たな側面を創り、物事を見てきた。変わるたびに変えていくのだ。はっきり言って、ただ跡を追っているだけである。未来は、自らの動きも加味したうえで、全体をみる。うまく説明できないし、私もまだその見方を習得できていないのでイメージが的確かわからないが、人々、企業、自分は今どこへ動いているか、そこはどこで何があるのか、なぜそこへ向かうのかといった視点に立ち、主に動きをみるということだと思う。今までは「状態を」見てたがこれからは「動き」である。で、その「動き」をより説明する道具として「力」の概念があると考えている。「状態」は“数学”だが、「動き」は“力”が道具。

私の夢は、次世代を切り拓く哲学思想を構築するというものである。で、この「力」の概念がまさにそれではないかと考えている。まだまだ研究不足だし、未熟だが、必ず、この哲学思想を完成できるだろう。少なくとも、7,8年以内には形になっているはずだ。そんな自分にとって、この「素直な心になるために」はとても参考になりました。松下幸之助さんありがとうございます。これからもいろいろ参考にさせていただくと思います。よろしくお願いします。

今回は、本当にありがとうございます。異なる視点をいただきました。ありがとうございます。


素直な心になるために (PHP文庫)


以上
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2009年10月22日木曜日

TOS






昨日、TOS(takahasi oneday seminar)に行ってきた。

いわゆる能力開発セミナーである。

多くのことを学んだ。一般的な自己啓発本と共通する部分もあった。やはり、基本は同じなのだろう。

このTOSは、特に、成功する考え方を知ることに重点を置いていると感じた。所々で、隣の人と、学んだことを自分の言葉で伝えるということをする。これがとてもよかったと思う。はっきり言って、うまく伝えれたことは少なかったが、自分で能動的に頭で整理しようとするので、ただ話を聞くより、理解は深まったと思う。

経済とは、価値と価値の交換である。だから、お金を得るということは、周りに価値をつくること。金持ちは多くの価値を多くの人につくっている。金持ちに抵抗あるのは、人に価値をつくることに興味がないということで、自己中心な人である。これは、勉強になった。

成功とは、願望を実現すること。

成功する人としない人の三つの差
1、教育の差 

2、付き合う人(環境)の差 
成功者と付き合う際のポイント…成功者に好かれる。成功者に与える。

3、仕事の差

成功者の学習方法
知識→感情→行動→習慣→無意識
成功している人のまねをする。


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成功の7つの共通ルール
1:原則を味方につける
原則というのは、すでにあるもので、真理である。だから、我々が変えようと努力しても変えられない。原則に逆らったら、破滅しかない。だから、何かをしようとしたら先ず、その道の原則を学ぶことだ。
たとえば、人間関係の原則は、相手が望んでいることをしてあげることだ。

2:信念を持つ
信念とは何かについての、あなたの確信の度合いである。

成功者の信念
1.自分の潜在能力を信じている
2.大きな夢や目標が達成できると信じている
3.すべてに「可能性がある」と信じている

また、信念とは解釈。つまり、捉え方でもある。

成功者の捉え方
1.ポジティブな捉え方(目標達成に役立つ思考転換)
2.成功している自分で物事を判断する(成功している自分だったらどうするだろう?)
3.客観的な物事に対する視点を持つ(長期的、本質的、客観的視点)

言い訳にするか、チャンスにするかはあなたの捉え方で決まる。

失敗は成長への学習であり、成功への準備である。

世の中で唯一の失敗とは、辞めること、そして、そこから何も学べなかったことである。

捉え方が変われば、人生が変わる。

3:最良の目的・目標を明確にする
最良とは、ほんの少しの妥協もしない、こだわったもの。だから、「最良」の敵は「良」である。
願望を目標にしよう。具体的にし、期限を設け、決意を強くし、明確にして、ゴールへと向かって進むのだ。夢中になればいい。恋と一緒だ。目標に恋すればいい。四六時中そのことしか考えられない。まさに「恋は盲目」状態で、目標以外は目にないらなくなるだろう。視線、動き、姿勢、振る舞い、思考、すべてがそこに近づくためのものになる。

4:コミュニケーションを最大限に活かす
目標達成のためにコミュニケーションがある。

成功者のコミュニケーションの使い方
1、一点集中するために質問を使う
質問することで、思考の焦点を変えることができる。
誘惑にぶれて、持って行かれそうになったとき。こう質問してみる…
「私は何を求めているのか?」「私にとって一番大切なものは何か?」「私が本当に求めているものは?」次に、「そのために“今”何をしているのか?」そして、「その行動は私の求めているものを手に入れるのに効果的か?」そこから、もっとよい方法を考え出し、実行しよう。

2、正しい信念を持つためにアファメーションする
力を与えてくれる言葉を、確信をもって言う。
「必要なものは今、すべて私の中にある」
「私はできる」
「私には無限の英知と知恵がある」

3、協力者を得るコミュニケーション
協力してくれる人が多いほど、経済的に豊かになれる。
多くの人から協力されるには、先に自分から協力すること。

協力者を得るためには、8割聞いて2割話す。

・聞く…事実を聞く。理解に努める。感情移入して聴く。

・話す…目的・夢・想いを語る。相手が求めていることを話す。ポジティブな言葉を使う。

これからは個々の時代から、チームの時代へ


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「成功の9ステップ」オーディオコース 特別版


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5:優先順位を変える
優先順位=価値観

成功者の優先順位
・慣れたことより、初めてのことを優先する
・つい浪費するよりも、蓄財を優先する
・やりたいことよりも、成果の追求を優先する
・先に行動するより、計画を立てることを優先する

成功脳→投資が快感、消費が痛み

優先順位が変われば、未来が変わる。

6:自分が源である(自己責任)
・認める
・可能性には限界がないと考える
目的・価値観に沿った選択行動
自分の行動・態度をコントロールし、出来ることをする
・無から有を作り出す
・柔軟性がある
・誰を幸せにするかを決めている
・言い訳をしない
未来を変えようとする
・反省・改善する

他人のせいにして成功した人は一人もいない

7:決断する(コミットメント)
決断とは、達成するまでやるという決意
成功者は、すべて決めてから動く
何が何でも達成するという決意

コミットメントの三原則…今すぐやる、何でもやる、できるまでやる

こうして復習してても、勉強になる。素晴らしいセミナーありがとうございました。あとは、実行し、習慣化し、自分の一部にするだけです。まあ、時間はかかるでしょうが、そこは問題じゃない。身につくかどうかが問題だ。そのために何をするか?結果には必ず原因がある。この原則に沿って、成功する原因を積み上げていこぉ!!!!!

以上
ありがとうございました。
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マインドセットものを考える力(食べる読書7)



マインドセット ものを考える力
」 ダイヤモンド社 ジョン・ネスビッツ 著

すごい本だ!

読んだ印象である。新たな考え方、視点を提供してくれる。頭の中がいろんなインスピレーションを受け、つい手を止めて、思索にふけってしまう。新しい世界に入った感じだ。

この本は、ものの考え方を記したものである。「つまり、情報をどう受け止めるかなのだ。」
第一部で、11の考え方を紹介。第二部で、今後の主要なトレンドとその影響を扱っている。

  1. 変わらないもののほうが多い
  2. 未来は現在に組み込まれている
  3. ゲームのスコアに注目せよ
  4. 正しくある必要はないということを理解せよ
  5. 未来はジグソーパズルだ
  6. パレードの先を行きすぎるな
  7. 変わるか否かは利益しだいである
  8. 物事は、常に予想より遅く起きる
  9. 結果を得るには、問題解決よりもチャンスを生かすべし
  10. 足し算は引き算の後で
  11. テクノロジーの生態を考える

マインドセット ものを考える力


1:変化はメディアで流行していることであって、つまり、競争と不休の報道によって助長される欲求であり、一方でニュースの妥当性と質は低下している。どんな情報を収集しようと、本物の変化と見かけの変化、根本的な変化と一時的な流行を見分け、世界の歴史において、ほとんどのものは不変であることを忘れてはならない。
2:基本的な変化は、いくつもの力が集合した結果であって、物事を同じ方向に推し進めている力がどれくらいあるのか、、距離を置いたところから観察しなければならない。
3:大事なのは、何が報じられるかよりも、現場で何が起きているかである。
4:人は正しくあらねばならないとされる。これはさまざまな上下関係から生まれるー親は正しい、教師は正しい、上司は正しいなど。さらに、正しくあらねばならないということが学習と理解の妨げになる。いったん正しくある必要はないのだと分かれば、広い野原を自由に歩きまわっているように感じるだろう。
5:未来を予想したいなら、常にスタートになるいくつかのピースがあり、それは私たちの注意をひくものである。それから、ゲームのスコアを探し、それらを間違ったところに置くのを恐れてはならない。そのピースとほかのピースとのつながりを調べ続けることだ。そうすれば適合するピースが徐々に新しい絵を示してくれるだろう。
6:ビジネスでも政治でも、カギとなるのはリーダーシップの基礎的なスキルのみならず、先導したい人々の視野の内にとどまらねばならないということである。きわめて有能な指導者ですら、アイデアを実行に移してくれるパレードが必要なのだ。
7:人は自分の得になると気付けば変化を受け入れるものだ。人々をみくびっていけない。彼らが変化に反対するときは、あなたが利益を明白にしていないか、反対する十分な理由があるのだ。その場合、反対を嘆くのではなく、反対する理由を探ろう。
8:ほぼすべての変化は発展的なものであって、革命的なものではない。物事には時間がかかる。
9:未来の姿を求めるなら、問題を解決するものではなく、チャンスを生かす物を探し、その人にかけることだ。人間関係や物事が転換するとき、新しいニーズと欲求が作り出され、新たな可能性がもたらされる。
10:私たちが目指すべきは、情報の墓場を創ることではなく、知識とインスピレーションのゆりかごをつくることでなければならない。“知識を得るには、日々、物事を加えよ。知恵を得るには、日々、物事を捨て去れ”
11:テクノロジーが支配的になればなるほど、芸術家や詩人が必要になる。新しいテクノロジーを導入するときには、必ず自問しよう。何が向上するのか?何が減少するのか?何が入れ替わるのか?どんなチャンスが出てくるのか?
第二部
今、視覚によってほとんどの情報を発信受信している。経済においては、国単位ではなく、経済圏という単位に移っている。中国に関しては、「今日、中国では、北京が支配するふりをし、各省は支配されるふりをしている。中国では“外縁部が中心”という古い格言が、従来にも増して真実なのである。」一方、変化に対応できていないEUは衰退の道を進んでいる。で、現在、20世紀に生まれたテクノロジーの熟した果実をもぎ取る時代である。チャンスをものにしよう!


マインドセット ものを考える力


以上
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2009年10月15日木曜日

NRI未来創発フォーラム2009

昨日、NRIのフォーラムに行ってきた。

新しい日本を構想するというテーマのもと、二名の方の講演と、五名によるパネルディスカッションが行われた。

はじめは、「日本と世界経済の現状と展望」と題し、リチャード・クーさんが講演された。さまざまなデータをもとに現在の世界の状況を読み解いていた。全体的に内容を把握できたとは思えないが、興味深いものだった。実は、日本はバブル崩壊後もGDP我拡大し続けてた。このデータから、中国は日本がどうしてこれを成せたかを知るために、コンタクトをしきりに取ってきてたそうだ。諸外国に比べ日本の落ち込みは大きい。また、世界的にゼロ金利にしたが、それでも金を借りる人が圧倒的に少ない。「金利を下げたのに何も起きない」とおっしゃってた。今は若干景気回復傾向にあるが、今後景気押し下げ要因である民間のバランスシート調整により、今度は緩やかに景気後退するだろうと予測されてた。あと、日本の無駄というか直す点として住宅に対する意識を取り上げていた。外国の住宅は資産として認識されている。だから、何百年も前の住宅が、売り買いされる。しかし日本では、所有するものという意識があるため、30年したら立て直すといったことが繰り返され、その費用がもったいないということだった。

次に、「日本人のDNAが造る持続可能社会」と題し、椎野孝雄さんが講演された。
持続可能社会の一つの提案が主な内容だったと思う。日本の技術開発がそれを可能にする。なぜなら、日本には古来から「ものへの敬いの心」があるからで、それが日本独自の技術開発の考え方の根っこになっている。その例として、「ものの供養」という風習をあげていた。全体的に言いたいことはわかるが、もう一歩踏み込んで具体的な話をしてほしかったかなと感じた。「ものへの敬いの心」がどう具体化されて日常生活に浸透していくのか。意識を変化させるのに効果的なものは日常生活では何で、それを日本の技術力はどう変えられるのかなどである。日本の技術力の高さ、日本人のものの考え方が、持続可能社会へとつながるだろうということで終わった感じがした。だが、これは憶測でしかないが、研究所というところは、新しいものを作るという視点が少し欠けてるのかなと思った。まあ、研究所だから、初めから研究する対象があり、それを独自技術で真理に近づくのがその存在意義だから仕方ないとは思う。じゃあ、研究所が、クリエイティブクラスと手を組んだらどうなるだろうか?実際行ってるところもあるだろうな。この組み合わせは何か新しいものを創ってくれそうな気はするな。

最後にパネルディスカッションが行われた。
池上彰、奥山清行、紀里谷和明、永谷亜矢子、奥田誠の五名である。
「次の日本を創るために」と題されたテーマで話し合われた。
結論:とりあえずやれよ!

それぞれ第一線で活躍されてる方々に、どうしてそう独自のものを作れるようになったのかというとこから入って行った。そして、どうしたら、チャンスを得続けられるかなど。で、紀里谷さんの言葉が印象的だった。「そんなことわかってたらだれも苦労しないでしょ」。ま、そういうことです。とても励みになり、勇気づけられたディスカッションだった。この人たちに共通しているのは、自分で自分を創ってきた。という生き方だと感じた。もちろん他の人から助けられたことも多々あっただろう。でも、助けてやろうと思わせるほどそれに真剣だった。
「人にばかだと言われようが、何を言われようが、とにかくやる。」
「見る前に跳べ」
「誰かがリスクを取らないといけない」
「何事をやるにも大変。泥をかぶって這いつくばって成し遂げられる」
「チャレンジするとそれだけでわかることがある」
「何のためにことを成そうとしているか」
「カメラマンになりたかったらカメラ手に持てよ」
「日が昇らないのを恐れるべき」
特に、紀里谷さんはその熱い想いを惜しげもなく聴衆にぶつけてくれたことに、とても感謝してます。ありがとうございました。

以上、素晴らしいフォーラムを開催してくださったNRIの皆さん、本当にありがとうございました。自分の視野が少しは広がりました。貴重な機会を与えてくださり感謝してます。ありがとございます。というわけで、これからもよろしくお願いします(笑)。

以上
なかなか頭で整理できないが、満足のいく一日だった。
またね***



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2009年10月9日金曜日

勇気凛々(食べる読書6)



勇気凛々 (角川文庫)
」 角川書店 高杉 良 著

主人公、武田光司の仕事人生を描いた作品。文芸書。

こういう本はあまり読まないので、よくわからないところが少しだがあったりした。企業間の関係など。だが、とても勉強になった部分のほうが多い。

経営において気をつけるところ。人は人に支えられて育つ。人を見て仕事をすることの大事さ。

失敗はするが、それを周りの人が支えてくれるから、乗り越えられる。

生きるとはこういうことかと感じさせられた。人生にはいろんなことが起こる。それは、自分の判断ミスであったり、関係者の失敗であったりなど色々だ。それでも、絶対譲れないところは守り通す。これがあるから苦しいときも耐えられるのだろう。人生の苦楽を味わいつくす。そこから、いや、それでもまだまだ苦楽は続く。いいじゃないか。素晴らしい人生だ。

こういう人は、人を教育できる。こういう人こそ教育できるのだと思う。以前読んだ本でこういう言葉があった。

「必然性は教わることであるが、可能性は学ぶことである。」

主人公の武田は、周りの人の支援で可能性を開花させ、次は若い人の可能性を広げようとした。その過程で失敗は多々あった。だが、常に可能性に挑戦し続けた。だから失敗もその分あるのだ。素晴らしい人生だ。敬意を表する。ありがとうございます。人生にはこんな素晴らしい生き方も可能だということを教えていただいて。

俺の人生はまだまだこれからだ。勇気凛凛で行くぞぉ~!!!

以下、心にきた部分を抜粋。


勇気凛々 (角川文庫)


「重荷をおろそう、おろそうとするけれど、おろしたらどうなる?全部だめになってしまうではないか。そのまま背負っていくという考え方が一番大事なのだ。」

「守るべきもののない人間の集団に生きる力などあるはずがない。」

「試練はこれからもこれまで以上の残酷な顔を見せて、我々に襲い掛かってくるかもしれません。が、二十年の決して短いとは言えない時間を満たしていた喜怒哀楽、これを真正面から受け止めてきた事実はゆるぎないものであり、我々の生きる自信になっているはずです。」

「“時は流れるものではない。時は積み重なるものだ”我々にふさわしい美味しい酒のほめ言葉です。積み重ねてきた我々の時の二十年は基礎作りの時代と、今日省みて位置づけましょう。確かに毎日毎日の辛さを、辛さの土俵際にうっちゃってきました。だが、勝ち越したのです。


勇気凛々 (角川文庫)


以上
またね***


2009年10月6日火曜日

変革は、弱いところ、小さいところ、遠いところから(食べる読書5)



変革は、弱いところ、小さいところ、遠いところから
」 太郎次郎社 清水 義晴 著

この本は、私の思考を深めさせてくれた。新たな視点を提供し世の中の流れの方向性も大まかに感じられた。自分の価値観と合っている。そう感じずにはいられなかった。一気には読めず、所々立ち止まって、自分の中で消化してからでないと読み進められなかった。どこか心に引っかかったんだろう。

さまざまな活動をされてきた、清水さんの体験を通して、大多数の価値観とは異なる価値観のもと行われた活動を記している。

「べてるの家」、「大潟町・松林再生」「夢のある学校づくり」「地域の茶の間」「創作掛軸」「一人一研究」「加茂インテリア・アート・プロジェクト」「素人集団の選挙」などなど、ほかにもいろいろなことをされていました。

こういった活動の根底にある共通した価値観は、個人に焦点を当てるということだと思う。ある意味、構造主義だけでは世の中は回っていかないということだと思う。では、具体的にどういうことなのか?という一つの解答例が、多数のっているのがこの本だと思う。以下、心にきた部分を引用しよう。


変革は、弱いところ、小さいところ、遠いところから


「管理や指示は人の依存心を助長し、主体性を阻むだけだからです。」

「自立しない子供の問題と考えるよりも、自立するきっかけを奪い続けてきた大人の問題ととらえるほうが適切かと思います。」

「いくつもの問題をべてるという組織全体の中に配置させ、それぞれの関係をとらえなおすことによって解決しようとしているのです。」

「個々人の内的な変化です。一人一人と町との関係が変わったため」

「自らの事業が周囲との健全な共存関係を失ったために、売る力(=生命力)が衰えたと考えるほうが、はるかに理にかなっているのではないでしょうか。」

「病気と言う“問題”は、自分自身との関係、自分と周りとの関係を良好にすることによってしか根本的に解決していかないと、べてるでは考えているのです。」

「私たち教育にたずさわる者は、<志>だけが武器なのです。」

「今の教育は、あらゆることを<対象化>することしか教えない。子供には<一体化>の経験こそが必要なんです。」

「思いと目的を共有する“場”が生まれると、いつのまにか創造性が出てきます。“場”が“場”としての自己表現を始めるのです。そうなってくると、おもしろいことに各人の役割や分担も自然と決まっていきます。さらに不思議な事には、そうやって“場”が活性化されていくと、個別の欠点や問題は自然と解消の方向に向かうか、少なくとも気にならなくなっていくのです。それは、“場”というものが、人と人との信頼関係の上に成り立つものだからだと思います。」
これは、プロデュースの特徴であった、「従来の問題解決法では解決できない問題を解決する」こととつながるんじゃないかな。

「そこにいる人たちは、てんでバラバラに振る舞い、好き勝手なことをしているのですが、明らかにそこには一つの調和があって、森のような豊かさを感じるのです。」

「<地域の茶の間>には、人がありのままでいられる人間関係が作られています。だれもが自然なので、いろいろなことが気にならないのです。」

「<地域の茶の間>では誰も人を評価しませんし、くらべません。ましてや裁いたりはしません。その子は自然と自分の居場所を発見したのではないでしょうか。<地域に茶の間>に集まる人たちみんなでつくりあげた“場”の力による効果だと、私は思います。」

「本当に必要で意味のある情報や新しい時代のメッセージは、誰もが容易に手に入れることができるマス・メディアの中にはもはやない、ということは感じていましたが、大切な情報やメッセージは真っ先に、こうして直接人から人へと伝えられていくものなのだ」

「人々は(そうはっきりと自覚していなくとも)自らが社会の問題解決の主体となることを志向し始めているからです。それが十分に可能な状況がすでに到来しつつあります。」

「パートナーを得て、お互いが感応していくのです。仕事を続けていくうちに、パートナーが変化していくのがわかります。そこから新しい価値、今までにないものが生まれてくる。」

「人は仕事には妥協するが、趣味には妥協しない。」

「人間というのは比較を取り払うと、随分と創意にあふれた個性的なものなんだな」

「処理した情報と彼の行動が直結していたからです。」

「不必要な情報に振り回されず、しっかりと自立した価値観を持ち、自分のしたいことがはっきりとわかっている。」

「僕はホントにふつうの人。ただ一つだけ違うのは、ほかの人なら心配することを、ぼくは心配しないで生きていけるだけ。」

「“経済”とは元来、経国済民あるいは経世済民といい、世の中をおさめ、人民の苦しみを救うことを意味していたそうです。それがいつのまにか、経済は“商い”と同じ意味になってしまいました。その商いが交易をおろそかにし、自分だけの利益を追う姿勢へと向かったため、世の中のバランスが崩れ、社会の弱いところ、小さいところにしわ寄せが集まる一方になったのだと思います。」

「効率や能力によって人間が判断され、利益だけで事業の方向性が決定される世の中から、社会的役割や人生の意味によって事業が起こり、その仕事のやりがいに人が集まってくるような社会が始まりつつある」

「競争から降りてみたら、何かを失うどころか、そこには仕事への創造性と喜びが待っていました。」

「自分の生き方と矛盾しないで、できれば他人を傷つけることなく、誇りを持てるような仕事や生き方をしたいと願っている人が多くいます。」

「桑原さんや本名さんは商売において、勝つことではなくて社会と調和することを望んでいるように見えます。売る人と買う人に人間的なつながりがあり、働くことにやりがいと充実感がある。」

「自分で判断し行動する自立した個人が、少しずつ現れはじめているという変化だと思います。」

「政治のプロほど、“人間は自立して苦労するよりも、依存して楽するほうを選ぶ”という、どこかみくびった市民観を捨てきれないようです。」

「選挙を闘いではなく、仲間作りの場にしよう。勝敗というのがあるとするなら、候補者の考えに共感する仲間を、どちらがより多く作ったかを競い合おう。」

「自分とはずいぶん異なる考え方を持つ人との出会いによって、自身の信念がさらに鍛えられるような機会が、いつのまにか少なくなっていました。」

「この選挙で私が本当に譲れないことは、一つか二つしかないはずだ。それ以外は、自分が負けたらいい。その時に、感情の始末をきちんとつければなおいい。」


変革は、弱いところ、小さいところ、遠いところから


以上
またね***


2009年10月3日土曜日

招客招福の法則

昨日、日経MJセミナー「招客招福の法則」に行ってきた。

大変勉強になった。

学んだことは主に、二つ。

1、ビジネスがうまくいかないのはなぜか?
客に目を向けてないから。

これは視点を変えるということ。経営者は大抵、「どうやったら売れるだろう?」と考えるが、モノが売れるというのは、だれかが買っているということ。だから、「どうすれば買うだろう?」と考える。

ここで、とても示唆的な話をされていた。今、日本酒は全盛期の半分しか売れていないそうだ。おもに、若者が飲まないらしい。そこで、日本酒関係者に、「どうして若者は日本酒を飲まないのか?」と、たずねると、様々な意見が出てきたそうだ。若者が日本酒を飲まないのには、何か訳があると思っているのだ。それが何だろう?ということだ。
また、若者にも、同じ質問をしたそうだ。「どうして、日本酒を飲まないの?」と。すると、どの若者も同じ反応をした。「いやあ~、どうしてって言われてもねぇ~…。どうして?」と隣の若者に、振ってばかりだったそうだ。つまり、若者には、日本酒を飲む理由がないのだ。
面白いなあ。でも、このギャップは恐ろしいね。

だから、人に焦点をあてる。そして、お客さんに行動する理由を与える。

2、ビジネスは、何に重点を置いて活動するといいか?
人間関係作る。喜んでお金を使ってもらう。

人間関係とは、結果として顧客作りになるということ。そのためにすることは、適度な接触を保つ。継続して、お客さんと接するようにする。特に初めてのお客さんには、短期的に人間関係を作ることが大切。来店して、3日以内・21日以内には、こちらから、接触する。
まあ、人が仲良くなるのは、自分のことを話す時が多いので、自分のことを情報として発信しよう。「どんな想いで商売しているか」「こだわっていること」「この店の歴史」「商品に関する情報」など…。

喜んで金を使ってもらうということは、動機付け。
こう考えてみよう。CD屋さんに行って、別に買うつもりじゃなかったけど、「このCDをどうして買わなきゃいけないの?」とお客さんに言われたらどうあなたは答えるか?

もう12月。あなたは、一年中なかなか売れない防水スプレーを売りたい。そこで、こんなポップを作ってみた。“忘年会でビールをこぼさない自信ありますか?”
1月になるとこうだ。”「あっ!こぼしちゃった!」てことで、せっかくの新年会を台無しにしないために“

相手の心境に変化を起こす具体的な情報を、お客さんに提供しよう。

あと、いろいろな、実際に使われている実践法をいくつか紹介されていた。とても勉強になった。楽しかったです。ありがとうございました。

以上
またね***

2009年9月29日火曜日

プロデュース能力(食べる読書4)



プロデュース能力 ビジョンを形にする問題解決の思考と行動
」 日本能率協会マネジメントセンター 佐々木 直彦 著

プロデュースについての本。

これからは個々がプロデュースの力を求められる時代。そんな時代背景を考えるととても為になる本。「すげ~!!!」というのが印象。自分も何かできそう。いや、やってやるという気になる。

プロデュースとは何か。どんな手順で進めていけばいいのか。何が必要か。などが書かれている。

今の俺が、プロデュースへ向けてやることは、ビジョンを決めて、三つの物語を語れるようになること。それと、小さな行動を起こすこと。とりあえずこの二つかなと思っている。

はっきり言って、まだこの本の内容が頭の中で整理できていないため、きちんと理解しているとは言えない。読むだけじゃあ、理解できない類の本だと思う。実際やってみて、それで本を見て、この行動は、プロデュースにとってどんな位置づけなのかを知っていくことが、理解への近道だろう。

印象的だったのが、「合理的問題解決方法」では解決できない問題は、プロデュースで解決できるだろうということ。

あと、プロデュースは、論理的に人を説得できないが、何かをやりたい人間の情熱、気持ちの強さが、重要な説得材料になるということ。

これから、何度も開く本になるだろう。よろしくお願いします。


プロデュース能力 ビジョンを形にする問題解決の思考と行動


以上
またね***


2009年9月27日日曜日

加速ビジネス塾スペシャルセミナー

「夢の叶え方」 道幸 武久

今日、名古屋で行われた、道幸さんのセミナーに行ってきた。

「夢の叶え方」と題して、いろいろな話を語ってくれました。

おもに、三つの成功の秘訣を話していたと受け取った。

1:トレンド
時代を読むと言い換えてもいいと思う。道幸さんは、2005年に「加速成功」をキーワードでヒットした。今は、「自分スタイルの成功」と銘打ってセミナー活動している。
現在を「ライフプランは自分で考える。40歳以降のモデルがない時代」と彼は分析し、それは、「一人ひとりの成功は違う時代」と判断した。
投資に関しては、今までは株・不動産投資だったが、今は自己投資の時代。

2:USP(ユニーク・セリング・プロポジション)
パーソナルブランド化のことで、自分の個性を売れということ。特に強調していたのが、“自分を探すな、自分を売れ!”だ。どうやったら自分は売れるだろうか?と考える。
ここで、サドベリースクールを例に挙げていた。サドベリースクールとは、生徒はやりたいことを何でもできる学校のこと。それは、自らのやりたいことを存分に追求できるということである。五年間一日中釣りしかしてなかった少年がいた。彼は、大人になると、一流の写真家になった。彼はきれいな景色を見るのが好きだったのだ。サドベリースクールには、自分の本当にやりたいことは何かを考える場があるのだ。先日書いた、食べる読書2の、国民教育の普及が個々の能力の衰退につながるとの指摘はその通りだと言えるだろう。こう考えると、ニートはサドベリースクールat家族に近いのかも。

3:成功哲学・戦略マーケティング・スピリチュアル
この三つをバランスよく身につけること。
成功哲学とは、モデリング。戦略マーケティングとは、与えたら返ってくるビジネスの仕組み。スピリチュアルとは、天からのメッセージを受け取れるように直観力を鍛えておくこと。スピリチュアルは30パーセント。現実は70パーセント。

ほかに、心に響いたものは、セルフイメージの話。自分で自分を認めよう!ということ。自分の中で幸せを追求していてはだめ。自分でないモノの中に成功を見出しては、本物ではないし、決して幸せになれない。人はそれぞれ違う。その異なるキャラを自分で否定しては何にもならない。

私の信条、というか、一生をかけて成すこととして、「生きる」ことがある。人によって、生きることの意味は違うだろうが、私は、三つの意味があると考える。その三つはそれぞれ単独であることはなく、どこかで繋がっている。「役割を果たす・自分を活かす・自分を追求する」である。セルフイメージは、二つ目の「自分を活かす」ことと深く関係していると思う。何をしている時、自分は最も輝いているか。それを理解し、心身に沁みたなら、もう自分を否定することはできないはずだ。そこが自分の居場所だから。自らの生きる場所があるのに、他の場所に自分を見出そうとする者はいないだろう。それでも死にたいなら、あなたは生まれてこなかったはずだ。自信がないのに自信を持てとは言わない。実績がないのだから持てないのだろう。なら、自信が持てるまで努力するのが、あなたの人生なのだ。あなたの人生はそういう人生だ。これが、あなたの人生だ。その、自分の人生を肯定したなら、もう世界はあなたのものだ。あなたは生きているのだから。

道幸さんは、「自分の人生を肯定した時から成功する」と言っていた。確かに、私たちは、その人がその人自身を愛してる人にとても魅力を感じる。また、交流を持ちたいと思う。

道幸さんは、他にも多くのことを語っていたが、なかなか行間が読めなかったなあ。ま、これが今の俺の実力ということで。でも、学べることは学ぼうとした。もっとキャパを広げていこうか。

以上
またね***

2009年9月22日火曜日

人は変われる(食べる読書3)



心理学の本かな。

この本で言いたいのは、”人生に絶望して、そこから生きて帰れたなら、あなたは自分の人生を生きれます。”ということだと思う。

人は30前後までには、自分や世界に対する安定した解釈を持つ。それは、生まれてからこのとろまでには、人は世界と自分を知るために心の発達を遂げてきたといえる。そして、自分の心の動きも、世界の出来事も十分に解釈できるようになった時、人は、ここまで努力してきた自分のすべての営みは何のためだったのかと、人生を振り返る。だが、これまで磨いてきた古い解釈では、これに対する答えは得られない。

新たな解釈が必要なのだ。
どうすれば新たな解釈が得られるだろう?

ここで、心の階層について説明したい。
感覚ー欲求ー知性ー感性ー主観性の順に核に近く、深くなっていく。感覚が一番表層にあり、その次に欲求、知性といった具合だ。さらに、深い層は浅い層をコントロールできる。よって、知性は欲求をコントロールできる。そして、主観性の層をはっきり感じられるようになった時、新たな解釈を知ることになる。

この本では、心の三つの能力を使って、主観性の層まで到達できるとしている。それは、
1、自分から離れることができる能力
2、絶望することができる能力
3、純粋性を感じることができる能力
である。
本書では、具体的な、筆者が出会った患者さんを例に説明している。






以下、いくつか主観性とはどういうことかを、本書から抜き出してみよう。

「古い解釈の中、自分とは家族、会社、社会の多くの人間関係の中で、その関係の一つ一つによって決められている自己像の集合であった。しかし、自己が心の最も深い主観性に触れ、心の中に生起するすべての現象を観察できるようになった時、私は自分を定義するのに外的な事物や人間関係を参照する必要はなくなる。

私は個々人の相互関係の中に生れてくるものではなく、私は内的に確立される。

私は、自立的で、独立的で、自己参照的であって、私は何かの役割を演じているものではない。

父親、夫、課長、市民、日本人を貫く、変わらぬ私の主観性が確立される。」




「人間には二つの面があると思うんです。心理的に見て表面の自分、ちょろちょろしている自分と、奥深く存在している、なかなか出てこない自分。このめったに顔を出さない、お宮の中に鎮まっておる自分が、いつでもちゃんと厳然として、お不動さんみたいに目をいからせておらんと人間は間違うと思うます。

間違いのない、地球がくずれても、この自分はくずれないという、本当の自分というものがあることを、嘘にせよ考えるだけでも、私は人間はしっかりしてくると思います。」




「たとえばビジネスの企画会議で、主観性を維持している人は客観的な状況の描写を長々とすることはあまりしない。ほかの人々が、客観的な情勢を詳しく説いてその中から自分たちのなすべきことを導き出すのに対し、主観性を持った人の話は、まず自分のすべきことがあって客観的状況は単にそれを検証する材料であるかのように聞こえてくる。私たちはそういった話の攻勢に、事態を把握している人の強さを感じる。

私はこうしたい、私は自分の家族をこんな風に感じる、といった内容の発言が多い。自分の立場からの発言、足が地についた発言が多くなるのである。」




「周りの環境に左右されることなく、周りに気兼ねすることなく自分の判断を下せるようになる。判断は、その時の自分の持っている知性と感性とのすべての経験から導き出されたものである。全力投球したものであるから、後悔はない。もちろん、判断を間違うこともあるが、それは判断した自分が間違っていたのではなく、単に判断が現実と合わなかっただけである、自分の経験が足りなかっただけだ、と感じる。
主観性を維持している人は、そうした時、自分の判断を訂正することに全く躊躇しないであろう。」




「周囲の環境から一定の距離を保ち、自己の内部に認知と行動の指針を持っている。外界、社会的関係に左右されない安定した自己像を保ち、経験を積んで自己の能力を拡大していく傾向がある。また、彼らは孤独を楽しむ能力がある。」




主観性を獲得した人のセリフ
「この世で生きるには、食べるために働かなくてはならないでしょう。これは仕組みですからしょうがないと思います。でも、それもまあ、私なりに楽しんでいますよ。」

主観性をもつとはどういうことか少しは感じてもらえただろうか。






では、最後に主観性に出会うまでの心の動きの描写を本書から引用しよう。

「心に知性の働きが、自分の行く末を予測して、あるいは過去を振り返って、そこに変えられない必然性=運命を見たとき、心は絶望した。はじめ、その絶望の前で心は、身動きできないかのようであった。



しかし、絶望する能力を持っていた心は、運命から目をそらしたり、運命という必然性の前にひれ伏すことはなかった。心は、ただ静かに絶望を見つめることができた。



それは、はじめ、悲しみと重さの混じった感情であった。




ついで、この絶望の中にじっと浸っていると、いつのまにか心は、この悲しみと重さが、実は自分自身であることを知り、それを感じていることを心地よく思い始めた。





その心地よさは、自分が自分と共にいるという心地よさであった。自分と一緒にいるという、満ち足りた気持ちの中で、悲しみと重さを感じている心は、潤い、慰められる。人が、自分自身を全身で感じている時、人はこの上ない至福を味わうのである。それは、悲しみの中でも。喜びの中でも、変わることのない至福である。




自分自身を感じたという満足の中で、悲しみや絶望はいつの間にか力を失い、小さなものとなってしまった。十分に堪能された悲しみは次第に消え、心の中は透明になった。



その時、運命も、絶望も、悲しみも、すべてを知った心は、再び軽さを感じて動き出す。




“運命なら運命で、いいじゃないか。どうせ変えられないのなら、気が楽だ。私はあらゆる義務から解放された。何をやってもいいのだ。私はいつもここにいる。自分の変わらぬ自分と出会っている。”




それは、あきらめることによって、絶望という客観性の重さに肩透かしをくらわせてしまうようである。あきらめという思いがけない行動で霧散してしまった客観性は、重みを失う。






その時、主観性は運命の中に浸透しはじめる。」






俺は、あきらめまで行けなかった。絶望の中でじっとしていることもできなかった。はっきり言って、とても怖かった。こんなの俺にはできないと思った。運命の中に自分のやることを感じた時、とてもじゃないが、耐えられなかった。それを考えたり、思ったりすることも嫌だった。ただ、その避けられない運命を考え、思うだけで押しつぶされそうだった。でも、生活してて、どうしてもそれは避けられない。どうしても、その運命は目に入り、感じてしまう。当たり前だが・・・。ずっと逃げてた。というより、受け入れたくないため、むしろそれを変えようと向かっていった。運命の中に飛び込んで、その運命を俺が変えてやると思っていた。それが本当の勝利だと信じて歯を食いしばってきた。

自分の本当の相手は、すべてだと思ってた。この世のすべてに喧嘩を売らないと自分の道は切り開けないと思ってた。結局、外に原因を求めていた。主観性なんてなかった。とても大きなけがを負った。ま、不器用で馬鹿だが、真剣に生きようとした証しとしては悪くない。

最近、ようやく自分の判断が現実とは合わなかったんだなと思えるようになってきたかな。昔は若かったなと思う。最近は、そんな向こう見ずな、この一つに人生をかけるということをしてるかあ?と逆に反省してしまうな。

本当に偉いと思うよ、あのころの俺は。すごいよ。よく頑張った。その心意気は、まだまだこれからだからよ。ありがとうな。ありがとう。


さらに、この本ではこう続く。

「どうせ変えられないのなら、私はもう何をやってもいいのだ、と悟った私は運命から自由になる。自由になった私は、自分を好きなように変え始める。



その私は、運命の重さを十二分に承知した自分である。客観性の存在を味わいつくした自分である。その私が動き出すとき、それは運命を避けたり、運命から目を背けたりする動きではない。運命ということは、知っている、しかし、私は私の欲するままに自由に動き始めるのである。


私は運命の中に浸透し始め、運命を自由に動かし始める。


これが、私たちが運命という絶望に出会ったときにおこる、心の動きである。



そこでは、運命は自由になった私の意志によって、浸透されている。運命は私の意志からは逃れられない。私の自由な主観性は、客観性の中に限りなく浸透して、これを自由に動かし始める。


このようにして、人は自分の思いのままに自分を変え始める。


最も重い客観性である運命に出会った時こそ、私たちの主観性はより生き生きしてくることを私たちは知っている。



絶望することのできる人は、それを受け入れ、最後には乗り越える。私たちは絶望を通り過ぎることによって、運命を知らなかった時よりも、ずっと主観的となる。



そして、自分を縛っていた古い客観性という解釈から解放され、自由に動き始める。













私たちは自分を変え始める。」




以上
またね***


2009年9月21日月曜日

英国病の教訓(食べる読書2)


PHP出版 香山 健一 著

この本は1978年に出版されました。約30年前に書かれたものです。社会科学の本になるかと思います。

大まかには、英国病という先進国病について、この日本においてはどうかを考察し、ではどうすればいいかという提言をする。この二つで構成されている。

今の世界はパクスアメリカです。その前はパクスブリタニカ。そのイギリスが衰退していった国力の低下を“英国病”という。

著者は、英国病の症状を4つあげている。
1、経済停滞症状
2、財政破綻症状
3、慢性ストライキ症状
4、政局不安定症状

この4つの病理現象の根底にある共通した本質的な病理症状として4つ挙げている。
一:社会の自由で創造的な活力の低下
二:自立精神の衰弱と国家への依存心の増加、自由な競争原理の崩壊と国家の肥大化
三:エゴの拡大とモラルの低下
四:国家社会の意思決定能力の低下

1)科学技術の発達、2)国民教育の普及、3)マスコミュニケーションの発達。この3つが個々の能力を衰退させる一因になっているのではないかと著者は言っている。ここで、本ではホイジンガを引用している。

「国民教育が広く行き渡り、日々の出来事が広くじかに広報され、分業のシステムが貫徹されている社会にあっては、一般の人が自分で思考し、自分で表現する機会はますます少なくなる。・・・・・・・・・・・・。

かつての時代の農夫、漁夫、あるいは職人といった人々は、完全におのれ自身の知識の枠内で図式を作り、それでもって人生を、世界を測っていたのである。自分たちの知力では、この限界を超える事柄については一切判断を下す資格がない、そう彼らは心得ていた。判断不能と知ったとき、彼らは権威を受け入れた。だから、まさしく限定することによって、彼らは賢くなりえたのである。

人のおおいに誇りとする、二つの偉大な戦利品、一般国民教育と情報宣伝の組織、これがそのまま文化の水準を高める方向には機能せず、逆に、その機能するところ、頽廃と衰弱を示す現実を生み出しているというこの事実、私たちの時代は、この事実に脅かされているのである。」

このことが、活力低下、国家への依存、エゴの低下とモラル低下につながっているのではないかということ。

以上の現象から、「戦後民主主義」は、「疑似民主主義」として、次の特徴をあげている。

・その非経験科学的・ドグマ的性格
・その画一的・一元的・全体主義的傾向(多数決原理の自己目的化による成員の自由の抑圧)
・権利の一面的協調と責任・義務の自覚の欠如
・建設的提案能力の欠如
・エリート否定・大衆迎合的性格
・コスト的観点の欠如

福祉については、すべてを国が行うのではなく、国レベル・企業レベル・地域レベル・家族レベルで分けてやっていくことだということ。福祉というのは一種の相互扶助であるから、助け合いをどのレベルでやれば、税金が少なく、個々のやる気も維持できるかという観点から考えていくべきではということ。

そして、学校教育。
学習塾が乱立し、受験過熱が起こるかについて筆者はこう言っている。
「学習塾がはやるのはなせか?学校教育の質が低下し、学校教育だけでは子供の才能を伸ばすのに全く不十分になってしまっているからである。
受験競争が過熱するのはなぜか?学校教育、とりわけ公立学校教育の質が驚くばかりに低下し、教育需要の拡大と反比例的に、”質の高い学校””いい学校”が少なくなってしまったからである。」

著者の教育に関する考えで特に印象付けられたのが、「悪平等主義」と「最近の子供は経験から学ぶことが少ない」ということだった。

ほかにも、日本の社会構造として、“甘え”と“恩”の関係が述べられていた。

以上、とても勉強になった。が、しかし、やはり30年前の本だ。古すぎる感がある。言っていることは正しいし、今でも通用することは多いだろう。だが、この本を読んで一番学んだことは、「立ち位置」の重要性。はっきり言って、この本での論点は、2009年においてはずれている。なぜか?一言でいえば、30年前と今とでは、住んでいる世界が違うということ。価値観も違うし、未来に何を求めているかも違う。できることも違うし、最も重要な問題も違う。

一番の違いは、この本では国というくくりを基本にして書かれている点である。考察する出発点が“国”なのだ。だが、これからは、国は人が生きていくうえで、近代よりは重要ではなくなる。イメージとしては、各地域独自の文化はあるが、シルクロードで他地域の人々とモノの交流が多様になる感じかなと思う。当時は、あまり国という概念は近代よりは強固ではなかっただろう。最も強固な結びつきは、コミュニティだろう。基本的な形はこういった、自分が自立するコミュニティを個々が形成しつつ、そこが主な活動範囲になるのではないかと思う。その個々の活動には国はほとんど関与しなくなるのではないか。もちろん、人とモノの交流は中世よりは全然早く行われる。

とてもいい本だと感じた。若干古臭くて退屈する部分はあったが、大事なことも分かった。30年前の問題が今なお何の対策も打たず、放置されている問題が多いと感じた。放置しているわけではないんだろうが、ほとんど改善されず、あるいは悪化していると読んでいて感じる。が、ここなんだよなあ。この本は昔の価値観にその現象をあてはめようとしてる。その結果、その現象は”問題”と名を変えることになる。しかし、昔言われていた”問題”が今では、”普通”と名を変える。そして、今の問題はその昔“問題”だった、今は“普通”から出発する。これが、俺の言う「立ち位置」だ。

面白いねえ。
ということで、
以上
またね***


2009年9月19日土曜日

10代からの子育てハッピーアドバイス(食べる読書1)



お久しぶりです。

ご存じのとおり、スピードスタートはやる気がありません。

でも、何かを続けることは大事だし、成功している人は継続してます。

で、自分は何を継続しているかなと考えてみました。

もう十年は続いているもの:夜寝る前の軽いストレッチ、本を読むこと

以上、二つしか見つけれませんでした。

というわけで、読書で気づいたこと、感じたこと、本の内容などを書いていこうと思います。
こういう日ごろの読書が自分の血となり肉となってほしいという意味を込めて、「食べる読書」と銘打ってやっていこうと思います。ま、あまり気負いせずやっていこうね。

今回は、「10代からの子育てハッピーアドバイス
」。一万年同出版:明橋 大二 著



10代の子供にどう接すればいいかを書いてある本です。
イラストや漫画が多用されていて、読みやすく、わかりやすい構成。

心身共に育つ時期である10代。健全に育つためには、自己評価をある程度高くないといけないということです。著者の明橋さんは、医者であり、学校カウンセラーでもあり、日ごろ聞く子供たちの話から、大人はどう接すれば子供の自己評価を高められるかを書いたものだと受け取りました。

特に印象付けられたのが、子供の心の成長の仕方。
それは、子供の心は、依存と自立を繰り返して大きくなるということ。

納得。
赤ちゃんのころは依存するしかないが、いつかは一人の人間として自立しないといけない。しかし、すぐに明日から完全に自立なんてできるわけがない。依存と自立を繰り返すことで、自分のできること、周りとの人間関係の在り方など、いわゆる人間社会を学ぶということになるのかなと思った。だから、この時期に、依存から自立への実験をうまく・十分にできなかった子は将来自立につまずくんだろうな。周りと自分の距離間、自分という人間などがあまり把握できていないんだろう。

本では、“甘えてきた時に、それをちゃんと受け止める。自立しようとするときに、手を出しすぎず、後ろから応援する。子供のペースで、甘えたり、反抗したり、につきあっていく、ということが、子供の自己評価を育む”とある。

この考え方がベースにあり、“いじめ”の時の対処、“家出”した時の対処を具体例を使って丁寧に説明している。どちらもとても参考になる。

この本を読んで、自分の10代はどうだったかなと思った。はっきり言って、あまり思い出はないな。依存と自立は何となく感じていて、居心地が悪かったことは覚えている。都合のいい時だけ親を頼る自分が嫌だったな。だから、いつも親に申し訳ないなという気持ちでいたし、でも仕方ないじゃんという気持ちもあった。

本では、「10代から20代になって、自立に躓く人を見てみると、小さいとき、甘えていいときに、十分甘えることができなかった、という子が少なくありません。」とのこと。自分も若干それがあるかもしれない。10代の子と接していても、甘えさせるということがどういうことかあまり分かっていない。やれやれ・・・。


10代からの子育てハッピーアドバイス


以上
またね***

2009年4月5日日曜日

スピードスタート15後

IMF:通貨と為替相場の安定化を目的とした国際連合の専門機関。

中国がIMF債を購入するということは、通貨・為替相場に対して影響力を持つことにつながる。さらに、ドル基軸を脅かすのでは…、みたいに言われている。これはどういうことだろう。

まず、中国は資産運用を多様にしたい。なぜならリスク分散のため。その背後にある理由の一つとして、ドル基軸に対する信用の低下がある。

そして、今回の金融危機。IMFは、新興国市場経済の崩壊は先進国にも壊滅的な影響を与え、危機は悪化すると考え、新興市場国支援に向けた十分な財源の確保が必要としている。そのためのIMF債の発行。

世界全体が不況というのは、相対的格差が縮まることと捉えていいだろうか。もしそうなら、ここで一気に中国の発言力は強まるのではないか。今まではアメリカのルールでやってきた。しかし、そのほころびから中国の顔がのぞき見える。というような感じに思える。

少しずつだが、アメリカの力は落ちてきている。そんな中、危機をしのぐため金を出すのは中国で、その出資によって中国は資産のリスクが減る。なんか、一石二鳥に感じる。いいなあ。この資産運用。大事なんだと思わされる。

ではわが日本国はどうか。政府は、単年度の歳入と歳出の均衡を消費税値上げで乗り切ろうとしている。が、日本には膨大な国の借金があり、こんな政策をしていたのでは借金なんて減るわけがない。中国のように刻々と変化する世界情勢の中で、チャンスがあるとみるとすぐに行動に移す大きな視点でものを観る必要があるのではないかと感じた。だから、少し前言われていた、「国家ファンド(SWF)」が日本にも必要です。必要なんです。少子化なのに、こんな借金背負ってられるかぁ!

というわけで、たとえ経済大国日本といえども、GNPが劣る国から学ぶことはたくさんあります。そして、私自身も学んで自分の人生に活かせるようトライします。

以上
いいねえ。めっちゃ久々じゃん。だんだんブログも書かなくなってきたなぁ…。諸行無常だが、悪い方に変わる必要はないんだけどなぁ…。世界の変化のスピードについていきたくなくなるんだよなぁ…、なんか。その先に何があるの?って思っちゃう。なんとなく踊らされてる気がするんだよねぇ・・・。逆説的だが、グローバル化と科学技術によって個人の自由が増えたはずなのに、なんだろ、この疲労感。結局てめえのルールで生きてないと結論付ける俺がいる。
また、明日***

一枚の葉

 今、私は死んだ。 そして、その瞬間、自我が生まれた。 私は、一個の生命体なのだ。もう死んでいるのだが。 死ぬことでようやく自己が確立するのか…。 空気抵抗というやつか。 自我が生まれたが、自身のコントロールは利かず、私はふらふらと空中を舞っているのだ。  私はこの樹の一部だった...