2012年9月28日金曜日
水滸伝十六(食べる読書125)
進化論というのがある。ダーウィンが有名だが、環境に合わせるように、自らが変わっていくというやつだ。他の動物にエサを取られないために、キリンは首を長くした。などなど・・・。
そこには、どう生きるのかも同時に示してもいる。
変化のきっかけは環境が用意してくれ、どう変わるかの選択は自分にまかされているのだ。
この巻は、多くの主だった人が死んだ。
裴宣、柴進、そして袁明。
梁山泊と青連寺。どちらも痛み分けのような形となった。
前者二人の彼らが梁山泊を支え、もう一人が青連寺であった。
ここら辺りから、消耗戦の様を呈してきたようだ。
人が変わるのはこんなときだ。
梁山泊、青連寺ともに、彼らが死んだことでここで終わりということはない。彼らが担ってきたことを新たに担う人材は双方共にいる。
新しい人材は、先人の死により花開く。それは、先人が死ぬことで何かしらを得るからではなく、より厳しい環境に置かれるためである。
これまでと同じように生きていきたいなら、これまでと同じようにしていてはいけない状況にだ。
優しい。とてつもなく優しいと感じるべきだろう。環境があなたに生きろといっているのだ。そのきっかけも与えてくれた。
優しさと厳しさが同居している。決して相いれないものではない。アメとムチでもない。
もっと根本的なものだ。
このことに気づけるかどうか。
そのとき、本当の自分を解き放てる。
梁山泊はこうやってこれまでも人材の質を保ってきた。
青連寺がどう化けるかは楽しみではある。
だが、私は、自ら変化をつくり出す人物となりたい。
以下抜粋
自分がここだと思ったところで、すべての力を出しきる。それこそが生きている意味だと、お互いに思っていることがわかったのだ。それも、大して言葉を交わさずに、わかった。
「戦には、陽動という策がある。陽動と見抜いたら、動かぬことだ。動けば、隙が出る。その隙につけこむための陽動だからだ」
「私は、軍人ではありません。ですから、きれいに割り切ってしまうこともできません。政事はいつも、絶対によいというものを選ぶわけでなく、よりよいものを選ぶということですから」
「梁山泊が、どういうところかわかっただろう。そして、ここに留まるべきかどうかも、そろそろ自分で判断できる。人はやはり、人生において、自分で選ぶ時というものを持つべきだ、と私は思っている」
「だとしても、一度だけ訊いてやれ。親が自分に選択させてくれた。後になって、そう思えることは大事だと思う」
「大きな企てばかりを考えすぎていた、とふと思ったのだ」
「人間は、そんなふうに思いがけない自分であることもある。私は、自分を眺めて、おまえよりもずっと愉しんでいる」
縁は、できるだけ躰から振り落としておく。それが、この仕事では大事だった。ちょっとしたひっかかりが、失敗に繋がったりする。
商人が、志などに惑わされてはならない。それは当たり前のことだった。
「梁山泊に加わった時、血などなんの意味もないと悟った。人には、志というものがあると知ったのだ。それは、躰を流れる血ではなく、心を流れる血だとな。私が、晁蓋殿や盧俊義殿に会ったのは、梁山泊ができるずっと前で、私はその時から、加わったと思っているのだがな」
「ありがたいと思え。人にはそれぞれ定めがある。おまえは、悲しい思いと同量の、喜びを与えられている」
「いい思いはした。滄州に居続けていたら出会えないような友に、何人も出会った。なにより、私は自分がやるべきことを見つけて、生きることができた。生まれながらの金持ちであり続けなくてよかった」
「求めるものがあって生きていたのではない、という気がする。どうでもいいことの中で、ただ死に行く人の姿を見ていた」
自分の心の歪みを見つめる、もうひとりの自分もいる。
「男はのう、いい女を見つけたと思いこむと、執着する。無様なほどにな。いい女など、惚れた本人がそう思えばいいことだが、そばで見ていて、嗤いたくなることがある。本人だけが、いい女だと思いこんでおるのよ」
「好きな時に、私を好きなようにできる。私はあなたの身の回りの世話をし、あなたの愛を一身に受ける。私の夢だったのです。それが実現できるのかもしれないのですよ」
「あの、燕青か。梁山泊には、人材が揃っておるな」
「ずいぶんと欠けましたが」
「新しいものを作ろうとすれば、仕方のないことであろうよ」
「ですな」
「いい国を目指せ、公孫勝。梁山泊が、そうやって闘えば、宋もまたいい国になる」
「楊雄、私はこれからの青連寺のありようで、宋という国の懐の深さがわかる、と思っているのだ。李富や聞煥章が残っている、というだけでなく、どういう変わり方をするかまで含めてだ」
「俺は、それを否定しない。俺は梁山泊の人間だから、梁山泊に有利になる話しかしないさ。それが女真族のためにもなる、と判断するのは長老たちの仕事だ。そして、ここにはもう俺の仕事はなくなった」
悲しみを、人に知られたくなかった。それを人に知られるだけで、濁ったものになるような気がした。胸が張り裂ける思いは、実は大事なものなのだとも思った。
以上
またね***
2012年9月16日日曜日
水滸伝十五(食べる読書124)
よく耐えた。
そして、多くが死んだ。
総力戦だった。
通らねばならない道だった。すでにある国に闘いを挑むには、だ。
しかし、耐えた。正確には、兵力の差が響いてくる前に、戦を終わらせた。これが、総力戦。兵力で負けるのなら、それ以外で手を打つ。
しかし、よく耐えたと思う。停戦するまでの間。
これで、次は戦のギアが変わる。
次が本番だろう。
それまで、どれだけの準備ができるか。
次の戦は始まっている。
以下抜粋
「待つことは、戦場へ出るよりつらい。はじめて、それがわかりましたよ」
「ただ、結果を待つのではない。結果の先に、やらなければならないことが、また山ほど見えてくる」
「まったくです。ここですべてを見ていることが、次に繋がる。しかし、それを忘れてしまいそうになります」
いまは宋という国に、正面から闘いを挑んでいる。生きている、という気がするよ。全身全霊で生きている、と思える
勅命という力が動けば、この国は滅びにむかうかもしれない。特に、それが戦に及べばだ。口に出すことはできないが、戦を判断する器量など、帝にはない。
「おまえは、兵たちの気持に火をつけるものを持っている。そういうことでいいのだ。ほんとうに必要な時だけ、弓を遣え」
集まって気勢をあげることと、戦をすることでは、まるで違う、と私は思う。
「すべて、運に恵まれたのだと思う」
「運とは、呼びこむものである。それも、学びました」
人の命運は、自ら切り開くこともあれば、横から出された他人の手で決まることもある。どちらがいいなどとは、言えはしない。どちらも、命運であることには変わりないのだ。
「俺が、すべてを負う。それでいいではないか。負った重みに耐えかねたところが、俺が消える時期だと思うしかない」
そのために手を汚すことは、いとわなかった。汚れるだけ汚れて、これ以上は汚れようがないという時に、自分は多分死ぬのだろう。いまのところ、まだ左腕を一本失っただけだ。
流れに任せろ、張清。あるところまでは、流れに任せておくのだ。
「命というものは、尊い。そして、強く、同時にはかない。そう思い定めるのだ。」
「そう思ったら、なぜ?」
「人の力ではどうにもならない、と思える。生きるものは生き、滅びるものは滅びる。そういうものなのだ、と思える」
「戦は、大枠だけを決めておく。あとは生きものを捕えるように、指揮官が戦を捕えていく。そういうことなのだろう、と思うのですよ」
「宋江殿も、呉用も、そしておまえも、人であってはならないのだ。人を超えたもの、それが、梁山泊を動かす者には求められる。わかってくれ」
はじめたことを、ひとつだけやれ。人に認められるまで、ほかのことに手を出すな
熱いものが、こみ上げてくる。自分には、同志がいる。死んでも、生き返らせてくれる同志がいる。
これまで、強く感じたことのない、喜びだった。
「自分の力以上のものを持ってしまうと、どうなってしまうのでしょうか?」
「持てる力に合った自分になる。人間とは、そういうものだ」
人は、なんによって生きる。志があれば、飢えないのか。富があり、名誉がある。これは、人の本能が求めるものだ。志は、頭が求めるものであろう
「心配するな。私は、おまえの力をこれからも測り続ける。無理だと思うことを命じて失敗したら、それは咎めはせぬ」
以上
またね***
2012年9月10日月曜日
水滸伝十四(食べる読書123)
ついに宋が本気になったと考えていいだろう。二十万官軍攻撃である。
一方、梁山泊は五万にも満たない。
この圧倒的な数・力にどう対応するのか。
これはチャレンジャーの宿命だ。
こういう大戦を前に、個々人の人としての変化もある。
戦はしているが、それは人の営みの中でのことなのだと、当たり前だが感じさせられる。
結婚もあり、史進の裸での乱闘もある。こういうことは面白い。
張平のことは気になる。
人が人となるには、なにが最低限必要なのか。考えさせられる。
志だけでなく、一人一人の人間にスポットを当てているのが、この作品の魅力だ。
以下抜粋
美しさは、残酷であり、同時に非凡でもある
まともなことを、まともに言える者などいないのだ
「恐らく、宋の中でいろいろと齟齬があるのだろう。決戦と思う者もいれば、時期尚早と思っている者もいる。それをひとつにまとめて梁山泊にむかわせるだけの力が、蔡京にはない。蔡京と近い青蓮寺は、国家の意志を体現してはいないのだから。あくまでも、裏の組織なのだ。軍費の扱いひとつにしても、青連寺には難しいところがある」
「孤独で、苦しいと思う。それが、宋江殿の人生ということになる。耐えきれないと思えば思うほど、逆にその資格があるのだ。苦もなく耐えられるという男を、私たちは頭領と仰ぎたくはない」
「私の、どこが頭領なのだ」
「自分はこれでいい、とどこまでも思わないところがだ」
自分が泣くことなどないだろうと思っていた、私がだ。人の弱さも悲しさも、痛いほど伝わってくる。それでも人は生きるのだ、という思いも。そして、どう生きるべきかということも。
「宋江殿は、負けず嫌いだな。意地っ張りと言ってもいい。勝敗は超越したような表情をしていても、誰よりも勝ちにこだわっている。頭領はそれでなければ」
「裴宣、男と女が慈しみ合うのに、罰を与えるなどと、人の道にはずれていると思わぬか。梁山泊は、そういう人間の道にはずれたくなかったから、結成されたのではないか」
「慈しんでやれよ。男とは、そうするものだ。女を慈しむことで、男はさらに充実して生きられる。おめでとう」
「生と死の分かれ目がどこか、考えることはやめるなよ」
「必ずと言う言葉もよせ、樊瑞。すべては、流れの中で決めるのだ」
「なにがよくて、なにが悪い。人にそれを当て嵌めるのは、難しいことです。私は、なにひとつ楊令に押しつけようとは思いません」
長く力を蓄え続けた国と、梁山泊は闘おうとしているのだ。
「十年後は見える。多分二十年後も。しかし三十年後は霧の彼方で、五十年後はないも同じだ。俺はただ、いまを生きたい。生きていると思いたい。心の底から憎いのは、宋だ。しかしそれは、ちょっと間違えば、梁山泊になっていたかもしれん。憎しみは、役人が不正をなすからとか、税が高いとか、そんなところから生まれてはこない。大事なものを奪われた。そして二度と戻らない。そこからほんとうに、生まれてくるのさ。」
「憎しみを抱き、それをどこにむけていいかわからないとき、宋江殿にあった。宋江殿は、およそ憎しみなどとは無縁の人だ。それなら、俺の憎しみは、宋江殿と一緒にいることで、人でなくなるような燃え方はしないだろう、という気がした。ほんとうにそうだったよ、鄒淵。晁蓋殿と出会った時も、そう思った。だから、二人の意見が対立した時は、困ったもんさ」
生と死の分かれ目。すべてを死の方にむけられているとしても、その分かれ目に三日間立っていられる。見たくても見えなかったものが、見えるかもしれない。いま死んでしまうより、ずっとよかった。
「苦しいのかもしれん。しかし、俺がなくなって染むのだと考えると、苦しみも苦しみではないな」
人は、絶対にやらなければならないものを見つけた時は、強くなれる。
「私も、自分が安全である戦を覚えよう。安全であるが、同時に果敢でもある。そういう指揮をしてみたいものだ」
歴史は、覆すためにあるのです。
梁山泊が、結局は凡庸な叛徒の集まりだとしたら、この全体戦で殲滅させられる。
しかし、いままでの戦ぶりを顧みると、必ずどこかで非凡なものを見せる。防御に徹するなどという戦は、しないはずだ。防御に徹するというのは、局地戦の戦術にすぎない。だから、青連寺の二人は、全体戦を闘っているつもりで、いまだ局地戦しかやっていないのかもしれないのだ。
以上
またね***
2012年9月7日金曜日
水滸伝十三(食べる読書122)
この巻を読んでいた時、毎日がいっぱいいっぱいだったからだろう…。
初めて、涙した。
そんなに好きではなかった。
朱仝が死んだ。
壮絶な死だった。
雷横とともに梁山泊へ入った。梁山泊ができる前からの同志である。
この二人は似てる。同じ境遇だからだろうか。
朱仝も、いま己のできることをひたすらやり続けることで、梁山泊を守った。
それぞれの場で、タイミングで…。
何も言えない…。
敬服するのみ…だ。
その死を、その生を、その背後にある志を、想おう。
以下抜粋
「私も、そう思います。人がいれば、どろ泥もできます」
「それを、どう扱っていくかが、政事の問題なのだろう」
「父子の情と、志。そのどちらが強いか、長い時をかけて、宋江にわからせたい」
「志を貫くことは、父子の情をずたずたにすることか。それは面白いな」
「ますます、俺の好みだ。宋江という男の志がどれほどのものか、親父の血で教えて貰おうと思う。人の躰を殺すより、心を殺す。俺は、そちらに関心がある」
「切り捨てなければならないものは、もっと多くある。この国には、無用というより、害になるものが、まだ多すぎるのだ。梁山泊とぎりぎりの闘いをすることで、それはすべてきれいになる」
貧困の中にいる人間が、聞煥章は好きではなかった。当人が悪いのに、他人や政事のせいにする。貧困だけは、それが許される、というところがあった。貧困は、自らのせいである。そこから抜け出そうと思えば、努力でなんとでもなる、と聞煥章には思えた。
そしてまた、貧困の中で立ちあがってきた人間には、どうしようもないこだわりが常につきまとう。時には、それが行動を律してしまう。
緊張していると、見えるものも見えなくなる
「ほんとうに正しいことなど、まずないと思っておけ」
「お互いに縁があって、ともに戦っているんじゃ。肚の底を見せる時は、見せた方がよいのう」
それぞれの出来事は見つめていく。それが全体の中でどういう意味を持っているか、もっとよく考える。
志があった。晁蓋がいた。宋江はまだいる。そして、戦友がいた。
死んだ者のためにも、自分は闘い続けるしかない。
返事をしようと思ったが、秦明は声を出せなかった。
「林冲」
「おう、朱仝」
林冲は、しっかりと声を出した。
「おまえだけには、謝らなければならん。俺は、おまえより先に死ぬ。悪く思うな」
「いいさ、闘い抜いた」
「さらば」
見開かれた朱仝の眼にあった炎が、吹き消したように消えた。
「隊長は、死んだ。みんなよく見ておけ。これが、漢の死というものだ。泣く者は去れ。気を引きしめろ。隊長のために、勝鬨をあげる」
「とにかく、任せるところは任せるという度量を持て、呉用」
「みんな、戦をしている。宋江殿も私も、そしておまえも。戦場で闘って、おまえは林冲に勝てるか。林冲が、おまえのやっている仕事ができるか。そこを考えてみろ。おまえは、もっと大きなところでさまざまなことを考え、実際にそれが行われる時は、現場にいる者に任せるのだ」
「逆だ、関勝。みんなの前で厳しく言うことで、ほかの連中があれ以上責めることをできなくした。そうだと俺は思うぞ。あの二人の呼吸は、そういうものだ」
「私は、生きていると思いたい。その思いを、全身で感じたい。つまらぬことで、惑わされたくもないのだ。私を圧倒するような敵と、全身全霊で闘ってみたい」
「似ている。私になにか欠けているように、おまえにもなにか欠けている。それでいながら、常に生きているという実感を求めてしまう。おまえを好きになれないのは、そういうものが見えてくるからかもしれん」
人は、測りようのない妖怪のような部分を持っている。同時に、凡庸としか言えない部分もある。
「よく見えた。人はなぜ生きようとするかも、見えた。国の姿と、人が生きようとすることが、実は重なり合うのだということも、いまよりよく見えていた」
「人とは、そういうものだ。それぞれが、生きていこうと思った場所がある。そこを動くことは、生きることを否定する場合でもある、と私は思う」
「戦はつらいな、童猛。ついさっきまで語り合っていた者が、死んで行く。自分が死んだ方がずっと楽だ、と私は思うよ」
以上
またね***
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