2011年6月29日水曜日

「ワンピース」に生きる力を学ぼう!(食べる読書25)





歴史上最も売れているという「ワンピース」




生きる力学べるんだ~と思って読んでみた。







この本を読んでの率直な感想は、あまり面白くなかったということ。





言いたいことはわかる。が、わざわざここまで現代という時代の中で論じた割に結論はそんな目新しいものではなかったかなと感じた。






知的好奇心はあまり刺激されなかった。








単純に、ここまで売れているということは、この時代の要求をほか(エンタメ、政治、学校、ビジネス、社会生活など)の何よりも満たしているからだと考える。つまり、人々の潜在的要求に応えている。または、それを喚起している。






そして、漫画というスタイルからして、人々が求めているものは何らかの体験である。あるいは、その体験を通して得られるもの。なぜなら、漫画は疑似体験できるからである。ワンピースを読んでの疑似体験またはそれを通して得られるものが、人々の求めているものである。






漫画は一つの価値の表現手法である。




とするなら、



現実社会で得られない価値(それは行政が現実化することかもしれないが現実にできていない、それを現実にするのは家族かもしれないし、コミュニティーかもしれない、友人かもしれないし、自分自身の可能性もある、が実際には現実化していない)を唯一とは言わないまでも、最も疑似体験しやすい形にしたものがワンピースであるといえるのではないか。







現在、従来の価値観では対応できないことがいろんなところに出てきている。資本主義の行き詰まり、環境問題、少子高齢化などなど。そんな時代の中、それに対する一つの解決策として、「相互扶助」というキーワードは前から言われていた。そして、どうやらそれだけではどうにもならないなということに気づきいろいろ模索している。そんな中、自分の能力で食べていこうという方向に人々の意識も変わってきている。






現実の社会を観察すれば、ワンピースを通すまでもなく上記のことはわかる。が、こういったことを論じていると感じた。





確かに、著者の論じている視点から見ると、こういった現実社会への一つの回答がワンピースにはあると感じる。







が、問題はその先にある。



それを漫画による疑似体験ではなく現実社会で現実にするにはどうすればいいのかということである。






昔に比べて漫画の技術も上がってきた。それに伴い、表現の幅が広がり、多様な価値観を表せるようになってきたと思う(今はほとんど漫画は読んでいないが…)。








ということは、漫画の社会での役割の一つに、社会を構成する人々の潜在的要求を察知することがあるとはいえないか。いわゆる社会構築の際のマーケティングといった立ち位置かなあ。で、あとは行政や民間企業へ実際の現実化はバトンタッチする。そんな単純にはいかないだろうが、ワンピースの爆発的大ヒットがこういう理想の社会を構想する機会を与えてくれる。





いままで可能でなかったことが可能であるとわかっただけで結構未来の可能性は急激に広がる。




以上、自分の考えを述べてきたが、なぜ自分がこの本にあまり惹かれなかったのかはなんとなくわかる。



それは、私がそんなにワンピースが好きではないからだろう。正直、読んでて著者とのワンピースに対する温度差を感じざるを得なかった…。





でも、嫌いというわけではないですよ~!!!




ちなみに、ロビンのエニエスロビー編?が一番好きです♡





ワンピースに関する書籍が多く出版されている。マンガなのにすごい。




以上
またね***







いい言葉はいい人生をつくる(食べる読書24)









弟にあの北杜夫さんを持つという著者の人生観が、著者の手帳にあるという言葉とともに各テーマごとにまとめてある。



人生の大先輩の言葉だけあり、その考え方は読んでて明るく清々しい!!!





特にこの本に関してなんだかんだ述べるより、この本の中で心にきた言葉を記すことにしたい。







以下抜粋






一つの顔は神が与えてくださった。
もう一つの顔は自分で造るのだ。






一人で見る夢は夢でしかない。
しかし、誰かと見る夢は現実だ。






鍛冶屋が腕を振って腕が太くなるように、
元気を出し続けると、元気は増してくる。






他人の失敗話は人間の大好物の一つなのだ。






ろくな晩じゃねぇや。寝ちまえ。寝ちまえ。
寝て起きりゃ別の日だ。






君の心の庭に辛抱を植えたまえ。
その根は苦いが、実は甘い。







「できるかできないか」ではない。
「望むか望まないか」なんだ。








事を遂げるものは愚直でなければならぬ。
才走ってはうまくいかない。






行動がスローモーな人はたいてい、心に大なり小なり鬱屈したものを抱えている。あるいはその仕事に本当にやる気になっていないか、そのいずれかだ。








海のほか何も見えないときに、陸地がないと考えるのは、
決してすぐれた探検家ではない。







いままでと異なる環境に不安を感じ、暴れまくる行動を「運動暴発」という。







自分の力を他人のために使うこと自体が、ひとつの成功的生き方だと言えまいか。









おしゃれをしない人間は、泥棒よりも醜いと思います。







おしゃれの最高のスパイスは遊び心だと思う。












なんとなく気分が盛り上がらない日が、誰にもある。こんなとき、男性なら、休日でもすっきりひげをそり、髪形をきれいに整え、こざっぱりしたカジュアルウェアに着替えると、心のスイッチがオンに切り変わる。










老齢は山登りに似ている。
登れば登るほど息切れするが、
視野はますます広くなる。









長い間、一緒に暮らして、
その間に芽生える感情こそが「愛」。











小さな手間を省かないことが、
大きなイライラを防ぐコツ。












健康は、
習慣だ。










体に悪いことを人生から差し引くより、
体にいいことを人生にプラスしよう。










ストレスをなくすには、
リラックスを増やすことだ。










天使が飛べるのは、
気を楽にもっているからだ。




以上
またね***





2011年6月28日火曜日

ウソを見破る統計学(食べる読書23)





統計学の入り口として読むといいと感じた。



多様な日常生活での事例を通して統計を説明している。



読みやすかった。




数式はほとんど出てこないので、しっかり学びたい人は専門書を薦める。しかし、統計学の考え方は大まかに把握はできるという意味で読んで損はない。





一応、大学で統計学は簡単に学んでいたのでほとんどは復習の意味合いが大きかった。




しかし、この本は日常の事例を取り上げているので、新たな発見もあった。







第12章の、「互いに無関係な事件、事故は連続して起きやすい」(ポアソン分布)




第13章、「一般庶民の所得は、対数正規分布する」




第14章、「高額所得者の所得は、べき分布になる」




この、庶民と高所得者の違いは勉強になった。まあ、確かに住む世界が違うなあ…と。





あまり統計には詳しくないが、今の科学を支えているのはある意味”統計学”だと考える。




科学は、再現性のあるものであり、普遍性を帯びている。それを証明できるのは今のところ統計学しかないからである。統計学の進歩が新たな科学的真実を示すことにはなるだろう。




だが、統計学の進歩と言うのは単なる計算技術のみではない。計算のみならコンピューターに任せればいい。






その背後には必ず「知」がある。その「知」の思考により、その計算式や値に初めて意味が宿るのである。





統計学の発達にはギャンブルが動機と言うのがそれを示している。





別の言い方をすると、統計学がわかれば今の時代の科学的「知」がわかると考える。





それはなにか。




状態を表す情報処理技術である。





以前も書いたと思うが、今の我々は状態しか示すことはできない。意思疎通においては、ほかの人の変化も感じることはできるが、それを科学的に証明することはできない。言葉も含めた他人とやり取りする情報は状態の積み重ねである。我々の扱っている情報は”状態”しか表現できない。




しかし、我々はこの人生で多くの変化も実感している。確実に変化しているのである。それは“動き”だ。”状態”に対しての“動き”。これが顕著に実感できるのは恋愛である。なぜか言葉(状態を表現する)では説明できないが、あの人に惹かれる。気がつけば、あの人の姿を追っている自分がいる。あの人に会えないと胸が苦しい。が、会えば会ったであの人の一挙手一投足に胸が揺れ動く。一時も心がひとところにとどまることはない。何気ない一言でどん底も味わえば、天国も味わう。




だから、恋愛は太古の昔から人々を魅了し続けている。「源氏物語」など。




だが、それを再現性のあるものにはまだなかなかできていないのが現実。





つまり、こういうことである。




次の時代は、






「動きを表す情報処理技術」






の発明が創る。






これが私の考えである。





そして、その「動きを表す情報処理技術」を作り、実用化するのが私の夢である。








以上
またね***




2011年6月24日金曜日

成功者の告白(食べる読書22)





マインドマップとフォトリーディングを日本に紹介したことで有名。
そんな神田昌典さんの本。





この本は「5年間の起業ノウハウを3時間で学べる物語」とあるように、実際経験しないとわからない内容ばかり。普通のビジネス書よりビジネスの本質が学べるのではないかと感じた。






この本の大きなウリは、仕事と家庭とのつながりについて明瞭に言及したこと。





多くの成功者が同じパターンにはまっていたという。





まあ、仕事と家族(プライベート)を同じ次元で観れるようになることが今後は必要だと感じた。






なかなか同じ次元では見れない。世間がそういう視点を持っていないことが大きいと思う。そういうものの見方を学ぶ機会が、普通に暮らしていたらないからだ。






だが、そんな言い訳もこの本の存在自体が否定してしまった。






少数だが、確かにいるのだ。仕事と家族がともにうまくいっている人は。




後は、その人たちと出会う努力をしているかだろう。






人間必死になったらある程度のことはできる。





おそらくそれは、自分の価値観を変えることへとつながる。






成長ということ。









”おもしろき こともなき世を おもしろく 為すべきものは 心なりけり”










世の中何でもありと思えるくらい多様な価値観に溢れている。











大事なことは、自分の人生を最高のものにする価値観と出会えているかだ。









その一つがこの本にあります。





以上
またね***


2011年6月21日火曜日

小説 サブプライム(食べる読書21)





題名の通り、サブプライムローン問題を取り上げた小説。


今まで新聞や雑誌などからサブプライムに関する記事は読んではいたが、いまいちわからなかった。小説だからかもしれないが、この本はわかりやすかった。サブプライムがどういうもので、そのバブルがはじけた影響はどうなのかなど。



まあ、あれから数年たって振り返ることでどういう状況だったのか客観的に見れたからこういう小説が書けたとは思う。




が、以前も紹介した落合信彦さんの本。今回は小説。久しぶりに読みました。よかったです。




内容は、主人公荒木大河が2000年からウォール街で成功していくストーリー。いろいろ論じたい部分はあるが、今回はそんな主人公がどんな考え方、あるいは視点で世の中を見ているかについて本書のいくつかのシーンから考えてみたい。






「ムーディーズやスタンダード&プアーズが格付けの絶対的権威と思ったら大間違いだ。彼らだって利益を追求する民間企業だ。生き残るためにはうまく泳がなければならん。」




これは、9・11後市場を持ち直す原動力として不動産とデリヴァティヴが活況だった時、荒木の部下が不動産のサブプライムに投資を薦めにきた場面での荒木の一セリフ。いろいろなやり取りの中で格付けが良いという言葉に対してこう返した。


確かに普段我々は第三者の評価を基準にして考える場合が多い。だが、その第三者も実は本当に客観的な第三者ではないんだと目を見開かされる発言だと感じた。その第三者もひそかにプレイヤーの一人なんだと。




このやり取りの後半(P254~)で、荒木はサブプライムの借り手側の動向の一例を示す。そのことによってサブプライムに関係している人間はお互いに奪い合いをしているという。これまで貸し手側からの視点でしか語られず、借り手は被害者のように扱われていたが、実際はそうでもなかったのかもなあなんて思った箇所でした。



人間は結構ずるがしこい。でも、私自身は人間のそういうとこ、嫌いじゃない。人間らしいよなあ…。弱さを武器にする感じ。そればっかだと堕ちていく一方だけどね。






「あんたがたは分析能力が秀でている。同じ情報を見ても経済のプロとあんたがたとでは見る角度からして違う。プロは寸止め評価をするが、あんたがたはパンチを止める必要はない。結果は白と黒の差になって出てくる」



荒木が自社の調査部に対して仕事内容の変更を指示した時のセリフ。



これまで、この調査部の調査結果によって大きく儲けてきた。それは、儲けるにはどんな情報が必要で、それがどこにあるかがわかっていた。だから、結果が出せた。しかし、今後も結果を出し続けるには時代の変化に対応しなくてはならない。つまり、今後はどこが金を生み、どこが金を奪っていくのか、それらはどこなのかなど知らないといけない。そしてそれらの情報はどこを見ればいいのか。”現実には何が起こっているのか。”まずここを押さえないと何もできない。そのための指示。素晴らしい経営者だなあと感じた。





「利益を生まない会社を経営するのは犯罪を犯してるのと同じだと思っている。」

「利益を出すチャンスがあるのにそれをしないことこそビジネスマンとして倫理にそむくのだ」

「ここは大学の講義室ではない。理論では採点はされないのだ。経済理論と実質経済は違う。君は優秀なファイナンシャルプランナーだ。それなりの働きをしてみせろ。野暮な理論を振り回すのは大学生に任せておけ」



以上三つは、2006年サブプライム崩壊が始まったとみた荒木が開いた会議中でのセリフ。
サブプライム崩壊で市場が縮小する中、荒木は投機売買を決める。が、サブプライム全盛のときはそれとは反対の方針だった。そのことに関して部下とのやりとりの中でのセリフである。いつが攻めどきなのか、いつが動かざること山の如しなのか。この決定も、先にあげた調査部のレポートに拠る部分が大きい。





「アジャスト アンド アチーヴが求められる」

「リヴ アンド レット リヴの精神だよ。そして社員全員が百三十パーセント頭脳を使って利益は百パーセントを求めず八十パーセントで満足する」

「グリードは美徳なんかじゃない。とてつもなく醜悪なものだ。それが今回の危機が人類に教えてくれた最高のレッスンだったと俺は思いたい」


サブプライム崩壊後のグリーンスパンの証言を観てのエンディングのシーン。サブプライム後の人々の生きる指針として著者の出した答えが、上の荒木の発言であると考える。



人は、いや人類は失敗を繰り返して成長する。それは失敗から何かを学んだということ。確かに成長はジグザグの過程をたどる。今回のことで少し清貧がブームというかキーワードにはなるだろう。実際、一時期いろんな雑誌で清貧が取り上げられていた。しかし、清貧からは次なるステージは見えてこないんじゃないかと思う。



今回のポイントは、人の欲望はブレーキが利かないということ。まだコントロールできないということ。何か、そのグリードをコントロールできる仕組みか何かを作ればどうなるだろうか。難しいだろうが、それがこの時代に生きている人間に対する課題だと感じる。



とても勉強になりました。


また、トニー・スカリアを偲ぶ会の場面では涙があふれました。

私もこういうつながりを多くの人とつくります。



ありがとうございました。




以上
またね***



2011年6月14日火曜日

30代にしておきたい17のこと(食べる読書20)





の続編として著者が書いた本。


基本的に前作と同じ読者層に向けての本だという印象を受けた。もちろんタイトルが示すように年齢層は異なるが、似た考えの人たち対象と言うことだ。



前作20代にしておきたい17のこと (だいわ文庫)と本作30代にしておきたい17のこと (だいわ文庫)の大きな違いは、「自分を位置付ける」という部分が加わった点だと感じる。


自分の能力・特徴、セルフイメージ、お金、パートナーと子供、両親、運、メンター、人脈、友人、人生の目的といった視点から今後どういう人生にするか決めていくときであると説いている。



私は今年で31歳になる。だから、この本ではまだ見ぬ10年とはどんなものなのか。という好奇心も手伝い、20代にしておきたい17のこと (だいわ文庫)より楽しく読めた。どんなことに気をつけたらいいのかなど。


だけど、前回のブログにも書いたように物足りなさはぬぐい切れなかった。


たとえば、本田健さんは40代にしておきたい17のこと (だいわ文庫)10代にしておきたい17のこと (だいわ文庫)も書いているわけだが、この本にあるようにずっと人生を生きた人がいたとして、その人はその人生で何を成すのだろうか。何も成せないのではないかと思うのは私だけだろうか。はっきり言ってこのシリーズは口調や内容は読んでてとても心地よい。だから、ちょっと気持ち悪く感じる部分も少しある。



孫正義がすごいのは、20代から自分自身の人生をすでに位置付けていたからであり、ビルゲイツが富を成したのも20代から自分のやりたいことに力を投入したからである。


「自分の人生はこれである。」という指針を持つのに早すぎることはない。


だが、この2冊は、20代にしておきたい17のこと (だいわ文庫)では「可能性は大きいのでそれを知るためにいろいろなことをしましょう。」という内容で、30代にしておきたい17のこと (だいわ文庫)では「30年以上生きてきていろいろ経験して自分がどんな人間かわかってきたから、そろそろそんな自分に合った人生設計を具体的に決めましょう。」といった内容だととらえる。


そこには、自分の強みを磨く。または、自分が一つの分野で飛び抜ける。という最も大切な自己修養に関しては書いていない。ただ単に、「無難に生きましょう。」としか言ってないように感じる。


この2冊を読んで、”ハイゼンベルグの不確定性原理”は人生でも当てはまるのかも…。と思った。これは、位置と速度は同時には把握できないというもの。これは微粒子に対して適用される。


が、人生にもあてはまるだろう。実際、このジレンマに20代前半は悩まされてきたな。


20代のころは世の中のことも自分自身のこともわからないので、いろいろやる。これは動いているので微粒子にとっての速度とみる。つまり、若いころはいろいろ動き、経験することにのみ意識が向いているので自分がいま社会的にも自分の人生の中でもどんな位置にいるのかわからない。まあ、動き回っているから自分の位置が定まらないのは当然と言われれば当然。


30代40代…となるにつれ、自分自身や世の中のことも分かり、自分が何者かがわかる。それがわかった時点で、もうすでにその位置に腰をおろしている。つまり動いていない。「位置が定まった時点で、もう彼はその人生においてどこへも行かない」といったとこだろう。実際は動きはあるとは思う。動きと言うか、意欲・意志と言ったほうがいいかもしれない。だが、定まっている位置が社会的にも自分的にも足かせとなり、動きたくても動けないのではないか。


うまく説明できなかったが、つまりはこういうことだと思う。



自分が何者かわからないときはパワフルにそれを探し回っていたが、探し物が見つかったときにはもうそれを使って何かをするエネルギーはどこにも残っていなかった…。


淋しすぎるだろ~(T_T)


ありえね~


でも、こういう人生送っている大人が多いのが事実。そして、それに子どもたちは気づいているのが今の日本。自信持って子供たちを指導できてないもんなあ。だが、今回の震災で子供たちに人の生きる素晴らしさを伝えられるだろうと思う。現場では、素晴らしい人たちであふれているだろうから。


というわけで、前回と今回紹介した書籍は淋しい人生指南とまでは言いすぎだが、そう感じる部分が多少はあったということです。もちろん、大いに勉強になる部分もそれに劣らずあることも付け加えたい。第6章、第14章、第3章、第4章、第8章、第11章は新鮮であったり、または考えさせられもした。


ちょっとケンカ売っているような形になってしまったが、ただ単に自分がこのシリーズのマーケティング層ではなかっただけです。じゃあ、なんで読んだんだ(・_・;)まあ、興味あるものだけ読んでも幅は広がらないからね(^_-)-☆


いろいろ気づきました。特に、自分は普通の人生は求めちゃいないということを再確認できました。ありがとうございます。



以上
またね***













2011年6月9日木曜日

20代にしておきたい17のこと(食べる読書19)





からベストセラーを出し続けてきた本田健さんの書き下ろし文庫。


二十代における生き方や考え方などを二十代という特徴を交えながら説いている。多くの人には参考になるだろう。私自身勉強になる部分も少なからずあった。


が、


いまいち物足りない。


なぜか。


簡単に言うと、私は本田健さんのマーケット層には入らない人間だからだろう。


繰り返しになるが、ユダヤ人大富豪の教え
から本田健さんのメッセージは「好きなことを仕事に」「小金持ちになろう」で、今のこういうトレンドの先駆けでもあった。だから、出す本は常に20~30万部は売れる。特定の人の心をつかみ続けているのはさすが。マーケターとして優秀。だから、うらやましく思ったりもする。なぜなら、売れると事前に分かるからだ。

まあ、それはさておき、

私は、「好きなことを仕事に」や「小金持ちになろう」などとはあまり思わない。というか、あまり心が惹かれない。





私が目指しているのは、「次の時代を切り拓く哲学思想を構築する」ことである。

それは、常に未来に目を向けている。

次世代に対して何ができるかだ。

いまのこの社会で、いわゆる成功するということは、今のこの社会のことをよく理解しフィットしているからに他ならない。

「たとえ無一文になっても、資本主義という仕組みがある限り、私はまた浮上するだろう。」と、ウォーレン・バフェットは言っている。彼は最も成功している人間の一人だが、彼が次の時代を創る能力がほかの人よりあるかと言われると、自信を持ってイエスとは言えない。むしろ、資本主義に固執し、新たな価値を認めづらくなるのではないか。

あたりまえが、新たな時代を創るのは、前の時代では無名の人だ。価値観が全く違うからだ。時代とは価値観のことだ。なぜ、鎌倉時代、室町時代、江戸時代と分けられるのか。同じ武家社会であるのに。価値観が違うからだ。

つまり、この本には「今の時代でもっともよい人生を生きるには20代はこういうことしていたらいいよ。」と書いてあるわけだ。”次の時代を創る”、”次の時代でよい人生を生きる”ことに関しては全く無力である。

だが、こういう価値観の変化で考えた場合、この本から学べることは何だろうか。本田健さんの功績は、新たな価値観を人々に提唱し、受け入れられ、広めたことだ。今だから、幸せな小金持ちがたくさん生まれてきているが、十年前はそんな考え自体なかった。

だから、自分が何か新たな価値観を提案する際、今の人たちはどういう人かを知るひとつの指標として、この本の対象者と想定しても大きな違いはないように思う。


本田健さんはある意味人々の価値観を変えた。

自分はどれだけ人々に影響を与えられるだろうか。

本田健さんがひとつのバロメーターになるかな。


ありがとうございます。


生涯現役!!!


以上
またね***



2011年6月2日木曜日

諜報の天才 杉原千畝(食べる読書18)




第二次世界大戦中、約6000人のユダヤ人にヴィザを発行したことで世界的評価の高い日本人の一人です。


これまでは、ヒューマニストとしての彼が全面的に評価されていたが、インテリジェンス・オフィサーという側面からこの偉人をみていこうというのが本書の趣旨。


確かに、あの複雑な国際情勢下にあったヨーロッパで、当時公には認められてなかったヴィザを発行し続けるには諜報に秀でてないとできないことだな~とタイトルをみてすぐ買っちゃいました。


本書を読んで感じたことは、もやもやしてはっきりしないような中にも関わらず一人の人間の志が垣間見えるという感じだろうか。


実際著者は、少ないながらも当時の杉原さんに関する情報を集め、それらを組み立てている。だから、所々情報がない部分もあり、推測するしかない個所が少なくない。そこに、著者自身の私情も少しは影響しているだろうが、そういう理由から以上のような感想を得た。


諜報の世界でよくあることであるが、諜報は優秀だがその入手した情報をトップがうまく活用できないということがある。諜報は諜報員の仕事だが、そこから得た情報をどう使うかはその国の政治家の仕事である。政治は国内国外どちらにも影響するし、なかなか一筋縄ではいかない。当時の日本もそうで、杉原さんも政治に翻弄される時期があった。


優秀なインテリジェンス・オフィサーは、たいていトップの無能でうまく能力を発揮できなくなりました…。といった感じで、ぱっとしないままであることが多い。もちろん、上司も優秀ならそのまま諜報員として全うする。


しかし、杉原千畝は違う。


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国のトップが頭で、諜報などは手足のようなものだ。

“兵隊は考えない”というのと同じで、インテリジェンス・オフィサーも国のためにやっているのである。

だから、国の指示がないと何もできない、というか何もしないのが普通。


しかし、杉原さんは違った。

彼には、国への忠誠心のほかに、一人の人間としての確固たる価値観があった。仕事と個人(人間)としての価値観が異なることが世の中には多くある。この自分の中にある矛盾に悩まされる人も多いと思う。だけど、彼はどちらも成すよう選択し行動した。


実際は、国の仕事より人間としての使命を優先してヴィザを発行していた。国へは、細かなアリバイを作り、だましだましやっていたのである。そんな彼もついに、ヴィザも発行できなくなるが、ヴィザ発行の代わりとなる渡航許可証を発行する。そして、最後には、次の赴任地へ行く列車の出発まで窓越しに渡航許可証を発行し続ける。


とても胸が熱くなった。


杉原さんが晩年に書いた「決断 外交官の回想」とういう手記にこう記されている。


「全世界に隠然たる勢力を有するユダヤ民族から、永遠の恨みを買ってまで、旅行書類の不備とか公安上の支障云々を口実に、ビーザを拒否してもかまわないとでもいうのか?それが果たして国益に叶うことだというのか?」

そして著者は、

“外交官とは、国家を代表して外国との交流の最前線に立ち、母国の国益に貢献するものである。・・・。ユダヤ人に手を差し伸べることが日本の将来に有益であるとの信念を持っていた。それはインテリジェンス・オフィサーとして培った国際感覚がもたらす優れた先見性でなくてなんであろうか。“

と述べている。


なるほど。多くの、多様な国籍の人とのコミュニケーションからなる諜報。それは単なる情報収集だけではなく、いや、だからこそ広い視野と深い洞察力が養われる。そして、そこから生み出されるのは最も痛みが少なく明るい未来。

仕事と人間としての価値観を同化していたといえるかもしれない。


もっとも評価できるのは、実行したことである。

自分の価値観に従って。

自分の能力をフルに使って、明るい未来を作った。


一人の兵隊ではなく、一人の考えて実行する人間だったというところがすばらしい。

とてもありがとうございます。


日本語おかしいな…(・_・;)


以上
またね***



PS:昨年の年間目標だった本300冊読破。結果は、274冊でした。まあ、達成できなかったけど、よくやったと思う。ここまで読むとは正直思ってなかった。

一枚の葉

 今、私は死んだ。 そして、その瞬間、自我が生まれた。 私は、一個の生命体なのだ。もう死んでいるのだが。 死ぬことでようやく自己が確立するのか…。 空気抵抗というやつか。 自我が生まれたが、自身のコントロールは利かず、私はふらふらと空中を舞っているのだ。  私はこの樹の一部だった...