2014年5月13日火曜日

Good Luck (食べる読書 129-1)



私は、哲学が好きだ。



しかし、哲学とは何かについて深く考えたことはなかった。「Good Luck」を読んで、現時点における私の答えが出た。「哲学とは、自分の創造である」。



黒田官兵衛は、私の最も好きな武将である。その生き様や境遇、考え方にどこか愛着を感じるのである。彼は優秀であり、天下人である豊臣秀吉から天下を取れると恐れられたほどの人物である。



しかし、彼が天下を取ることはなかった。私が、彼に注目する理由の一つがここにある。能力があったのに、なぜ天下を取れなかったのか。彼を通して、織田信長、豊臣秀吉そして徳川家康といった英雄を観ることで、より本質が見えるのではないかと考えるからである。



現時点における私の考察は、こうである。当時の人は彼らをどう評価するか、である。人々の黒田官兵衛の評価はおそらく「優秀」、であろう。一方、織田信長はどうであろうか。「気狂い」、「何を考えているかわからない」、「評価不能」といったところであろう。豊臣秀吉は、「人たらし」、「なぜか惹かれる」、「無邪気」、であろう。徳川家康は、「ずる賢い」、「手に負えない」、であろう。




官兵衛と他 3 人の違いは、ここで浮きぼりになる。キーワードは“ルール”である。官兵衛は、ルールに忠実に従う者である。他 3 人は、ルールを創造する者である。当時の人は、当時の評価基準 (ルール) に照らし合わせ、官兵衛を優秀であると評価するだろう。一方、他 3 人に対して当時の評価基準では測れないのではないだろうか。だから、異常であるという評価しかできない。当時のルールに合わないからといって、彼ら 3 人が何も考えていないのではない。むしろ最も考えた者であり、冒頭の言葉を使えば、「哲学を持っていた」、となる。黒田官兵衛は、この本の登場人物で言えば、サー・シドである。しかし、他 3 人はこの本では該当する人物がいない。敢えて言うなら、王もしくはマーリンであろう。




社長にとって、黒田官兵衛のような社員が最も欲しいというのはわかる。それは、サー・シドのようにしっかりと準備を怠らず、事にあたるため、目的を果たすことが多くなるためだ。社員教育として「Good Luck」は最適と言える。




会社に対する理想の社員像はわかった。では、社会に対する理想の会社像とは何であろうか。その時代と社会の要請によって変わってくることは容易に想像できる。現代の理想の会社とはどんな会社であろうか。おそらく、現代の問題を解決する会社であろう。それは、次の時代を創ることでもある。織田信長や徳川家康のように、である。




重要な点はここからである。社員がサー・シドである社長にとって理想の会社は、同時に、社会に対しても理想の会社足りうるのかという点である。言い換えれば、サー・シドは、王足り得るのかという事である。黒田官兵衛は、天下を取れたのかという問題に帰結する。



以上述べてきたように、二つの能力が存在する。ルールを創る能力とそれを遂行する能力である。創業者は総じてこれら二つの能力を併せ持つと考える。上の問題は、ルールを遂行する能力に長けた者は、ルールを創る能力にも長けているのかという問いである。



その答えは、ルールを創れば遂行することができるが、与えられたルールを遂行できるからといってルールを創れることにはならないということである。よって、サー・シドは王になれないし、黒田官兵衛は天下を取れないのである。根本的に違うのである。



そして、ルールは哲学を具現化したものである。なぜここで哲学が関わってくるのか、次回考察する。



to be continued・・・



2013年1月26日土曜日

新しいあなたを作る


もしあなたが、、、

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2012年11月11日日曜日

水滸伝十九(食べる読書128)




単純に力勝負で敗けた。



戦で。



何年も何年もかけて準備してきた。砦となる梁山泊を作り、人も集まり、人材も育ててきた。



調略・謀略も駆使してきた。



小さな国と言えるほどまで形も整えてきた。



もともとくすぶっていた想いをここまで形にした。



しかし、



敗けた。





最も大切で貴重な情報とはなんだろうか?





それは自分が変わる情報だろう。もちろん良いほうへの変化ではあるが。自分の目的を達するためのだ。





その情報はどこにあり、どうやって手に入れるのか?




目的に向かっていくことでしか手にできない。そして、それを手にすることで、さらに貴重な情報へと達していく。そうやって、結果として目的を果たすのだ。






どうやら梁山泊の闘いはまだ続くようだ。



というより、ここからが本当の梁山泊が試されているのだろう。




単に一代でなせるものではない。そして、人を繋いでいるのは、血ではない、志である。



梁山泊の志が本物かどうか。




大敗したここからが勝負だ。




梁山泊の生き残りどもは、この時誰も見れない景色を見ているのだろう。




それは、よりクリアな、宋打倒への道だ。



そして、その後の新たな国の形も…。




情報を制する者がすべてを制すると思っている。



ここでいう情報というのは、単なるデータでもなくインテリジェンスでもなく、目的を果たすために必要なものを見つけられる能力とその情報をそうだと認識することをも含まれている。



うまく表現できないが、帰納法や演繹法では測れないものだ。




禁軍の全力を引き出したということ、軍だけでなく政治面などその他の面でも宋の全体を把握できただろう。



今までとは違う高みで闘える。



ここが強み。




ひとつ先の手を打てるはずだ。





楊令伝。




梁山泊が単なる反乱でなかったことが良かった。まだ、終わっちゃいないんだ。ここは、通らねばならない道なんだとわかった。




小っちゃく考えてしまったなあ…。




志。




自分の人生で成し遂げられるようなものではない。もっと普遍的で、自分が奮い立つ・・・。





真剣に、志を作ります。




宋江は死んだが、宋江が作った志はこれからも人を繋げ、生き続いていく。




人々が目指す光となっている。





俺は、絶望のどん底にある人を包み込み、一歩踏み出させる光を作れるだろうか。




さらなる高みへと人々を案内できるだろうか。




より多くの人へ、どう貢献するのか。




課題はたくさんあります。



以下抜粋


「自分たちの国が欲しいというのは、志を全うすることより、ずっと自然なことだと思う。腹が減ったので、食いものが欲しいという思いにも似ているだろうな、武松」



「私は、梁山泊を見つめている。そして、叛乱とはなにかを、考え続ける」



「戦うことは、つらい。耐えるしかないことばかりだ」



「私が死んで潰れるような梁山泊など、ない方がいい。志は、誰の心の中にもある。私が死んで、なくなるようなものではない。わかるか、私の言う意味が」



敵をどうすればいい、という方法はない。総力戦とは、そういうものだ。耐えて耐えて、敵が倒れるのを待つ。あるいは、自分が倒れる。



「腰抜けが。死なぬかぎり、負けたと思うな。それが、梁山泊の漢ぞ」



「兵たちには、絶えず声をかけてやれ。新しい国のために、志のために戦っていると、語ってやれ。死ぬなよ。勝つまで、死ぬな。すべてが尽きても、命そのもので、敵に食らいつくのだ」




戦の機は、自分で作る。相手には作らせない。



「おまえだけではないわ。秦明であろうと、関勝であろうと、そうであったろう。将軍として一軍を率いていても、中央からの命令には従っていた。つまり、最後はなにも決めてこなかったんじゃ」



「聞煥章様が、試練を与えられることです。そうやって育てられたと、本人に思わせることです」



「いかがですか。自分を失うことなく、闘うことがお出来になりますか?」
「気負わず、臆せず。そうしようと思っている」
「ある境地に、達しておられます。童貫に勝てる、少なくとも宋江殿は勝てる。そんな気がいたします」
「私が負けても、梁山泊が勝てれば、それでよいではないか」
「その境地です、まさに」



「軍人どもは馬鹿だから、信用せん。それに、豪胆そうで、実は臆病だ」



「人は、死ぬものではなく、生きるものだ。宋江殿なら、そう言われるでしょう」
「長く戦をやっていると、見事に死んでみたいと思うようになるものよ」
「わかるような気がします」
「戦は、殺し合いだ。だから、せめて意味があるものだ、と思いたい。梁山泊軍で戦えて、俺は幸せだ。宋主のために、宋国を守るために戦えと言われたら、俺は意味を見つけ出せなかったと思う」
「どこまでだったら、意味を見出せました?」
「たみのため。そこまでかな」




「おまえもな。片脚を失っても、まだ闘い続ける。そうやってはじめて、自分が生きていると思えるのだろう、と俺は感じた」
「まあ、そうなのかな。痛みを愉しんでいるようなところもあります」
「脚を一本なくして、お前、なにかふっ切ったな。そう見えるぞ。よく喋るようになったしな」



「宋江殿も、諦められたのですかな」
「あのお方に、諦めはない。私にない強さを、お持ちだ。闘えるだけ闘おう、と考えられているだろう。それが、戦で死んでいった者たちに対して、唯一できることだと」
「生きている人がいる。それは数多い。しかし、死んだ人間の多さは、無限に近いと思います。無限の死の上に、数多い人の生はあるのではありませんか?」
「なにを言いたい?」
「死は、無意味であると。だから、私は自分で死ぬことができないのです」



敗戦を、どう処理するか。犠牲を、どう少なく済ませるか。張清は、ただそれに腐心した。



「つまらんぞ、燕青。人がいつも、すべてを見せいているとは思うな」



生きることは、別れの連続だった。



人の世で生きるというには、あまりに酷いことが多すぎた。人の世で生きることこそまことの生だ、と王進は言った。それは、これほどの黒々としたものに包まれているのが、生という意味なのか。



「そうか。許されぬか」
「許さないことが、思いだという気がします」



「人にとって尊いものがなにか、旗を観て考えてくれ」
ふと、自分が生きて帰る気さえないことに、楊令は気づいた。
「死ねぬぞ、その旗を持つかぎり。あらゆる人の世の苦しみも、背負うことになる。しかし、心に光を当ててくれる」
「死んではならないのですか?」
「こうしておまえに渡すまで、私は生きていたのだ」
「死にません。もっと、苦しんでみます。光が、ほんとうに当たるかどうか、生きることで確かめてみます」



光はなくても、生きてみせる。どこまでも、生き延びてみせる。
生き延びた果てにも光がなければ、この世に光などないということだ。宋江の血が染み込んだ旗にも、なんの意味もないということだ。



以上
またね***




2012年10月10日水曜日

心にきた言葉集33






「士君子、すなわち国家有為の人物にはできることとできないことがある。君子は他人から尊敬せられるような礼儀道徳を自ら修め行うことはできるが、他人に必ず尊敬させるということはできない。他人から信用せられるような人格を作り上げることはできるが、他人に必ず自分を信用させるということはできない。他人に使われるような才能をみがくことはできるが、他人をして必ず自分を使わせるということはできない。だから君子は自分の行いの正しく修まらないことを恥ずかしいとは思うが、他人から恥ずかしめられることを恥とは思わない。自分に真心のないことを恥ずかしいとは思うが、他人から信用せられないことを恥とは思わない。自分に能力のないことを恥ずかしいとは思うが、他人に使ってもらえないことを恥とは思わない。だから栄誉に誘惑されず、非難されることを恐れず、道徳に従って行動し、正しく我が身を修養し、周囲のものごとのために動かされない、これをまことの君子という。「詩経」に、”穏やかでつつしみ深い人こそ、すべての徳の根本である”というのは、このことをいうのである。」



これは、荀子の非十二子篇のなかの言葉である。



日常で目にする文言や言動など、ほとんどが商業的文脈の中で発せられるものであるのが現代ではないだろか。



つまり、人の道を説く言葉は日常生活の中にはちりばめられていないのだ。



そんな時代に生まれ、どう歴史的役目を果たす人物へと自分を育てられるか。



その答えの一つが古典から学ぶことだ。



上の言葉は、心にきた。と同時に、指針を示してくれ、多少なりとも、私の判断というか価値基準をはっきりと言葉にしたものだと感じた。こういう人間となりたいと思い続けてきた。なかなか現実化できてはいない。覚悟だったり、こう生きると決断していないのかとも思った。



自由とはおそらくこういうことだ。



すべての基準は己で決める。人がどう受け取ろうが、それは相手の問題だ。こちらは関係ない。



自立。



こんなにすごい考えや思想が古典にはあるのかと、いまさらながら古典の普遍さに驚くばかりです。



これからも学ばせていただきます。



よろしくお願いします。



以上
またね***


2012年10月2日火曜日

水滸伝十八(食べる読書127)





最後の闘いが始まった。



漢たちが最後を全うしていく。



秦明が死んだ。



林冲が死んだ。




林冲が死ぬとは思わなかった。



死なないやつだと思っていた。




他にもそれぞれの死を迎えた。



もう、小細工なんてしている時ではない。いまある力を出しきるだけだ。真正面からのガチンコ勝負。




すべてを懸けての闘いが人生の中であるのだろうか。



真正面から、しっかり受け止め、見つめ続けて成し遂げる闘いはあるだろうか。



がむしゃらに何かにむかったことはあるだろうか。



自分を律し、この時のために準備してきたという闘いはあるか。




人生に意味を与える大事なことだ。






以下抜粋



「しかし、嫌いだよ、俺は。宋江殿には、なにかしら大きなものを感じる。李俊殿には、頼れるものがあるし、花栄殿は信頼できる。そう思わないか、張順?」
「俺たちは、俺たちの上に立っている人間のために、闘っているのではない」
「梁山泊のために、闘っているか?」
「いや、それも違う。心の底を見つめてみると、わかる気がするのだ。誰のためでもなく、自分のために闘っているのだとな」



やがて、「替天行道」を渡された。
石勇は、それに心を動かされたわけではなかった。それを石勇に読ませようとする時遷が、たまらなく好きになっただけだ。



「こわいものは、仕方がない、しかし、このこわさが、いままで俺を生き延びさせてもきたのだ」




「人が考えるより、馬はずっと勇敢であり、同時に感じやすい。それを人がわかってやることによって、傷も癒えるのだ。心の傷の方だが」




「時が、それほど都合のいいものだと思うなよ、林冲。眼の前から消えると、それが無上に大切なものだと思う。その思いは、消えぬよ。若い男と逃げて、死んでしまった妻でさえ、私は忘れておらぬのだから」




負けたと思っている兵に、気を取り直させる時も必要だった。負けたことがない兵は、しばしば負けながらも生き延びた兵より、どこか脆いところもある。



大敗しても、まだ優勢であるというのは、童貫にとっては大いなる皮肉であったが、考える時を作ることはできた。




「私は、私にできるかぎりの戦をやります。それ以外に、いま申しあげることは、なにもありません」
「それでいい」




「わしは、山で朽ち果てるはずだった。夢もなく、恨みや憎しみも呑みこんで、人知れず消えていくはずだった」
「それが、派手な余生になったな、解珍」
「それよ。人生を、もう一度生き直したような気がする。そんなふうに思える人間など、どこにもおるまい」
「羨ましいかぎりだ」




自分たちが恐怖を感じているのは、闘わずに負けることなのだ、丁得孫は思いはじめた。死ぬのがこわいのではない。闘わないまま負けるのが、こわいのだ。




具足を着けるのは、好きではなかった。それ以上に、志というもので心を覆ってしまうのに、馴染めなかった。自分が梁山泊に加わったのは、兄貴分の李俊に従ったからだ。




国の不正を糺そうとするなら、梁山泊にいる者はいかなる不正も犯してはならない。聚義庁が追及をしないのなら、自分が罰を与えてやる。




「宋江殿に傷をつけてはならない。失敗から憎まれることまで、すべて自分で引き受ける。それが呉用殿でもある。実戦の指揮を離れた時から、自分はそれでいいと思い定めたのだろうな」




宋軍の兵にも、家族はいる。殺されれば、当然その家族の心には、梁山泊に対する憎しみが芽生えることになるのだ。




人は、さまざまなものを、克服して生きる。自分が克服しなければならなかった、最大のものは、宦官であったということだ。




無抵抗の人間を斬ることに、阿骨打はいくらか気後れを感じているようだった。これまでも、そういう面を何度か見せている。
言い訳のように、あるいは自分を納得させるように、そういうことをいう阿骨打が、楊令は嫌いではなかった。しかし、これからもっと多くの人間を、殺さなければならなくなるだろう。
新しい国を作るとは、多分そういうことなのだ、と楊令は思った。




人の長い営みも、呆気なく灰燼に帰す。戦とは、そういうものでもある。軍と軍がぶつかり合うのだけが、戦ではない。




戦が好きだった。強い者を相手にして、完璧な勝利を収めるのが、なによりの快感だった。しかし、さらにその心の奥を探れば、恐怖があるのかもしれない。負けるかもしれないという恐怖。死ぬかもしれないという恐怖。
そしてそれを克服した時、はじめて自分を男だと感じることができる。
それは心の奥の奥に潜んでいるもので、自覚することは稀である。自覚したとしても、すぐに心の奥へ押しこめてしまう。



「頼むから、乗って逃げてくれ。生涯に一度ぐらい、女を助けた男になりたい」
「林冲殿」
「俺は、女の命を救いたいのだ。女の命も救えない男に、俺をしないでくれ」




「戦には、経験も必要だが、もっと必要なものがあるのですよ、呉用殿」




「大きな組織になったものだ、梁山泊は。ひとつの国のかたちをなしている。それをなすだけでも、想像を絶する苦しさがあったろう。そのうえ、北と南にも眼を配っている」
「私は、呉用殿のお躰を心配していますよ、いつも。私は戦のことだけ考えていますが、戦をする力が梁山泊にあるということは、忘れまいと思います。その力を作られたのは、呉用殿です」




「罵る相手が、いなくなった。私を罵倒する者もおらん」
林冲と公孫勝は、どこかで認め合い、通じ合うものを持っていた。鈍い自分にも、それぐらいのことはわかる。



以上
またね***


2012年10月1日月曜日

水滸伝十七(食べる読書126)




想いを形にする。



私は、そのために生涯をささげたいと思う。




どれだけ自分の思想が現実化でき、それが人々を成長へと導くか。虚なのか実なのか、この目で確かめたいと思う。マルクスの社会主義は、虚であったのだろう。






闘いが最終局面に入った。



関勝が死んだ。



好きな人物のひとりであった。




董平など、他にも多くが死んだ。




闘いとは違った視点での、局面の推移がこの巻にあると感じることがあった。




魯達と盧俊義が死んだことだ。




この二人は、宋江の「替天行道」を形にし、いまの梁山泊を形にしてきた立役者だった。




この二人が死んだ。




時の移り変わりを感じるし、梁山泊のあり方にも多少の変化があるのだろうと感じる。




0から1にはした。これからは、どれだけ大きくしていくか。その本質は変えずに、だ。その役目はいまの人たちが担うことである。呼延灼、張清、史進、燕青などだ。




魯達たちは土台をつくった。われわれが生きるこの大地に根差した生活を実現するため、宋という国を支える民の中に根を伸ばし続け、組織立ててきたのだ。出発はこの足元にあり、これがそのまま基本であり、王道でもある。




思想を形にするために生涯をささげ、そのために生き、そのために死んだ。




敬意を払わずにはいられない。その健闘をだ。成し遂げたのだ。そして、しっかりと次の人材も育っている。この偉業は、ほかの者では成せなかった。




宋江や雷横とは違った敬意の気持が彼らにはある。




感謝。




以下抜粋


「俺のやることのどこかに、穴があるか?」
「穴などない。しかし、穴は自ら穿つものだ、と考えている人間はいるかもしれん」




しかし、ひとつずつだ。ひとつずつ進めていくしかない。




自分の人生が、自分の考え方ひとつで、意味のあるものになるのだと、心に沁みこむようにわかった。あの時のことは、忘れられない。




実戦がはじまれば、調略戦はあまり意味がなくなる。




「われらはみな、梁山泊の民。いまは、力を合わせて宋と闘っている。やがて、勝つ。私は信じているが、それを見ることはできん。私の寿命が、尽きようとしているからだ。多くの者が死んだ。それ以上に多くの者が入山してきた。激しい闘いは、これからも続く。ともに戦えないのは無念であるが、わが魂魄はこの梁山泊にある」




ひと時の感情で決めるな。あらゆることを考えて、決めるのだ。




呂牛という男の弱点は、自尊心なのかもしれない、と燕青は思った。追いつめられた時、人はそれまで隠していた本性を出す。




「ならば、喋ることのないまま、おまえは毀れていく。喋ってはならないものを抱いたまま毀れるのと、どちらがつらいのだろうか?」




「俺は、志を抱いて生きた。志のかぎり、生き続けたかった。しかし、ここで倒れることになった。楊令、この無念さがわかるか。俺は、すべてを達観して、おまえと語ったつもりだった。しかし、心の底の無念さだけは、語らなかった。おまえに、見せようと思ったからだ」




「志を全うしようと思えば、病んでもならんのだ、楊令。俺は病んだ。腹の中にいる病ごときに殺されるのが、無念でならん」




「子午山で、魯達は自分がむかい合うものと、じっとむかい合ったのだと思う。そういう、静謐な時の中にいたようだ」




以上
またね***


2012年9月28日金曜日

水滸伝十六(食べる読書125)




進化論というのがある。ダーウィンが有名だが、環境に合わせるように、自らが変わっていくというやつだ。他の動物にエサを取られないために、キリンは首を長くした。などなど・・・。



そこには、どう生きるのかも同時に示してもいる。



変化のきっかけは環境が用意してくれ、どう変わるかの選択は自分にまかされているのだ。




この巻は、多くの主だった人が死んだ。



裴宣、柴進、そして袁明。



梁山泊と青連寺。どちらも痛み分けのような形となった。



前者二人の彼らが梁山泊を支え、もう一人が青連寺であった。



ここら辺りから、消耗戦の様を呈してきたようだ。



人が変わるのはこんなときだ。



梁山泊、青連寺ともに、彼らが死んだことでここで終わりということはない。彼らが担ってきたことを新たに担う人材は双方共にいる。



新しい人材は、先人の死により花開く。それは、先人が死ぬことで何かしらを得るからではなく、より厳しい環境に置かれるためである。



これまでと同じように生きていきたいなら、これまでと同じようにしていてはいけない状況にだ。



優しい。とてつもなく優しいと感じるべきだろう。環境があなたに生きろといっているのだ。そのきっかけも与えてくれた。



優しさと厳しさが同居している。決して相いれないものではない。アメとムチでもない。




もっと根本的なものだ。




このことに気づけるかどうか。




そのとき、本当の自分を解き放てる。




梁山泊はこうやってこれまでも人材の質を保ってきた。




青連寺がどう化けるかは楽しみではある。




だが、私は、自ら変化をつくり出す人物となりたい。




以下抜粋


自分がここだと思ったところで、すべての力を出しきる。それこそが生きている意味だと、お互いに思っていることがわかったのだ。それも、大して言葉を交わさずに、わかった。



「戦には、陽動という策がある。陽動と見抜いたら、動かぬことだ。動けば、隙が出る。その隙につけこむための陽動だからだ」



「私は、軍人ではありません。ですから、きれいに割り切ってしまうこともできません。政事はいつも、絶対によいというものを選ぶわけでなく、よりよいものを選ぶということですから」



「梁山泊が、どういうところかわかっただろう。そして、ここに留まるべきかどうかも、そろそろ自分で判断できる。人はやはり、人生において、自分で選ぶ時というものを持つべきだ、と私は思っている」



「だとしても、一度だけ訊いてやれ。親が自分に選択させてくれた。後になって、そう思えることは大事だと思う」




「大きな企てばかりを考えすぎていた、とふと思ったのだ」




「人間は、そんなふうに思いがけない自分であることもある。私は、自分を眺めて、おまえよりもずっと愉しんでいる」




縁は、できるだけ躰から振り落としておく。それが、この仕事では大事だった。ちょっとしたひっかかりが、失敗に繋がったりする。



商人が、志などに惑わされてはならない。それは当たり前のことだった。




「梁山泊に加わった時、血などなんの意味もないと悟った。人には、志というものがあると知ったのだ。それは、躰を流れる血ではなく、心を流れる血だとな。私が、晁蓋殿や盧俊義殿に会ったのは、梁山泊ができるずっと前で、私はその時から、加わったと思っているのだがな」




「ありがたいと思え。人にはそれぞれ定めがある。おまえは、悲しい思いと同量の、喜びを与えられている」




「いい思いはした。滄州に居続けていたら出会えないような友に、何人も出会った。なにより、私は自分がやるべきことを見つけて、生きることができた。生まれながらの金持ちであり続けなくてよかった」




「求めるものがあって生きていたのではない、という気がする。どうでもいいことの中で、ただ死に行く人の姿を見ていた」




自分の心の歪みを見つめる、もうひとりの自分もいる。




「男はのう、いい女を見つけたと思いこむと、執着する。無様なほどにな。いい女など、惚れた本人がそう思えばいいことだが、そばで見ていて、嗤いたくなることがある。本人だけが、いい女だと思いこんでおるのよ」




「好きな時に、私を好きなようにできる。私はあなたの身の回りの世話をし、あなたの愛を一身に受ける。私の夢だったのです。それが実現できるのかもしれないのですよ」




「あの、燕青か。梁山泊には、人材が揃っておるな」
「ずいぶんと欠けましたが」
「新しいものを作ろうとすれば、仕方のないことであろうよ」
「ですな」



「いい国を目指せ、公孫勝。梁山泊が、そうやって闘えば、宋もまたいい国になる」




「楊雄、私はこれからの青連寺のありようで、宋という国の懐の深さがわかる、と思っているのだ。李富や聞煥章が残っている、というだけでなく、どういう変わり方をするかまで含めてだ」




「俺は、それを否定しない。俺は梁山泊の人間だから、梁山泊に有利になる話しかしないさ。それが女真族のためにもなる、と判断するのは長老たちの仕事だ。そして、ここにはもう俺の仕事はなくなった」




悲しみを、人に知られたくなかった。それを人に知られるだけで、濁ったものになるような気がした。胸が張り裂ける思いは、実は大事なものなのだとも思った。





以上
またね***


一枚の葉

 今、私は死んだ。 そして、その瞬間、自我が生まれた。 私は、一個の生命体なのだ。もう死んでいるのだが。 死ぬことでようやく自己が確立するのか…。 空気抵抗というやつか。 自我が生まれたが、自身のコントロールは利かず、私はふらふらと空中を舞っているのだ。  私はこの樹の一部だった...