2012年3月18日日曜日
黒田官兵衛(食べる読書83)
「好きな人」と一言でいってもその「好き」にはいろいろな意味があるだろう。
身の周りの人は全員好きなはずだ。だからこそ彼らと何かしらの関わりをもっているのだろう。
同じ友人でも、自分とは違うタイプでその発想だったり言動が魅力的な人、逆に自分と似ていて愛着があるという意味で好きな人、また、どうやっても自分はかなわないというある種の憧れをもっての好きな人などなど…。
それは身近な人だけではないと思う。歴史上の人物に対しても似たような感情を抱いているのではないだろうか。
わたしにとってソクラテスは恐れ多くて近寄りがたいが目標でもある人物。
デカルトはその生き方が参考になる人物。
ニーチェはその鋭い洞察力に脱帽する人物。
ブッダは夢実現の道筋を示してくれる人物。
織田信長はカリスマで憧れの部分が強い人物。
豊臣秀吉は愛嬌という意味では少し似ているが、その中にある現実的思考は私は乏しい。そして、底辺から天下まで上り詰めたその心の強靭さはお手本となる人物。
そして本書の黒田官兵衛は、どこがというわけではないがとても私と似ていると勝手に思っていて、それでとても愛着がある人物である。
とても有能で秀吉が天下とれたのも官兵衛がいたからじゃねえかぁ、と思うが、戦国武将なのにどこか抜けているような気がしてならない。たいていの戦国武将とは違う人生を歩んでいるからじゃないだろうか。
たとえば、義を重んじたために死を選んだといった美談はない。
なんとなく間抜けなんだよな。
群雄割拠の時代、各武将はうまく立ち回らないといけない。誰につくかといったことにあくせくしていて、まわりの武将との駆け引きなどに最も気を使った武将が多いように思う。それは、戦国時代という特有な時代で生き抜くには必要な能力だろう。いつ変わるかわからない世の中の流れ、つまり動きを読み、そこで自分はどうするか決断する。この流れを的確に読む力と適切な判断力・行動力が勝負の時代であった。
そんな時代の武将でありながら、官兵衛が直面する事柄が、そこから外れているように思う。
たとえば、この本でも描かれてるが、土牢に長いこと閉じ込められて命の危機に直面する。戦じゃねえのかよっ!!!
これも戦のうちといわれればそれまでだが、なんとなくハングリーさを感じない。
信長や秀吉のように目的達成のために何が何でもやってやるう、といったものは感じない。ただ、淡々とこなしているだけのように見える。もちろん能力があるからそう見えるだけなのかもしれない。
たぶん、戦国時代に生きて、他の武将とは違うものを見ていたのではないかと感じるのだ。
幕末に坂本竜馬が他の人とは違うものを見ていたように。
だが、官兵衛が竜馬と異なるのは、どう行動すればいいのかまでは見えなかったことだと思う。あるいは、秀吉に天下をとらせるのがその答えだったのかもしれない。
少なくとも、自分がどうにかしようとは思ってなかったようだ。おそらく、そこまで自分の心が耐えられるほど強くないと感じていたのかもしれない。
そういう自分の能力のなさが見えるという部分も、自分と重ねてしまう。
大事なのは戦ではない。そのあとに何を築くかだ。こう考えていたのではないか。その創造の能力は自分にはないとわかっていたのではないか。
秀吉も恐れたその能力。
だが、その能力は戦時でしか発揮できないとなんとなく知っていたのではないかと感じる。
でも、本能寺の変で信長が死んだ時に秀吉に言った言葉を考えると、やっぱりこいつ人の感情を察することができないから、そこまでは考えてなかったかな。とも思ったりする。
この場面での言葉もなんか間抜けなんだよな。たしかにこの言葉で秀吉は天下をとれたとも思うが、それと同時に自分のくびまで絞めちゃったからなあ、官兵衛は…。
本書の官兵衛はよかったです。どことなく自分自身を客観的にみているような口癖だったり、そこにちょっとしたユーモアを混ぜたり、自分に対する皮肉を入れたり、官兵衛らしいなと感じた。おもしろかったです。この小説は好きです。
以下抜粋
「いくさの絶えぬこの世を生き抜いてゆくには、智恵を使わねばならぬ。しかし、いかに智恵を持とうと、それだけでは役に立たぬ。手足となって働いてくれる、よき郎党が必要じゃ。わしが腕のたつ男どもを集めるのに、こうして汗を流すのはそのためぞ」
毛利に報奨を約束させて小寺の力を探りにきた、と考えたらどうだろう。
世の乱れに乗じて跋扈する流賊どもとて、頭を使わねば生き延びられぬ。目端のきくものは、脅し、殺して奪うだけの商いの先行きに見切りをつけ、国の盗み合いに血道をあげる大名たち相手の商売に切り換えようとしている。
「人は縁あって結ばれるものでござる」
神仏であれ人の運であれ、すがる先を見つけた者たちは、余計なことは考えない。ひたすら戦いに勝つことのみを念じ、八つ半過ぎ、青山を占拠する赤松軍に襲いかかった。
秀吉は眉をしかめたくなるほど抜け目がない。おそろしく頭が回る。官兵衛も人より頭が切れるほうだけに、これがよくわかる。しかし、頭が回るだけの男なら唸りはしない。感嘆するのは、秀吉が見事に演じて見せる人間としての隙である。
<合戦に明け暮れる世をいくさ稼業で生きる者が、いまさら考え込んでみて何になる>
命にかかわる大事を漏らしてくれた、おのれへの信頼の厚さが嬉しかった。ただの好人物としか見ていなかった舅の、骨のある姿勢が嬉しかった。さすが、わが妻のおやじ殿でござる、と声を掛けたい気持ちだった。
「官兵衛が織田を裏切るような男ではないと信じていたゆえのはず。つまり、あやつは頭が回るだけではのうて、人にそう思わせるだけのものを持った男、妙に人から好かれ、信じられるものを持った男なのでござる」
男も女もみな世間の常識を後生大事にしている。茅は違う。彼女だけの理屈があり、それが正しいものと信じきっているようだ。
彼を嫌うのなら仕えるのをやめればいい。命を惜しみ、領国を惜しむがゆえに仕えるのをやめられぬのなら、それはおのれが非力だということだ。つまり、嫌いだと言いながら仕えることは、おのれの非力を認めることなのだ。郎党にそんな惨めな自分を見せるわけにはいかない。
秀吉が只者でないのはこれだ。いったん決めたあとの行動が実に素早い。まるで嵐のように家臣たちに矢継ぎ早に指示を出し、おのれも先頭に立って走り回る。しかも、出す指示が的確であり、かつ、それが無駄にならぬものを選び出す眼力も備えている。
官兵衛はこうして秀吉を見て、いつも思う。智恵を出すだけの者なら世間に存外いるものだ。しかし、ひねり出した智恵をこれほど素早く役立てようとして走り回る男は、ほかにおるまい、と。
以上
またね***
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