2012年6月4日月曜日
水滸伝四(食べる読書100)
”いま、未踏の大地に立っている。
此処がどこなのか。
何もかもが知らなさすぎる。
だからこそ良い。
この清々しさを感じさせるのは、何も知らないがこの大地を支配してやろうという気持ちだ。”
この第四巻では後々梁山泊にとって大きな存在になる人物と次々に出逢っていく。
李俊、穆弘は宋江と出逢うことで本当の自分になれた。
”己のいるところを理解していないなら、あなたはあなたではない。
最も身近なあなたを支配していないなら、あなたは存在すらしていない。”
宋江は国を見て回る旅の途上だ。その途上で多様な人と出逢うし、新たな国の現状を知ることで、改めておのれの志の在り方を見直す必要が出てこよう。
いまの梁山泊がいるところはどこなのか把握しているだろうか。その場所を決めるのは、宋江だ。みんな「替天行道」を読んだ。感動した。それが単なる宋のアンチテーゼであってはいけない。
「替天行道」のような存在でなければならない。
宋という国の中にあり、「替天行道」を成すとはどういうところにいることになるのか。
新たな国であることではあるが、そうなるまでの道筋はどうだろうか。どうしたらそれが可能か。
やらねばならないことはあまりにも多く、成すべきことはあまりにも大きい。
だが、いま、確実に梁山泊の雄志たちは未踏の大地を支配する闘いの真っただ中にいる。
ありがとうございます。
以下抜粋
雷横という将校には、しっかりとした芯のようなものを感じた。権力にむかってくる、心意気のようなものと言ってもいい。どんな質問にも、たじろがなかった。いい眼をしていた。ああいう男が、権力に牙を剝いてくる。それは、権力の持つ宿命でもあった。
唐牛児へのやり方は、最後の段階になっていた。なにを訊いても、即座に答えられる。そういうふうにしてしまう。唐牛児の頭の中には、こちらで作った話が、真実として刻みこまれるのだ。唐牛児は、すでに自分が喋っていることの、どこが真実でどこが押しつけられたものか、区別がつかなくなっているはずだった。そして、喋っていることのすべてが、真実だと思いこんでもいる。細かいことを質問し、それに答えることで、その思いこみはさらに強固なものになるのだ。
生き残った者は、死んだ者には、なにひとつしてやれぬ。それが、生きることの悲しさのひとつだと、私は思う。
「隊長は、なぜ調練のあとに、俺たちとよく話をしたのです。俺たちの心に、志というものを植えつけるためだったのではないのですか。ここにいる者のほとんどは、字も読めない。それでも、なにかを得ることはできた。自分で読むよりも、ずっと豊かに」
「国に対する思い。おまえがそれさえ忘れなかったら、なにをやってもよい、と私は思う。自分を苛みながらでも、おまえはそれをやり遂げるはずだ、李富」
「私の立場に、知県は頭を下げた。やましいところがあったのだろう。なければ、私など相手にしない」
「たとえば、民の姿。それをまとめる、役人の姿。この国は腐ってはいるが、しかしまだ強いな。大きな城郭には、私の触れ書きがある。そんなものを、短い時間に全国に回すだけの力が、役所にはある。それひとつとったところで、われわれにはできないことだ」
「時にはすべてをひとりでやる。それも、男というものだ」
いまの世、分別が命取りになることもございましてな。
やがて土に還ろう。そう思った時、人は孤独ではなくなります。
なぜ国を覆すべきなのか、それは言える。しかし、ひとりの人間に、それは意味を持つことが少ない。自分の問題と、国を覆そうとする行為が、どうやれば結びつくのか、ありきたりの説明しかできないからだ。
人民をすべて灰にする。政事にとっては、それが最もいい方法だ。
すでに、秋(とき)は待つものではなくなっていた。自ら選び取るものになっているのだ。その決断を晁蓋はいましようとしていた。ひとたび闘えば、それは勝利の時まで続けなければならない。
すべてが見えている、というはずはないのだ。すべてが見えていれば、賊徒などは生まれない。
「梁山泊は、官軍全部を相手にしている。いや、この国をだ。おまえは自分の心に従って生きていると言ったが、それが許される場所でだけだろう。自分の縄張りと言うぐらいだから、そのあたりにいる男より、いくらかは広い場所を持っているのだろう。しかし、そんなものがなんになる。所詮、役人や軍の眼を逃れ、こそこそとなにかやっているだけではないか。縄張りと言うなら、このあたりから役人も軍も全部追い出してみろ」
自分には、軍略があるわけでもなんでもなかった。志だけがある。その志で、人と人を結びつけることだけはできる。
「志だ世直しだなどと私は言っているが、ひとりの女を、きちんと生きさせてやることさえ、できなかった」
自由に生きてきたつもりだが、いつのまにか自分には枷がいくつもかけられている、と李俊は思った。
「そこからして、われらとは相容れることができないのだ。自分は駄目だというところから、われらは、いや少なくとも私は、出発している。自分が駄目だと思っていない人間とは、本当は話し合える余地はなにもない」
不意に、李俊は全身がふるえるのを感じた。これが、ほんとうにやりたいことだった。いままで、いろいろなことをやってきたが、こんなふうに躰がふるえたのは、はじめてのことだ。役人の裏を搔いて塩の密売に成功した時も、昔は思ってもいなかった大きな屋敷を建てた時も、終わるとなんとなく違うと思ったものだった。
どんなやり方でもいい。上から押さえつけてくるものを、撥ねのけたかった。こそこそと、その力をかわしながら、銭を稼いだりして、喜んでいたくなかった。上から押さえつけられることが、なにより嫌いだったのに、なにがほんとうに押さえつけてきているのか、見ようとしてこなかった。
いまは、それがはっきりとわかる。自分を押さえつけていたのは、役人などという小さなものではない。この国そのものだ。なぜだかわからないが、いつも国というものが重圧をかけてきていた。
国を、ぶち毀してやる。国など、ない方がいい。ぶち毀してもぶち毀しても、国は新しくできるのだろうが、それもまた次々にぶち毀していけばいい。宋江の言う志は、国をぶち毀すための方便ではないか。
国をぶち毀すために、という目的だけで、宋江とは確かに手を結べる。替天行道という言葉にも、意味はある。
できるかできないか考えれば、なにもできはしない。
決めていた。決めると、もう迷わなかった。喧嘩では、迷った方が負ける。
民に紛れるというのはこちらのやり方だが、支配するというかたちを取った時から、相手側の方法になってしまうのだ。
人が生きる意味は、さまざまにある。喜びも、一色ではない。それがわかるようになった。軍人として、恥じない生き方をしようとだけ考えていたころが、嘘のようだ。
大して強くもなく、果断でもない。迷いが多い人だが、不思議に押し包まれるような気分になる。俺にとっては、そういう男だ
「いや、宋江殿や晁蓋殿こそ、志の人なのだ。そしてわれらは、その志にすべてを預けた。われらにできることは、志を実現するために闘うことだけだろう」
「自分が駄目だと思っている男の方が、駄目ではないと考えている者よりずっとましだ。人には、どこか駄目なところがあるものなのだからな」
「おまえたちは、江州から全国への飛脚を、命をかけてやっているのだろう。わたしもまた、命をかけて江州まで来た。肚の底まで語り合わなくて、どんな意味がある」
泳げない。それでも、舟に跳び乗った。そして、張順に飛びかかった。それが李逵という男だ、と宋江は思った。笑いたくなるようなことではあるが、常人にできることではなかった。
以上
またね***
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