2012年8月16日木曜日
水滸伝十(食べる読書116)
これぞという人物はそうそういない。これが現実。
自分がそういう人物であるかといわれれば同じくらいそうそうない。
この巻全体は、呼延灼を梁山泊へ引き込むために割かれた。
それほどの人物である。実際、官軍として一度梁山泊軍に完勝している。
相手の心を摑む。これが常套手段。そのためには、今の相手の境遇を調べ把握する必要がある。
そして、心が決まるスイッチを押すのだ。
そういう調略は魯達にあっているのだろう。いつのまにか、そういう役回りになっている。まあ、初めからか…。
美しい部分もあれば醜い部分もある。人の生きる姿がそこに見える。
醜い部分には打ちのめされるが、美しい部分には奮い立たされる。そんな反応をしていたんじゃあ、なんにもならないが…。それらを淡々と受け入れ、己の道を進める人物となりたい。
以下抜粋
「土地や屋敷で、男は生きるものではない。人は、土地や屋敷にはついていかんからなあ。見ろ、なにもない俺にでも、ここにいる者たちはついてくる」
汚れていない。それだけに、優れた上官には影響を受ける。
「誰でも、自分の時代が来て欲しいと思う。そういうものだぞ」
「凌振よ。人はいつでも、なにか違うものをいくつも抱えて生きておる。俺は、戦がなくなればいいと思っているが、同時に戦が好きでもあるんじゃ。それが矛盾すると言うのは、人間が一面しか持っておらぬと青臭いことを言っているのと同じじゃ。百年、二百年あとに、戦がない時代が来るなら、俺は、いまだけ戦を愉しもうと思う。それが、人というものではないかのう」
自分が理解できないことについては、拒絶することはない。認められるものを見つけようとする。そういう男だ
死の淵を歩き、片腕をなくした。死ぬ時は死ぬし、死にたくても生き続ける者もいる。いま生きている自分を見ると、そう思うしかなかった。生かされている、などと大それたことも考えなかった。死ぬまで思ったことをやり、死ねばそれで終わりということだ。
志は心にしっかり収いこんでいるが、日々は気楽に、愉しく過ごしたかった。命をかけることでさえ、愉しみたいと思っている。
怒りや悲しみやむなしさや諦め、そういうもののすべてを心にしみこませながら、しかし、なんでもないことにこそ心を動かす。
自分にない愚かさを見ていたのだろう、といまは思っている。いろいろなものに抗いながら、生真面目に生きてきた。だから抗わなければならなかった、とも言える。愚かさは命取りだ、と思っていた。堅苦しい生き方だったのだ。志まで、それに加えた。
役人に対する憎しみだけが、二人からは消えていなかった。それが、梁山泊と結びついている。志を声高に叫ぶ者より、むしろ役に立つことが多い。
それでも耐え続けながら、のしあがろうとするのが男だ。怒りにまかせて、博奕に手を出すのは、もともと駄目な人間だからだ。そう言うのは、たやすかった。
しかし、人とはそういうものでもある。強い人間の方が、むしろ少ないのだ。
自分の悪口も言われているだろう、と魯達は思った。聞いてみたい、という気もする。腹を立てるほどの悪口を言えるなら、張青も捨てたものではない。
酔うと、張青の悪口は露骨になってくる。もしかすると、弱い者に対しては強く出るようなところもあるかもしれない、と魯達は考えはじめた。
宋江には生まれ持った胆の太さがある。豪傑というようなかたちでそれは出てこないが、決断する時は、晁蓋も驚くほど果敢だった。
自分は死ぬのだろうか。ふと、思った。やりたいことを、力のかぎりやってきた。しかし、まだやり足りない。生ききってはいない。夢は、これから拡がるのではないのか。
死ぬかどうかなど、誰にもわかりはしない。ただ、もういいと思うことはあるだろう。
まだだ。これからだ。いまは、そうとしか思えない。それでも、死ぬ時は死ぬ。人にとって、死ぬとはそういうことだ。
「それこそ、戦よ。劣勢の時に踏み留まり、反撃の機を摑むのが戦。呉用、ここは腹を据えよ」
「夢にすぎなかったものが、近づいてきた。すると、どうしようもなく、重たくなってきた。こんなはずではなかったと、しばしば考えるぞ」
これが、死というものなのだ。そう思い続けた。こわくはなかった。安らかな、命を休める場所が、死ではないのか。
「人には、闘うための理由がいるのだ。軍人であるとかということとはまるで違う。人間らしい理由が」
「そんなものは、持っている方がめずらしい。やむを得ず闘う。それが人間なのだと、私は思います。志などと言うと、戦がきれい事にすぎるという気がします」
「死ぬことは恐れるな。しかし、無駄で愚かな死は、禁じる。調練は、これまでより厳しい。生き残るために、苦しい思いをすると思え。俺は、双鞭と呼ばれている。嫌いなのは、二度同じことを言わされることだ」
以上
またね***
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