「道徳的に善良な作業を行うことは個人的な事柄であり、もし公にされるならば、その良さを失ってしまう。」
するどいな。
これは人間の尊厳と深くかかわっているのではないかと思う。人間が憲法・法律を作るのであって、憲法・法律が人間を創るのではない。
だからこそ、法律は人を裁けるのではないか。社会的悪行は、その社会を否定する部分をいくらか含んでいる。貧困から窃盗犯罪増加など、その犯罪に至る経緯は正確には把握できないが、確かに犯罪に至る背景はあるし、社会的要因は必ずあるだろう。だからと言って、社会が悪いというわけではない。道徳のある人が犯罪者を裁くのではなく、法律が裁くことによっていくらか、たとえひどい犯罪を犯したとしても、裁かれる人の存在というか、その人のすべてを否定されることから逃れられる。ほんの少しでも自分の人間的なものが保証される。社会的に抹殺されようと、それより深い部分までは侵されない。
逆に、法律が裁かなくても自殺を選ぶ人はいる。信頼してた人から裏切られた、恋人に振られたなどなど、客観的に見たらたいしたことないように思えるが、その出来事はその人の全存在を否定することにつながるのだろう。そして、物理的にもそうなるよう実行してしまう。
”法律の前ではすべての人が平等”。よく言われる言葉。裏を返せば、個人的人間関係は、すべて同じではないということ。だからこそ、人間は、公平な判断はできない。でもそれがいい、というか、法律という発明品によってその短所を補えている。人間的な長所を犠牲にすることなく。
逆説的だが、人が人らしく活きるために、人をすべて一律同じとみなす法律がある。結構こういう反対のものが補完し合っているという状態が多い。陰と陽みたいな。物理的にいえば、作用・反作用かな。ちなみに、作用・反作用の法則は、一つの直線上で起こる。つまり、一つの軸上にあり、反対の方向を向いてる。これを二元論というみたいだけど、ことはそう単純ではないと思う。確かに、軸をとらえれば本質はつかめるだろうが、その軸というのも、見方によって形が違って見えるため、ほんとに同じ軸上で考えてるか確かめにくい。これが現実ではないかなと思う。
以上より、個人的言動と社会的言動(仕事人としての)を区別できる人は、世の中を深く理解してると言っていいのかもしれないな。
個人の長所が、公になることでレイプされることのないようにマスコミの皆さんは気を付けてください。
以上
また、明日***
2009年2月24日火曜日
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