2011年8月10日水曜日

AKB48とAAA

個人的にAAA(トリプルエー)はもっと売れるグループと思っている。


なぜなら、グループのコンセプトがかなり練られていて完成度が高い。しかもなんといってもエンターテイメント性はずば抜けていると感じる。メンバー全員がプロ意識が高い。エイベックスのそれまでのグループとは一線を画している。



しかし、ここ最近ダントツに売れているのはAKB48だ。



メンバーはいろんな事務所からの寄せ集め、特に歌や踊りがうまいというわけではない。でも売れている。




多分、「会いに行けるアイドル」というコンセプトが今の時代に合っているから。




そして、それは総選挙などで推しメンの今後の活動に間接的にしろ自分の応援が左右する。




そこには自分とあの娘のストーリーを一緒に作っていく場がある。




主体と客体が交互に入れ替わることで織りなす物語。




一方、AAAは完全に主体と客体が分かれる。




お客はグループの創るストーリーを観て楽しむ。そこにはお客を楽しませる要素がふんだんに盛り込まれている。




お客はライブで一時の夢を見、そして明日は自分の世界へと戻る。




AKBのお客は、ライブに行かなくてもメンバーとのつながりが日常生活に溶け込んでいる。あるいは、ライブが身近になったことでライブが日常的になった。つまり、私の生活はAKBに彩られる一面がある、ごく当たり前のように。



AAAはやはりかなり敷居が高い。身近にはなかなかなれない。むしろ身近じゃないからこそのAAA。
だからかなりの技術が要求される。お客さんを楽しませるにはそれなりのものが必要。




だからといってAKBが楽しませる努力をしていないわけではない。だが、そんな彼女たちが到達する踊りや歌のレベルはそこらへんの女の子が頑張って努力して到達できるレベルのものだ。それがまた魅力の一つにもなっている。ファンはそんな彼女たちの成長を観ることができるからだ。それもストーリーの一部。




以上のことから、今の時代、人々のエンターテイメントとは自分もそこに参加することに見いだされる楽しさなのだろう。もちろんたったこの2グループを比較しただけで今日の人々の一面を語れるわけではない。




だが、これまでのビジネスモデルが通用しなくなってきたことの一例として意味はあると感じる。




以上
またね***




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