あなたは人生を味わっているだろうか。
どんな味がするかは自分が食ってみないことには分からない。
人生で何をしたい?そのしたいことを味わってみたらどうだろう?
本書は著者が100のリストとともに送った半生を記した一冊。
一人の人間の半生をともに味わえる一冊。
とても人間らしい、人間臭いとでもいおうか、単なるきれいごとだけではなく苦しみや悲しみなどもそのまま記しているのがとてもいいと感じた。
人生を豊かにするちょっとした工夫が“100のリスト”かなと感じた。
以下抜粋
彼はこのリストを大学時代に作成し、三十年かけてすべて達成したのだ。
「根源的な痛みを感じ、理解し、浄化することによって、我々は初めてその呪縛から解き放たれ、本来の自由で生き生きとした自分を取り戻すことができる…」アーサー・ヤコブの言っていたことがやっと理解できたような気がした。心をオープンにすることによって、過去の自分と現在の自分が歩み寄り、融合していくのを感じた。本来の、自由でエネルギーに満ちた自分がぼくの元に戻ってくるのが分かるのだ。
「エグザイルス」という空間そのものが人をオープンにさせる、特別な雰囲気をもっていたのかもしれないが、こういう環境にいると、人間を測る物差しというものがいやおうなく変わってくる。人を偉い、偉くない、有名、無名、勝ち組、負け組などと判別することがいかにバカバカしいことか、肝で感じるのだ。人はやはり中身だ。格好良い奴は、何をやっても格好良いし、格好悪い奴はどんなに偉くなっても格好悪い。
確立された社会から逃げ出したかったのだ。・・・。
このままこの国にいても、自分の可能性を追求することはできないだろうし、ズルズルと型にはめられてしまうのがオチだ。自分の個性も、エネルギーも、夢も、創造力も、すべてが日々の繰り返しの中で摩耗してしまう。自由にやっていくにはここでは駄目だ。脱出しなくては、と本能的に感じたのだ。
そしてのんびりやりながらも、自分の可能性を真正面から追及していくことができた。
「人は一度逃げ出すと、一生逃げ続けなくてはならない」と誰かが何かの本に書いていたが、これは一度祖国を逃げ出した人間にも当てはまる言葉かもしれない。国を離れ、長い間海外で生活していると、本当の意味で「帰って行く場所」がなくなってしまうのだ。少なくともぼくの場合はそうだ。不思議な浮遊感が心の中に芽生え、次はどこへ、次はどこへと、まるで逃亡者のような心持で人生を歩んでいくことになる。
人間、仕事や家庭や日々のルーティーンといった日常生活の諸処から解放され、何もない空間に身を置くと、日々忘れていた、または忘れようとして潜在意識にしまいこんでいた深い感情や幼い頃の思い出、痛みや怒り、闇や孤独、そして未知なるものへの普遍的な憧れといったものをふっと思い出すときがある。そういうときこそ我々はそれらをもう一度しっかり見つめ直し、自分との折り合いをつけていかなくてはならない
彼は夕暮れ時の光に洗われた砂丘の中に姿を見せた弟に向かって話しかけ、悲しみや喪失感や孤独といったものが湧き出てくるのを感じ、泣き、心が静かになると、太陽が砂丘の向こうにゆっくりと吸い込まれていく光景を目にした。そして、急に軽やかになった心で、過去を消し去ることは不可能な事だが、過去から自由になることは限りなく可能に近いことだということに気づく。
リストのいちばんの成果は何と言っても、やりたいことを思いついたまま書くという行為を通して、ぼくが生まれて初めて自分と向き合い、将来について思いを巡らせたことだ。
行きたい場所だけでなく、人生そのものを舞台において、やってみたいことをいろいろと考え、それを達成する自分を想像する。できるできないは別として、夢を追っている自分の姿を思い描くことそのものがぼくにとっては楽しい遊びなのだ。そしてもちろん、そんな夢を成し遂げることができたらできたで、未来に対する思いはぐっと膨らみ、自分に対する自信にも繋がる。やろうと思えばなんだってできるじゃないか、という前向きな気持ちになれるのだ。
以上
またね***
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