を観た。
結論として、
情報だなあ。大事なのは。
と感じた。
何かがいる。だがそいつに関して何にもわからない。初めてだし、こんな奴いるのかとそいつに遭遇しても否定したくなるようなやつ。唯一わかるのは、そいつは人間を襲い、霧の中にいる。そして、霧の中で我々はそいつの居場所を感知できないが向こうはどうやらそれが可能のようだということ。
たとえば潜水艇のソナーのように相手の居場所を把握できるのであれば何かしら手は打てる。我々人間はそれを主に視覚に依っている。よって、相手のそれを奪い自分のそれを活かす状況に置けば勝負は決まったようなもの。
つまり視覚を奪われれば人間は生物学的に一気に不利な環境へと突き落とされる。
それが絶望へとつながる。
また、初体験の相手なのでどういう動きをするのかわからない、未知な部分が接近戦となったとき動きを鈍くする。予測できないのだ。それも大きい。だから、対抗できない。
そんな、今直面していることに対して無知な状況。いかにも絶体絶命のように思えるが、必ずしもそうではない人間がいたりする。
いや、彼(彼女)も絶体絶命に変わりはないのだが、人間は集団性の生き物であることを利用するという視点を持っている。
この映画で出てくるキリスト教信者の女性のように。また、20世紀前半当時不況下にあったドイツで台頭してきたヒトラーのように。まったくどうすればいいのかお手上げの状態、そこに解決策、あるいはこの状態のことを知っているぞ、と集団に訴える。大多数が無知の中で一人だけが知っている。その時、いやまさにこれこそが“マジック”の条件。
つまり、世界制覇を成そうと思うなら、この約63億人の人間たちが無知でかつそのことによって彼らの存在が危うくなる「何か」について自分一人だけ知っていればいい。そして、彼らの問題を解決していくことで、自然とあなたは神にも近い存在へと押し上げられる。
だが、この情報の不均衡はだれもそれの妥当性を確かめられないという条件のもと働いている。簡単にいえばただの勘違い。だから、まったく現状の問題解決には一歩も進んでいない。
そんななか、主人公たちは新たなほかの情報を得るためというより、現状では先が見えているため希望と言うには本当に弱すぎるが、決死の行動をとる。もちろん死を覚悟の上だ。だが、あまりにも無謀ではあったしそのほうが可能性としては高かったのだが、ついに死を選ばざるを得なくなる。そして・・・。
最後は観ててしんどかった。まじかあ・・・。
どうすればあの状況で生き残れたのかを考えてしまう。すこし視点が足りなかったのか?もっと多面的に現状を把握すればよかったのか?政府の対応や軍の対応なども視野に入れて行動すべきだったのか?などなど・・・。
まあ、昨日の夜観たのだが、今朝はばっちり何かに追われる夢を観ました♡
影響受けまくりだろっ!!!
以上
またね***
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