2011年9月20日火曜日
人を動かす「韓非子」の帝王学(食べる読書56-1)
「荘子」、「孔子」、「孫氏」、「韓非子」、「老子」、西洋では「プラトン」、「アリストテレス」など、偉大な古典は多くある。
時代も場所も違えば、価値観も異なる社会の人が書いた古典をなぜ人は読むのか。
何千年の時をこえて存在し続けてきた古典。だからこそ普遍的な内容が記されていると思い、読む。
腑に落ちないのは、こんな偉大な人たちがいたにもかかわらず、いまだにこういう古典の内容を人々は実社会で身につけていないのではないかということである。
だから、何千年も存在し続けることができた。
少し疑いを持っていうと、もともと人間にそんなことはできないのではないか。できないことをいかにもできるかのように見せる。ちょうど、目の前にニンジンをぶら下げてロバを進ませるように、我々は古典というニンジンに踊らされてはいないか。
この視点に答えが詰まっているように感じる。
人間は想像の生き物だということだ。古典の内容を自分の現状にあてはめて、解決策を見出す。そこには想像力がフル稼働している。そして、自分の人生を創造していく。
つまり、古典は実践的ではない。ただ、夢を見せ続けるだけのもの。ただし、人類が生き続ける為の夢をだ。
だから人は決して事実を見てはいない。その事実に対する解釈を見ているのだ。
本書は、「韓非子」の各篇を著者が解説する形をとっている。その解説は著者の経験に基づくもので、実践的である。が、たまによけいわからなくなったりする個所もある。
人によって解釈は異なる。だからこそ一筋縄ではいかない。同じ古典を読んでも受け取り方は千差万別。だが、少なくとも価値あるものとほとんどの人に思ってもらわないと古典であり続けることはできない。
そういう意味で、古典はそのままで読んだ方がいいと感じた。誰かの解説が入っていると、偉大な偉人の思想ではなく、その著者の思想を知ることになるからだ。
古典を実生活でどう活かすかという視点ではこういう解説された本は役に立つ。
to be continued・・・
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