努力論 (岩波文庫)
「自ら責めるということほど、有力に自己の欠陥を補いゆくものはなく、自己の欠陥を補いゆくことほど、自己をして成功者の資格を得せしむることのないのは明白な道理である。また自ら責めるということほど、有力に他の同情を惹くことはなく、他の同情を惹くことほど、自己の事業を成功に近づけることはないのも明白な道理である。」
自分を責めるという行為。ここに注目したい。
なぜ自分を責めるのか。ここで、幸田露伴はその先に成功があることを示している。
向かうべきは成功という目標。というか、向かってる時点で今の自分は成功者ではない。
じゃ、どうすれば成功するか。欠陥を補えばいいと言ってる。つまり、身につけるべきものを身につければいい。
自分を責めるということは、目標達成するのに身につけなければならないものを身につけること?
ここで、文法的に見ていきたい。
「自分を責める」
主語がない。責める対象は自分。
責めるという動詞。意味:1、とがめる、なじる。2、しきりに要求する。3、苦痛を与える、痛めつける。
この引用文は幸田露伴の「努力論」から。約百年前に書かれた。
責めるという意味。あえてこの三つの意味をすべて採用してみる。
1、何をとがめるだろう?成功できなかった自分かな。
2、何を要求するだろう?成功すること。
3、苦痛を与える。何のために?成功するためかな。
うん。
自分を責めるというのは、目標達成に向けての何か具体的な行動ではない。が、成功できなかった自分を直視し、それでも成功を要求し、そのために負荷を与える。
モチベーションを高める行為。
だが、自分を責めるという行為自体が何か成功のための訓練のような気もする。
なぜなら、そこに集中という概念を見出すから。
考えることはひたすら自分と成功。自分と成功。そしてそれが、一致していく。
他のものは排除して、自分と成功に焦点を当てる。この時点ですでに集中している。で、その対象も一致していく。
集中が、より多くのエネルギーをより小さな対象に向けるということなら、自分を責めるということはまさにそれだ。対象自体も集中していく。
結論:「自分を責める」ということは、目標達成へと突き進む際のモチベーション維持のため、継続的に行う必要がある。また、その行為自体、成功には必須の集中力を養う場でもある。
明日は、なぜ「自己を責めることが他の同情を惹く」ことになるのか考えたい。
努力論 (岩波文庫)
以上
また、明日***
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