「私有のないところに不正はあり得ない。」
真理だなあ。
これはロックが書いた言葉。
で、考えてみた。私有とは何か?不正とは何か?
私有の前提条件として、自己と他己の区別が可能。つーことは、自己の範囲内にあるものを私有と呼ぶと考えられる。
不正の前提条件として、何らかのルールがあると考えられる。で、不正とはそのルールから外れることだろう。
なるほど。つまり、人が自分というアイデンティティーを確立したその瞬間から不正の芽も生まれるということか。
人が自己を確立すること自体が一つのルール。それは、自己とその他を区別すること。他人を認識しないと自己は成り立たない。逆説的だが、他人がいないと自分はいない。
で、その自分と他人を区別する一つの基準が何を私有するかにある。
他人がいないと自分がいないというのは、人間は集団でじゃないと生きていけないことを意味している。
つまり社会を形成し、社会の中で生きてこそ人間。で、その社会とは人と人との結び付き、関係性。
ということは、私有というのは自分だけが思っていても意味がない。他の人もそれがあなたのものだと認めなければ私有にはならない。社会を形成する人全員が認めないと私有は成立しない。
社会を形成する人全員が認めるもの、まあそれは社会を形成するために必要不可欠なんだが、それは法律だろうな。
人は人とかかわって生活してるが、その人自体を見ているわけではない。自分との関係性を見ているのだ。その人の社会的位置を。果たしている役割を。
つーことは、自分の果たす役割をすることが一つのルール。まあ、それが仕事へとつながっていく。
不正というのはその役割から外れることか。それは、そのルールで動いている社会を否定することを意味すると同時に、その社会での自分の存在をも否定している。
不正は、意思表示。自分が社会に合わせるんじゃなくて、社会を自分に合わせようとする。なぜなら、この社会のルールだとこれ以上自分は社会の中でなりたい自分に成れないから。
面白い。不正が社会に対する敗北宣言になるのか、宣戦布告になるかはその人のその後による。
つまり、上の引用文はこういうことだと思う。
私有というのは一つのルールを体現化したもの。そして、不正とはそのルールに収まりきらないもの。まさに、例外のない原則はない、のごとくだな。
そしてさらにそれを掘り下げていけば、諸行無常に行きつくと思う。
物事は動いてるんだぞっ!!!
以上
ロックの言いたかったことが少しはわかったかのかなあ?
というか、上の引用文は、ルソーの「人間不平等起原論」でルソーが上の引用文を引用してたから、ロックの書物自体読んだわけじゃないんだよね。でもこれでロックに少し興味は持った。
また、明日***
2009年1月21日水曜日
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