統計学の入り口として読むといいと感じた。
多様な日常生活での事例を通して統計を説明している。
読みやすかった。
数式はほとんど出てこないので、しっかり学びたい人は専門書を薦める。しかし、統計学の考え方は大まかに把握はできるという意味で読んで損はない。
一応、大学で統計学は簡単に学んでいたのでほとんどは復習の意味合いが大きかった。
しかし、この本は日常の事例を取り上げているので、新たな発見もあった。
第12章の、「互いに無関係な事件、事故は連続して起きやすい」(ポアソン分布)
第13章、「一般庶民の所得は、対数正規分布する」
第14章、「高額所得者の所得は、べき分布になる」
この、庶民と高所得者の違いは勉強になった。まあ、確かに住む世界が違うなあ…と。
あまり統計には詳しくないが、今の科学を支えているのはある意味”統計学”だと考える。
科学は、再現性のあるものであり、普遍性を帯びている。それを証明できるのは今のところ統計学しかないからである。統計学の進歩が新たな科学的真実を示すことにはなるだろう。
だが、統計学の進歩と言うのは単なる計算技術のみではない。計算のみならコンピューターに任せればいい。
その背後には必ず「知」がある。その「知」の思考により、その計算式や値に初めて意味が宿るのである。
統計学の発達にはギャンブルが動機と言うのがそれを示している。
別の言い方をすると、統計学がわかれば今の時代の科学的「知」がわかると考える。
それはなにか。
状態を表す情報処理技術である。
以前も書いたと思うが、今の我々は状態しか示すことはできない。意思疎通においては、ほかの人の変化も感じることはできるが、それを科学的に証明することはできない。言葉も含めた他人とやり取りする情報は状態の積み重ねである。我々の扱っている情報は”状態”しか表現できない。
しかし、我々はこの人生で多くの変化も実感している。確実に変化しているのである。それは“動き”だ。”状態”に対しての“動き”。これが顕著に実感できるのは恋愛である。なぜか言葉(状態を表現する)では説明できないが、あの人に惹かれる。気がつけば、あの人の姿を追っている自分がいる。あの人に会えないと胸が苦しい。が、会えば会ったであの人の一挙手一投足に胸が揺れ動く。一時も心がひとところにとどまることはない。何気ない一言でどん底も味わえば、天国も味わう。
だから、恋愛は太古の昔から人々を魅了し続けている。「源氏物語」など。
だが、それを再現性のあるものにはまだなかなかできていないのが現実。
つまり、こういうことである。
次の時代は、
「動きを表す情報処理技術」
の発明が創る。
これが私の考えである。
そして、その「動きを表す情報処理技術」を作り、実用化するのが私の夢である。
以上
またね***
0 件のコメント:
コメントを投稿