2014年5月13日火曜日

Good Luck (食べる読書 129-1)



私は、哲学が好きだ。



しかし、哲学とは何かについて深く考えたことはなかった。「Good Luck」を読んで、現時点における私の答えが出た。「哲学とは、自分の創造である」。



黒田官兵衛は、私の最も好きな武将である。その生き様や境遇、考え方にどこか愛着を感じるのである。彼は優秀であり、天下人である豊臣秀吉から天下を取れると恐れられたほどの人物である。



しかし、彼が天下を取ることはなかった。私が、彼に注目する理由の一つがここにある。能力があったのに、なぜ天下を取れなかったのか。彼を通して、織田信長、豊臣秀吉そして徳川家康といった英雄を観ることで、より本質が見えるのではないかと考えるからである。



現時点における私の考察は、こうである。当時の人は彼らをどう評価するか、である。人々の黒田官兵衛の評価はおそらく「優秀」、であろう。一方、織田信長はどうであろうか。「気狂い」、「何を考えているかわからない」、「評価不能」といったところであろう。豊臣秀吉は、「人たらし」、「なぜか惹かれる」、「無邪気」、であろう。徳川家康は、「ずる賢い」、「手に負えない」、であろう。




官兵衛と他 3 人の違いは、ここで浮きぼりになる。キーワードは“ルール”である。官兵衛は、ルールに忠実に従う者である。他 3 人は、ルールを創造する者である。当時の人は、当時の評価基準 (ルール) に照らし合わせ、官兵衛を優秀であると評価するだろう。一方、他 3 人に対して当時の評価基準では測れないのではないだろうか。だから、異常であるという評価しかできない。当時のルールに合わないからといって、彼ら 3 人が何も考えていないのではない。むしろ最も考えた者であり、冒頭の言葉を使えば、「哲学を持っていた」、となる。黒田官兵衛は、この本の登場人物で言えば、サー・シドである。しかし、他 3 人はこの本では該当する人物がいない。敢えて言うなら、王もしくはマーリンであろう。




社長にとって、黒田官兵衛のような社員が最も欲しいというのはわかる。それは、サー・シドのようにしっかりと準備を怠らず、事にあたるため、目的を果たすことが多くなるためだ。社員教育として「Good Luck」は最適と言える。




会社に対する理想の社員像はわかった。では、社会に対する理想の会社像とは何であろうか。その時代と社会の要請によって変わってくることは容易に想像できる。現代の理想の会社とはどんな会社であろうか。おそらく、現代の問題を解決する会社であろう。それは、次の時代を創ることでもある。織田信長や徳川家康のように、である。




重要な点はここからである。社員がサー・シドである社長にとって理想の会社は、同時に、社会に対しても理想の会社足りうるのかという点である。言い換えれば、サー・シドは、王足り得るのかという事である。黒田官兵衛は、天下を取れたのかという問題に帰結する。



以上述べてきたように、二つの能力が存在する。ルールを創る能力とそれを遂行する能力である。創業者は総じてこれら二つの能力を併せ持つと考える。上の問題は、ルールを遂行する能力に長けた者は、ルールを創る能力にも長けているのかという問いである。



その答えは、ルールを創れば遂行することができるが、与えられたルールを遂行できるからといってルールを創れることにはならないということである。よって、サー・シドは王になれないし、黒田官兵衛は天下を取れないのである。根本的に違うのである。



そして、ルールは哲学を具現化したものである。なぜここで哲学が関わってくるのか、次回考察する。



to be continued・・・



一枚の葉

 今、私は死んだ。 そして、その瞬間、自我が生まれた。 私は、一個の生命体なのだ。もう死んでいるのだが。 死ぬことでようやく自己が確立するのか…。 空気抵抗というやつか。 自我が生まれたが、自身のコントロールは利かず、私はふらふらと空中を舞っているのだ。  私はこの樹の一部だった...