2017年10月31日火曜日

独裁者に原爆を売る男たち(食べる読書133)




社会のルール設定の基となる考え、根拠は何だろうか。
様々あるだろうが、社会を構成する人間の存在を保障することを目的としてルールができるのではないか。
人々の存在を保障するようなルールがその社会のルールの大原則となると考えられる。


ということは、逆に、人々の存在を危険にさらす何かしらが”力”を持つことも意味しているのだ。


現代においては、細菌兵器や核兵器などである。


そして、国家の優位性を相対的に確保するために核兵器が交渉の武器として使われているのが現状である。


決して倫理的文脈で核兵器の是非は論じられないのだ。


そして、同様に論じられないのが、「人間が何のために存在しているか」である。


人々の存在を脅かす核兵器であるが、人々が何のために存在しているか、その”何か”が核兵器によって我々が滅びても存続するのなら核兵器は現在のような交渉のためのカードとしての力を失うだろう。

もしくは、われわれがあえて核兵器によって滅びることによってその”何か”が存続する場合も同様となるだろう。


マズローの欲求5段階説における第2階層の「安全欲求」が交渉の対象となっている。


また、経済制裁は世界全体の営みに参加するという意味で、第3階層の「社会的欲求」になるだろうか。


いずれにしろ、科学技術が人類のさらなる進化のために活用されているとは考えづらい。
物質的な側面における存在が重視されており、それが全世界共通認識となっているため人々の存在を脅かすカードとして核兵器が力を持っている。


われわれの身体が、物質でできている限り、われわれの身体への危険はなくならない。われわれの身体を危険にさらす物質も存在するし、その扱い方が重要であることもわかっている。
しかし、その扱い方を決める根本的根拠は、物質的側面でいいのか。


そこが大事なのではないか。


物質世界のものの扱い方を物質世界の次元を根拠に決めていいのか。


物質世界の結果をどうとらえるのか、解釈するのかは別次元である。


マズローの欲求5段階説でいえば、「自己実現欲求」をもとに核兵器の扱い方を決めることはできないのか。


もしくは、それ以外の価値観はどうだろうか。


単なる問題提起に留まってしまったが、これが私の力の現状です。


やれやれ、もっと考え、生み出さないとなあ…。


以下抜粋


日本では危機的な食糧事情をはじめ、北朝鮮の悲惨な状況ばかりが伝えられている。それも事実には違いない。だが、このイメージをもとに、北朝鮮の核、ミサイル技術は「途上国レベルにとどまっている」との見方をするのは残念ながら間違いだ。北朝鮮は、国際的に見れば、この両分野では「先進国」の位置にある。その技術力を決して侮ってはならない。


北朝鮮はミサイル分野でも、米国西海岸を射程に収める「テポドン2改良型」の打ち上げに成功、同時に人工衛星の軌道投入も成し遂げた。人工衛星打ち上げ成功は、先進国の仲間入りを果たしたことを意味する。電子機器分野で日本メーカーを追い抜き、世界をせっかんするサムスン擁する韓国が、人工衛星の打ち上げにようやく達成したのは北朝鮮に送れること2か月。それも自力で開発した北朝鮮とは違い、ロシアの全面的な技術支援を受けてのことだ。この分野で、北朝鮮との間に大きな実力差がある実情をさらけ出してしまった。


2013年春の緊張激化も、北朝鮮側から見れば、米国からの核攻撃の可能性が高まったので、それに対抗したに過ぎないという主張になる。米韓両国は3月1日から野外機動演習「フォールイーグル」を開始し、在韓米軍のF16戦闘機や、横須賀基地を母校とするイージス艦、沖縄・嘉手納基地所属の早期警戒機E3などが参加。
さらに、B52戦略爆撃機、最新鋭のF22戦闘機を投入。米本土に配備されている核兵器の搭載が可能なB2ステルス爆撃機を初めて朝鮮半島に派遣するなど北朝鮮を威嚇した。韓国上空から北朝鮮の空域までは、わずか数分。北朝鮮から見れば、米韓両国が核攻撃の準備に入ったと映る。


NPTの2つ目の柱は、核不拡散。IAEAがその監視に当たる。53年のアイゼンハワー米大統領の国連総会演説を機に57年にウィーンに設立された国際機関だ。
IAEAは、原子力活動を進める加盟各国と保障措置(核査察)協定を結ぶ。協定にしたがい、各国は、すべての核活動を申告し、IAEAはこの内容を検証するため査察官を現地に送り、検証する。最も重視するのは核物質の数量。どこから、どうやって調達したか、どれだけの量を持っているのかを詳しく調べる。特に、核兵器に転用される可能性が高いプルトニウムと高濃縮ウランに注目する。
IAEAは、核兵器を保有する国が、これ以上、広がらないようにするため、核兵器開発につながる核物質や技術、部品、素材などの取引にも目を光らせる。各国に、輸出規制を強化し、これらの機器や素材が外国にわたることを水際で防ぐなどを講じるよう求めている。


国によっては、正直に告白する国もあるが、多くは違う。イランで実際にあったケースだが、「他の場所で保管していたが、核物質保管容器が壊れたため、漏れ出してしまった」などと言い逃れをするケースもある。そうした場合、IAEAは、「核物質が漏れ出した」という場所を査察し、本当に、その場所で核物質が漏れたのかどうかを検証する。
その時に役立つのは、「環境サンプリング」と呼ばれる調査手法だ。10センチ四方の木綿の布で、核物質が漏れ出したり、使われたりする可能性がある施設の床ら壁などを丹念に拭き、研究所に持ち帰り分析する。布に細かな核物質が付着するため、これを分析すれば、極めて高い確率で施設内で実施した過去の核活動を把握できる。核物質の寿命は長く、実験が数年前のものであってもウソを見破ることができる。


用済みになった施設の「凍結」を差し出し、その代わりに果実を得ることができれば外交的な勝利を収めることができる。北朝鮮は、米国によるテロ支援国家の指定解除や、米国が05年9月に導入した北朝鮮秘密口座の凍結解除を勝ち取ることに成功した。


監視・検証作業は、①原子力機器が運転できないよう、機器にIAEAが封印をほどこす、②その封印が破られていないかを常に監視する-の2段階に分かれる。


当時のパキスタンは、博士によると「縫い針も自転車もろくに作れない」途上国。自国の技術水準に合わせるために、あえて技術を落とす選択をした。この決断は好結果をもたらす。開発開始からわずか2年後の78年4月、初の分離機の製造に成功したのだ。


1人当たりの国民所得が世界122位、識字率も世界162位という途上国が、世界で9番目に核兵器を取得する離れ業を成し遂げた瞬間だった。
この時期、博士は、自国の核開発を目的として築いた部品調達ネットワークを、「核の闇市場」に作り変える作業を始める。


「闇市場」摘発に沸いていた米国政府は04年2月20日、マレーシア警察が発表した内容に仰天した。国家安全保障法違反容疑で逮捕したタヒアへの事情聴収をもとに、ティナー一家をはじめとするメンバーの名前や役割など「闇市場」の全容が示されていたからだ。国境をまたぐ国際犯罪の捜査は各国間の連携が不可欠となる。それにもかかわらず、米英両国は、マレーシア政府の輸出入管理が甘かったことが「闇市場」の活動拡大を招いたとマレーシアに批判を浴びせた。
だが、タヒアを調べるうちに、マレーシアだけでなく、欧州各国など多くの国が「闇市場」にかかわっていたことが判明する。なぜ、マレーシアだけが批判されるのか。不満を募らせたマレーシア政府は、ついに、米英両国に事前相談することなく一方的な発表に踏み切った。米英の情報当局から見れば、これは「掟破り」だった。


永世中立国のスイスの国内法は、海外の諜報機関に協力した市民は国家反逆罪に問われる。スイス当局にはCIAに協力した事実を口が裂けても言えない。国際機関のIAEAが手掛ける「闇市場」の実態解明に協力することで、スイス当局からの逮捕を免れようとする意図があったのだ。


一家の公判開始には、CIAとの協力関係が公になることを嫌った米国が強く反発した。米国は、スイス検察庁の捜査協力要請をことごとく拒否しただけでなく。ブッシュ(父)元大統領をはじめ、ライス国務長官、ゲーツ国防長官など、ブッシュ(息子)政権の中枢メンバーがスイス当局に外交的な圧力をかけ続けた。スイスの法律では、スイス国内にあるティナー一家のアジトを「家宅捜査」したCIA要員にも国家反逆罪が適用されるため、米国は必死だった。


「核の番人」と呼ばれ、核拡散を防ぐ役割を委ねられているIAEA。平和に貢献する公立・中性な国際機関というイメージが日本では一般的だ。しかし、そうした見方は、あまりにも無邪気な考えだ。IAEAは、5大国による「核の秩序」、もっと言えば、核クラブの「核の独占」を守るという性格を持つ。いかなる正当な理由があろうとも、非核国の人間は、核兵器にアクセスできない。それが掟だ。


米国は、スイス政府に、資料のすべてを破棄するか、米国に手渡すよう求め続けた。スイス政府内でも激論が続く。スイスの国家主権を守るべきだとの主張と、米国との関係維持に重点を置く国務省、国防省が対立する。
結局、対米関係を重視する勢力が優勢となり、07年11月14日、CIA要因の追訴断念と、押収資料の全量破棄処分が決まった。


スイス政府が米国の圧力を受けて押収資料の処分を決定した後、その事実がスイス国内で報道された。大統領も「テロリストの手に渡ることを防ぐためだった」と、押収資料の破壊を認めたことで、国家主権の侵害だと世論の反発が強まっていた。さらに、政権交代という追い風も吹いた。資料発見を機にスイス政府は、米国と交渉を続け、スイス検察庁の捜査に協力していたIAEAも、保管していた資料の一部、数十ページを提供した。公判維持の条件が次第に整っていく。


ティナー一家は少なくとも1979年からパキスタンの核開発に不正に関与しており、2003年6月以後も「闇市場」のビジネスに深く関わっただが、前後の機関が除外された理由は、公判で明らかにされなかった。最終弁論で、レーマン主任検事が「証拠書類が不完全な中で、検察官は妥協を強いられた」と述べたように、公判維持をめぐり、スイス政府と米国政府の双方が、激しい水面下のやりとりを続けて歩み寄った跡が垣間見える。


裁判は1日で結審、翌日夕に判決が言い渡された。フレッドは禁錮2年、マルコは禁錮3年5か月、ウルスは禁錮4年2か月。いずれも有罪判決だった。だが、フレッドは高齢を理由に、ウルスとマルコは逮捕後の収監日数を相殺したため、3人は、自由の身となった。「闇市場」や、CIAから得た多額の報酬の没収も免れた。
ティナー一家は、IAEAの事情聴収では、「ビジネスだからやっただけだ」「自分たちが扱ったものは特別のものではない」「私たちが供給したものを使い、その結果がどうなろうと私たちに関係がない」などと答えている。彼らは、自分たちが、核兵器開発につながる犯罪行為に手を染めたことに、何の罪の意識も持っていなかった。その事実を知っていただけに、傍聴した筆者にとっては、なんとも歯がゆい消化不良のものだった。裁判は「茶番」だった。


IAEAで「闇市場」解明の総指揮をふるったハイノネン元IAEA事務次長は、筆者の取材に「おそらく、組織的な『闇市場』はもう存在しない。だが、イランはいまも不正に機器を調達し続けているのも事実だ」と話した。いまもなお、形を変えた組織が存在するとの見方だ。


パキスタン政府は、いまなおIAEAや米英の情報機関による博士への事情聴収を拒んでおり、触れられたくない多くの「不都合な事実」を抱える。博士と政府の微妙な駆け引きが続いている。


プルトニウム型に続き、ウラン型核兵器の取得も視野に収めている北朝鮮は、世界有数のミサイル技術を保有するだけでなく、世界最大のミサイル輸出国としても知られる。1980年代以後に開拓したこのミサイル輸出ルートを活用すれば、国際社会が恐れる北朝鮮発の核拡散が現実化する可能性も高い。いま、北朝鮮が、「核の闇市場」に代わり、ミサイル輸出で築き上げたネットワークを使い、ミサイルや核開発など大量破壊兵器の拡散の中心になりつつある。


北朝鮮の市場シェアは40%。特に、1987年から93年の7年間は420基も輸出、市場シェアは9割にも達した。ミサイルは、偽ドル札、麻薬などと並ぶ、北朝鮮の外貨獲得の柱の一つだった。


北朝鮮が外貨稼ぎの柱に据えていたミサイル輸出だが、2000年以後は急減した。軍縮専門家のポラック氏は、その原因を①中東諸国にミサイルが行き渡った、②湾岸戦争を機に、米国が迎撃用に使用したパトリオットミサイルに代表されるミサイル・ディフェンス(MD)システムや、巡航ミサイルの導入に関係諸国の興味が移った、③度重なる国連安保理決議で、ミサイル輸出管理が国際的に強化された-からだと分析する。


核実験やミサイル発射を繰り返す北朝鮮、ウラン濃縮など大規模な核開発を続けるイランは、ともに再三の国連安保理決議を無視し、国際社会からの孤立を深めている。核、そして、ミサイルの両分野の協力関係が強化・拡充されれば、国際社会の脅威となる。


イランは、1979年のホメイニ(イスラム)革命以後にイスラム共和制を敷き、同様の体制を周辺のイスラム諸国に広めようと「革命の輸出」を試みた。スンニー派諸国はその動きを強く警戒、この動きを潰そうと動いた。それが、80年から88年まで続いたイラン・イラク戦争だ。中東地域でイランを指示したのは、イランと親交が深いシリアだけだった。


03年春のイラク戦争中にサウジアラビアを取材で訪れた際、多くのサウジ人から「イラン人は長い文明の歴史があり、知恵も働く。私たちアラブ人に比べて、したたかだ」という話を聞いた。イランを毛嫌いする背景には、宗教的対立だけでなく、イランの文化水準には「かなわない」という警戒心もある。


米中両国は、85年に原子力協定に調印したが、人権問題を重視する米国は、89年の天安門事件を受けて、協定の発効延期を続けた。刑事成長を支えるため、米国の商用原子力技術をどうしても手に入れたい中国は、イランに対する協力打ち切りを条件に、米国が協定発効を提案しtことに反応した。中国はこの提案を受け入れ、これを機に米中関係は正常化する。


途上国には、元々、核兵器国と非核国の権利に差をつける不平等性が色濃いNPTに強い不満がある。核兵器国が核軍縮を進めないことは非難されないのに、途上国が「平和利用」を進めるたびに、核兵器国が注文を付けるのは不公平だ、二重基準だとの思いが強い。


「中国を『地域大国』と認めたことで、ニクソン米政権は、中国との国交回復に成功した。それと同様に、米国がイランを『地域大国』と認めてくれないだろうか。米国と関係が深い日本にぜひ、その橋渡しをお願いしたい」


核兵器を開発する動機は、3タイプに大別できる。1つ目のグループは、大国意識が強く、工業力の水準が突出していた米ソ英仏中の5大国。2つ目は、国際的に孤立し、核武装により安全保障の確保を狙った北朝鮮、イラク、南アフリカ、リビアなどの諸国。イランはこのカテゴリーに入る。3つ目は、隣国の核武装に対抗したインド、パキスタンなどの国々だ。


日本をはじめ非核国の展示は、平和利用だけに特化、「軍事」とは関係ない展示ばかりだ。一方、核兵器国は軍民両面を強調する。


デクラーク大統領が、世界で初めて核兵器の放棄を決定した背景には、黒人政権への核兵器継承を嫌ったという指摘も多い。マンデラ氏が率いるANCは、反米色を鮮明に打ち出すリビアのカダフィ政権や、「パレスチナ解放機構(PLO)」のアラファト議長などとの友好関係があり、黒人政権誕生後に、これらの勢力に核兵器や技術が流出する懸念があった。これが現実のものとなれば、核兵器保有国が急拡大する恐怖のシナリオが現実化し、国際情勢が不安定化する。これを未然に防ぐため、米国が強い圧力をかけたとみられる。


「ベルリンの壁が崩れ、ソ連が共産主義が倒れた結果、南アフリカを脅かす軍事情勢が変わった。その脅威が消えれば我々の戦略にも影響する」


核兵器を保有しながらも放棄した国は、南アフリカ以外でも、旧ソ連のウクライナ、カザフスタン、ベラルーシがある。だがこの3か国は、ソ連が配備していた核兵器を、ロシアに移送することに合意したもので、自ら開発した核兵器を放棄した南アフリカとは性格が大きく異なる。


カーター政権で国家安全保障担当大統領補佐官を務めたブレジンスキー氏は…、中国、インドの国力が強まることで相対的に米国の地位が低下し、日韓の安全保障の礎となっている米国の「核の傘」が機能しない状態が起きる可能性を指摘した。ブレジンスキー氏は、日韓両国は、米国以外に新たな「核の傘」を求めるか、自国での核武装を迫られるだろうとも指摘している。


IAEAによると、日本が10年末時点で保有するプルトニウムは、英仏保管分を含めて44.9トン、再処理前の使用済み核燃料に含まれるプルトニウムは152トンもあり、合計で約200トンにも達する。5キロで核兵器の製造が可能という前提に立てば、4万発分に当たる量だ。


早晩、日本は核燃料サイクル計画の見直しに追い込まれる可能性が高いとみている。


NPTを脱退した北朝鮮の核実験、NPT加盟国のイランが、国際社会の要請を無視してウラン濃縮活動を加速するなど、核拡散防止に一定の役割を果たしてきたNPTのほころびが目立ち始めている。カーン博士の「闇市場」が崩壊したとは言え、核兵器取得を目指す国が無くならない限り、核ビジネスに関わる多くの企業は「カネの成る木」を求めて、売り込みを図る構図が変わるはずもない。


経済成長やエネルギー問題を解決するため、アラブ首長国連邦、ベトナム、トルコなど原発導入を進める国は多く、今後もその傾向が強まるのは確実だ。使用済み核燃料を再処理すれば、核兵器への転用が可能なプルトニウムは簡単に取り出せる。こうした国々から生まれる使用済み核燃料の扱いを誤れば、核拡散につながる懸念が高まる。


モンゴルに核の「ゴミ」の処分場を設ける計画は、核のゴミの処分だけでなく、さまざまな狙いがあった。
扱いに困る核のゴミを処分する国際的枠組みを構築できれば、「トイレの無いマンション」との批判を解決できる。これが、1つ目の狙いだ。
2つ目は、日米の原発輸出ビジネスを優位に運ぶには、最終処分場の確保が不可欠という経済的な視点だ。日米両国の原子力産業は、ロシア、フランスなどと激しい競争を続けている。ロシアは、ロシアの原子炉を購入した国には、やっかいな使用済み核燃料を引き取ることを売り物にしている。フランスは、核燃料再処理を請け負うことを武器にする。だが、日米両国は、このいずれにも対応できない。


核は、利益を得る人、被害を受ける人を同時に生む。


「闇市場」の全容を記録した文書を預かっているという人物を突き止め、接触した。「全文を読ませてほしい」「どうしても、真実に迫りたい」と相手を説得したが、予想通り、「博士の存命中は、だれにも渡せない約束だ」と断られてしまった。


以上
またね***

2017年10月28日土曜日

世界を不幸にしたグローバリズムの正体(食べる読書132-2)




グローバリズム自体は多くの恩恵を世界にもたらしたが、負の側面ももたらした。その負の側面は、ガバメントの問題であると著者は述べている。

世界銀行、IMFで勤務した経験からその内情も含めての結論である。


しかし、本当にガバメントの問題なのか。


グローバリズムを上手に運営するとはどういうことで、どういう結果をもたらすのか。


経済の様々な分野に影響を及ぼすグローバリズムは、単一価値の輸出ではないか。
単一価値とは、人々の生活を測る指標としての経済理論・経済学だろう。


そして、それらの経済理論は欧米で生まれたもので、欧米以外のアジアやアフリカ、イスラム諸国においてそのままで適用できないのは明白だったのではないか。
他地域においても適用可能であることを確かめたのだろうか。そもそも確かめることは可能なのか。


中国やポーランドを例に、その国に合わせた経済政策をとることが成功への条件であると述べている。
しかし、国際機関のIMFはそれをしなかったのが問題であり、それをガバメントの問題としている。


私は、このグローバリズムによって人類は、「普遍」への再考を迫られていると考える。


2点あると思う。


・普遍とは、状態ではないのではないか。
・人類が普遍性を手にすることはできないのではないか。

(日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
普遍:多くの、あるいは、ある範囲のすべての個別例に当てはまる共通な事柄をいい、「一般者」ともいわれる。特殊、個別に対する。人間の合理的思考はすべてことばを伴い、ことばを通じてなされる。ことばはすべて多くの事物に当てはまる共通な事柄をいうものであり、そこにことばの意味機能がある。たとえば、「三角形」という名称は正三角形、二等辺三角形、不等辺三角形というすべての特殊な三角形、また、その個別例に当てはまる共通な同一の事柄を意味する。このように多くの事物をある観点から総括し、一つのものとして把握する働きが思考の働きであり、そこに把握される「一つのもの」(多を通ずる1)が普遍である。感覚される個別の存在に対して、思考の対象である普遍が実在界においてもつ存在が何であるかは、哲学史上、古来盛んに論じられてきた問題である。[加藤信朗])


普遍とは、ある状況や状態の共通事項・性質を指していると考えられる。しかし、現実は諸行無常であり、われわれが共通項を見出だす対象自体も変化していく。よって、ある時代においての普遍が時を経ると普遍性を失うこともあるだろう。


と、考えると、共通項そのものよりも共通項の変遷、それを変化させる何かしら(変化を生み出す源、変化の仕組みなどそれが何かはわからないが)が普遍ではないか。
つまり、言葉では表せられない。事象によりその変化の源は変わるであろうからである。諸行無常=普遍、としてもいいがそれも単に諸行無常という現実の一側面=ある意味状態を示しているに過ぎない。そして、諸行無常は結果の記述であり結果を生み出すものではない。
同じ結果を生み出す”何か”、それが普遍ではないか。そして、諸行無常の現実において同じ結果を生み出す”何か”が同じ共通項であるとは考えにくいのである。


そして、そこに人間がいるのである。人間が、もし普遍を見出だしたらどうなるか。それが、グローバリズムに関する一連の結果である。つまり、普遍を武器に自身の優位性を高めるのである。普遍は人間の目的達成の道具に堕する。IMFがしたように、だ。普遍は、われわれが従わざるを得ないものではなく、われわれが使いこなすものでもあるという側面も持つ。普遍が、非現実的であればあるほど、現実よりより良いものに見えれば見えるほど、それは輝きを増し人々を魅了する。だが、その時点で普遍は普遍ではないのである。もし、そこに普遍を見出だすとしたなら、人間の共同幻想の性質であろう。


これらを解決するには、現実をわれわれ自身の変化も込みで把握しうる、情報処理概念だと考える。入力、加工、出力の各過程においてこれまでとは異なった概念のもと情報を処理することが求められている。この情報処理が、普遍であるというつもりはないが、見えてくるものはあるのではないか。
帰納法、演繹法とは異なる、何か。


その発見、創造に貢献したい。


以上
またね***

2017年10月24日火曜日

世界を不幸にしたグローバリズムの正体(食べる読書132-1)




以下抜粋

決定はイデオロギーと誤った経済学の奇妙な融合に基づいて下され、ときにドグマが特定の人びとの利益を厚くおおい隠しているように見受けられた。危機が起こると、IMF(国際通貨基金)は時代遅れで不適切な解決策を採用した。それは「標準的」な政策なのかもしれないが、その政策に従わされる国民にどんな影響が及ぶ科は、まるで考慮されていなかった。その政策が貧困にどんな寄与をするかという予測はほとんど見たことがなく、別の政策をとったらどうなるかが真剣に検討されるのを見たこともほとんどない。あるのは唯一の処方のみ。代替策は考えもされない。オープンでフランクな討議が行われる余地は最初からない。イデオロギーのみが政策を決め、各国はIMFのガイドラインに無条件でしたがうものと思われている。


私たちはグローバルナコミュニティを形成しており、あらゆるコミュニティがそうであるように、なんらかのルールに従わなければ共生していくことはできない。そのルールは誰から見ても公正なものでなければならず、権力者と同じく貧者に対しても当然の配慮をした、基本的良識と社会正義を反映するものでなければならない。今日の世界では、それらのルールは民主的なプロセスを通じて形成されなければならない。いかなる政体もどんな権威もしたがわなければならないそのルールは、遠い場所で決められた政策や決定に影響をこうむるすべての人々の要望に留意し、応えるものでなければならないのだ。


国際経済機関の指導のもとに進められたロシアの市場経済への移行と、自らで進め方を立案した中国の移行は実に対照的だった。一九九〇年の中国の国内総生産(GDP)はロシアの60%だったが、この10年の終わりには、その数値が逆転した。ロシアではかつてないほど貧困が増した一方で、中国はかつてないほど貧苦が減少したのである。


たとえ偽善的な犯罪杭をしていなくても、欧米はグローバリゼーションのお題目を唱えながら、その恩恵を自分たちばかりにゆきわたらせ、発展途上国を犠牲にするようなことをしたのだ。たとえば、織物から砂糖にいたる多くの産品に割当量を設定するなどして発展途上国の製品に対する市場開放を拒む一方で、相手には自分たち裕福な国の製品を受け入れるよう市場開放を要求しただけではない。また、先進工業国が農業に助成金を支給し続け、途上国が競争に参入するのを難しくする一方で、途上国には工業製品への助成金を廃止するよう要求しただけでもない。GATTのウルグアイ・ラウンド以降の「交易状況」-先進国と発展途上国のそれぞれが自国製品の代価として得る金額-を見てみるがいい。最終的に、世界の最も貧しい国々が受け取る総額は、輸入品にたいして支払う総額よりも低くなっているのである。その結果、世界で最も貧しい国のいくつかでは、人々の生活が実質的に悪化してしまった。


IMFは、経済の安定には世界規模の総体的な行動が必要だという信念のもとに設立された。ちょうど国連が、政治の安定には世界規模の総体的な行動が必要だという信念のもとに設立されたのと同じである。IMFは公的な機関であり、世界中の納税者が提供した資金によって運営されている。これはぜひとも明記しておくべきことだ。というのも、IMFは資金を出している市民にも、またIMFに生活を左右される人々にも、なんら直接的な報告義務を負っていないからだ。


経済プログラムを成功させるには、順序付け-改革が行われる順番の決定-とペースの調整に十二分の注意を払う必要がある。たとえば、強力な金融機関が設立されないうちに急いで市場を開放して競争を促せば新たな雇用が創出される前に職がなくなってしまうだろう。、多くの国では、順序付けと調整のミスが失業率と貧困の増大につながった。


IMFとその他の国際経済機関の問題は、煎じ詰めればマネジメントの問題である。誰がやることを決めるのか、何のためにそれをやるのか。これらの機関を支配するのは世界有数の富裕な工業国であり、それらの国の商業的、金融的利害なのであって、その政策にはおのずとそれが反映される。また、だれが国を代表するのかということからも問題が生じる。IMFでは、それは蔵相と中央銀行総裁であり、WTOでは貿易相である。


今日、IMFと世界銀行が活動するところは、ほぼ例外なく発展途上国である(少なくとも彼らの融資先はすべてそうだ)が、その機関を統括するのは工業国の代表者である(習慣からか暗黙の合意によってか、IMFの長は常にヨーロッパ人、世界銀行の長は常にアメリカ人である)。その選任は閉ざされた扉の背後でなされ、発展途上国での経験の有無が選任の必要条件とされたことは一度もない。これらの機関は、それが奉仕する国の代表者ではないのだ。


なによりグローバリゼーションは、その恩恵を広くその国全体にゆきわたらせることができなかった。「ワシントン・コンセンサス」で定められた政策の最終的な結果は、たいていの場合、多数を犠牲にして少数に、貧乏人を犠牲にして金持ちに恩恵をほどこすことだった。多くの場合、配慮されていたのは商業的な利益や価値であり、環境や民主主義や人権や社会正義ではなかったのである。


連邦政府はアメリカの成長をうながすことに中心的な役割を果たしただけでなく、積極的な再分配政策を行わない場合でも、少なくとも恩恵が広く共有されるような計画を実施した。教育を広め、農業の生産性を向上させる計画だけでなく、すべてのアメリカ人に最低限の機会を与える土地払い下げも実施した。
今日はどうか。輸送と通信のコストがどんどん下がり、産品、サービス、資本の流れを阻む人工的な障壁も減少している(ただし労働者の自由な流れに関してはまだ大きな障壁がある)。これを見る限り、かつて国民経済が生まれたのと同じようなプロセスで「グローバリゼーション」のプロセスが進行していると言えよう。ただ残念ながら、そこには世界政府がない。すべての国の国民に責任を持ち、グローバリゼーションのプロセスを監督してくれる存在がないのである。
そこにあるのは「世界政府のない世界統括」とでもいうべきシステムである。少数の機関-世界銀行、IMF、WTO-と少数の人間-特定の商業的、金融的利害と密接に結びついた金融や通商や貿易の担当相-が全体を支配して、その決定に影響される多くの人々はほとんど発言権のないまま取り残されている。


世界銀行は貧困の撲滅を使命とし、IMFは世界経済の安定を使命とする。どちらもエコノミストの一団を海外に派遣して三週間ほど視察させているが、世界銀行の方は援助しようとする国にかならず少数のスタッフを長期的に駐在させるよう取り計らっている。一方、IMFにはたいてい「居住者の代表」が一人いるだけで、その権限も限られている。計画は通常、ワシントンが立案し、短期間の視察を経て最終決定される。視察するスタッフは首都の快適な五つ星ホテルに泊まりながら、財務省や中央銀行で統計を調べるだけである。


IMFの論理の明らかな問題点は、貧しい国は援助の金を援助の目的に使えないと暗に言っていることである。例えば、スウェーデンがエチオピアに学校建設のための資金を与えたとしよう。この論理によれば、エチオピアはその金を蓄えにまわさなければならない(すべての国は『いざというとき』のために準備金勘定を持っているはずである。金は伝統的な準備資金だが、今日ではハードカレンシーに取って代わられつつある。準備金として最も一般的なのは、アメリカ財務省短期証券を持つことである)。
しかし、外国の資金提供者は、そのために援助したのではない。IMFとは関係なく独自に活動している資金提供者は、エチオピアに新しい学校病院が建設されるのを見たかったのである。


IMFのマクロ・エコノミストはたいてい自分たちが発展途上国で直面しなけれならない問題に対して十分な訓練を受けていない。IMFが定期的に卒業生を採用している大学のいくつかは、主要なカリキュラムで一切失業問題を扱っていないのだ。


現在のIMFは自らを、経済の完全雇用の状態に維持することに勤める赤字融資者だとは考えていない。むしろ、お金を借りる国がIMFの考える適切な経済政策に従う場合にのみ、ケインズ的立場から資金を分け与えるという方針をとってきた。だが、それはたいてい緊縮財政であるため、景気の後退を招き、事態にをいっそう悪化させるのだ。

「融資条件」と呼ばれるのはもっと強制力のある条件で、これがしばしば融資を政策手段に変えてしまう。たとえば、iMFがある国に金融市場を自由化させたいとすると、IMFはその融資を分割して行う。以後の融資は、自由化を進めている証拠が得られるたびに実施されることになる。私個人の考えを言えば、少なくともIMFのこれまでのやり方や強制力の強さからして、このような融資の条件には賛成しかねる。これが経済政策の向上につながるという証拠がない一方で、政治的には逆の影響を及ぼすからだ。


韓国の危機のさなかに、韓国の中央銀行はもっと独立するよう要求されただけでなく、物価上昇率だけに注意を払えとも言われた。韓国の物価上昇率に問題はなく、まずい金融政策がその時の危機に関係しているわけでもなかったのに、である。IMFは危機によって与えられた機会を利用し、自らの政治的な信念を推進しただけだった。私がソウルでIMFのチームになぜこんなことをやっているのかと聞いた時、帰ってきた答えは衝撃的だった(それまでの経験からして驚くべきことではなかったが)-われわれはどんな国にも、物価上昇率に敏感な独立した中央銀行を持つよう勧めている、というのだ。


IMFは、すぐに市場が生まれてあらゆる需要を満たすと単純に推測していたが、現実には、市場が必要なサービスを提供できていないから多くの政府活動が必要とされるのだ。


民営化を急いで進めることが重要だとIMFは主張する。競争や規則の問題にはあとで対処できるだろうと言う。だが、そこに危険がある。ひとたび既得権益が生まれてしまうと、そこには資金もあるから、専売権を維持しようとして規制や競争を押しつぶし、民営化のプロセスを歪めてしまう。IMFが競争や規制を後回しにしようといったのには、それなりの理由がある。民営化で規制のない専売会社をつくると、結果として政府の収入が増えることになる。そしてIMFは、産業の効率性や競争力といった構造的な問題よりも、政府赤字の規模のようなマクロ経済的な問題を重視する。民営化された専売会社が政府よりも効率的な生産をするかどうかはさておき、彼らはその専売権をたいてい政府よりも有効に活用する。その結果、消費者が苦しめられる。


今日、多くの国では、民営化は「収賄化」だと揶揄されているほどである。政府が腐敗しているからといって、民営化すればその問題を解決できるという証拠はほとんどない。結局は、会社を私物化していたのと同じ腐敗した政府が、民営化の舵を握るのだ。あちこちの国で、政府の役人は気づきはじめている。民営化をすれば、もう年に一回だけ収益をかすめ取るだけで満足する必要はないのだ。政府事業を市場価格より安く売れば、資産価値のかなりの部分を次の役人に残さず、自分のものにしておける。実質的に、彼らは未来の政治家がかすめ取る分の大半を、いまのうちに盗んでしまえるのである。


IMFは保護貿易主義の壁に守られて形成されてきた非効率的な仕事が排除されれば、新しいより生産的な仕事が生まれるはずだと信じてきた。しかし、それは事実ではない。少なくとも大恐慌以降、それほど瞬時に雇用が創出されると信じているエコノミストはほとんどいない。新しい会社や仕事が生まれるには、資本と起業家精神が必要だが、たいていの発展途上国ではそのどちらも不足している。後者は教育がなされないためで、前者は銀行融資がないためである。


貿易自由化は約束したことを実現できないどころか、失業率を高めるだけという例があまりにも多かった。だからこそ、強い反対が起こるのである。しかし、貿易自由化への敵意を疑いなく強めたのは、これを推進する際に見られた偽善だった。欧米は自分たちの輸出する製品に関しては貿易の自由化を進めたが、その一方で発展途上国の競合品に経済を脅かされそうな分野については保護政策をとり続けた。


中国が実証している通り、資金を引き付けるのに資本市場の自由化は必要ではない。むしろ、事実はこうだ。東アジアの高い貯蓄率(アメリカではGDPの18%、ヨーロッパでは17%から30%なのに対し、東アジアは30%から40%)を考えれば、この地域に追加の資金はほとんど必要がない。東アジアの政府はすでに、貯蓄をいかにして投資に回させるかという頭の痛い課題をかかえているのだ。


おそらく、アメリカ政府も含めて、各国政府がやってきたことの中で最も重大なのは、発展途上国に極めて不利な協定をその国の腐敗した政府に調印させて、頭ごなしに守らせたことだろう。インドネシアのジャカルタで開かれた1994年のAPEC(アジア太平洋経済協力会議)閣僚会議で、クリントン大統領はアメリカ企業のインドネシア参入を奨励した。多くの企業がそれを実行した。そして、たいていは非常に有利な条件のもとに実行した(インドネシア国民にとっては不利な条件なのだから、『心づけ』が渡されていたことは間違いないだろう)。


シンガポール、中国、マレーシアなど、外国投資の濫用を抑えた多くの国でも、外国の直接投資が重大な役割を果たしたのは資本面ではなく(貯蓄率の高さを考えれば資本は全く必要ではなかった)、起業家精神でもなく、外国からの投資がもたらす市場への参入機会と新しいテクノロジーの面だった。


IMFは、セーフティ・ネットが整備される前に、十分な規制構造ができあがる前に、近代資本主義の本質である市場心理の突然の変化に国が耐えられるようになる前に、自由化を強要した。雇用創出の必須条件が整う前に、雇用破壊につながるような政策を強要した。そして十分な競争と規制構造ができあがる前に、民営化を強要した。こうした多くの順序の間違いは、IMFが政治のプロセスについても経済のプロセスについても根本的に誤解していることを示していた。それは主に、市場原理主義を信奉することからくる誤解だった。たとえば、彼らは私有財産権が確立されていさえすれば、ほかのすべてはおのずとできてくると主張した。制度も、市場経済を機能させる法的な枠組みされも。


開発の過程で生じる急激な変化が社会に大変なストレスをかけることは避けられない。伝統的な権威は危うくなり、伝統的な人間関係も見直される。だから開発に成功するには、社会の安定に格別の注意を払わねばならない。


IMFと世界銀行はアメリカ財務省の縄張りの一部であり、そこではほとんど例外なく、財務省が自分の見解を押し通せるのだ。ちょうど他の省庁が、それぞれの縄張りで自分の意見を押し通せるように。


重要なのは、IMFの優先事項に何が入っているかだけでなく、何が外されているかを見ることだ。経済の安定は予定表に入っている。雇用の創出は入っていない。増税は、その逆効果も含めて入っている。農地改革は入っていない。銀行救済のための資金はあるが、教育や保健のサービスを向上させるための資金はない。もちろん、IMFのマクロ経済管理の誤りで仕事を失った労働者を救済するための資金もない。


ワシントン・コンセンサスの貧困政策のあらゆる欠点は、今や明らかである。これまで見てきたように、金利の高騰がともなう貿易自由化は、雇用破壊と失業創出を招くばかりであると言ってよく、犠牲にされるのは貧困層だ。そして適切な規制をともなわない金融市場の自由化は、経済を不安定にするだけであると言っていい。金利を下げるどころか、逆に上げてしまい、貧しい農民に種子や肥料を買えなくさせる。したがって、農民はなかなか最低限の生活から抜け出せない。さらに民営化も、競争政策と専売業者の強権濫用を抑える監督機能をともなわない限り、消費者価格を下げるどころか吊り上げてしまう。ふさわしくない環境でむやみに追及された緊縮財政も、高い失業率につながって社会契約を粉々に砕く。


(IMFとは)別の戦略をとる人々は、市場を利用しながら、政府にも重要な役割があることを認識していた。改革の重要性を認識していながらも、その改革はゆっくりと正しい順序で行われなければならないとわかっていた。変化を単に経済の問題とみるのではなく、もっと広い社会進化の一部ととらえていた。長期的な成功を目指すには改革への幅広い支援が必要であり、幅広い支援を取り付けるにはその恩恵が広く行き渡らなければならないとわかっていた。


IMFは解決をもたらすどころか、IMFそのものが各国の問題の一部になっていたのだ。実際、危機に見舞われたいくつかの国では、政府の役人やビジネスマンだけでなく、普通の人々までもが、自分たちの国を襲った経済的、社会的な嵐を「疫病」とか「大恐慌」と呼ぶような調子で、ずばり「IMF」と呼ぶようになっている。歴史は「IMF」以前と以後に分けて語られるようになった。ちょうど地震やその他の天災で大きな被害をこうむった国が、ものごとの日付を地震の「前」と「後」で区切っているように。


資本の自由化は、発展途上国を投資家の世界の気まぐれにさらすだけでなく、彼らの不合理な興奮と悲観にもさらすことになる。


IMFの企業再構築戦略-ほとんど破産しかけている会社の再構築戦略-は、銀行再構築戦略と同じくらい成功しなかった。IMFは財務上の再構築-誰が実際にその会社を所有するのか、債務免除されるのか、それとも株式に転換されるのかをはっきりさせること-と、実際の再構築-会社が何を生産すべきか、どのように生産すべきか、どのような組織にすべきかといった実際的な決定-を混同していた。


経済政策は、どんな場合にも経済下降の深刻さと持続期間を最小限にすることを目標にすればよいのだ。残念ながら、これはIMFが目指したことでも果たしたことでもなかった。


借金は本質的にリスキーなものだ。資本市場の自由化や、危機が起こった時に金利を法外なレベルまで引き上げるといったIMFの戦略は、借金をさらにリスキーなものにする。となると、会社にとって合理的な対策は借金をもっと少なくして、その分を社内に留保した利益に頼るということになる。そうなれば、将来の成長はある程度まで抑えられ、資本もそれほど自由には生産的な用途へ流れなくなる。おのように、IMFの政策は資源配分の効率、特に発展途上国では最も乏しい資源である資本配分の効率を悪くする。IMFはこの弊害を考慮していない。なぜなら、IMFのモデルには情報の不安定性が資本市場に及ぼす影響を含めて、資本市場が実際にどう機能するのかが反映されていないからだ。


世銀とIMFは腐敗した政府への援助に対して表面的には断固たる姿勢でのぞんできたが、そこにダブルスタンダードが存在することは明らかだった。ケニアのような戦略的に重要性の低い小国には汚職を理由に資金援助を拒否しておきながら、はるかに規模の大きい汚職が横行しているロシアのような大国には、持続的に資金援助がなされていたのである。


私が出会った、ロシアをはじめとする旧ソ連邦諸国の有能な学生は、欧米に移住したいという夢を抱いてひたむきに働いている。こうした損失は、ロシアで暮らす人々にとって、現在ばかりか、将来にわたってどのような影響をもたらすかという点で大きな意味を持つ。歴史的に、法律と民主主義に基づく社会を創造するさい、中心となるのは中産階級だからだ。


誤った方法で実施された民営化は効率の改善にも成長にも繋がらず、資産の略奪と衰退を招いただけだった。


資本市場の自由化や民営化は資金の国外流出を容易にし、法的基盤が整う前に民営化を推進したことは、ロシアの将来への投資ではなく、資産略奪の機会を与え、よこしまな動機を強めてしまった。


成功の要因は、自国のニーズや危惧に敏感なそれぞれの国の住民が策定した「国内産」の戦略にあった。中国やポーランドやハンガリーは、型にはまった手法はとらなかった。この三国をはじめとして、以降に成功した国はきわめて現実的であり、政策の決定にあたってイデオロギーや教科書のモデルをそのまま踏襲することはなかった。


IMFのような国際機関の国際政策について合理的な見解を形成するには、市場が機能しなくなる重要なケースを見極め、その失敗によるダメージを個々の政策によって防止、あるいは最小限に抑える方法を分析する必要がある。さらに、介入に踏み切る場合には、その介入が市場の失敗に取り組み、問題が起こる前に対処し、実際に問題が起こった時に改善をはかるうえで最善の策であることを示す必要もある。すでにみたように、ケインズは、各国が単独では十分な景気浮揚策をとれない理由を分析し、説明した-どの国も、他の国々にもたらす利益を考慮に入れないからだ。だから、各国政府が自発的にとる以上の景気浮揚策を実施するような国際的な圧力をかけるというのが、IMFの本来のや役割であるはずだった。


標準的な市場経済理論では、貸し倒れになった貸し手は結果について責任を負う。おそらく借り手は破産するだろうし、各国にはそうした破産の処理に関する法律がある。市場経済理論はそのように機能するのが普通だ。ところが、IMFのプログラムは、欧米の債権者を救うために繰り返しその国の政府に資金を供給する。債権者はIMFの救済措置をあてにするようになり、借り手が返済可能かどうかを確かめようとする気持ちも弱まった。これが、保険業界でよく知られ、今では経済学でもよく知られている悪名高い「モラルハザード」の問題である。


金融市場では時々、実際には信用供与に値する国が融資を拒否されるという不合理が見られる。IMFはもともと、そうした不合理が引き起こす流動性の危機に対処するためにつくられたのだが、その危機を早めかねない個人や機関に金融政策の権限を与えようとしていたのだ。つまり彼らが融資するのは、進んで融資しようという気になれる時だけだった。
IMFに自覚がなかったとはいえ、貸し手の側はすぐにその変化の深い意味を読み取った。貸し付け希望国に対して貸し手が貸し付けを拒んだり、精算への協力を拒んだりすれば、希望国は-IMFからだけでなく、IMFの承認を条件として融資をする世界銀行やその他の機関からも-資金が得られなくなる。債権者は突然、非常に大きな力を手にしたのである。


IMFの本来の目標は、世界の安定性を高め、景気後退の脅威に直面する各国が景気浮遊策をとる資金を確保することだったが、IMFはこれらの目標を追求するだけでなく、金融界の利益をも図っているのだ。つまり、iMFが掲げる目標はたがいに矛盾していることがしばしばあるのだ。
緊張がますます高まっているのは、この矛盾が明るみに出せないからである。新たな役割が公然と知られるようになれば、IMFへの支持が弱まることを、「使命の変更」をやり遂げた連中が知っていたことはほぼ確実である。このため、少なくとも表面的には古い使命と矛盾しないように見せかけて新しい使命を隠す必要があった。あまりにも単純な自由市場イデオロギーを前面に押し出し、その陰に隠れて「新たな」使命にしたがって仕事をしていたのだ。


はっきりさせておくが、IMFは公式にその使命を変えたわけではないし、グローバル経済や本来IMFが助けるはずの貧しい国の福祉よりも金融界の利益を優先することを公にしたわけでもない。どんな機関についても、その動機や意図をあれこれ論じたところで意味はない。意味があるのは、実際にその機関を構成し、運営しているメンバーの動機や意図を論じることだけだ。その場合でも、真の動機をつきとめることはなかなか難しい-彼らが公表する意図と真の動機の間には隔たりがある場合が多いからだ。


重要な契約がもう一つある。市民や市民社会と政府との間の契約で、時に「社会契約」と呼ばれるものがそれだ。その契約は妥当な雇用機会の確保など、社会や経済の基本的な保護規定を要求する。IMFは、融資契約の尊厳と考えるものを守ろうとして誤った方向に動き、より重要な社会契約を破ることはいとわなかったのだ。つまるところ、市場をむしばみ、経済と社会の長期的な安定をゆるがしたのはIMFの政策だったのである。


IMFを民間セクターの債権者のための政策を実施する機関だとみると、IMFのその他の政策ももっと理解しやすくなる。すでに指摘したように、IMFが重視したのは貿易赤字であり、危機のあと東アジアに課された大規模な緊縮政策は輸入量の急激な減少につながり、外貨準備金が大幅にふやされた。債権者への返済能力を心配する機関という観点からすると、これは理解できる。準備金がなければ、国や国内企業が借り入れたドルを返済できないからだ。だが、世界の安定と、関係諸国や地域の経済復興に焦点を当てたなら、準備金を増やすことについてはもっとゆるやかなアプローチをとり、同時に国際投機家の気まぐれから各国を守るため別の政策を考えていただろう。


透明性の欠如が指摘されているにもかかわらず、東アジアは著しい成長を遂げただけでなく、めざましい回復力をも示した。IMFやアメリカ財務省が主張するように東アジア諸国が「非常に脆弱」だったとすれば、それは透明性の欠如によるのではなく、別の良く知られた要因-IMFがこれらの国々に金融・資本市場の時期尚早な自由化を強く求めたこと-によるものだった。
振り返ってみると、こうして透明性を重視した理由が「透けて見える」。金融界にとっても、IMFやアメリカ財務省にとっても、責任転換して、自らの信頼性の危機を回避することが重要だったのだ。IMFと財務省が東アジアやロシアをはじめとする各国で勧めた政策は間違っていた。資本市場の自由化は投資の不安定化につながり、金融市場の自由化は貸し出し態度の悪化につながった。復興計画が思ったように機能しないと見ると、IMFと財務省はさらに責任を転換しようとして、真の問題は別のところ、つまり苦しんでいる各国自体にあるのだと主張した。


アメリカ財務省は1990年代初頭に資本主義の世界的勝利を宣言し、IMFとともに「正しい政策」-ワシントン・コンセンサスに基づく政策-にしたがう諸国には成長が保証されると語った。東アジアの危機に際して、資本主義に問題があるのではなくアジア諸国とその誤った政策が悪いのだということが示されない限り、この新しい世界観はくつがえされてしまう。
だからこそIMFとアメリカ財務省は、問題は改革そのもの-資本市場の自由化、とりわけその神聖な信条の実現-にあるのではなく、改革が十分に実行されなかった事実にあるのだと論じざるを得なかった。そして、危機に瀕した諸国の弱さに焦点を当てることによって、自分たちの失敗-政策の失敗と貸し付けの失敗の両方-について責任を転換しただけでなく、その経験を生かして自分たちの政策をさらに推し進めようとしたのである。


グローバリゼーションは、民主主義とより大きな社会正義を求めて戦う活気のあるグローバルな市民社会をもたらすと同時に、世界の健康状態の改善をもたらした。問題はグローバリゼーションにあるのではなく、それをどのように進めるかにあるのだ。問題の一端は、国際的な経済機関、すなわちIMF、世界銀行、WTOにある。これらの機関は、ゲームのルールを決めるのに手を貸すにあたって、たいていの場合、発展途上国の利益よりも先進諸国の利益-それも、その一部の利益-を考慮してきた。そればかりでなく、グローバリゼーションへの取り組みでは、経済と社会についての特定の観念によってつくられた偏狭な思考パターンによって対処することがあまりにも多かったのである。


IMFの思考を支配してきたのが金融界の利害であるとすれば、WTOでは商業界の利害が同じように支配的だった。たとえばIMFは貧しい人々にかかわる事柄にすげない態度をとる。銀行を救済するためなら何十億という金を出すのに、彼らのプログラムのせいで職を失った人々には食料助成金とするわずかな金額さえ惜しむのだ。ちょうどこれと同じように、WTOも自由貿易をすべてに優先させる。エビ獲り網にウミガメもかかってしまい、ウミガメの種の存続が脅かされているとしてこのような網の使用禁止を求める人々は、WTOからにべもなく、そういう規制は自由貿易への不当な侵害だと告げられる。貿易の利益が他のすべてに、自然環境にさえも優先することを知らされるのだ。


最大の課題は機関そのものにあるだけでなく、思考パターンにもある。グローバリゼーションの潜在的利益を現実のものとするためには、環境に配慮すること、貧しい人々が自分たちに影響を及ぼす決定に発言権を持てるようにすること、そして民主主義と公正な取引を堅持することが必要なのである。


世界は複雑なところである。社会の各グループは、自分たちに実際、最も影響を及ぼす部分に関心を集中する。労働者は職と賃金が気にかかるし、投資家が気にかけるのは金利であり、債務の弁済を受けることである。高金利は債権者にとってよいことである-貸した金の返済を受けられる限りは。だが、労働者にとって高金利は経済の減速をもたらすものであり、彼らにとっては失業を意味する。彼らが高金利に危険を見てとるのは不思議ではない。また長期で金を貸し出した投資家にとって真の危険はインフレーションである。インフレが起こると、返済を受けるドルが、貸し出したドルよりも価値の低いものになるからだ。


問題なのは、広範な合意のない提案や政策勧告をあたかも定説樽かのようにIMFが提示することである。資本市場の自由化の場合がまさにそうで、根拠は乏しく、反証はたくさんあった。どんな経済もハイパーインフレのもとではうまくいかないということについては合意があるが、インフレを低いレベルで抑えることがどれほどの利益を生むのかについては意見の一致はない。インフレのレベルを低下させることがコストに見合った利益をもたらすという証拠は、ほとんどないのだ。


経済学がすべてに優先され、経済学に特有のものの見方-市場原理主義-がすべてのものの見方に優先されることが、グローバリゼーションに対する不満をかきたてている。世界各地にみられる反対運動は、グローバリゼーションそれ自体-成長のための新しい資金源や新しい輸出市場-にたいするものではなく、特定のドクトリン、すなわち国際金融機関が押し付けてきたワシントン・コンセンサスに対する反対なのだ。言ってみればそれは、ただ一組の政策が正解として存在するという考え方に反対しているのである。


自由で束縛のない市場を信じる者にとっては、資本主義の自由化が望ましいのは明らかな事実であり、それが成長を促すことを示す証拠など必要なかった。たとえ資本主義市場の自由化が不安定化が不安定をもたらす証拠があったとしても、それは市場経済への移行にあたって耐えなければならない痛みであり、一つの調整コストに過ぎないとして無視されたのだ。


ある機関の思考パターンは、必然的にその機関が直接的に説明責任を負う相手と関連がある。投票権が重要であり、また-投票権は制限されていたとしても-誰がテーブルにつくかが重要なのである。それによって、誰の意見が受け入れられるかが決まるからだ。IMFは、銀行小切手決済システムをより効率的にする方法のような、銀行間の技術的な取り決めに関与しているだけではない。発展途上国の何十億という人々の生命と暮らしに影響を及ぼす決定に関与しているのだが、途上国の人々はIMFの措置について発言権をほとんどもたないのである。


グローバリゼーションをしかるべきかたちで機能させるために必要な根本的な変革は、ガバナンスの変革である。これは必然的に、IMFと世界銀行の投票権の変更に伴い、また国際経済機関のすべてに変化をもたらす。それにより、WTOでは通称大臣の意見だけが尊重されることはなくなり、IMFと世界銀行では財務省や中央銀行の見解だけが受け入れられることはなくなるだろう。


グローバリゼーションが民主主義に何をもたらすかである。グローバリゼーションでは、これまで主張されてきたように、国のエリート層による旧来の独裁が、国際金融による新たな独裁にとってかわられることが多かった。各国は事実上、一定の条件にしたがわなければ資本市場あるいはIMFに融資を断られる。要するに、主権の一部を放棄するよう強いられるのだ。


最も重要なのは、途上国には有能な政府が必要だということだ。つまり、強力で独立した司法部を持ち、民主的な説明責任を果たし、開放性と透明性を備え、公共セクターを成長を阻害してきた腐敗とは無縁な政府が必要なのだ。
発展途上国が国際社会に要求すべきことは、たとえば誰がリスクを引き受けるべきかについて、自らの政治的判断を反映するかたちで途上国自身が選択する必要と権利を手に入れること、ただそれだけである。発展途上国は、先進国のためにつくった雛型を受け入れるのではなく、それぞれの状況に適した破産法と規制体系を自由に採用できるべきなのだ。


国がとらなければならない政策をごく少数の人間が決定している限り、この種の開発は進展しない。民主的な決定が下されるようにするというのは、発展途上国の広範なエコノミスト、当局者、エキスパートが議論に積極的に参加できるようにすることを意味する。また、エキスパートや政治家だけでなく、幅広い層の参与がなければならないことも意味する。発展途上国は自らの将来を引き受けなければならない。だが、われわれ欧米諸国も責任を逃れることはできない。


経済学は選択の科学である。


to be continued・・・


2017年10月23日月曜日

「棲み分け」の世界史(食べる読書131-2)



本のタイトルにあるように「棲み分け」という切り口で世界史、特に欧米の特徴を述べている。
別の言い方をすると、分離の対象領域の変遷であると思う。


「自制的・生態学的な富の棲み分け」→支配被支配からの分離
「能動的棲み分け」→空間、時間そして、人間の分離


分離することがどうして欧米の覇権へとつながったのか。
条件の一つとして、欧米以外で分離が進んでいないことがあげられる。
当たり前のことだが、他がしていないことをしたからである。そしてそれを、世界標準にしたからである。


そして、逆説的だが、分けることで世界を一つにできたのだ。


分離対象ではなく、分離基準で世界を支配しているのだ。


分離の特徴の一つが、分離対象の運営のしやすさにあるのではないかと思う。分離の基準や根拠を基に運営すればいいからである。運営における判断基準が明確である。
だが、それは数字上だけのことである。
大事なことは、概念的に分離はしたが、現実にも分離されているのか?ということである。


本書では、棲み分けの結果としてナショナリズムが生まれたことを示している。

例えば次の内容、「フランスには、標準語とされるフランス語の他に、西端ではケルト系のブルトン語、南フランスではプロヴァンス語などロマンス語系のオック諸語、スペイン国境では、なんと非インド=ヨーロッパ語であるバスク語とロマンス語系カタロニア(カタルーニャ)語、ベルギー国境ではドイツ語系フラマン語、ドイツ国境のアルザス・ロレーヌ地方でもドイツ語系が使用されている。・・・だからこそ、こうした地域において標準フランス語、標準ドイツ語、標準英語が強制的に教育されていった。フランス革命では外国語はもとより標準語以外の方言もすべて使用禁止とされた。ここに国語(標準語)が成立したのである。そして、国語の普及には初等教育制度による識字率の向上が不可欠となった。同一規格の教科書を使った国語教育、さらに音楽教育(日本でいえば文部省唱歌のようなもの)によって正書法も発音も同時に均一化され、無味乾燥な国語が人工的に創られていった。」

生活に根差していないナショナリズムの台頭は、そのままバーチャル生活への入り口ではないか。
言語の発生と言語の役割などについての理解はほとんどないが、少なくとも各地域の言語はその地域生活と密接な関係があるはずだ。
生活に根差した言語を取り上げられ、運営上の理由による与えられた言語で生活することは、「お前はもう死んでいる」状態ではないのか。


分離によりバーチャルな生活を余儀なくされているのが現代である。


だが、”分離”そのものが悪いのではない。目的達成のために目的に合わせて分離することは大切である。
しかし、その目的を決めるのは各人である。
人間は、分離対象ではなく分離する側であるべきだ。


さらに、分離基準が歴史も文化も異なる欧米が決めたとなると、ほかの地域(アフリカ、アジアなど)の生活はどうなるのか。
その結果は、グローバル化の状況がそのまま答えになるのだろう。


本来「棲み分け」されていないのに、「棲み分け」することによって資本主義・サイエンスが発達し現在にいたっている。
「棲み分け」る、分離する基準が自由に決められるなら、人類がさらによりよくなるためにはどんな「分離基準」が必要であろうか。
もしくは、分離そのものから脱却しないといけないのか。
これまで分離してきたものを統合するような分離基準はあるのだろうか。


こう考えると上記の問いの答えが見えてくる。
「概念的に分離はしたが、現実にも分離されているのか?」
現実は、なにも分離はされていない。しかし、生活すること自体それに合った分離が必要である。
酸素を吸って二酸化炭素を吐くように、人間が生存するにも多様な化学物質などを振り分けて生存している。これは生活にもいえる。
人間の生体かつ生態に則した分離基準を基に生活を設計すればいいのだ。
分離基準は己自身ともいえる。


自分で決めた分離、「自発能動的棲み分け」を行う必要がある。それが社会的棲み分けとどう折り合いをつけるかは、その目的次第なのだろう。


「棲み分け」はあくまで手段である。


人類のためになる目的を定め、「自発能動的棲み分け」により新たな価値を提供したい。


以上
またね***


2017年10月22日日曜日

「棲み分け」の世界史(食べる読書131-1)




以下抜粋

モスクワ大帝国を引き継いだ帝政ロシアは、17世紀末から18世紀初頭のピョートル大帝の時代に、ヨーロッパの学問、軍事技術、宮廷文化などを輸入し、ヨーロッパ型の文明に接近した。しかし権力は皇帝へ一極集中し、ヨーロッパ型の封建制が展開しなかった。封建制に由来する権力の棲み分けを重視する本書としては、このような歴史を持つロシアをヨーロッパ史の枠組みで語ることは困難である。


富の棲み分けは大航海時代にさらに促進された。一五世紀以降の海外進出が様々な職人の技術を必要としたからである。船舶の建造法、航海術、測量術、地図・望遠鏡・武器の製作などである。ヨーロッパの海外進出が職人の技術を必要とし、それが技能の競争を生み、彼らの富の獲得を可能にした。職人が富を引き出せるチャンスが、ある意味無限に存在していた。富(貨幣)獲得のチャンスの多さが、職人の技能を向上させたのである。こうして国家も職人の技能から富を得るようになり、その社会的地位を認知するようになっていく。


中国では鄭和の航海の後、造船所が皇帝の命令で壊された。全長百メートル以上、幅五〇m以上の巨大戦艦数十隻に二万人越えの人間を積み込み、インド、ペルシア、アラビア半島、さらにアフリカにまで及んだ鄭和の大航海を実現した中国の造船・更改技術は、一五世紀には間違いなく世界一の水準にあった。しかし以降失速する。彼らは鋼鉄製の蒸気船も造れなかった。オスマン帝国では、印刷所が危険思想を流布するとして閉鎖された。このように、権力の一極集中は時として技術の向上をストップさせてしまう。反対に、ヨーロッパでは権力が棲み分けし、優れた製品をもとめる権力者がたくさん存在した。敵対する権力との争いの中で、例えば武器なら性能の良い方を好んで買ったであろう。

中国やイスラム圏ではよい製品をつくっても、職人がそこから富(貨幣)を引き出すチャンスがなかったのである。市場は大都市(皇帝所在地)と少数の中規模都市に限定されていた。極端に言えば、良い製品を認める権力者は皇帝及び官僚しかいなかった。富を独占していた皇帝が興味を示さなければ、商人はその「良い製品」をいったい誰に売ったらよいのか。


結局、権力、都市(市場)、富の棲み分けのなかった中国やイスラム圏では、皇帝が技術の発展を阻害する一方、職人に富が入ることも、職人の地位が向上することもほとんどなかった。だから職人同士の競争もなく、技術はある段階でストップした。職人の競争からサイエンスを生んだヨーロッパとは対照的であった。だから科学革命も産業革命も、そしてもちろん後述する資本主義もありえなかった。


良い製品や良い機械をつくれば富が入るチャンスはヨーロッパ中どこでもあった。しかし当時のイギリスは綿織物・紡績機・蒸気機関・製鉄で「より儲かるチャンス」があったのである。ある意味で各種棲み分けの成果を一番享受できたのが一八世紀から一九世紀にかけてのイギリスであった。


医学者を筆頭にサイエンティストの社会的地位は権威主義的になるほど上昇した。サイエンティストのエリート化と、彼らを養成する大学の社会的地位の向上が、資本主義社会の要請に合致していた。サイエンスの発達は資本主義国家に富をもたらすと考えられていく。


現在、資本主義とサイエンスは一心同体で、しかも加速度的に自己増殖している。われわれ現代人の思考パターンもそれに合致するように教育あるいは洗脳されている。現代社会は資本主義・サイエンス的思考法で運営され、われわれはそこから逃れられない。


非ヨーロッパ圏で早くから展開されていた、「人々の移動の自由、生業・職業選択の自由、自由主義市場」が展開された経済システムを「レヴェル1の資本主義」と名付けよう。


資本家が、多くの賃金労働者を工場に集めて、一部は機械を使って大量に工業製品(農産物ではない)を持続的に生産・販売し儲けをあげていく経済システムを「レヴェル2の資本主義」と呼ぼう。


マルクスは労働力でそれを説明する。百人の労働力と百人の労働力の生産物は等価である。ところが一人が操作する一台のトラクターが百人の労働力の仕事をすれば、A国で製造されたトラクターをB国が購入するためには、A国に提供しなければならない。たった一台の工業製品で取引相手から膨大な資源・原料や農産物を引き出すことができる。だから工業製品を作れる国、団体、人に儲けが集まる。


「自制的・生態学的な富の棲み分け」は、当初から各人に富が配分されていたわけではなく、富を獲得するチャンスが多いということである。しかし最初から「富」は保証されるが一定以上は増えないこともわかっている「富の能動的棲み分け」社会=ソ連では、サイエンスは、かつての中国やイスラム圏のように、ある段階でストップしてしまうのである。


ヨーロッパに「資本主義の精神」(金儲け精神)が浸透する過程で、同時にサイエンス的発想が浸透していった。サイエンス的行為とは実験・観測・測定・臨床である。この作業を効率的におこなうために、「数値化、合理化、均一化、画一化、マニュアル化、様式化」といった手法が採用された。資本主義も同じである。儲けを生むためには「数値化、合理化、均一化、画一化、マニュアル化、様式化」が有効である。私が、資本主義・サイエンス的思考と呼ぶものはこれである。資本主義もサイエンスも富の棲み分けの産物であり、同根である。


聖俗の棲み分けは、特定の空間と特定の時間には一つのことしかできないという発想である。これが資本主義社会に適合的なのである。例えば、十九世紀初期には、まだフランスの職人や労働者は、伝統に従って、仕事の合間にワインを飲んだり居酒屋に行ったりしていた。ところが同世紀後半になるとこういった行為は徐々に許されなくなっていく。工業化が始まると、工場や仕事場は、まさに仕事をするだけの空間となっていく。


フランスには、標準語とされるフランス語の他に、西端ではケルト系のブルトン語、南フランスではプロヴァンス語などロマンス語系のオック諸語、スペイン国境では、なんと非インド=ヨーロッパ語であるバスク語とロマンス語系カタロニア(カタルーニャ)語、ベルギー国境ではドイツ語系フラマン語、ドイツ国境のアルザス・ロレーヌ地方でもドイツ語系が使用されている。・・・だからこそ、こうした地域において標準フランス語、標準ドイツ語、標準英語が強制的に教育されていった。フランス革命では外国語はもとより標準語以外の方言もすべて使用禁止とされた。ここに国語(標準語)が成立したのである。そして、国語の普及には初等教育制度による識字率の向上が不可欠となった。同一規格の教科書を使った国語教育、さらに音楽教育(日本でいえば文部省唱歌のようなもの)によって正書法も発音も同時に均一化され、無味乾燥な国語が人工的に創られていった。


19世紀以降のヨーロッパは、なぜそんなにナショナリズムにこだわったのか。一つの説明として、ナショナリズムによる言語の純化(標準語化)が、工業化や近代的軍隊にとって効率的であったからというものがある。


ナショナリズムは物語に過ぎないかもしれないが、それが国際的なゲームのルールになってしまったため(いわば世界標準)、こだわっていなかった国も巻き込まれざるをえなくなったのだ。


理念的あるいは心情的にはアトム化した個人を国家に結びつけるにはナショナリズムは便利な装置である。ナショナリズムによって国家内部の対立、とくに金持ちと貧乏人、あるいは多数派民族と少数は民族の対立・相違をある程度隠蔽ことが可能だからである。


国家という空間を「同一民族」で構成しようとするから、ナショナリズムには「異なった民族」を排除する傾向があると述べた。これが人間の「能動的棲み分け」につながる。つまり、空間の「能動的棲み分け」によって「異なった民族」「異なった人間」を排除しようとする傾向が進むと、人間を「能動的に」棲み分けさせて異なる要素を排除しようとする発想が必然的に出てくる。


われわれはつい「西洋諸国=民主主義国家」とイメージしがちであるが、少なくとも第二次世界大戦以前で議会民主主義を採用できたのは植民地をもっていた国家だけだったのである。イギリスやフランスでは植民地のおかげで民主主義が機能していたのである。少し説明しよう。植民地の存在が工業化を促進し国家に富をもたらした。それによって国民がある程度裕福になったので不満は抑えられた。それに対し、農業国家のままであった東洋諸国は工業化した植民地国家の収奪地でしかなかった。国民の不満は常にくすぶっていた。先進国の収奪に対抗するため、さらに国民の不満を抑えるためには独裁者、とくにカリスマ的独裁者が必要であった。現在でも議会民主主義の機能しているのが先進国や新興国といった豊かな地域に限定されているのを知っている読者、中東や北アフリカあるいはラテンアメリカの現状を知っている読者ならおわかりであろう。先進国の収奪を免れるためには独裁制もやむをえないのである。


北米は、人間の棲み分けのもとに発展したといってよいのだろうか。それは少し違う。空間・時間の「能動的棲み分け」の発想と連動して工業化したというのが正解である。しかし「能動的棲み分け」は必然的に人間の棲み分けに連結する。これが悲劇であった。ともあれ、人間の棲み分けが徹底された北米が工業化し、それが不徹底だった中南米が工業化できず今でも貧困状態にあるというのは(ブラジルのように新興国として抜け出しそうな国もあるが)、残酷な現象である。人間の棲み分けに成功した方が経済的に豊かになるなんてどういうことなのか。こちらの方がおかしいとは思いませんか?確かに空間・時間の「能動的棲み分け」は資本主義の発展には適合的である。中南米ではそれが実行・成功できなかった。しかし、この「能動的棲み分け」の冷酷さが、欧米に世界の覇権を握らせた「武器」でもあった。


ヨーロッパの人間の棲み分けの論理が「普通でない」ことに、どれだけの人が気づいているだろうか。


マーシャル・プランの目的は、ヨーロッパにアメリカのための巨大市場を再生させることであった。要するにアメリカ製品の販路として、ヨーロッパ人の購買力を復活させなくてはならなかったのである。そのためのヨーロッパ経済の再生、さらにいえば経済的統合は、アメリカにとっても都合がよかった。アメリカもただではお金を出さない。


EUとは何なのか。私は「ヨーロッパ人の国」という巨大な国民国家をつくる夢、しかも完成することのない夢であると思う。十九世紀に成立した国民国家の原則は、同空間=同民族=同言語である。それがナショナリズムである。この原則を当てはめてみると、いーろっぱという空間を設定(創造)し、そこにヨーロッパ人を創出し、ヨーロッパ語という言語を均一化しなければならない。これにはフランス革命以来できあがってきた個別の国民国家を一度壊し、新たに「ヨーロッパ国民国家」を創るという作業を行う必要がある。そんなことができるだろうか?無理である。


ナショナリズムが暴発して独立にいたるのは必ず貧しい農業国である。


「貨幣関係のネットワーク」が社会全域に浸透すると同時に「資本主義の精神」という「共同幻想」が浸透する。(ちなみに、すでに物々交換の段階から、交換はすべて共同幻想に基づいておこなわれていた)。これを「レヴェル1.5の資本主義」と名付けてみよう。


私に理論からすれば「レヴェル2の資本主義」の勝者になるには、その前提として「レヴェル1.5の資本主義」が展開され、その結果少数の「金持ち」(資本家予備軍)と多数の「貧乏人」(労働者予備軍)が生まれる必要がある。それが成立する条件は、権力・人口・都市(市場)・富の棲み分け及び農村内での職の棲み分けが存在していることであった。もちろん皇帝一極集中型のロシアでは各種棲み分けがなく、したがって「レヴェル1.5の資本主義」も展開されなかった。大量の「賃金労働者予備軍」が存在しなかったから、農奴を開放してそれを創出しようとしたのである。しかし、ロシアでは農奴解放後も農民は「社団」といった農村共同体から離脱できなかった。彼らが農村共同体から離脱して「賃金労働者予備軍」になれたのは十九世紀末以降のことであった。


ヨーロッパの「自生的・生態学的棲み分け」が資本主義とサイエンスを生んだ。サイエンスと資本主義に連動するように、欧米人は空間・時間の「能動的棲み分け」を始めた。資本主義・サイエンス・能動的棲み分け。この三者は確かに適合的で相性が良い。ただそれだけでなく、今やこの三者は合体して意味もなく勝手に自己増殖して制御不能になりつつある。制御不能にしているのはわれわれ人間である。しかし制御することもできるのも人間であるのだ。制御できないと「ロボット社会」となる。


to be continued・・・



一枚の葉

 今、私は死んだ。 そして、その瞬間、自我が生まれた。 私は、一個の生命体なのだ。もう死んでいるのだが。 死ぬことでようやく自己が確立するのか…。 空気抵抗というやつか。 自我が生まれたが、自身のコントロールは利かず、私はふらふらと空中を舞っているのだ。  私はこの樹の一部だった...