2012年6月30日土曜日

水滸伝六(食べる読書104)





楊志に続いて官軍からの有力人材を獲得。


ついに秦明が梁山泊入りである。


楊志やほかの男たちのようになにかしら個々人の事情と深く関わっての入山ではなかった。意外とあっさりしていた。


そのときの魯達のやり方がスマートだなあと感じた。こういうやり方は好きです。


そして旅の中の宋江がまたしても危機に直面している。


それでも動じないのが宋江ではあるが…、その分武松らがたいへんだなあとも感じた。


これらの流れから闘いは次のステージへと移っていく。そして、それはこれまでの巻が扱っていたテーマとは異なる内容に関する記述が多くなるということ。


この水滸伝ではひとつの組織として成り立たせるため人をどう扱うかという俯瞰した視点を得られると感じながら読んでいたが、それと同時に時や状況の変化によって組織自体の変貌も時間軸から俯瞰して見れるのが勉強になる。


組織の変貌とそのコントロールかな。


これをどう導くか。


これまでにない相手に処するため自らをどう変えられるか。


ビジネス・経営にも通じる問題ではないかと感じる。


総合的な学びが小説からは得られるなあと思ったりする次第です。


以下抜粋


人を殺したということについて、自分が正しいと思いこもうとしている。人殺しにはよくあることだった。自分だけの理由。それが、いまの世で人殺しの数を増やしていると言ってもいい。


「ただの盗っ人の人殺しと言われた時、肚の底にしまいこんでいたものを、いきなり引き出されて、陽の光に晒されたような気分になりました。だから、腹が立ったのだと思います。これまでにないほど、腹が立って、自分で抑えることができませんでした」


「なに、命というのは、投げ出してみれば、なんとかなる。死ぬ時は死ねばいい。生きたいという思いは、捨てられることがあるのだ。いまの俺は、そうだ」


民のために権力と闘う志、というのがただのきれい事だと思えてきた。穢れのないことをやり続けてきた、という思いが、消えていたのだった。
どういう志であろうと、権力を倒し、新しい権力を作りあげよう、という目的があることは否めない。つまり、権力と権力の争いになっていく、と思っていいのだ。そこでは、きれい事は言っていられない。騙し合いも、裏切りもある。林冲や、死んだ楊志のような純粋な軍人気質は、ただ果敢に闘えばいい。しかし、宋江や晁蓋や盧俊義は、権力の争いであるという本質に、とうに気づいているだろう。


「死にたい時に、死ねる。それは選ばれた人間だけが持つ特権と言ってもいいな。おまえや私のような愚か者は、死にたい時に死ぬことは許されん。なあ、馬麟。人は、息をしなければ死ぬのだ。死にたいなら、息を止めていればいいだろう。それで死ねないなら、死ぬことが許されていないのだ」


宋江は意味を考える人間であり、そこからどう闘うべきかも決める人間だった。自分はただ、闘うための人間だ。だから、こんなことを考えてしまう方が、おかしいのかもしれない。それでも双頭山の兵たちはみんな、宋江や晁蓋ではなく、自分や雷横を見ているのだ。


「人はいくつになっても、学ぶものです。人の世で生きるのに、孤高などとは馬鹿げたことなのだとも、史進が教えてくれました」


「俺との稽古は、躰にはつらかろう。しかし、心にはつらくない。なんとなく、俺にはそれがわかった。だから、容赦せずに打った」


「考えの対立は、あって当たり前。将軍が、軍人という殻に逃げこんで、人間として語ろうとされない時です」


「私は、将軍と話をしたかっただけです。充分に、聞いていただきました。軽い誘いの言葉に乗る人物を、梁山泊は求めてはおりません。あとは、将軍がお考えになり、決められることです」


「梁山泊は、ひとつ梁山泊のみではない。各地に散在する山寨でもない。人の心から心に移る、魔もののようなものが、梁山泊だ。これは、こわい。官軍の、名だたる将軍の心にまで移った。これからさらに、官軍の兵に、民に、移っていくことを防がねばならん」


「蔡京がなにか言ったとして、民はそれを聞くか。またか、と思うだけだろう。二、三の施策で、民の心は動かせまい。私が求めているのは、すぐにできることだ。二年、三年の計については、誰にでも言える」


「そうか。こちらが癖だと決めつけているものにも、大抵は原因があるということか」


「ここに入山する者に、死ぬ覚悟をしろと言ってきた。死んだやつらは、黙って、名もなく消えたんだ」


李富に、人間的なところがあるのはいい。しかし、それを弱さにしてはいかん。


「悪い者だらけだ、この国は。これはと思う者など、ひとりもおらん。それでも、国というものは成り立つ。民が、働くからだ。国の力は、民の働きがすべてなのだ」

「しかし、民は富ませ過ぎてはならん。必ず、富はどこかへ片寄る。富を得られなかった者の心に、不満がくすぶる。それが、叛乱の芽になっていく。民は草だ。木になってはならん。灰でもいいし、地衣でもいい。たとえすべての地を覆ったとしても、決して上にのびてはならんのだ」


大抵の場合、権力を否定する叛乱側のほうに、大義はありそうに見えるものだ。


気は、自分で蘇らせるものであろう


「男は、自分で自分を鍛えるものだ。楊令にその気があれば、教えなくともすべてから学べる。林冲は躰の痛みを教えたが、私は別のものを教えようとしている」


「なにか、暖かいものがそばにある。それで、楊令の受けた傷は、いくらか癒されるかもしれん。時はかかるであろうが」


「哀しみを知っているということは、喜びを知っていることでもあります」


想定は、ひとつだけでいいのだ、阮小五。戦は生きものだ。あらかじめの想定は、ひとつ。


「のちに、死で償う。たとえ勝ってもだ。戦に前提を立てるということは、それほど危険なのだ。本来、戦に前提を立てるのは、邪道だな」


戦で勝つのと負けるのでは、大きな差がある。大きすぎる差だ。しかし大将の資質を較べれば、小さな差しかない。ほとんど紙一重と言ってよいであろう。あるいは差がなく、運のあるなしが勝敗を左右する。だから、資質で勝つ、資質で負けるということは、あまり考えない方がいい。ただ、人の力でなし得ることはあるぞ


「堅陣を敷いた。敵の大将には、そう思わせる。だから、布陣に充分な時を与える。自信があればあるだけ、自分の陣形にこだわり、退くのが遅れる」


「夜襲の発見は早くできても、一千に攻められたら、支えきれまい」


今夜、と王定六は決めた。疲れは限界に達していたが、決めることにためらいはなかった。決めたら、すぐにやる。あれこれ考えたりはしない。考えれば、脱獄などできるはずはない、と思ってしまうに決まっていた。


「こんなところで、死ぬ気になってなんになる。心根は腐っていないが、愚かではあるようだな。とにかく、私に付いてくるか、ここで死ぬか決めろ」


この世を少しはましにするために、人生をかけて闘おうと思っている。


肚は据わっていた。自分を守る者たちを信じ、決して疑わない。もし命を落とすようなことになれば、そこまでだと達観してもいる。この国を変えたいと志したところで、その姿を知りもしないでなにができるのか、という強い信念はいつも感じられた。


じっとしていることが正しいのかどうか、武松は考えるのをやめにした。すでにはじめている。死ぬ時が来れば死ぬが、それは宋江を守り抜くためである。自分が生きているということに、武松はわずかだが意味を見つけ出しつつあった。


たとえ宋江を捕えて殺したところで、また別の宋江が現われる。民の間に、叛乱の芽がある間は、必ずそうなるだろう。それよりも、こちらが変わってしまう方が先だ。


以上
またね***



2012年6月29日金曜日

情報の歴史を読む(食べる読書103-2)




引き続き抜粋


古代中世では文字ですら人間の身体に共鳴した状態で読んでいたということです。どんな文字であれ、必ず音をたてて読まれていたからです。ですから、声の情報文化の時代というのは「共鳴型の情報文化」だったといえるのではないか。
これにくらべて近代の「目の文化」としてのリテラシーは、それを別々の機会に確認しなければいけないのですから、「追認型」というべきです。


エディット(編集)は、情報に関係を発見し、文脈、時間、律動によって、情報を統合し創造にいたる方法。コンパイル(編纂)は、情報の種類を限定して収集、分類し、階層的に構成したり、系統的に整える方法。組織は編纂的につくられてきたが、最近では、組織編集がもとめられてきている。


巡礼は情報ネットワークの拡大であるとともに、一方では経済ネットワークの発展にもつながります。


イスラム型のアリストテレスとはちがうアリストテレス解釈を新しく導きだす必要があったわけで、そこで、のちに”スコラ論議”と揶揄されるような、徹底した解釈議論がつづくことになるんです。



そこには情報文化の風土的社会的な”時熱”というものがあり、各地にそのように熟成が進めば、時同じくして似たような現象が出てくるのはあたりまえなのだ、とおもう見方が必要です。


この一連の動向には、それまで隠されていた貴族や豪商たちの欲望というものは、それにうまく鏡をあわせるシステムさえあれば、それまで人類が知らなかったとんでもない可能性と危険性が引き出せるのだということを知らせます。それは何かというと、それが資本主義というものでした。


二人(デフォーとスウィフト)はともに奇想天外なフィクションをたてつづけに発表したのですが、それは誰もがすぐに現実社会のおかしさをおもいつける”文字の劇場”の中の出来事を描いたものでした。しかし、それだけに、スティールやアディソンの思想の自由貿易よりも、ずっと影響力をもった。



情報文化史としての十八世紀が興味つきないのは、この世紀は「テイスト」が全面に躍り出て、陶磁器とかパステル画とかジャーナルとか、クラブとか園芸書とか活字見本帖とかが、大きな情報力をもってくるということなんです。思想や言語はその上にのっかっているだけという感じです。


歴史とはそもそもが「関係の発見」の連続であり、そこに情報文化の編集のウェブ(網目模様)が読みとれるわけです。


中世の共同体は声がとどく範囲でひとつの単位をつくっていたことに注目しておくといいとおもいます。だから町や村の行政単位もその半径にもとづいていたのです。


「活版印刷によって聞く文化は失われ、見る文化が強化された」、および「活版印刷は各地に母国語の確立をもたらした」ということです。


奴隷貿易と機械労働の出現もけっこう重要です。これによって分業システムが進行するのですが、それとともに知識情報と技術情報も分業されてしまうからですね。そのため、これらの知識情報と技術情報を管理する親方制度やギルド制度や、日本でいえば座のシステムなどが発達します。



情報格差に象徴される跛行的社会の矛盾を解消しようという動きが初めて出てくる。なぜなら、当時の人々にとっては、格差は医療や児童労働や婦人教育としてみえやすいかたちをともなっていたからです。これが公衆衛生や労働時間の改良などに発展し、やがてはシャルル・フーリエやサン・シモンらの空想的社会主義にまで昇華していきます。



商品による世界再生は、都市を商品の見物と流通の場に変化させる。物の流れ、情報の流れ、人の流れ、金銭の流れが、都市の重要な条件となってきた。


われわれの身体に従属していたはずの娯楽分野に電気的な情報技術が介入してきたということは、かつての活字や図版やピアノやカストラートがもたらしてきた感動に、新たな変更を迫るものとなったわけでした。そのためか、二十世紀の初頭を飾るジョイスやプルーストやジッドの文学は、逆に、そのような情報技術からまったく遠い意識の内部の出来事を描き、情報文化そのものに背をむけようとしたのです。


歴史というものは、おおむね強者による普遍主義の独占をめぐって歯車をまわしてきました。情報も強者によって独占されてきた。しかし、むしろ「弱者を聞く時代」のほうに注目するべきじゃないかとおもうのです。


情報文化を解読するには、通時的でいて、かつ共時的な”歴史の眼”が必要になるのである。



そもそも古代インドには「なる」という動詞がなく、仮に「なる」を表現するばあいでも「ある」の一側面にしてしまう。したがって、インドの情報文化は「出現」と「持続」と「消滅」の三つのフェーズを基礎に成り立っていくということになる。


ペルシア語・アラビア語・サンスクリット語のいずれにも「主観」にあたる言葉がなく、そのため、これらの民族言語をつかう思想では、内部と外部を分けたり、宗教と哲学を分けたり、また科学的分析性と主観的思索性を分けるといった思考は通用しないのだという。では、これらの民族言語のよる情報文化はどのような基礎をもっているかというと、シャエガンによれば、「普遍的なるもの」と「個別的なるもの」を分けることで成り立っていく。



電子情報文化の特質はデジタル化とネットワーク化という点にある。けれども、それだけでは何もおこらない。われわれがこれまで経験してきた情報文化が次々にデジタル化され、そのコンテンツがネットワーク化されていくにしたがって、そのプロセスに独自の情報文化編集が加わらないかぎり、電子ネットワーク社会なんて、ただの”便利な社会”にすぎないのである。私は、明日の情報文化をおもしろくするには、電子ネットワークの中に編集技術が開花する必要があると思っている。情報文化史が編集技術の歴史でもあることは、本書を通読してもらえば納得されるにちがいない。


to be continued・・・



2012年6月26日火曜日

情報の歴史を読む(食べる読書103-1)




以下抜粋


天平時代の752年に東大寺で、大仏開眼という巨大なナショナル・イベントがおこなわれたことがありましたが、あれは「東大寺を中心とした全国ネットワーク・システムが開通した」というお披露目だったわけです。


歴史が編集だというのは、歴史の出来事には、どこかに必ず情報を構成しなおそうとするしくみがあるということを意味します。


その民族がかかえてきた情報文化は物語という様式そのものに凝縮して編集されているということになりますし、もっというなら、その物語を編集してきた編集の方法にこそ、つまり、そのプログラミングの方法にこそ、民族の記憶や文化の様式が宿っているとみなしてもいいわけです。



編集の真骨頂は「関係の発見」にある。一見、ばらばらに見えている事柄や現象が、実はどこかで関係しあっているのだということに注目し、それを構成することです。その関係線を発見し、その意味をさぐることです。歴史はそのような編集の成果でしあがった複雑きわまりないエディトリアル・オーケストレーションなんですね。



「情報というものは必ず遅れてやってくる」ということなんです。


「どんな情報も、そのメッセージを送る発信源のすべてをつきとめることはできない」ということです。



われわれは、もともとが複数の情報生命複合体なんです。意識というのは、そのような情報生命複合体の中から突起してきた文法的な主語のようなものなんです。


でたらめだということは、いいなおせば「区別のない世界」です。したがって、そこには情報もない。情報は区別を本質としていますからね。


無秩序から秩序をつくりだすこと、これが生命活動の特徴です。そして、そのような秩序をつくることが情報の本質的な動向だということになります。



人間はそれ(情報をたくさんの外部記号におきかえられるようにした)に加えて、外の世界に自分の情報活動の記号をつくり、これを扱えるようにした。そこが特徴です。つまり、言葉や道具などのコミュニケーション・ツールをつくったということです。


情報にとって分節が大事だということは、情報には文脈があるということで、情報に文脈があるということは「情報文化は区切りでできている」ということです。つまり、この文章はどこで分節をするか、アーティキュレートするかということが、人類の情報文化をつくってきた。


情報文化に接するときは、いつも全体に接しつつ、その部分をどういうふうに切って組みあわせているか、これに着目しなければいけません。



結局、人間の社会的な情報活動のスタートは、自分の属するエリアと他人の属するエリアというものを分けるか分けないかということをめぐって、さまざまなコミュニケーションをしてきたことにはじまったといえます。


われわれの情報文化史は、最初期の直立二足歩行の段階で、すでに根本的な制約をうけ、その制約ゆえにさまざまな情報編集的なスタートをきったということです。



コレクティブ・ブレインとは「集合脳」というような意味ですが、かんたんにいえば一族全体がひとつの考え方をもっていたということで、ばあいによっては、一族全体がひとつの表現技術に徹していたりもします。


線の発見はリズムの発見であり、輪郭の発見はデザインの発見だったわけです。


農耕とは、情報文化史的には人工的な生産空間開発の開始を意味します。ヒプシサーマル(気温の上昇)の進行で、それまで自生していた小麦がとれなくなると、「あの小麦よ、もう一度」というわけで、農耕がはじまるわけです。そこにはヒプシサーマル以前の”小麦による生活”という情報文化モデルが生きていたということなんです。



文字は情報が大量に流れるところに成立するからです。大集落はモノの集散と加工でささえられる。それにはその集散と加工の技術を管理するマネジメントが必要です。漠然と情報をつかまえていたのでは、たちまち崩壊をおこしてしまう。何が入ってきて、何が変化し、何が流出したかを記録する必要がある。勘定をする必要がある。また、担当名簿もつくる必要が出てきた。それが文字の出現をもたらすのです。そして、そこに「くりかえしあらわれる文字」と「修正不可能な文字」という性格が確立されると、その記録力が情報文化の基底をささえていくことになるのです。



文明というのは「都市と市場をもった広域情報システム」というふうに見るとよいとおもいます。これにたいして、文化というのは「多様性を克服した情報モード」とでもいうものです。


「われわれにはあずかり知らぬ情報も流れこむ」


観念技術が発展して、それらが言語システムや文字システムとなり、コミュニケーション・ツールが発達して、感染の技術というものが生まれてくると、そのようなものを駆使した、もっと強大なシステムが出てきます。さまざまに飛び散っていた民族的な情報文化を統合し、再構成するような情報システムです。



「聖なる場所」が国家の中心的なホストマシンと重なるには、都市における聖堂や神殿の建立を絶対に必要とします。そしてここにこそ、宗教と国家の起源が同一視される歴史的根拠が出現するのです。それは、古代宗教というものが文明の起動装置であり、情報管理システムであったことを意味します。


マツリゴトというものが宗教と国家の起源を一致させるためのしくみであって、そのためには”マツリゴト・ホストマシン”のエンジンにあたる強力な神々がつねに”用意”されていたということが、はっきりしてきたとおもいます。古代宗教国家が周辺民族を制圧し、かれらを服属させるときには、必ず自分たちの神々を認めさせ、その神々にたいして情報的な服属契約を結ばせるという方法がとられたわけでした。


古エジプトの情報文化システムは、生と死の二つの王国にまたがっていたわけですね。ホストマシンのエンジン自体の中に生と死が入っていたんです。


ギリシア神話もギリシア神殿も、もともとの原型は大母神がリードしていて、それがいつのまにか男性神のゼウス型の物語構造に組み替えられていったということです。つまり改竄されたということである。そこに母系制から父系制への社会の転換があったともいえるし、編集技術の転換があったともいえます。


では、なぜ、ゼウスはたくさんの女性と交わったのか。「母なる神」の物語を換骨奪胎した新しいギリシア型のゼウスの物語構造では、多くの「母なる神」の末裔たちを犯しておく必要があったからです。こうしてゼウスから生まれた神々こそが”純正国産もの”として、新たなギリシア神殿に入ることになっていく。それとともに、古い大母神を中心とした社会システムから、男性神中心の社会システムへの切り替えに成功していった。これがオリンポスの神話の実態です。


デモクラティア(デモクラシー)というのはもともと財産評価政策のことですからね。



預言者が出てきたというのは、その預言者が生きていた時代の社会が低迷していたということにほかなりません。預言というのは、社会を改革するための政策を予言の形式で提案するということなんです。ですから、「枢軸の時代」とはいえ、その社会状況は必ずしも高揚しているとはかぎらない。


たしかに古代ギリシアにはすばらしい美術も思想も科学もあるのですが、そのよさは、それぞれの建築家や思索者や科学者が、「おもいつめる」といことに徹したからなのであって、その思索によって社会のモデルがつくられたからではないからです。



ブッダを彫像であらわすことをしなかった仏教徒が、アレクサンドロスの軍隊が運んできたギリシア彫刻に目をみはり、ブッダの彫像化を試み、そこにガンダーラ様式が誕生したという、これは誰もが知っている話です。



対話による思索の進行というのは、たいへんすばらしい方法だとおもいます。なぜなら、そこには「編集的現在」という視点が生きてくるからです。二人が思索の現在をつねにとらえて、そこに出入りする情報を次々に交わしあうことは、「おもい」がどのように変化するかというプロセスを見るには、もってこいなのです。


外来者が内部の本質を見抜いてしまうという例でした。情報文化史では、どうもこういう例が少なくありません。


タイプフェイスと文化の関係は言及されてこなかった。けれども、どの内容をどの書体で綴っておくかということは、情報文化にとってはかなり大きなことである。


インド哲学は、このブラフマンとアートマンを合体させることが目標になっている。これをよく「梵我一如」といいます。宇宙原理と個性原理の統一ということですね。



業(カルマ)というのは、人間の行為には潜在力がひそんでいて、どんな行為にもその潜在力がのちのちまで影響力をあたえるというものです。


中国では、いつの時代も「仏先道後」とか「道先仏後」とかいったプライオリティを議論する批評がかまびすしく唱えられているのです。日本ではどちらかというと、こういうときは「和光同塵」とか「和魂漢才」とかいって、一緒にしてしまったり、バランスをとったりしてしまうことが多いんですね。中国では、そこは必ず決着をつける。



「華厳経」は唯心縁起を重視する世界観によってできあがったもので、言葉づかいがたいへんに述語的につながっているという特徴があります。なぜならば、華厳は「生起」というはたらきに注目していて、さまざまな現象が互いにめくり上がり、相互につながっていくというワールドモデルをつくっているからです。それを言葉でも自在に表現してみせている。



to be continued・・・



2012年6月24日日曜日

水滸伝五(食べる読書102)




物語が次の展開へと移っていく。その布石の巻だと感じた。


魯智深は九死に一生を得、魯達となりますます化け物じみていっている。


楊志が死んだ。


最もバランスのとれたすばらしい人物だし、今後中心的存在になっていくだろうと思っていたが、…死んだ。


だが、これで大きく物語は展開していく。



惜しい人物が次々死んでいく。



この巻では、楊志のほかに私にとっては石秀がそうだった。


致死軍から追い出され、楊志のもとへと移動になった。


この石秀が再び致死軍に戻ったときどう変わっているかが楽しみではあった。


残念だ。


だが、悔しがってばかりもいられない。戦は続くし、これが戦だ。



こういう惜しい人物をあっさりと死なすというのもこの物語にリアル感をもたらしている要因だと感じる。



人の幸せを楊志を通して見れた気がした。もうこういう人物は出て来ないとは思うが・・・。


ほかの面で人の幸せを見いだしてみようかな。


以下抜粋


「自分の志が、どれほど多くの人間に支えられているのかと、旅に出てはじめてわかった」


一万の軍に包囲された。本当にきわどいところを擦り抜けたのだと、戴宗らの表情を思い返すとわかる。しかし、生きている。生かされている。闘え、ということだ。武松のように、李逵のようには、闘えない。しかし、自分にできる闘いは、あるはずだ。



「打ち首には、まだ多少の名誉がある。人間らしいものとして、おまえに許されるのは恥の感覚だけなのだ、その恥にまみれ、見せしめとして滅びてゆけ。それが、おまえの死が役立つ、唯一のことだ」



この国は豊かだった。いまも、開封府には人と物があふれている。商人の力が大きかった。商人が儲ければ儲けるほど、役人の取り分は少なくなる。そこから、役人の権限を利用した腐敗がはじまったのだ。商人が使える金が大きくなり、腐敗もまた大きくなった。


「はじめから、経験を積んだ人間など、いない。ひとつの経験から、なにを汲み取ることができるかだ、阮小五」


「私は、世直しの志を持った。それが、男として生まれてきて、大事なものだということは、よくわかっている。しかし、男の人生には、ほかに宝もある。それがおまえであり、楊令だ。二竜山にいる間も、私は生きている喜びを噛みしめていられる」



李富の、国を思う気持ちが強ければ、耐え難い傷も耐え抜けるはずだ。そこで耐えられなければ、そこまでの男だったと思い定めればいい。


「戦は、勝てば終わる。負けてもだ。しかし、改革は終らぬ。どんな改革にも、不平を抱く者はいて、それが事あるたびに動くのだ。王安石の改革を見ていて、私はそう思った。神宗皇帝の没後、不平を抱いた者たちの巻き返しは、戦より厳しく陰湿なものであった。急ぎすぎた改革は、必ずそういう結果を招くと私は思っている」


自分の国を見限るのは、自分を見限るのと同じことだ、と言われた。卑怯者が自分から逃げるように、ただ逃げただけだ。そして、どこへ逃げたところで、そこが帰る場所になることはない。帰る場所を捨てて、人生になんの意味があるというのだ。
人が旅をするのは、変えるべきところへ帰るためだ。


「痛みが、心の中のなにかを癒す。そんなこともあるのだ。医師であるおまえには、肯んじ難いだろうが」


「戦は、第一です。ただ、戦を支えるために必要なものもあります」


ひとりの人間の力が、これほど強いのか、と驚嘆せざるを得ない。しかし、だからこそ叛徒は脆さを持っていると言ってもよかった。楊志を殺すことで、二竜山は大きく動揺するであろうし、晁蓋と宋江を殺すことで、梁山泊は大混乱するはずだ。



俺は世直しなど、どうでもいいと思っている。だから、志などないのだ。自由に生きられる場所を、心から欲しいと思っているだけだ。


愛されていると感じるだけで、自分は生きていると馬桂には思えた。生きることがこれほど切なく、もの狂おしいと、この年齢になってはじめて知った。


ふり返る。楊令。済仁美に庇われるようにしながら、顔だけこちらにむけていた。眼が合った。笑いかけようと思った。笑えたかどうかは、よくわからない。父を見ておけ。その眼に、刻みつけておけ。


この国は民が元気になり、さまざまな場で、大きな力を持つようになった。当然、豊かにもなった。本来なら役人が得ていたものを、商いというかたちで、民が得るようになったのです。以前より数倍、あるいは十数倍も大きくして。役人に残ったのは、権限だけです。その権限を利用して、賄賂を受けるようになった。そうしなければ、昔のような収入は得られなくなったからです。


以上
またね***



2012年6月8日金曜日

ニーチェの警鐘(食べる読書101-2)




以下抜粋

<常識><良識><歴史感覚>それらすべてが<現代精神の趣味に反するもの><反時代的なもの>として葬られてしまった結果、社会全体がブレーキを失ってしまったのです。


大衆は近代の産物です。前近代的な階級的序列が消滅し、伝統的コミュニティが崩壊したことにより、都市部を中心に発生した層です。



理念の前に来るべき<共同体の慣習><歴史感覚>が破壊された結果、分断された個人が根無し草のように流されていくようになります。



ソフトランディングを目指すのなら<民主化>の流れを食い止める必要がありますが、近代イデオロギーは疑似宗教なので、あらかじめブレーキが失われています。社会のB層化はますます進行していいくはずです。


「私は、他人のあるとおりにありたいと思うあらゆる人を軽蔑するのだ!(中略)そうした人は、つねに他の人々のことを考えているのだが、それは、彼らの役に立つためではなくて、彼らの笑いものにならないためなのだ」



(今日の世界を支配している新しいタイプの人間)、わたしはその人間を大衆人と呼び、その主な特徴は、彼は自分自身凡庸であることを自覚しつつ、凡庸たることの権利を主張し、自分より高い次元からの示唆に耳をかすことを拒否していることである点を指摘した。



「”私が下層民であるなら、おまえもまたそうあるべきである”、こうした論理にもとづいて革命がおこなわれるのである。(中略)おのれの暮らし向きの悪さを他人のせいにしようが、おのれ自身のせいにしようが、-前者を社会主義がやり、後者をたとえばキリスト者がやるのだがーなんら本来的な区別はない。そこに見られる共通な点、品位のない点とも言ってさせつかえないが、それは、おのれが苦しんでいることの責めを誰かが負うべきであるということである」  



キリスト教の本質は反知性主義です。



キリスト教の<神>は、民主主義や平等主義といったイデオロギーに姿を変えて、世界を支配していたわけです。ニーチェは<神>の引っ越し先を暴きました。



ルソーはキリスト教と<自然権>をベースに<一般意志>をつくりあげます。
革命のイデオローグたちは、民族の歴史・民族の法を否定し、<一般意志>により「新しい権力機構」を設計すべきだと説きました。<法の支配>は伝統や慣習、先例に基づきますが、法の根拠を<一般意志>に置き換えた結果、歴史に対する責任が失われたわけです。



西洋近代の歴史は、キリスト教カルトである民主主義の暴走と、それに対して国家・社会・共同体を守ろうとした諸民族の抵抗の歴史と読み取ることもできます。そして敗戦後も、一貫して<民主教>に侵食され、病み、正気を失ってきたのが現代日本の姿です。



平等主義とは、偉大な人間を<神>の名において抑圧し、価値のない人間をもちあげるシステムです。それは現代社会を破壊するためのイデオロギーにすぎません。


やはり差別というのは大事なことだと思います。
ブロイラーのように個体差を認めないから、差別を許容できなくなる。差別をなくそうとする運動が、暴力と文明の破壊につながるというカラクリにB層は気づくことはありません。



<神の前の平等>という概念により、弱い人間の防御手段が価値の基準となり、強い人間の全傾向>が悪評をこうむったのです。



アドルフ・ヒトラー、ヨシフ・スターリン、毛沢東、ポル・ポトもそうですが、民族の歴史から切り離され、超越的な理念により支えられた政体は必然的に恐怖政治にたどり着きます。「大地から離れた人」の言うことを信じてはいけない。



国家主義はキリスト教から派生したイデオロギーです。近代的諸価値の要請により支えられた国家と、伝統的共同体の価値観は必ずしも一致しません。西洋の教養人、保守層が国家に対して警戒を怠らないのはそのためです。



今日、文明を脅かしている最大の危険はこれ、つまり生の国有化、あらゆるものに対する国家の介入、国家による社会的自発性の吸収である。すなわち、人間の運命を究極的に担い、養い、押し進めてゆくあの歴史的自発性の抹殺である。



キリスト教は、<あの世>を利用して<この世>を支配するシステムです。



「事実なるものはなく、あるのはただ解釈のみ」
「世界は無限に解釈可能である。あらゆる解釈が、生の徴候であるか没落の徴候であるかなのである」



「多数者の特権」に寄せる信仰と、それを利用するデマゴーグが<民主主義革命>を引き起こすのです。



「{国家制度は}すなわち、伝統への、権威への、向こう数千年間の責任への、未来にも過去にも無限にわたる世代連鎖の連帯性への意志がなければならないのである」



権利は抽象的な概念ではなく、現実世界において個々に所属するものです。



「教養とは必ずしも概念的な教養のことではなくて、なかんずく、直感し正しく選択する教養のことである。それは、音楽家が暗がりの中で正しく演奏するようなものだ」


偉大な先人と交わりたいという欲求こそ、高度な素質のある証拠なのだ。モリエールやシェークスピアに学ぶのもいい。でもなによりもまず、古代ギリシャ人に学ぶべきだ。



B層は古典に触れないので、歴史感覚が歪んでいます。
健全な芸術に触れないので、美的感覚が歪んでいます。



イギリスの作家ギルバート・キース・チェスタートンは、「狂人とは理性を失った人のことではない。狂人とは理性以外のあらゆる物を失った人である」と喝破しましたが、オウム真理教や左翼過激派でさえ、ここまであからさまなテロのロジックを表に出しません。


B層は単なるバカではありません。
むしろ新聞を丹念に読み、テレビニュースを見て、自分は合理的で理性的な判断を下していると信じています。そして、騙されても決して反省せず、自己正当化の挙げ句、永遠に騙されていくのです。小泉郵政選挙に騙され、、民主党マニフェスト詐欺に騙され、この先も「改革」「革命」「維新」を声高に唱えるようなB層政党やB層政治家に死ぬまで騙され続けるのでしょう。



日本は先進国では異常なほど人口比の公務員数が少なく、GDP(国内総生産)に対する公務員の人件費比率はフランスの半分以下です。



既存の統治機構に対する不信感、世界恐慌が重なる中、社会的弱者に対する共感の政治を唱えて福祉政党のナチスは拡大しました。わが国においても、震災対策において弱者救済を口実に超法規的措置を持ち出すような政党がありますが、彼らはロベスピエールやヒトラーの同類であり、法を無視する職業的詐欺集団と言っていいでしょう。



選挙のたびに「有権者の成熟が必要だ」などと言われますが、歴史上、有権者が成熟したためしはない。


民主主義者、平等主義者が学歴社会を批判するのは、学歴社会が健全だからです。



これは大事なことですが、知性や学問を否定してもいいことなんてありません。
民主主義を徹底させると、議会制度は廃止され、無作為抽出で「政治家」は選出されるようになります。大衆が当番でボタンを五つくらい押すようなものになります。



「女というものは、女らしい女であればあるほど、そもそも権利などというものに手足をばたつかせて極力抵抗するものだから。(中略)”女性解放”-これはできそこないの女、つまり子供を産む力がなくなってしまった女ができの良い女に対して抱く本能的憎悪である」



三権分立は、<民意>を背景にした議会の暴走、および権力者による恣意的な方の解釈を防ぐために整えられてきた制度です。



アレントは「ナショナリズムは帝国主義の阻害原因になる」と述べます。なぜなら、領土や人民に基盤を置く国家の原理と帝国主義の本質である資本の原理は激しく対立するからです。そもそも国家は古代ローマ帝国のような普遍的な統合原理をもたない。


要するに選挙は<デモクラシー教><民主教>の儀式です。厳密に言えば、選挙は民主主義的ではありませんが、先述したように議会は民主主義の呪いを背負っています。


「民主政治は、偉大な人間たちや精鋭の社会によせる不信仰を代表する」


ニーチェは「ひとりで生きる人たち」「これまで聞いたことのないことに対して聞く耳を持つ人たち」のために語りかけます。



以上
またね***



2012年6月6日水曜日

ニーチェの警鐘(食べる読書101-1)




これからもひとりなんだろう。


そう思う。



みんなとワイワイやるのは嫌いじゃないが、そこで話される内容や発言に嘔吐する。



そして、そんな時間を過ごした自分に対して、己自身に嘘をついてそんな場に顔を出した自分に対して吐き気を催す。



サルトルの嘔吐 新訳ではないが、まさにそんな感じだ。そこまで深くものごとを見通せてはいないが、吐き気を催すことであるということは感覚でわかる。



仲良しクラブじゃねえんだよ。なに人の顔色伺いながら発言してんだよ。



そんな弱い自分に…、最も嘔吐する。



むかしはB層だった。いまはそこから脱しつつあると感じる。というかもう脱している。



だからと言ってA層という訳でもないのがつらいとこかな…。



初めて読んだ哲学書がニーチェのこの人を見よ (岩波文庫)だった。



全く意味がわからなかった。ディオニソスってなんだ?みたいな(笑)。



それからツァラトゥストラはこう言った 上 (岩波文庫 青 639-2)
ツァラトゥストラはこう言った 下 (岩波文庫 青639-3)
善悪の彼岸 (岩波文庫)
と読んでいった。



論理的というより、なにかしら心に響くところがあるのがニーチェの特徴かなと思う。



ちょうど十年前のことだと思う。



そのときから時々ニーチェを読んで勇気をもらったりしていた。



はずれてもだからなんだ。本心に従うならそれが自分のやることだ。”力への意思”、”大地に根ざした生き方”など、心に残る言葉はいくつかある。



本書は現在の日本社会の現象を取り上げてニーチェの考えを紹介している。こういう視点からは見たことはなかった。というか、著者ほど勉強していないのでそんな高みからの景色を手にできなかった。そういう意味で本のすごさも感じる一冊である。



わたしにとって生きづらい現代。本物が本物としてみなされない。たったそれだけのことなのに、自分は尻込みしていると感じる。勝負するときにしていない、と…。常に前へ前へという姿勢ではなくなっている。



だから、私の闘うべき本当の相手は、この社会だと見定めた。今のこの価値観を変えてやる、と。そうでないと私は一生みじめに人生を送ることになる。自分に嘘をつかない限り。だが、それをすると、もっと悲惨なみじめさが私を襲うのだ。



「へさきの曲がった船の片隅で笑いものになっていたくはない」


これはソクラテスの弁明・クリトン (岩波文庫)
にある言葉。


まさにこういう心境だ。



まだ拳のひとつも繰り出せていないが、すでに、ずっと前に戦いは始まり、続いている。



ニーチェは狂人になるまで真実、本質を見いだそうと格闘した。



考えることでしか成し得ない。



そんなニーチェに敬意を表しつつ、挑戦したい。



ニーチェが社会に与えた影響と歴史的に比較して、今度は私はどれだけできるのか。


to be continued・・・



2012年6月4日月曜日

水滸伝四(食べる読書100)




”いま、未踏の大地に立っている。




此処がどこなのか。




何もかもが知らなさすぎる。




だからこそ良い。




この清々しさを感じさせるのは、何も知らないがこの大地を支配してやろうという気持ちだ。”





この第四巻では後々梁山泊にとって大きな存在になる人物と次々に出逢っていく。


李俊、穆弘は宋江と出逢うことで本当の自分になれた。





”己のいるところを理解していないなら、あなたはあなたではない。




最も身近なあなたを支配していないなら、あなたは存在すらしていない。”




宋江は国を見て回る旅の途上だ。その途上で多様な人と出逢うし、新たな国の現状を知ることで、改めておのれの志の在り方を見直す必要が出てこよう。



いまの梁山泊がいるところはどこなのか把握しているだろうか。その場所を決めるのは、宋江だ。みんな「替天行道」を読んだ。感動した。それが単なる宋のアンチテーゼであってはいけない。



「替天行道」のような存在でなければならない。




宋という国の中にあり、「替天行道」を成すとはどういうところにいることになるのか。




新たな国であることではあるが、そうなるまでの道筋はどうだろうか。どうしたらそれが可能か。




やらねばならないことはあまりにも多く、成すべきことはあまりにも大きい。




だが、いま、確実に梁山泊の雄志たちは未踏の大地を支配する闘いの真っただ中にいる。



ありがとうございます。


以下抜粋


雷横という将校には、しっかりとした芯のようなものを感じた。権力にむかってくる、心意気のようなものと言ってもいい。どんな質問にも、たじろがなかった。いい眼をしていた。ああいう男が、権力に牙を剝いてくる。それは、権力の持つ宿命でもあった。


唐牛児へのやり方は、最後の段階になっていた。なにを訊いても、即座に答えられる。そういうふうにしてしまう。唐牛児の頭の中には、こちらで作った話が、真実として刻みこまれるのだ。唐牛児は、すでに自分が喋っていることの、どこが真実でどこが押しつけられたものか、区別がつかなくなっているはずだった。そして、喋っていることのすべてが、真実だと思いこんでもいる。細かいことを質問し、それに答えることで、その思いこみはさらに強固なものになるのだ。



生き残った者は、死んだ者には、なにひとつしてやれぬ。それが、生きることの悲しさのひとつだと、私は思う。



「隊長は、なぜ調練のあとに、俺たちとよく話をしたのです。俺たちの心に、志というものを植えつけるためだったのではないのですか。ここにいる者のほとんどは、字も読めない。それでも、なにかを得ることはできた。自分で読むよりも、ずっと豊かに」


「国に対する思い。おまえがそれさえ忘れなかったら、なにをやってもよい、と私は思う。自分を苛みながらでも、おまえはそれをやり遂げるはずだ、李富」



「私の立場に、知県は頭を下げた。やましいところがあったのだろう。なければ、私など相手にしない」


「たとえば、民の姿。それをまとめる、役人の姿。この国は腐ってはいるが、しかしまだ強いな。大きな城郭には、私の触れ書きがある。そんなものを、短い時間に全国に回すだけの力が、役所にはある。それひとつとったところで、われわれにはできないことだ」


「時にはすべてをひとりでやる。それも、男というものだ」


いまの世、分別が命取りになることもございましてな。


やがて土に還ろう。そう思った時、人は孤独ではなくなります。


なぜ国を覆すべきなのか、それは言える。しかし、ひとりの人間に、それは意味を持つことが少ない。自分の問題と、国を覆そうとする行為が、どうやれば結びつくのか、ありきたりの説明しかできないからだ。


人民をすべて灰にする。政事にとっては、それが最もいい方法だ。



すでに、秋(とき)は待つものではなくなっていた。自ら選び取るものになっているのだ。その決断を晁蓋はいましようとしていた。ひとたび闘えば、それは勝利の時まで続けなければならない。



すべてが見えている、というはずはないのだ。すべてが見えていれば、賊徒などは生まれない。


「梁山泊は、官軍全部を相手にしている。いや、この国をだ。おまえは自分の心に従って生きていると言ったが、それが許される場所でだけだろう。自分の縄張りと言うぐらいだから、そのあたりにいる男より、いくらかは広い場所を持っているのだろう。しかし、そんなものがなんになる。所詮、役人や軍の眼を逃れ、こそこそとなにかやっているだけではないか。縄張りと言うなら、このあたりから役人も軍も全部追い出してみろ」


自分には、軍略があるわけでもなんでもなかった。志だけがある。その志で、人と人を結びつけることだけはできる。



「志だ世直しだなどと私は言っているが、ひとりの女を、きちんと生きさせてやることさえ、できなかった」


自由に生きてきたつもりだが、いつのまにか自分には枷がいくつもかけられている、と李俊は思った。


「そこからして、われらとは相容れることができないのだ。自分は駄目だというところから、われらは、いや少なくとも私は、出発している。自分が駄目だと思っていない人間とは、本当は話し合える余地はなにもない」



不意に、李俊は全身がふるえるのを感じた。これが、ほんとうにやりたいことだった。いままで、いろいろなことをやってきたが、こんなふうに躰がふるえたのは、はじめてのことだ。役人の裏を搔いて塩の密売に成功した時も、昔は思ってもいなかった大きな屋敷を建てた時も、終わるとなんとなく違うと思ったものだった。
どんなやり方でもいい。上から押さえつけてくるものを、撥ねのけたかった。こそこそと、その力をかわしながら、銭を稼いだりして、喜んでいたくなかった。上から押さえつけられることが、なにより嫌いだったのに、なにがほんとうに押さえつけてきているのか、見ようとしてこなかった。
いまは、それがはっきりとわかる。自分を押さえつけていたのは、役人などという小さなものではない。この国そのものだ。なぜだかわからないが、いつも国というものが重圧をかけてきていた。
国を、ぶち毀してやる。国など、ない方がいい。ぶち毀してもぶち毀しても、国は新しくできるのだろうが、それもまた次々にぶち毀していけばいい。宋江の言う志は、国をぶち毀すための方便ではないか。
国をぶち毀すために、という目的だけで、宋江とは確かに手を結べる。替天行道という言葉にも、意味はある。



できるかできないか考えれば、なにもできはしない。



決めていた。決めると、もう迷わなかった。喧嘩では、迷った方が負ける。



民に紛れるというのはこちらのやり方だが、支配するというかたちを取った時から、相手側の方法になってしまうのだ。



人が生きる意味は、さまざまにある。喜びも、一色ではない。それがわかるようになった。軍人として、恥じない生き方をしようとだけ考えていたころが、嘘のようだ。


大して強くもなく、果断でもない。迷いが多い人だが、不思議に押し包まれるような気分になる。俺にとっては、そういう男だ



「いや、宋江殿や晁蓋殿こそ、志の人なのだ。そしてわれらは、その志にすべてを預けた。われらにできることは、志を実現するために闘うことだけだろう」



「自分が駄目だと思っている男の方が、駄目ではないと考えている者よりずっとましだ。人には、どこか駄目なところがあるものなのだからな」


「おまえたちは、江州から全国への飛脚を、命をかけてやっているのだろう。わたしもまた、命をかけて江州まで来た。肚の底まで語り合わなくて、どんな意味がある」



泳げない。それでも、舟に跳び乗った。そして、張順に飛びかかった。それが李逵という男だ、と宋江は思った。笑いたくなるようなことではあるが、常人にできることではなかった。


以上
またね***




2012年6月3日日曜日

近代科学再考(食べる読書99-2)




本書は60年代、70年代に書かれた著者の文章である。一部未発表の文章もある。


高度経済成長真っ只中でこれほど俯瞰的かつ本質的に科学を観ていた人がいたということに世間の広さを感じる。


しかし、これが主導権を握れなかったということも物事の真理をついている。


著者はただ単に警告するだけだからである。


こういった科学の体制化による人間の抑圧の流れに一石を投じるその”一石”を持ち合わせてはいなかった。


”われわれが追及すべきは、こんにちの科学の前線配置を変え、その野放図な、反人間的な発展をおさえることでなければならない。そのためには、科学の体制的構造を変えること、そこへ至る道として、科学のコントロールの主導権を資本や国家からわれわれの手にとりもどす努力が必要である。”


”科学の革新は、「それまでに存在しなかった問題を、問題として意識するような視座の獲得とともに」はじまるのだ。”


などと本書でのべているが、それだけである。



その”一石”を創り出すことがどういうことかについては語られない。


いまの社会は著者の指摘通り、科学が組み込まれた体制になっており、その体制が確固としたものになればなるほど、我々人間は身動きが取れなくなっている。それは、人間は単に体制をもって扱えるほど単純ではないということと、発展していく科学とそれに呼応するように変わっていく社会に対して支配する術を持ち合わせていないということが理由としていえると考える。


このことは考えてみれば当たり前なのかもしれない。これまでの人間の叡智の結晶として今日の科学があるわけで、それを工業的に活用し、社会生活へ還元するという知恵も(人間のなしうる知恵の)最高の部類に入るだろう。


つまり、これら最高のものを産み出すことで、もうすでに全力を出し尽くしているのだ。疲弊しきっているとまではいかないが、それらを何のためにどう活用するといった発想をするエネルギーはないように感じる。


「おっ!!!これってあれに使えるんじゃないか!」とか「なんだこれ!?今までになかった反応じゃないか」といったいま目の前にあることに全力を尽くしている。この積み重ねで科学は発展してきたし、こういう経験を持続的かつ多く起こすよう社会に体制として組み込んできた。


この流れは確かに妥当だとは思う。ただし、もし私がこの社会のトップだったらだ。体制化とは、ある情報を一か所に集めることができるという側面をもつ。そこからいろいろ体制を改善していく。体制維持のために。または更なる発展のために。



つまり、この体制化された科学と社会は一つの”思想”を体現化しているといえるのではないか。


昆虫は我々人間とは異なる波長の光を感知するという。それは昆虫の社会がそれらの能力によりなされており、その根幹をなす(昆虫の)社会と能力との関係を全体として捉える”思想”のようなものも独特のものがあるからだと考える。


昆虫は昆虫の、ウイルスはウイルスの、植物は植物の、それぞれがそれぞれたりうる”思想”のようなものがあるとは言えないか。



逆にいえば、昆虫が存在するその”場”事態が昆虫の一部ととらえる。禅門答みたいだが、そうとらえるとどうだろうか。


いまの科学と社会とのあり方、科学変調的な流れとなったのも人間の人間たるゆえんであるといえるのではないか。つまり、現在の科学と社会の在り方は妥当ということだ。なぜなら、それに深くかかわっており、それらを創り出したわれわれが人間だからだ。いまの状況を創り出したのも人間の一部。


そして、いまの状況に疑問を呈するなら、ここからどこへどう変わるのが人間たらしめるのかと考えるのが妥当だ。


地球の歴史、宇宙の歴史、そのほんのごくごく小さな小さな存在であった人間がこの先どう生きていくのが、この膨大な歴史の流れにあって最も人間らしいのか。


こういう視点で現代と次の時代を見るとどうだろうか。


私自身も著者と同様”一石”を今は持ち合わせてはいない。よって、この先の結論も持ち合わせてはいない。


しかし、近い将来必ずこの”一石”を創り出します。


あとはこれをどう使うかなんだよなあ…。無いものの使い道を考えてみてもどうしようもないか。


以上
またね***



一枚の葉

 今、私は死んだ。 そして、その瞬間、自我が生まれた。 私は、一個の生命体なのだ。もう死んでいるのだが。 死ぬことでようやく自己が確立するのか…。 空気抵抗というやつか。 自我が生まれたが、自身のコントロールは利かず、私はふらふらと空中を舞っているのだ。  私はこの樹の一部だった...