2009年12月31日木曜日

幼女と煙草(食べる読書15)



幼女と煙草
」 早川書房 ブノワ・デュトゥールトゥル 著

面白い。が、後半にいくにつれてしゃれにならないなと感じてくる。群集心理とは違うとは思うが、いやに現実の真理が含まれていると思う。皮肉たっぷりなことが多いが、妙に納得してしまう。

読んでて、真実には到達できないんだなと感じざるを得なくなってしまう。人はある事実に対してそれを内包する更なる事実を勝手に作って生きているように感じた。その事実が真実に近づけばいいが、必ずしもそうではないし、立場によって作り出す事実は異なる。時間と空間に制限のあるわれわれ人間は、すべてを把握できるだろうか。だが、この挑戦がそのまま社会の高度化ということなのだと思う。社会権が比較的新しい権利として社会の中に根付いてきたのもこの表れではないか。

どちらにしても、この本は普通に生活していたのでは見えない”社会の盲点”に気づかせてくれる。

ここで、あとがきにある著者のこの本についてのコメントを載せる。
「前向きな要素(健康、子供の保護、メディアなど)がかつて見られた圧政のやり口と同じくらい乱暴な暴虐行為にどうやって姿を変えるのか。また、以前は権力と支配という名のもとに振るわれていた暴力が、今日どうやって善と正義の名のもとに行使されるのか。これは現代のひとつの特徴だと僕は思っている。」

また、訳者はこういっている。
「私たちの生きる社会は不確かな人の心で動いており、それゆえに善と悪とは紙一重であることを浮き彫りにして見せたのである。」

以上のコメントは、この本をうまく表現していると思う。

以下、面白いと思った表現を抜粋する。
「彼の関心ごとは、死が目前に迫っていることや若い盛りに無へ沈み込むことではなく、自分に権利があるものを獲得することだけなのだと。」

「ひどく頭の鈍い犯罪者がこれほどにまで大胆に、前代未聞の法的問題を手中にしている」

「子供の存在は、多くの人間の心を動かすと同時に、残りの人間の心をいらだたせる。」

「”煙草”と”生きること”に接点ができた。人が、”煙草に救われた”のだ。
忘れられた法律条項のおかげで、煙草は”人間の親友”となった。」

「喫煙に反対する複数の団体が押し付けた規則は、何より受刑者個人の保護と受動喫煙を対象としているが、別の見方をすれば、煙草ははなはだ体に悪いので、消えてほしい人物に対してそれを禁止する理由はどこにもないのである。」

「警察並みの尋問の的確さは、事実のばかげた貧弱さと対照的だった!」

「脆きものへの愛を、」

「彼らの低いモラルが、そのモラルをさらに簡略化して粗野なバージョンに変えた、ここでしか通用しないモラルを再生産しているということも。彼らは、時代の幻想に押し付けられたメディア受けする恥ずべき行為が身に付いていた。」

「この犯罪者は僕のおかげで、より高尚な目標を得たのだ。」

「人質たちは相変わらず、カメラの前で恐れおののいているようだった。一方、自由のある世界では、彼らはいまやスター扱いされていた。」

「地球の生活環境の悪化を前に誓いを表明したあとですぐに別の関心ごとに頭を切り替えるということが、彼らにはできるのだった。」

「人生というものをまだしっかり理解していない人間がいることに同意いただいた上で、両親を慰めながら死ぬ病気の子供たちのことを考えてみてください。その子たちにとって死は、表面的で実体がないに等しい通過点に過ぎないんです。かたや、働き盛りまっただなかの大人にとっては、ノスタルジーの強烈さと深淵を除くときのおびえというのは計り知れないものです。」

「この子はひどく愚鈍そうだ、ということは何かを説明することすら無駄なんだ。しかも僕のことを、赤ん坊のころから手の届くところに置かれている数え切れないほどの余興の一つとしてみている。」

「ただの一秒も、無実を証明させてもらえないからです。」

「弱者を守ることばかりにこれほど気を使う世の中で、男は、四、五十歳の平凡な男は、少しの同情も受ける資格がないのでしょうか?」

「彼女は世界の不幸に魅力を感じていながら、まだ傷や苦しみにとことん寄り添ったことがないように見えます。」

「ごく凡庸な参加者であり、浅はかで頑固で人の心を動かすことがほとんどないという特徴において人類の典型そのものですーそして、それがために不思議と気高いのです・・・。」
以上
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2009年12月30日水曜日

涙の数だけ大きくなれる(食べる読書14)



涙の数だけ大きくなれる!
」 フォレスト出版 木下 晴弘 著

泣きました。鼻水だ~だ~です。すごいよ、人をこんなに感動させるのは。

この本は、塾講師だった木下さんが、生徒たちに自主的に勉強してもらうために語った心の話を集めたものです。「”勉強は何のためにするのか””幸せってなんだろうか””あきらめないこと”努力の本当の意味”感謝する気持ち”など、人生で大切なことをいろいろな角度で伝えました。そうした話に心を動かされた生徒は、もう何も言わなくても勉強し、みな第一志望校へ合格していきました。」

それは、人生と自分のする勉強がつながったということなのだ。

多くの話が載ってるが、特に心を揺さぶられたのは、「ある生徒の高校受験」と「兵庫県にある塾の合宿」である。

「ある生徒の高校受験」は、数字にはあまり表れないが生きるうえでもっとも大事なことを教えてくれた。

「塾の合宿」は、人は一人では生きれないし、人と共に生きることのすばらしさに気づかされました。

日頃、自分は一人の人間として、子供たちに何を伝えられるだろうと考える。そして、今は自信を持って教えられることはないなあと感じる。まだ自分自身確かな結果を出せてないからである。それまでの結果までの過程は話せる。が、それで・・・となってしまう。まあ、まだ修行が足りないということだろうか。でも、子供たちに対する想いには自信がある。それを具体化するのが課題かな。

まさにこのブログのタイトル「一日を生きる!」に通じる。

以下、抜粋
「どんなにつらい時でも、どんなにくじけそうな時でも、人生に失敗なんてない。全力で生きるとき、人は輝いているのです。」

「大きな道があって、それが本当に君の歩いて生きたい道であるなら、その道を歩むことは絶対にあきらめてはならない。肝心なのは、あくまでその道を行くこと。道を捨てないことなんだ」

「あなたの夢がかなうということは、あなたが自分らしく信念を貫き通して生きた証でもあるのです。
そして、あなたがあなたらしく生きている時、必ず応援してくれる人が出てくるはずです。
時には涙を流すこともあるでしょう。でも、その涙のあとには、きっと新しい明日が待っているのです。
だから、あなたの夢をあきらめないでください。」

「日々の基礎努力をつけるという目的からすれば、ちゃんとやって当たり前のことだろう。こうしたやって当たり前のことを、当たり前と思えないほどの情熱を傾けて行う、それを努力というんだよ」

「当たり前のことをやり続ける。」

「一つのものに狂えば、いつか必ず答えにめぐり合う。私は、りんごの木にこのことを教えてもらったのです」

「私たちが何かの行動を起こしたときに得られるものは”失敗”でも”成功”でもなく、”ある気づき”であるということです。」

「あなたがもし、”自分にとって都合の悪い出来事”に直面しているなら、それは”失敗”ではなく二度と起こらないようにすることができるチャンスなのです。」
以上
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2009年12月20日日曜日

大人げない大人になれ(食べる読書13)



大人げない大人になれ!
」 ダイヤモンド社 成毛 眞 著

いいねえ!好きだなあ、こういう人。というか、こういう人を目指してるな、おれは。

自然体でいいんだよと思わせられる。

題名の通り、大人げないことが道を切り拓くよといった内容。そこには、本質的なことも多く、だけど楽しいことでもある内容だ。生きるとはどういうことか。やはり、この一個の人間として存在する自分から物事を考えればおのずと出てくる生き方だ。世の中のことなんかどうでもいい。でも、それとのつながりは軽視しない。この一見矛盾する二つの共存。自分に素直に生きればそうなってくるのだ。

以下、気になった部分抜粋


大人げない大人になれ!


「変化に対応するだけでなく、変化を自ら創り出すことが求められる。」

「ビジネスの世界でも、自分の能力には、一見して釣り合わないようなリスクの高い仕事に挑戦しよう、という気概が重要だと思うのである。」

「ネオテニーという言葉の説明をしよう。この言葉は、動物が胎児や幼児の持つ特徴を保持したまま成長する過程を指したものであり、日本語では、幼形成熟や幼形進化などと訳される。」

「大人になるということは、自ら成長の歩を緩めてしまうことになりかねないのである。」

「あまのじゃくの考え方は、あえて否定することで意見対立の確信に迫っていくから有用なのである。これは物事の本質と言い換えてもよい。」

「周りが無駄なもの、余計なものだといっても、自分が良いと思えばとことんこだわるのである。こうして追及していくと、その間隔はおのずと人とはずれていくのだと思う。」

「誰だって本来持っている感覚が、人とまったく同じだということはない。」

「自分のことを売り込みたいのであれば、やはり自己中心でなければいけないと思う。相手を褒めて媚びるのではなく、相手に自分を褒めさせることを目指さなければならないのだ。」

「過激な発言で、次第にこいつは何をやるか分からないと恐れられるようになったからである。こうした人を目の当たりにすると、周囲の人間は理不尽なことをされたくないと思うようになるのだ。そして、はらはらすると同時に、この人は何か普通ではない奇跡を起こしてくれるかもしれない、と期待も入り混じった感情をもつようになる。」

「組織に新たな変革が求められる際には、多少の不満や反論は押しのけていくことが必要である。結果さえ見えれば、そうした不満はすぐに消える。そうすることで、すべての力を一つの方向に振り分けることが可能になるのだ。その核となるものには、小手先の論理や利害には揺るがない確固とした理不尽さが求められるのである。」

「単に新しいものだけをよしとせず、新旧を問わず柔軟な考えを保持することである。」

「人を惹きつけるようなことができるのは、子供のように簡単な言葉を使って、自分の考えと感情をストレートに表現できる大人げない人のはずである。」

「自分のやりたいことに向き合うことは、誰にでも出来ることである。あなたが今強いられている我慢は本当に必要なことなのか。」

「自分が持つ可能性を大事にしたいのであれば、目の前のことだけに没入し、何かしらの変化を察知するにつけ、次のベストを探すというスタンスを保持することが重要である。」

「若者たちは言葉のテクニックだけうまくなってしまい、その真意がよく読めないのではないか。こうした技術は、あくまで公式の場において余計なことをいわないためのものであって、個人の考えの基礎になるようなものではない。」

「若者の使命は新たなことに挑戦していくことである。そのためには、将来を楽観的に信じなければならないし、過去の独善的な考えに支配されてはいけないと思うのだ。こうした意味で、若者には、おじさんの言うことは9割が間違いだと考えてほしいというわけである。」

「強い刺激を受けると自分が持つ感度の上限と下限が広がっていくから、小さなことでは失敗とも成功とも感じなくなるのである。」

「子供や大人げない人たちは寄り道を好み、興味をひかれることがあると本題から外れていってしまう。」

「周りの環境に自分を無理に合わせたり、誰かの真似はしてこなかった。そんなことはできるわけがないと分かっていたからだ。」

「大人げなく生きるとは、どこまでも自分に素直に生きるということでもあるからだ。」

「集中が途切れ、ふと一休みした時は、心地よい疲労が体に残っている。」

「既存の体制に何か弱点があるとすれば、それをよく知っているのは、その体制の中で恩恵を受けている人だ。その仕組みがなぜ利を生むのかを理解し、これがいつまでも続くように守ろうと必死になっているからである。だから、こうした人たちは、その弱点に近づく人間に対しては烈火のごとく怒り出す。逆に的外れなところを突いている人には、ニヤニヤと笑いながら、まあ頑張りなさい、と声をかけるのである。」

「大人たちは普段冷静を装っているが、自分にとって致命的なことになると突然怒り出す。だから、大人や既存勢力を相手に戦おうと思えば、相手を怒らせるところまでやるぐらいが丁度いい。」

「どんな仕事でも、自分なりの工夫を加えれば楽しい遊びにすることはできるはずだ。」

「30代前半までは、給料の7割が本代、あとの2割がパソコン関係、最後の1割が生活費という具合であった。そのせいで生活の苦しい時代もあったが、今の自分があるのは、間違いなくこういったお金の使い方をしたおかげである。」

「時間があれば、その時々で思いついたことにしたがって熱中し、そのうちに飽きたり、他のことをしたくなってきたら我慢せずにすぐ次のことへ乗り換える。だから一点集中浮気型である。」

「一つのことに熱中していると、時間が濃縮され自然と他のことをするための時間ができてくる。そうすればまた思いついたことをやればいいのである。」

「本から刺激を受けることができれば、内容を覚えていなくても、おのずと自分そのものが変わってくるのである。」

「自分のスタイルを崩すことなく、世の中を少し斜めに構えながら楽しく生きたのである。」

「大事なことは、それが仕事であれ趣味であれ、真剣になって遊び尽くすことである。」

「目の前にある常識はまず疑い、自由に仮説を作ることが重要であることは疑う余地もないのだ。」

「これからの企業は、面白みのある経営哲学や環境を用意することで、誰よりも活躍する“大人げない人”を集めなければならない。」

「本を読んで人生に役立てようと思ったとたんに、なんだかつまらなくなってしまう。」

「カエサルは大人げなく、そして本質的な思考の持ち主だったようだ。」


大人げない大人になれ!


以上
またね***


バーチャルカンパニー

昨日、「バーチャルカンパニー大企業市場 in  愛知学院大学」に行ってきた。

学生たちがバーチャルカンパニーを作り、どんな事業をするかをプレゼン。そして、指南役とバーチャルカンパニーの問答が行われる。それで、指南役その他一般参加者からの投志金額を集めるというもの。

面白かった。

起業する際の考え方など参考になった。

①、理念と事業内容は一致しているか。
②、事業のコスト・流通・販売などは現実的か。

この二つが大事かなと感じた。どちらも満足にこたえられていたチームはなかったが、どちらか一方が優れていたら、どうにか投志したいと思わされた。実際、高額投志を得たチームは、どちらかが満足のいく内容だった。

理念と事業内容がしっかりしていて、でも販売コストなどは十分でないチームは、その事業に対する想いを語ってくれたので、どうにか応援したいという気にさせられた。

逆に理念などは個人的に弱いかなと思うが、コスト管理や販売方法など現実的に練られた商品を考えていたチームは、その内容だけで納得させられた。だから、投資しても回収できるだろうなと思わされた。

いい勉強になりました。

が、このイベントの最後に、大学生代表の方が話してたことがとても印象的だった。彼は他大学からの参加で投志役だったのですが、「指南役の方々はとてもいいことを言ってくださっていた。だけど、それを真剣に受け止め、メモしているメンバーがほとんど見られなかった。」と語ってくれてた。とても大事なことだよお。

ここで、バーチャルカンパニーメンバーがこの大企業市場においてどこに焦点を置いて参加したかがわかる。はっきり言ってこれは作られた市場だ。彼らは、この大企業市場をこなすことに焦点が当たっていたのだろう。だから、その場その場で真剣に全力で指南役の質問にも答えていた。だが、彼らの生きる”場”はここではないだろう。彼らの生きる”場”は未来にあるはずだ。だから、大学で学んでいるはずなのだ。大学生代表の人が言うように、彼らの当てるべき焦点は、「この大企業市場で、起業するにあたって学べることはすべて学ぶ」ではなかっただろうか。こういうとこに焦点が当たっていれば、代表の人が言うように、自然とメモを取っていたはずだ。

これは当日の私自身にもあてはまる。当日会場につくまでどういうことをするのか全く分からなかった。で、大体の大枠がわかってきたとこで、「ここから学べることは何だろう?」と考えた。この時点ですでに出遅れている。そこからいろいろ紆余曲折あり、結果としてどこに焦点を当てて参加したかというと、「指南役の人はどういう考えのもと、学生から情報を引き出そうとしているか?」である。指南役はある程度起業に対して深く精通しているという前提のもと、どう考えるのが起業するにあたって妥当かということを学ぼうというとこに焦点を定めたからである。

で、その結果が上に記した二つである。まあ、適切に導き出せたかは知らないが、普段できない視点から物事を見れたのが貴重だった。

他にもいろいろ考えたことはありますが、長くなるのでこの辺で終わります。

鵜飼先生、虫鹿さん、このような素晴らしい場を紹介してくださってありがとうございました。
楽しかったです。

以上
またね***

2009年12月14日月曜日

不毛地帯2

ドラマ「不毛地帯 DVD-BOXII(第十一話~最終話)
」第5話、第6話を見た。面白いねえ。

今回は、第三次中東戦争直前を背景に様々な人間模様が描かれていた。

いろいろ気づくところもあり、考えるところもあった。

やっぱり、人はそれぞれ見てるものは違うということを再認識した。われわれは同じ世界に住んでいるが、誰一人としてその世界を同じように見てはいないのだ。

第6話で二人の人が“心の平安”について言及していた。二人とも、自分の価値観を語っていたのである。私にとって何ものよりも優先するものであると。そう言ってくれると、人はその人の生き方を少しは理解する。

“キャリアの教科書”でもあったように、自己表現しないと他人は自分のことをわかってくれない。それは、相手の自己表現も正当に聞くことでもある。

また、こいうことを以前何かで読んだ。「相手の本音を知りたいなら、相手を怒らせることだ。」また、「その人の価値観を知りたいなら、その人が何に怒っているかをわかればいい。」「その人がどんな人間であるかを知るには、その人の座右の銘を知りなさい。」

三つとも別の本だったと思うが、ここには共通した真実がある。我々は他人のことなどわかっていないのである。だから、どうにか知ろうとする。

では、“知る”とは何だあろう?プラトンの「テアイテトス」はそれについて論じた書物であるが、結論は出なかった。が、このドラマを見て思ったのが、「知るとは、活動が前提であるし、次の活動を生み出す前提になるものではないか。ちょうど、我々が二本の足で歩くように。左足の次には右足が前に出て、次に左足という具合。」

壹岐は、異例な出世に対する社内の反発に対する対処として、社長に提案をもちかける。「役職なし」か、「会社のナンバー2の地位」である。

だが、こうは考えられないだろうか。“キャリアの教科書”のコンセプトワークである。これは、自分の果たす目的達成のため、プラスアルファの能力を身につけなければいけないということではないかと。壹岐は、自分の考えを実行することしか考えてこなかった。しかし、今までのやり方ではどうもうまくいかなくなってきた。なぜか。周りの壹岐に対する感情が良くないからである。さあ、どうする。昔の部下の小池の言葉「壱岐さんはいいよな。軍でも商社でも自分の考えを指揮するだけだもんな。(自分では動かないんだよな)」がヒントではないか。これは小池の本音だ。それを壹岐も分かっている。が、それに対してどう対処すればいいかわからない状態だと思う。


不毛地帯 DVD-BOXII(第十一話~最終話)


「虎穴に入らずんば、虎児を得ず」だろう。ぶっちゃけ、社員一人一人と真剣に2,3時間くらい話す覚悟がないと社内での反発はなくならないだろうな。

人は金だけでは動かない。ここではそれも物語っている。じゃあ、金以外で何が人を動かしているだろう。今回は、地位やメンツ、誇りだろうな。各部のそういうとこに配慮して対応してれば、反発もそんなに強くはなかったのではないか。

はっきりいって、壹岐には、次の行動を起こす“知”がない。それは、周囲の人を自分の味方にさせる接し方だ。

こういうことを考えると、まあ昔の作品だから仕方ないとは思うが、何となく時代遅れなドラマだなとは思う。確かに今の時代にも通用する大事な部分はあるが、これからの時代に求められるようなことはあまり得られないような感じはする。

その理由は、もうでかい企業は少なくなるからだ。また、昔のように組織の秩序がしっかりしている企業は生き残れない確率が高くなるからだ。その理由は、急速な変化への対応が遅れるからである。今、より変化へ対応しやすい組織とは?、どんな組織文化ならそれが可能かというのが一般的な論点ではないかと思う。この論点も、勝ち組にとっては古いだろうが…。そんな時代に、こういうドラマを制作するとはどういうことだろう?と考えてしまう。しかも、会社を舞台にした経済小説?のような筋書き。まあ、ぼろくそ言ってるけど、今放送しているドラマの中では、ダントツに面白いと私は思います。というか、これしか見てない。

観ててもどかしい部分があるのは否めない。今回の件も、船を調達するのに電話一本でその部に丸投げするのはおかしいと思う。情報収集で疲れてるのはわかる。が、自分で取ってきた案件なら責任もってそれを実行する、あるいはさせるべきだろう。確かにそれぞれ役割はある。が、その役割を果たさせるのも上司だけの役目ではなく、各部がそれぞれの部に対して行う必要が出てくる。ワンマンになってはいけないが、責任をすべてかぶるならだれも文句は言わないだろう。

ここで、日産GT-Rの開発を総指揮した水野和敏氏が言ってたことを引用したい。「トップの考えを普通の人に伝えるパイプ役が必要。それは、トップの言葉を翻訳する役目である。織田信長には、豊臣秀吉や柴田勝家がいた。すべて先進的なことをやる時にものすごく大事なことは、その頭の、脳みその中身を、普通の人に翻訳してくれるパートナーの存在ってすごく大きい。」

何かを成すにはその考えが動く人すべてに行き渡らないといけない。

壹岐に必要なものとして、先にあげた“知”あるいは、壱岐の考えを翻訳して人を動かす右腕が必要と思う。

いろいろ取り留めもなく考えが出てくる。最後に、これは要求になるのかな。ドラマの登場人物たちに対して、「変わってみたらどうだろう。自分を貫き通すのは素晴らしい。初志貫徹だし、普遍的な価値だ。だが、自分が変わってみると世界は変わって見えるんじゃないか。その変わった世界を見てみたい。価値観の変わった壱岐の見る世界を。」


不毛地帯 DVD-BOXII(第十一話~最終話)


以上
またね***



2009年12月11日金曜日

キャリアの教科書(食べる読書12)



キャリアの教科書
」 PHP研究所 佐々木 直彦 著

キャリアについて書かれた本。キャリアは、雇われる力(エンプロイアビリティ)へつながるものである。この時代、どんなビジネスマンでも雇われる力が求められているという考えから、雇われる力をどうやって養うかということを書いてある。

これまで人生の道はどんな集団に所属するかに焦点が当てられていた。が、時代は、集団自体が危うくなってきている。なのに、人々の人生設計の基本的思考は、相変わらずどんな集団に属するかのままだと日ごろ感じてた。だから、みんな将来が見えない暗い顔になってる。若者や子供は自分の将来に希望をなかなか見いだせてない。新しい考え方が求められている。

この本は、その新しい考え方のヒントを与えてくれるものであると思う。

具体例があり、実感として腑に落ちる部分があると思う。そして、一貫しているのが、基本は“自分自身”ということだ。何を、どんな仕事をするにも“自分”が出発点だし、その結果に対して評価するのも“自分”なのである。


キャリアの教科書


この“自分”とは何か?これを意識レベルで理解する道具としてこの本では、「五つの質問」を挙げている。
  1. 自分は何ができるのか
  2. 自分は何をしてきたのか
  3. 自分は何をやりたいのか
  4. 自分はなぜそれをやりたいのか
  5. 自分の人生をどのようなものにしていきたいのか
の五つである。
これは、”柱”である。人生の。ここから漏れることをしているということは、方向性が異なることをしている。それは、仕事をするうえで、周囲の人からの信用を失うことへとつながっていくだろう。なぜなら、人を説得するにはこの“柱”をもとに話すほうが周りの同意を得やすいからである。まず、ここをしっかりぶれないようにする。
次に、キャリアを切り拓いていく三つのワークを紹介している。
  • フィールドワーク(現場で実践する)
  • コンセプトワーク(考える)
  • ネットワーク(人とつながる)
これらは相互に関連しているので、一つのものを高めると他の二つも効果が上がっていく。
この三つは日常生活で活用できるので、日々の指針にできる。
・フィールドワーク
自分の能力を高め、活躍する場がないと、いくらぶれない軸をもっていても意味がない。フィールドワークは、その“場”をつくりだすことである。「長期的なビジョンを実現させるために、仮説として当面のゴールを設定し、そのプロセスを一つのフィールドワークとしてデザインして行動を起こすことは、エンプロイアビリティを創造するために非常に有効な方法といえる。」
・コンセプトワーク
自分を知ることである。人は生きていくうえで、環境の変化・立場と役割も変化していく。「歌がすきで歌手になった人も、成功すればするほど、純粋にうたう能力だけでなく、プロモーションでラジオに出たり、雑誌の取材を受けたり、いきなりレポーターにマイクを向けられたときにファンを前に気の利いたコメントをいわなくてはいけないということが起きる。そうしたことをこなして初めて、好きな歌を歌い続けることができるという面があることは否定できない。」自分がどんな人間かが定まっていれば、環境や立場、役割の変化にもおのずと果たすべきことが見えてくる。「いつも自分らしくあり続けようとし、自分が自分とかわした一番大切な約束を守り続けていく。だからこそ、状況に合わせて、変えるべきでない自分の大切な部分以外の自分を変えることをいとわない。」
・ネットワーク
自分にはやりたいことがある、果たすべきことがある。そんなとき、必要な出会いを自分で作り出すことができるのはとても重要だ。その際にするのが“自己表現”だ。「”何をやりたいか”も、過去から現在に至る中に、なぜそれをやりたいと思うようになったかという腑に落ちる理由があれば、相手は納得できる。そういう説明ができることで、相手は、現在の自分を評価してくれ、未来の自分に期待して支援してくれる可能性も出る。」しかし、自分のことだけ話すのでは人脈はできない。相手の話も聞き、お互いにとって利があるなら、行動していくことだ。「プレゼントは一方的なものではない。もともとプレゼンは、相手の協力のもとに、ある目的をはす為のコミュニケーションだと考えたほうがいい。」
夢はあるが、今何をすればわからない時。ふと気がつくと自分は何をしてきたのか、何を求めてたのか、わからなくなった時。この本を手にすることで気づくことがあるし、やることも見えてくるだろう。まだまだすべてを理解するには至らない。「プロデュース能力」同様、実行しつつ見返す本だと思う。
なんか、目の前が開けてきた感じはした。どんな考えのもと将来を見るのか。それを勝ち取るために何が必要か。夢や希望、自分の可能性を信じられる本です。ありがとうございます。


キャリアの教科書


以上
またね***


2009年12月7日月曜日

不毛地帯

私はテレビを持ってないので、遅ればせながらドラマ「不毛地帯 DVD-BOX 1
」を見た。まだ4話までだけど…。

面白いし興味深い作品だなと楽しんでます。「白い巨塔 DVD-BOX 第一部
」と似てて、山崎豊子さんは、人間模様を描くのがうまいなと感じます。

4話まで見てて、自分なりに考えるところがありました。

やっぱり、人間は自分が司令塔にならないと幸せにはなれないなと。自分が主役なんだと。

この作品のテーマの一つに、“組織と個人”があると思う。その組織と個人の相いれない部分で、苦しみながらも自分なりの選択をしていく姿に多くの視聴者が共感するのかなと思った。でもねえ、そこで苦しんでる時点ですでに自分の人生において負けなんだよなあ。

この四話までの中で、私の思う人生の勝者は、”貝塚官房長”だな。悪者だけど。なぜか?答えは簡単で、自分の求めてるものがはっきりしていて、それを得る最も確実性の高いものを選択しているからである。全くぶれていない。ここは学ばないといけないところ。

ドラマの中で、久松長官が、壹岐に「泥水をずいぶん飲んだもんだな。」というシーンがある。久松長官も壹岐も人生において何を求めているんだろう?そこが彼らの言動からはあまりはっきりしなかった。ここでいう「泥水」というのは、家族からの信頼や親友の死、世間の評判だろう。これらを捨てていかないと目標は果たせない。その苦しさ。ここが“組織と個人”の問題としてみることができる。

が、こういう見方は適切でないなと観てて思った。


不毛地帯 DVD-BOX 1


ここで私の言う“組織”というのは、社会の仕組み・構造も含めてのこと。組織というのは個々人の集合体であるが、それぞれ役割は異なる。それは組織を存在させるために必要不可欠であるしそれ自体が組織ともいえる。また、その組織は社会の中では、ある特定の役割を果たす。ちょうど、個人が組織において役割を果たすように。
また、仕組みは一つの価値をこの世に生み出す役目もするし、その価値の存在を示すものでもある。たいていの組織はピラミッド型の仕組みになっている。それは、指揮・命令系統をはっきりさせるためである。これは組織としての責任の所在も明らかにする。これがないと組織は成り立たない。なぜか?組織として一つの価値を社会に提供するには、組織自体も一つの価値観を持たないといけないからである。しかし、人間は一人一人考えが違う。組織の中で一人一人がそれぞれ違うことを言っていたのでは、一つの価値に絞ることもできないし、組織としても動かない。それぞれが異なる方向へ向かうからである。だからこそのピラミッド型なのである。

今の日本は民主主義という一つの価値観を表す社会システムになっている。第二次世界大戦中は、ファシズムという価値観を表す社会システムになってただろう。江戸時代は江戸時代の価値観を表す社会システムになっていた。一つなんだよ。たった一つ。

しかし、我々人間は一つの事実に対して、いろいろな解釈ができる。これは、いろんな価値観を一つのものにつけることができるということだ。たとえ、社会的に受け入れられない価値観だとしても。

ここで、ドラマ中の人物を比較してみたい。自殺した川又と貝塚官房長である。二人はそれぞれ防衛庁を自分の人生においてどのように見てただろうか。二人の言動から推測してみたい。
川又:自分の夢をかなえる場。自分の活躍するステージ。まず、自衛隊ありき。
貝塚:自分の欲求を満たすために利用するもの。道具。どう使うかは自分で決める。まず、自分ありき。

とても対照的。ドラマでもよく対立してた。

私は、人間はそれぞれの生き方を追求して、それぞれらしく生きることが正しい在り方だと考える。それは、今は民主主義の時代だから、民主主義的な生き方をするということではなく、自分が社会主義が正しいと信じるならそう生きるということだ。生まれてきた場所や育った環境に依存するのではなく、その中でどう自分を貫くのかということである。

川又は、日本の防衛をしっかりしたいと夢をもっていた。なら、たとえ、自衛隊の中で閑職に飛ばされて、それが自衛隊ではかなえられそうにないと分かったなら、ほかの方法を考えてほしかった。当時、自衛隊はあったが、いろんな面でアメリカ軍の情報や軍事力にかなり依存していた。今もあまり変わらないとは思うが…。こういうことを考えると、アメリカ軍に入って日本を担当するとか、自分のできる範囲で、防諜などで自衛隊に貢献するとか、夢へ向かうステージを変えてもよかったんじゃないかなと思う。無意識に“組織”に依存していたんじゃないかなと思う。組織の中にいる自分からしか物事を考えられなかったんだろう。

一方、貝塚は、常に組織の外にいる自分から物事を見ていた。一人の人間として自分は何がほしいかという視点から物事を見てきたんだろうと感じた。だから、組織に埋もれることなく、いや、だからこそ、組織を利用するという発想ができる。決して社会学者のように社会の仕組みをわかった上で、この仕組みを利用したわけではないだろう。ただ、ひたすら社会的なものを脱ぎ捨てて、一個の人間として何を欲してるかを見失わなかった。そして、一応順調?なのかは分からないが、前に進んでいる。この生き方には、敬服する。なかなかこういう人は見当たらない。現実世界で。面白い。

以上が、冒頭の自分が人生の司令塔にならないといけないと感じた理由です。

また、“組織と個人”の問題で壹岐が苦しむことのヒントもここにあると思う。さっきも書いたが、壱岐は第二の人生の目的は何なのかということが定まってないために、いろんなことに振り回されるのではないか。壹岐は自分のしたいことをしているのだろうか。壹岐は、一人の人間として子供たちに何を教えられるだろうか。組織の中の一人として極めることが人生の目的なのか。それとも、一人の人間として、家族や友人とかけがえのない関係を築いていくことなのか。もしかすると、この二つのどちらかを選ばないといけないということを理解するための道程としての「不毛地帯」なのかも。

面白いよこのドラマは。いろいろ考えさせられる。楽しいね。
ありがとうございます。


不毛地帯 DVD-BOX 1


以上
またね***

一枚の葉

 今、私は死んだ。 そして、その瞬間、自我が生まれた。 私は、一個の生命体なのだ。もう死んでいるのだが。 死ぬことでようやく自己が確立するのか…。 空気抵抗というやつか。 自我が生まれたが、自身のコントロールは利かず、私はふらふらと空中を舞っているのだ。  私はこの樹の一部だった...