2017年6月17日土曜日

生きる

生きることを目指してきた

いつからかはわからない

単に意味を見いだせなかった

いや、自分本来の好きなことをする余地がなかった

ただそれをしているだけでいい

別に生きる目的などなくても、それをしていればいい

それをすることで飯を食っていくことはできない世の中だとわかったから

本来はわかっていないのだが、世の中の価値を優先した


空は青く、かぜはさわやか

何もないのだ

苦しみも悲しみも喜びも怒りも

自分には何もない

だから、それがいい

痛みがあることが生きている証だという

たんに捉われてるだけだろ、と突っ込みたくなる

捉われることで自然から離れてしまった

自然とともにある動物はあるがままがすべてだ

生きるという概念はない

ただ、営みの中にあり営みを成すものである

ただあるがままでいることによってのみ達成する

すべてが無意味だ

そこに無理に意味を創る必要もない

意味を創ればありのままではいられなくなる

自分が自分であること

何物にも足らわれない

自分自身にも

腹が減ったら飯を食う

眠たければ眠る

子孫をつくるのも成行きだ

性欲に流されればいい

空虚である暇と退屈を弄びたい

フェイクニュースの見分け方(食べる読書134)

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