2018年1月7日日曜日

いたこニーチェ(食べる読書136)



ニーチェの考えをわかりやすく、小説という形で説明している。


やっぱりニーチェの考えに触れると勇気がもらえる。


弱気になっている自分に違う次元で勇気を与えてくれる。
物事の見方の次元を上げてくれる。

ありがとうございます。


以下抜粋

現実は小説より奇なり。
まあ、当たり前なんだけどね。混沌とした現実から、一定のルールで物語を切り取ったのが小説なんだから。


「しかし、同一でないものを同一とみなすことにより、概念は成立するんだ」
「それは抽象的な≪葉≫という概念が生まれるということですか?」
「うむ。≪葉≫という概念は、個別の差を捨てたり、忘れたりすることで形成される」


「男と女は相手について思い違いをしておる。結局、お互いに自分の理想を愛しているだけなんだ。男は女が柔和であることを望んでいるけど、女は猫に似て本質的には柔和ではない」
「今ほど女が尊敬されている時代はなかろう。これは、民主主義的な傾向だ」
「男女平等の世の中ですからね」
「それをいいことに、女性に対する尊敬が悪用された。結果、女は恥知らずになった。要求が底知らずになり、男を恐れなくなった。女は本能を捨ててしまった。女は堕落してしまったんだ」


「ここで重要なのは、女が男のレベルまで堕落したということだよ」


「近代的理念によって女が女を破壊したのだ。問題は、それを助長する男がいること。連中はうまいこと女を説得して、女性らしさを喪失させ、男の愚行のすべてを真似させようとしておる」


「同じように≪普遍的真理≫は存在しない。要するに、誰にとっても真理になるようなものはありえないんだ。現実には≪個別の真理≫が存在するだけだ」
「≪普遍的真理≫も≪葉≫という概念も、人間の頭の中にしか存在しないと・・・」
「そういうことだ。解釈の数だけ真理は存在する」


「こうした学問でさえ、一種の世界解釈にすぎないんだ。現実世界に実在しない数字や記号を使って世界を描写しているだけ。その背後には生理的な欲望がある。先生はこれを≪権力への意志≫と呼ぶんだけどな」



「不健康な真理だって?」
「そうだ。不健康な人間が生み出した真理だ。かつて、人間の価値をおとしめることにより権力を握った連中がいる。人間を病気にさせることが、彼らの生存にとって有利になったわけだ。かれらは≪真の世界≫という概念によって≪現実世界≫をおとしめた」



「それをユダヤーキリスト教的価値転倒といってもいい。人生をよりよく生きること、優秀であること、権力、美、自分を信じることを徹底的に否定するために、かつて価値の転倒が行われたんだ」


「奴隷は自分が苦しんでいる現実を認めたくない。だから≪あの世≫に希望を託した。いつかメ救世主がやってくると信じこんだ。それと同時に、自分を苦しめる強い敵は≪道徳的に悪い≫、反対に弱い自分たちは≪道徳的に良い≫と決めつけた。こうした価値転倒によって、自分たちを優位に立たせたわけだ」


「この奴隷一揆の構造を利用して権力を握ったのがキリスト教なんだ。キリスト教はすべての弱いもの、ロクでもないものを味方につけた。弱者の呪いを集約して、高貴なもの、優れたもの、現実的なものに決戦を挑んだんだ。お前の先祖のパウロが言ってるよ。≪神は世の中の弱いものを、軽く見られているものを、お選びになる≫ってね!」


「現在権力を握っているのは奴隷の神を利用した奴隷たちなんだよ。今の格差社会では奴隷が最上層部に君臨している。だから、正しい格差社会をつくらなければならないんだ」
「正しい格差社会だって?」
「そうだ。健全な社会では、高貴な人間がピラミッドの最上層部に座り、思いやりを持って大衆を支配するんだ」
「高貴な人間ってたとえば誰?」
「ボク」
「えーっ!それじゃあ単なる自己中じゃん」
「当たり前だ。他に何を中心にするんだ?好機ということは強者の自覚と自制心を持って判断の主体を引き受けるということだ」


「当たり前だ。道徳とはワタシたちがワタシたちの人生において発見するものなんだ。カントの言う≪普遍的な道徳≫≪普遍的な義務≫≪普遍的な善≫など幻想にすぎぬ」


「こうしたばかばかしいカラクリによって、お前たちは権力を独占したのだ。プラトン、パウロ、カント、社会主義、民主主義というイデオロギー・・・」
なるほど。
真理は神のみぞ知るというわけか。
だから僧侶たちは、神の代弁人を名乗ることによって真理を独占し、強大な権力を手中にすることができたと…。


「民主主義はたんに政治制度だけの問題ではない。それは、人間そのものが落ちぶれたこと、卑小になったこと、凡庸になったこと、価値が落ちたということだ。こんな愚劣なイデオロギーが世界を支配しておる」


「人間の均等化と凡庸化だ。社会主義も民主主義も国家主義も発生源はキリスト教。そこで生み出されるのは、せいぜいが器用な労働者、口喧しい奴隷といったところだ。問題は現代人の多くが、民主主義が危険なイデオロギーであることを見抜けなくなっていることだ」


「完全に洗脳されているな。僕らにとって大切なのは、人間の歴史と文化を慎重に扱うことなんだ。それ以外にはない」
「民主主義は少数者、偉大な人間、特異な人間を排除するシステムに過ぎないんだ」
「でも、多数意見を採用する代わりに、少数者の権利をきちんと守るのが民主主義でもあるわけだろ」
「権利は他人に守られるものでもなければ、与えられるものでもない。強者は弱者からの同情など受けない」


「≪神による選択≫だよ。多数意見が少数意見より優れているという根拠はどこにもない。それを保証しているのはキリスト教の神なんだ。かつて神が座っていた場所に、いまは民主主義が奉られている。人間は神の下に平等であるというイデオロギーにより、ヤツラはすべての偉大なものに決戦を仕掛けたんだ」


「イエスは自由な精神を持った男だった。すべての決まりごとを一切認めず、≪生命≫≪真理≫≪光≫といった精神的なものを、自分の言葉で語っただけだ。このイエスの人物像をどんどん歪めていったのが初代キリスト教団だ」
「イエスの弟子なのに、どうしてそんな裏切り行為を?」
「無論、権力を握るためだ」
「うーん」
「それで教団の宣伝に都合のいい≪キリスト像≫が捏造された。宗教にはまる人間は、信仰する神を理由に自分の弁解をするものだからな」


「生む。本題はここからだ。キリスト教道徳は≪高貴な道徳≫を否定するために発生した。人生をよりよく生きること、優秀であること、権力、美、自分を信じること。こうした大切なものを徹底的に否定するために、ヤツラはまったく別の世界をでっちあげたのだ」
「別の世界?」
「そうだ。≪あの世=真の世界=神の国≫によって、現世をおとしめた」
「結局、イエスは利用されただけだったのか…」
「うむ」
「イエスの弟子たちは、あの世に希望を託すことにより、現世であきらめることを教えたと」
「少しは理解してきたかね?」
「はい。なんとなく」
「ヤツラは高貴な人間、強い人間を≪悪人≫と決めつけた。そして常に、心の弱い人間、お下劣な人間、できそこないの味方になってきた。こうして弱者の恨みや呪いを集約し、強大な権力を手に入れたのだ」


「自分たちの薄汚い呪いを≪普遍的真理≫に結びつける。神を歪めて≪善≫を独占する。価値観を共有できないものを≪悪≫と決めつけ断罪する。こうしたキリスト教の独善性は、近代イデオロギーにそのまま引き継がれてるんだ」
「ニーチェが≪民主主義はキリスト教の継承≫って言ったのはそういう意味?」
「そういう意味。ついでに『アメリカ独立宣言』から引用しておこう」
≪我々は以下の諸事実を自明なものとみなす。すべての人間は平等に作られており、創造主により、生存、自由、幸福の追求を含む、譲り渡すことのできない権利を与えられている≫


「つまり、法の権威を≪神≫と≪祖先≫で理由づけるのか…」
「うむ。こうして民族は無意識になる。先ほど三木君が説明してくれたようだが、≪民族の本能≫は長年の経験により、意識的なものが排除されることで生まれるのだ」


「民族は≪民族の神≫というフィクションを持つ。民族は≪民族の法典≫というフィクションを持つ。民族は≪民族の歴史≫というフィクションを持つ。これが長年にわたる経験と知恵、犠牲のうえに手に入れた≪民族の真理≫なんだ」
「民族の真理…」
「神は本来、民族において、民族の強さや民族の権力を求める感情であった」


民族の真理は、民族の美意識と自己肯定によって生まれる。
民族の真理は、民族の経験と犠牲のうえに立ち現れる。
健康な民族は健康な真理を持つ。
神は鏡のように、民族の姿を映し出す。
健康な民族は健康な髪をもつ。
神の国は、現実社会そのものである。
神は≪民族の真理≫しか映さない。


「こういう神は単純なものではない。人間にとって有益でもあり有害でもある。味方でもあり敵でもある。よいことにおいても悪いことにおいても神は必要とされる。それが本当の神の姿なんだ」
「キリスト教の神とはだいぶ違いますね」
「うむ。神は僧侶たちの都合のいい道具になってしまった。ヤツラは<すべての幸福は神のおかげだ>≪すべての不幸は神を信じないことへの罰だ≫などと言い始めた」
「なるほど」
「ヤツラのせいで、神と土地・自然・民族派結びつかなくなってしまった。つまりキリスト教とは、民族の価値、あらゆる固有の価値に対する呪いなんだ」


空想の産物でしかない≪普遍的真理≫を設定し独占すること。
≪絶対的な善≫を自称し、≪悪≫と決めつけたものを排除すること。
≪あの世≫というフィクションを利用して≪この世≫を否定すること。
キリスト教は自分たちの組織を永遠化するために、不幸そのものを生み出してきた。
つまり、不健康な真理。


「民族が徹底的にダメになっていくとき、すっかりあきらめてしまったとき、敵に屈服することが一番良い選択だと考えるようになった時、民族の神は変質してしまう。今の日本のようにな…」


真の世界は存在しない!
ただ個別の世界が存在するだけだ。生物は自らの生存に都合がいいように、生々流転しているカオスの中から<世界>を切り取っている。つまり、世界とは≪権力への意志≫による解釈にすぎない。世界は人間にとって必要不可欠な虚構である。


対立と犠牲を恐れるな!
高いところから見下した、抽象的で一般的な≪真理≫≪道徳≫など、どこにも存在しない。高貴な人間は、他人の価値基準に従うのではなく、≪自分の真理≫≪自分の道徳≫を、勝ち取っていくものなのだ。そこでは、世間との対立と犠牲を恐れずに、自分の判断に良心を持つことが必要とされる。


「つまり我々は世間と大きく距離をとっているわけだ。そして強者の自覚を持っている。他人が≪もうダメだ≫と言いだすところに、迷路の中に、厳しい人間関係の中に、そしてものごとを試すことの中に、自分の幸福を見つけるんだ」


≪精神的な人間は重い課題を特権とみなす。そして、弱い人間だったら押しつぶされてしまうと感じるような重荷を、もてあそぶのだ>


以上
またね***

アベノミクスを超えて(食べる読書135)



2012年12月に発足した安倍政権の経済政策、通称アベノミクス、から5年が過ぎた。
その結果の判定云々を言うより、どうしてそのような政策が最適だと判断したのかを、当時は全く分からなかった。単に、疑問点ばかりあったが、自ら調べようともしていなかった。そして現在もその傾向はある。

政策は手段にすぎない。手段の妥当性に関して発言権を国民は持っているとは思えない。さらに、何のための政策なのか、という目的の妥当性についても同様に国民は蚊帳の外である。
そもそもどうなりたいのか、というビジョンをだれか発信し続けているのだろうか。おそらく、選挙期間中の候補者しか声高に発言はしていないように思える。


資本主義社会において、発言力が強いのは資本の多いほうである。それは、マスメディアと政治家(ロビー活動など)への影響力も資本力と比例することがアベノミクスで確認できる。


どこまで見ず知らずの人間のことまで考えて行動できるのか。
自分だけか、家族のことだけか、所属している組織か、住んでいる地域か、国籍か、地球か、将来1000年後に対してもか。
どこの範囲まで自分の行動の影響を考慮して動いているのか。その目的と影響を及ぼす範囲は一致しているのか。
自分の利益のためにほかの人が害をこうむっても良しとする根拠は何か。


自分の利得というものは絶対的なものではない。相対的なものである。他者がいないと有利も得もない。


一つのルールそれ自体は、一つの価値であり、多数に共有されていることから必然的に偏りを生み出す。つまり、全員が平等であるルールなど存在しないのだ。

では、どうすればいいのか。


課題かな。


以下抜粋

まず、TPPによって日本の産業が成長するのかという問題ですが、もしそうなら、とっくに成長しているはずでしょう。
産業の発展の部分でいうと、TPPの中でも関税の撤廃に関するところの話になりますが、日本の関税というのは米などごく一部を除いて、非常に高いレベルをすでに達成できています。


TPPによって関税が撤廃されると、そこは完全なる弱肉強食の世界になります。「みんな同じ条件ではないか」と思われるかもしれませんが、強いもの=巨大な資本を持つものが圧倒的に有利になります。


米韓FTAとは、アメリカと韓国が結んだ自由貿易協定ですが、これを結んだ結果、韓国企業の株は次々と外資に買われ、銀行まで外資に支配されることになりました。
会社自体は韓国にあって、韓国人たちが働いているので、韓国の企業のように見えても、実は株主に完全に外資で、企業の利益の多くが株主である外資に流れていくという構造になってしまいました。
韓国人労働者たちは、外資にお金を渡すために、日々、せっせと働いているという状態になってしまったのです。


日銀の当座預金のお金が増えると、銀行はその金額に一定額をかけた金額を貸し出すことができるようになります。これが「準備預金制度」というものです。
銀行は、日銀の当座預金の金額に応じて、貸し出せる額が決まるというわけです。
ですから、理論的には日銀の当座預金の金額が増えれば、銀行が貸し出せる金額も増えるので、世の中に流通するお金も増えるということになります。
このように、市中銀行が企業や個人にお金を貸し出すことによって、世の中のお金の量(マネーストック)が増えることになります。
景気を良くするためには、ただマネタリーベースが増えただけではだめで、マネーストックが増え、なおかつそのお金の循環がよくならないといけません。


自民党の国会議員の票は、議員の選挙区の市会議員、県会議員が票を取りまとめえたものが基盤となっています。
その証拠に、2013年末、自民党の森屋宏参議院議員が、地元の県会議員21人に「お歳暮」として贈答用の牛肉を送り、問題になりました。
公職選挙法では、政治家が選挙区内の有権者に金品を寄付することは禁じられていますから、完全に違法です。
でも、やってしまったのは、「あなた方のおかげで当選できました。ありがとう」という気持ちをどうしても表したかったからでしょう。
自ら、「自分が参議院議員に当選できたのは、あなた方県会議員たちが票を取りまとめてくれたおかげです」と言っているようなものです。
さらにここで問題視したいのは、自民党の場合、こうした地方の県会議員、市会議員の多くが、実は土建屋の社長や元社長たちだということです。


マクロ経済的に考えても、1000人弱しかお金を使わない状態よりも、20万人全員がお金を使うようになるほうが、経済効果は明らかに高いはずです。
それなのに、どうして土建屋だけにお金を渡すのでしょうか。
その理由は、先ほどの「若い男(議員秘書)」が教えてくれました。
1つは土建屋から賄賂がもらえるから、もう1つは土建屋が次の選挙でも票を取りまとめてくれるからです。


土木工事よりも多くの付加価値を産むような投資先はないのかについて、議論の余地が大いにあると思うわけです。



価値(富)の量よりも通貨の量が多い状態をインフレ、価値(富)の量よりも通貨の量が少ない状態をデフレと呼ぶのです。


必要なことをやるだけなのに、それを景気対策と言ってしまうのはおかしいでしょう。
震災被害を受けた建物などを直したり、来るべき次の大災害に備えるというのは、景気がどうこうという話をは別次元の問題です。
やるべきだというニーズにこたえて、当たり前のことを当たり前にやるという話ではなく、日本という国がどういう国になるのかというビジョンを描くのが「政策」です。
そのビジョンに従って、どの分野にどのくらい、どうやって財政出動するのかを決めるのが「財政政策」でしょう。
昔の通産省は、そういう仕事をしていました。どの産業を支援し、どの産業を捨てるかという、国家のビジョンを決めていたのです。ある時期に、繊維産業を捨てて、自動車産業を選び、支援していくことに決めたようですが、それが正しいかどうかは別として、そういう風に大きなビジョンを描いて、実行するのが政策というものです。
あえて「国土強靭化」などと叫ぶというのは、私には「土建屋へのばらまき」を正当化する詭弁に聞こえてしまうのです。


「民間議員」とは、国政選挙で選ばれたのではなく、内閣府が指名した民間人が議員扱いになって、重要な国の会議(例えば、経済財政諮問会議、国家戦略特区諮問会議、産業競争力会議など)に参加し、投票権(議決権)を持つ人たちのことです。
そもそも「民間議員」などという存在は民主主義への挑戦ともいえる、とんでもない制度です。民主主義において正当に選ばれた人以外の人が政治に関わるというのはあってはならないことです。「国民主権」という政治の根本を揺るがす事態と言っていいでしょう。本来は、多くの国民が怒りの声を上げるべき問題です。


結局、「規制の緩和」とは、参入が阻まれていた、あるいは一定のところまでで制限されていた規制を取り払って、新規参入、もしくは市場拡大することによって儲けようという人たちのロビー活動なのではないでしょうか。
実際、アメリカでは、秘密保持条約であるTPPはアメリカ議員の議員ではなく、このようなロビイストたちの発案によって作られています。


こうした動きを総合的に見て考えてみますと、第三の矢の「成長戦略」とは、TPP締結後に外国人を受け入れるための規制緩和と、人材派遣会社が儲かるための雇用の流動化と、ごく一部の企業が儲かるためのカジノ構想であるといわれても仕方がないのではないでしょうか。


「景気がいい」というのは、世の中の「お金の回転速度が速い」ことを意味します。


ここでわかるのは、「お金を増やしただけでは景気は良くならない。消費者がその増えて青金を十分に消費に使わないといけない」ということです。
景気対策の根本は「たくさんの一般消費者にどれだけ安心してお金を使ってもらえるようにするか」なのです。


結局、トヨタの過去最高益更新の理由は「アベノミクスによって自動車の販売台数が伸びたから」などではなく、「円安になったから」と「アベノミクスの効果が及ばない海外での自動車の販売台数が伸びたから(しかも、輸出ではなく、現地生産)」なのです。


信用保証で大儲けし株主配当をもらい、建設会社の資金繰りが悪化すれば融資をし、下請け業者からは手形割引で儲ける。
銀行は、いまの建設業界の支払いシステムを絶対に変えたくないはずです。おいしい天下り先を絶対に手放したくない国土交通省と利害が一致します。
そして、さらにその裏には自民党の建設族の族議員たちがいて、それを見て見ぬふり(あるいは、積極的に支援)することで、その利権のおこぼれをもらっているという図式が見えてきます。
「アベノミクス」の第二の矢「財政出動」の裏側には、国民のほとんどが知らない自民党の公共工事の闇が潜んでいたのです。


実は、この東日本建設業保証株式会社と西日本建設業保証株式会社は、決して最近できた会社ではありません。両社とも、昭和27年に設立され、建設省時代から官僚たちが、裏金を作るための天下り先として代々育ててきたものなのです。
日本には、この会社のように、官僚が裏金を作ったり、天下って私腹を肥やすための組織があふれています。もちろん、先に書いたように5月成立予定のカジノ法は、同様な利権をけた違いの規模で生み出します。
工事の支払いの方法を国際標準に変えるだけで、税金の無駄使いも減り、多くの建設会社の資金振りがよくなり、さらに多くの中小下請け企業の資金繰りもよくなるのは明らかなのにもかかわらず、この2社のように、絶対に変えようとはしない利権が山のようにあるわけです。


内閣人事局の創設とは、すなわち「国会で過半数を取れなくても、比較第一党であれば、十分に大きな権力を行使できるようにするための、官僚コントロール機関の創設」なのです。


そもそも18歳に引き下げた理由は、若年層のほうが右傾化しやすく、また経験が浅い分、プロパガンダに乗せやすいということがあると思います。
超高齢社会の日本の高齢者層には戦中戦後の苦労を知っている人が多く、また戦後の平和憲法は絶対的に素晴らしいと教育されてきた世代なので、憲法改正には否定的な人が多いと読んだのだと思います。
その分は、戦争を知らない若年層の票でカバーしようという意図なのでしょう。いずれにしても、その先にある「本当にやりたい」憲法改正への布石であることは間違いありません。
そして、先ほども見たように、自民党の憲法改正案というのは「憲法9条の改正に見せかけた内閣への権力集中(=国民主権の破壊)」であることを見抜いておく必要があるのです。


つまり、技術の共有化を含め、原子力分野ではアメリカと日本はもう切っても切れない関係になってしまっているわけです。
バイデン副大統領は、このことをきちんと理解して原子力政策を講じるように、安倍首相にプレッシャーをかけました。もちろん、アメリカにとってビジネスとしてうま味が大きいからです。
安倍首相が、原発の売り込みのために海外に出かけて行っていますが、あれはアメリカに言われてやらざるを得ないからです。


日本人の多くが誤解していますが、日米安全保障条約というのは、「日本が戦争に巻き込まれたり、巻き込まれそうになった時、アメリカ軍が日本を守ってくれる条約」ではありません。
日米安全保障条約とは、有事の際は日本の自衛隊がアメリカ軍のコマンドコントロール下に入って、アメリカの言うとおりに動くようにするための条約なのです。


これまでのようにアメリカ政府を動かす軍需産業や国際金融資本の言いなりになって、彼らの軍門に下るのか。あるいは別の集団を構築し、日本独自の「経済平和路線」へと突き進むのか。
それを決めるのは、アメリカではなく、われわれ日本人であるはずです。


これまで見てきてわかるのは、アベノミクスというのは「円安によって演出された好景気」を隠れ蓑にして、アメリカの一部の支配者の要求を飲んで、彼らが扱いやすい日本を作り上げることだということです。
これは、「好景気で支持を得ておいて、その隙に日本の民主主義を破壊し、主権者である日本国民の権利を奪うこと」を意味します。


振込手数料というのは詐欺のようなものです。


また、銀行のATMで引き出せる限度額は、金融庁からの通達によって、通常のキャッシュカードではほとんどの銀行で50万円までとなっていますし、現金での振り込み限度額に至っては10万円までとなっています。
オレオレ詐欺対策とか、マネーロンダリング防止とか、北朝鮮の偽札対策とか、いろいろなことが言われていますが、本当の理由はそんなところにはありません。
オレオレ詐欺対策なら、金融庁ではなく警察が指示を出すはずですし、マネーロンダリングにしても、金融庁から国家公安委員会へ管轄が移管されていますから、金融庁から通達が出るといいうのはおかしな話です。北朝鮮の偽札なら、おそらくATMが見破って、はじいてくれることでしょう。
どう考えても、「キャッシュで取引を減らしたい」と考える勢力による圧力なわけです。だから、警察や国家公安委員会のような組織ではなく、金融庁から通達が来るのです。
私は「カードや電子マネーでは、消費マインドは高まらない」と思っています。


金融機関を儲けさせるだけの「非現金主義」はやめて、現金取引をもっと活発化させることが、景気回復の近道になるはずです。
そもそも、クレジットカード会社や銀行などの金融機関を儲けさせるシステムは、多くの一般消費者から少しずつお金を集めて、巨大企業に利益を集中させる仕組みです。



アベノミクスでやるべきことは「雇用の流動性」ではなく、逆の「雇用の安定」による消費性向の増大だと思うのですが、どうもそうした動きは見られません。
ただし、「宵越しの金を持たない」ようにする(=消費を拡大して景気を良くする)ためには、「雇用の安定」だけでは足りません。
老後の心配もないようにしなければ無理です。
いま、貯蓄をしている人の多くは、その理由を「老後が心配だから」と答えています。
つまり、「老後も安心して消費できる社会」を実現する必要があるのです。


規制は産業の成長とは基本的に関係ありません。悪い部分があるとすれば、その規制を監督する官庁の役人の天下りを許してしまうという点でしょう。
規制というのは法律ではないので、監督官庁の担当者のさじ加減1つでどうにでもなってしまいます。業界として、その監督官庁の言うことを聞かざるを得なくなるシステムなのです。


もともと、規制とは法律で決められたものではなく、監督官庁が自分たちの都合のいいルールで許認可をあたえるという、非常にあいまいかつ超法規的なものです。そのため、許認可権を持っている官庁がその業界に天下りするという悪弊がまかり通ってしまうのです。


国が株を保有している会社は「民営化した」とは言えません。国が株を持っているのであれば、それは「民営化」ではなく、単なる「株式会社化」にすぎません。
実は、官庁にとって、この株式会社化には非常に大きなメリットがあります。最も大きなものは、会計検査院の目がかわせるということです。
会計検査院の目がかわせると、裏金が簡単に作れるようになります。
官僚の人たちの中には、そうした裏金作りに長けた人もいて、官僚をしている間に見事なまでに裏金をプールしていきます。


民営化された元道路公団には子会社、孫会社がたくさんあります。元道路公団の会社本体ぐらいまでは、ある程度、会計検査院もチェックできるかもしれませんが、孫会社、例えば首都高速道路株式会社の子会社・首都高トールサービス株式会社あたりになってしまうと、もうお手上げです。もちろん、これらの会社には天下りがたくさんいます。
どこでどうなっているか、外部の人間にはまったくわかりません。
民営化というのは、要するに株式会社化することで、会計検査院の目を逃れ、裏金を「正当な労働への報酬」へとロンダリングするための手法なのです。


規制は天下りの温床になりますし、適度な競争は消費者にとっては価格の適正化やサービスの向上が期待できるので、必要なものは法制化して、あいまいは規制は撤廃するのが望ましいのです。
ですが、規制を取り払ったからといって産業が成長するわけではない、つまり規制緩和は経済政策でも何でもないということです。
経済政策でも何でもないものを「~ミクス」と呼ぶのはおかしな話ですし、現実問題として、規制緩和をすれば産業が成長するなどということはなく、単なる天下り先の確保と、政治家へのロビー活動に力を入れている企業が利益を奪い取るための政策にすぎません。


とにかく、国民一人一人が「消費をしよう」と思うようになることをやってください。
「国債は国の借金」だなどと、ウソを広めるのはやめてください。日本の国債は日本人が円で買っているのですから、借金などではなく「国民が国に貸している貸付金であり、貯金と同じ」なはずです。
「国民一人当たり900万円の借金」なんて言うウソもやめて下さい。国民は国にお金を貸している側であって、返す側ではありません。


以上
またね***

一枚の葉

 今、私は死んだ。 そして、その瞬間、自我が生まれた。 私は、一個の生命体なのだ。もう死んでいるのだが。 死ぬことでようやく自己が確立するのか…。 空気抵抗というやつか。 自我が生まれたが、自身のコントロールは利かず、私はふらふらと空中を舞っているのだ。  私はこの樹の一部だった...