2010年2月28日日曜日

50で飛び抜ける☆2

昨日、千葉県市川市で行われた映画「降りてゆく生き方」を見てきた。

今まで見た映画の中で一番奥が深いと感じた。
その理由は、この映画では、現代社会の問題点を取り上げているが、それに対する明確な概念は提示されているが、具体的な対応は見出されていないこと。また、私自身、これまで人類に対して、この社会に対して、次の世代に対して自分は何ができるかを生きる指針としてこれまで生きてきた。だから、その答えを身をもって示すのは私自身であるという意識なので、とても興味深く、臨場感をもって映画に入り込めたことがあげられる。

以前、このブログでも紹介した「変革は、弱いところから、小さいところから、遠いところから」という本にとても衝撃を受けました。本当に衝撃的でした。“人間はこんな可能性もあるのか”はっきり言って、人間に対する信用が増しました。

この本では、実際の人々の取り組みが綴られていて、それが今の価値観ではない中で、きちっと結果を出している。映画は具体性が乏しいとは感じたが、この本は具体性どころか、実際の取り組みそのものだから、とても考えさせられた。

そして、厳しいことを言うかもしれないが、今の三十前後やそれより若い人にとって、この映画のメッセージは、“今さら”と思う人も多々いるのではないかとも感じた。

ニートや引きこもりが出始めたこの世代の人。“おれたちはすでに降りてるっチューの!”と言いたい人もいるのではないか。すでに、二十年ほど前から、大人たち自身どう生きればいいかわからないと焦ってるなと、私自身感じていた。映画の中の小学生たちが言うように、大人たちは次の世代を見て日々を生きてはいないと感じていた。理由として、子供の素朴な疑問に答えられる人がいなかったからだ。

映画の中で、教師が宮沢賢治の詩の大事さを説いている中、生徒たちはそれに意味を見いだせていなかった。そして、女の子がこう言う。「これがなんの役に立つんですか?」それに対して、先生は何も答えられなかった。

あほか!

答えてやれよ!正解なんてないだろ。はっきり言って、大人が子供に教えられるのは、生き方のひとつを見せてやれるだけだと考える。ここで、答えられない時点で、この先生は、“詩”という人間の大事な表現手法を題材にしていながら、自身の考えを子供たちに表現できなかった。先生自体、子供ではなく、国の決めた教育内容を見て生徒に接していたということだろう。人を育てる教師なのに対象となる人は観ていない。

ここで少女に対する答えを私ならこう答えるなというのを記したい。映画を見ながらいろいろ考えたな。

「この詩は、“人生”がテーマだ。人間は、うれしいときもあれば、悲しいときもある。生きていれば多くのいろんなことがあるんだよ。みんなも、十一年生きてきて楽しいことや辛かったことなどあっただろ?特につらいときは、“もう、どうでもいいや”と投げ出したくなるよね。でも、そんなとき、この宮沢賢治さんは、辛いことがあっても投げ出さない“人生”を生きたいと考えたんじゃないかな。みんなは辛いことにぶつかったら、どうするだろう?どうすればいいかわからない場合もあるかもしれない。でもね、宮沢賢治さんはどうしただろうと分かれば、少しは楽にならないかな?辛いとき、こうした人がいた。いや、別のことをした人もいた。また、さらに違うことをした人もいた。昔の人たちは、みんなが素晴らしい人生を生きるためにいろんな答えを教えてくれるんだよ。この詩は、今は役には立たないかもしれない。でも、辛いときには役に立つかもしれない。ご飯食べるときに、はさみは役に立たないだろ?でも、紙を切るときは、はさみは役に立つ。逆に、紙を切るときにお箸は役に立たない。ご飯を食べるときにお箸は役に立つんだ。少しはわかったかな?」

みたいな・・・。

難しいな。でも、一人の人間として、目の前の人に何ができるかを考えれば、おのずとやることは決まります。

話は少しずれたが、新たな価値観を作らないといけない。デカルトとニーチェからこのことについて考えたい。

ネオテニーという考えがある。幼形成熟とも言う。これは、ニーチェの言う三段の変化の赤ん坊のことだと解釈する。つまり、不完成こそ完成なのである。常に変化していくということ。今の世の中は、合理主義という一つの考え方が大方を支配している。それは、デカルトの「方法序説」が一つの始まりであったのではないかと考える。これは十七世紀のこと。それから、人類の生活は大きく変わった。が、変わらないのが、この合理主義。一つの価値観(合理主義)以外は認めないというこの考え。デカルトの考えを多くの考え方のひとつとしてみなせる社会が次の社会の在り方の理想だ。それはどんな社会かというと、やはりニーチェの言う赤ん坊のように変化を自分の成長とする社会だと考える。その時その時によって考えを変えればいいんだよ。蝶々が花から花へと飛びまわるように、我々一人一人がいろんな考えという花を飛びまわるのが理想だ。すると、新たな花も見つかるだろう。一つの花には蜜はそう多くはないからね。

他にもいろいろ書きたいが、この辺にして…。

素晴らしい映画を製作してくださった皆様!そして、市川市で上映を開催してくださった皆様!そして、この映画を私に紹介してくださった虫鹿さん!楽しかったです☆

ありがとうございます☆彡

以上
またね***

巨悪の正体(食べる読書130)

日々実感しておりこんな社会の中でどう生きていくか、が課題ではあった。 このような本が出るほど日本の白痴化は進んでいるんだな、と改めて実感した次第です。 自分を通して人間がクソであることは実感していてそのクソっぷりとも依然と比べればうまく付き合っていけるようにな...