2012年11月11日日曜日

水滸伝十九(食べる読書128)




単純に力勝負で敗けた。



戦で。



何年も何年もかけて準備してきた。砦となる梁山泊を作り、人も集まり、人材も育ててきた。



調略・謀略も駆使してきた。



小さな国と言えるほどまで形も整えてきた。



もともとくすぶっていた想いをここまで形にした。



しかし、



敗けた。





最も大切で貴重な情報とはなんだろうか?





それは自分が変わる情報だろう。もちろん良いほうへの変化ではあるが。自分の目的を達するためのだ。





その情報はどこにあり、どうやって手に入れるのか?




目的に向かっていくことでしか手にできない。そして、それを手にすることで、さらに貴重な情報へと達していく。そうやって、結果として目的を果たすのだ。






どうやら梁山泊の闘いはまだ続くようだ。



というより、ここからが本当の梁山泊が試されているのだろう。




単に一代でなせるものではない。そして、人を繋いでいるのは、血ではない、志である。



梁山泊の志が本物かどうか。




大敗したここからが勝負だ。




梁山泊の生き残りどもは、この時誰も見れない景色を見ているのだろう。




それは、よりクリアな、宋打倒への道だ。



そして、その後の新たな国の形も…。




情報を制する者がすべてを制すると思っている。



ここでいう情報というのは、単なるデータでもなくインテリジェンスでもなく、目的を果たすために必要なものを見つけられる能力とその情報をそうだと認識することをも含まれている。



うまく表現できないが、帰納法や演繹法では測れないものだ。




禁軍の全力を引き出したということ、軍だけでなく政治面などその他の面でも宋の全体を把握できただろう。



今までとは違う高みで闘える。



ここが強み。




ひとつ先の手を打てるはずだ。





楊令伝。




梁山泊が単なる反乱でなかったことが良かった。まだ、終わっちゃいないんだ。ここは、通らねばならない道なんだとわかった。




小っちゃく考えてしまったなあ…。




志。




自分の人生で成し遂げられるようなものではない。もっと普遍的で、自分が奮い立つ・・・。





真剣に、志を作ります。




宋江は死んだが、宋江が作った志はこれからも人を繋げ、生き続いていく。




人々が目指す光となっている。





俺は、絶望のどん底にある人を包み込み、一歩踏み出させる光を作れるだろうか。




さらなる高みへと人々を案内できるだろうか。




より多くの人へ、どう貢献するのか。




課題はたくさんあります。



以下抜粋


「自分たちの国が欲しいというのは、志を全うすることより、ずっと自然なことだと思う。腹が減ったので、食いものが欲しいという思いにも似ているだろうな、武松」



「私は、梁山泊を見つめている。そして、叛乱とはなにかを、考え続ける」



「戦うことは、つらい。耐えるしかないことばかりだ」



「私が死んで潰れるような梁山泊など、ない方がいい。志は、誰の心の中にもある。私が死んで、なくなるようなものではない。わかるか、私の言う意味が」



敵をどうすればいい、という方法はない。総力戦とは、そういうものだ。耐えて耐えて、敵が倒れるのを待つ。あるいは、自分が倒れる。



「腰抜けが。死なぬかぎり、負けたと思うな。それが、梁山泊の漢ぞ」



「兵たちには、絶えず声をかけてやれ。新しい国のために、志のために戦っていると、語ってやれ。死ぬなよ。勝つまで、死ぬな。すべてが尽きても、命そのもので、敵に食らいつくのだ」




戦の機は、自分で作る。相手には作らせない。



「おまえだけではないわ。秦明であろうと、関勝であろうと、そうであったろう。将軍として一軍を率いていても、中央からの命令には従っていた。つまり、最後はなにも決めてこなかったんじゃ」



「聞煥章様が、試練を与えられることです。そうやって育てられたと、本人に思わせることです」



「いかがですか。自分を失うことなく、闘うことがお出来になりますか?」
「気負わず、臆せず。そうしようと思っている」
「ある境地に、達しておられます。童貫に勝てる、少なくとも宋江殿は勝てる。そんな気がいたします」
「私が負けても、梁山泊が勝てれば、それでよいではないか」
「その境地です、まさに」



「軍人どもは馬鹿だから、信用せん。それに、豪胆そうで、実は臆病だ」



「人は、死ぬものではなく、生きるものだ。宋江殿なら、そう言われるでしょう」
「長く戦をやっていると、見事に死んでみたいと思うようになるものよ」
「わかるような気がします」
「戦は、殺し合いだ。だから、せめて意味があるものだ、と思いたい。梁山泊軍で戦えて、俺は幸せだ。宋主のために、宋国を守るために戦えと言われたら、俺は意味を見つけ出せなかったと思う」
「どこまでだったら、意味を見出せました?」
「たみのため。そこまでかな」




「おまえもな。片脚を失っても、まだ闘い続ける。そうやってはじめて、自分が生きていると思えるのだろう、と俺は感じた」
「まあ、そうなのかな。痛みを愉しんでいるようなところもあります」
「脚を一本なくして、お前、なにかふっ切ったな。そう見えるぞ。よく喋るようになったしな」



「宋江殿も、諦められたのですかな」
「あのお方に、諦めはない。私にない強さを、お持ちだ。闘えるだけ闘おう、と考えられているだろう。それが、戦で死んでいった者たちに対して、唯一できることだと」
「生きている人がいる。それは数多い。しかし、死んだ人間の多さは、無限に近いと思います。無限の死の上に、数多い人の生はあるのではありませんか?」
「なにを言いたい?」
「死は、無意味であると。だから、私は自分で死ぬことができないのです」



敗戦を、どう処理するか。犠牲を、どう少なく済ませるか。張清は、ただそれに腐心した。



「つまらんぞ、燕青。人がいつも、すべてを見せいているとは思うな」



生きることは、別れの連続だった。



人の世で生きるというには、あまりに酷いことが多すぎた。人の世で生きることこそまことの生だ、と王進は言った。それは、これほどの黒々としたものに包まれているのが、生という意味なのか。



「そうか。許されぬか」
「許さないことが、思いだという気がします」



「人にとって尊いものがなにか、旗を観て考えてくれ」
ふと、自分が生きて帰る気さえないことに、楊令は気づいた。
「死ねぬぞ、その旗を持つかぎり。あらゆる人の世の苦しみも、背負うことになる。しかし、心に光を当ててくれる」
「死んではならないのですか?」
「こうしておまえに渡すまで、私は生きていたのだ」
「死にません。もっと、苦しんでみます。光が、ほんとうに当たるかどうか、生きることで確かめてみます」



光はなくても、生きてみせる。どこまでも、生き延びてみせる。
生き延びた果てにも光がなければ、この世に光などないということだ。宋江の血が染み込んだ旗にも、なんの意味もないということだ。



以上
またね***