2012年5月16日水曜日

経験のメタモルフォーゼ(食べる読書98-1)




”経験”とは何かを考えることで、人間形成をとらえ直すということを本書で考えている。


多様な視点から人間形成に関して述べているが、結局はそれだけにとどまっているようにしか感じられない。まあ、これがいまの社会といえばそうだ。


皮肉ではあるが、今の(科学的思考を基にできている)社会システムの中にいては、そこでもっとも有能とされるのはどれだけ科学的思考ができるかであるため、(そんな人が)いくら今の社会の問題を論じてみたところでその本質へはたどり着かないということ。なぜなら問題探究・解決の道具がその社会そのものである科学的思考だからである。


突き詰めれば突き詰めるほど泥沼化していく。


人間形成に関して言えば、本質は次の通りだろう。


科学システムにより成り立つ社会において人間はどうあるのが(今後も種としてありつづけるには)最も適切か?ということだと思う。


産業革命以後の社会にとって人間は大人と子供に分けるほうが、人間の在り方として適切だった。


産業革命以前は特に大人と子供とに分けるのは不適切だった。だから、そうはなっていなかった。


それだけのことだ。


では現在は?


発展・発達という概念では解決できない問題が出てきた。それは、本書でも述べていたが、大人と子供とに分けること自体に対して疑問を持たなければいけないことを意味しているのではないか。


というわけで、本書では書かれていなかったが、ここで私なりのこれからの人間の在り方のモデルを記したい。


社会の構成員一人一人が起業できる能力を有すること。これが社会参加のパスポートだ。そして、これはできれば七歳くらいには身についていたいと考える。


今のような学校はない。というより年齢で選り分けて教育するという方針がだ。義務教育はないのだ。これは国のシステムに自らの可能性をささげる行為という意味へと変わるからだ。


「この二十年間に、子供の誕生、子育て、労働、医療、警備、高齢者介護、そして死にいたるライフサイクルに関わる問題のほとんどの部分が、家族の営みの外に置かれるようになった。」と本書にあるように、いまの家族には人間形成する能力はない。


では何がこれらを学ばせる”場”となるのか。


ビジネスである。


家族は社会構成の集団の最小単位として人間形成に大きな役割を果たしてきた。そして家族は血縁によりその集団をまとめていた。


しかし、これからはビジネスがそれを担う。一様にビジネスといってもその規模は大小様々だ。つまり、職種・関与する人数など、これらは自分で決めることができる。そしてそのビジネスを通してライフサイクルに関わる問題と直面していき、人間として出来上がっていくのである。その結びつきは血縁ではなくビジネスである。


こう言うと金だけのつながりのように感じるかもしれないが、いまの現実の社会でのビジネスもただ単に金だけの尺度でビジネスが展開しているわけではない。金よりもどんな人物かが最も重要な尺度である。そのため一人一人は自らを教育する必要に迫られる。だが、どう教育するかは自分で決めることができる。おそらくきちんとした考えのもと決めることができるだろう。なぜなら、現実の社会をビジネスを通して観ているので、どんな人生を生きたいのかが明確かつ現実的になると考えるからだ。


他にも根拠を挙げれば挙げられるが、そんなことに意味はない。なぜならそういう論理自体が、物事を一つの見方に圧し込めることになり、硬直化した思考しかできなくなるからだ。


なぜビジネスを挙げたかもここに本当の意味がある。ビジネスを起こすということはこの社会にひとつ何かしらの変化を起こしたということである。この変化を起こすということ。これは始めた事業を途中で止める能力も含まれる。


このことが何を意味するかというと、システムに縛られないことを意味する。ビジネスという名のシステムを創りもするし、場合によっては止めることもできる。壊しもできる。


システムとは効率化により出来上がってくる現実の仕組みだ。これは科学的思考が基になっている。つまり、皆民ビジネス制度により、科学的思考に縛られる現在から、これらを扱う側へと視点が一段高くなることを意味していると考える。


自ら変化を起こす能力。自分と社会(環境)との相互作用に意図的に入り込む能力。これが求められている、あるいはこの能力があれば今の問題は解決するのではないかと考える。



もちろん社会的制度としてこの段階にまでなるには時間はかかるだろうし、変わらないといけない部分もある。資本主義をどうするか、科学の進歩をどうやって支えるかなどだ。



しかし、ただ単に昔と今を比べて変わる必要性を叫ぶよりも、何かしらのゴールを創ることは意味がある。



以上が私の考えである。


読みやすかったではあるが、途中からありきたりで少しつまらなく感じたことも確か。



まあ、でも新たな知識もあったし勉強になりました。何より、考えるきっかけになったのが一番の収穫です。


to be continued ・・・



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