2011年2月3日木曜日

勉強なります2

収入も、
働く時間も、
仕事内容も、
つきあうお客さんも、
つきあうパートナーも、
働く場所も、

あなたの思い通りにする方法を、
ダン・ケネディが教えてくれています。


彼はこれを達成している起業家を、
「レネゲイドミリオネア起業家」(非常識な億万長者の起業家)
と呼んでいます。


無料レポート:
『完全な自立』を達成する方法

は、こちらからご覧頂けます。

http://123direct.info/tracking/cr/f5qz2P2Q/85298/7113585



レポートの最後のページに、
ダン・ケネディのセミナー音声へのリンクがあります。

今週金曜日まで、無料で公開しています。
http://123direct.info/tracking/cr/f5qz2P2Q/85298/7113585

2011年2月1日火曜日

勉強なります。

20代のときに知っておきたかったこと・・・


「お金は稼ぎやすい。使いにくい。」
「変化するのに時間はかからない。」
「間違った決断は、最後までくだされない決断に勝る」
「体の動きが感情の元である」
「年をとれば学習のスピードが速くなる」

この無料音声セミナーには、
あなたの常識を破壊し、
これまで知らない間に抑圧されていた
可能性を引き出してしまいます。
↓ ↓ ↓
http://123direct.info/tracking/af/220041/jNPupS9V-d9qUrtfF/

今の生活に満足されているのなら、
これは必要ありません。

しかし、もしあなたが、今の人生を変えたいと
思っているのなら、、、、



「もっと若い時に出会っておけばよかった・・・」

そんな声がたくさん届いた
このジェームス・スキナーの無料セミナーが
クリスマスキャンペーンとして、12月26日までの
期間限定で、無料公開されています。

この期間を逃すと、もう無料で聴く事は
できませんので、今すぐココからチェックしてみて下さい/
↓ ↓ ↓
http://123direct.info/tracking/af/220041/jNPupS9V-d9qUrtfF/

2010年12月15日水曜日

おもしろいよ!

おもしろいよ~(^◇^)

http://123direct.info/tracking/af/220041/GOAoXVFm-ow8HsH5E/

2010年11月18日木曜日

心にきた言葉集32

「騎士は、諦めたその瞬間に、人間的にいえば、不可能なことを確認したのである。それは悟性の結果であった。そして騎士は、これを考えるだけのエネルギーをもっていたのである。」

「信仰というものがいかに途方もない逆説であるかを知ろうというにある。つまり、殺人をさえ神の心にかなった神聖な行為とすることができるという逆説、イサクをアブラハムに返しあたえるという逆説、この逆説は思惟のとらえうるものではない。信仰とは、思惟の終わるところ、まさにそこから始まるものだからである。」


以上二つは、キルケゴールの「おそれとおののき」からの引用である。この本は全部を読んだわけではない。ほとんど読んでて理解できなかったと覚えている。三年前のことだ。


が、訳わからないなりに上の二つをメモったのは、何か心に引っ掛かったからなのだろう。今見返して思うことは、キルケゴールは言葉にできないものを人々に伝えたかったのではないかと感じる。

つまり、人間には認識できるものと認識できないものがある。たいてい認識できないものは存在していないも同然であるが、我々が認識できないものも確実に存在している。ただ、人が認識できないだけなのだと。

これは、面白い。というか、基本的な考え方の結果だろう。認識できないものの存在をどうやって証明するか。少なくとも、人間の認識によって追求してはならないということを守ればいい。ここでは、論理によって追求しているのではないか。論理は我々がどう思おうが変わらない。

いくつかの例をあげて、騎士やイサクとアブラハムの話、それらの共通点は何か、普遍なものは何かといったものを抽出して出てきたものが、我々が普段認識できないが確かにあるものである。と、結論付けたかったのではないか。そして、その認識できないがキルケゴールが我々に伝えたかったものは、・・・ 本を最後まで読んでください。




最近めっきり読んでいないが、哲学書は、その著者の考えというより著者の生きる姿勢が文面からビシビシ感じるところが魅力。はっきり言って、読むだけで疲れます。だが、それは著者が”それだけを考えるだけのエネルギーをもっていたからである”。そして、そんな著者と対話するには、そんなに能力もない自分だが、それに見合ったエネルギーが必要なのだと認めざるを得ない。このことは論理というより、感覚により知覚されるものである。


以上
久々でした。簡潔すぎたかな…。
またね***

2010年7月10日土曜日

食べる読書17

実は今年の目標のひとつとして、本300冊読むことを掲げました。以前は、一冊一冊丁寧に読むことが重要と思っていたのですが、まずは質より量だというふうに考えが変わりました。そのため、ブログでは全く触れていませんが、多くの本と出会っています。いい本もあれば、ん~いまいちかなと思う本もあります。が、そのこと自体がいい経験になっています。

そんな中、今年も後半戦に入りしばらくすぎましたが、ついに…

半分の150冊読破です(^◇^)!!

思えば、一年に百冊以上の本を読むのは、わが人生において小六以来二回目の快挙です。しかも300冊という大台を目指しているんだからなあ!!やるねえ!!!

だが、ペースとしては少し遅いかな。遅れを取り戻せる程度の遅れだからあまり気にしてはいないけど、もうちょっと読み方を考えながら読んだほうがいいと感じる今日この頃です。

おもに読んでいるのは、教養書かな。あと、たまに自己啓発だったりビジネス書。まれに小説といったうちわけです。

こうして日々本と向き合う生活してて感じるのは、多くの本を読むことで自分のものの見方が少しずつ変わっていること。多様な考え方、モノの見方、知識などと接しているからなのかなと思う。だが、大事なのはそのあとにあって、それらの情報から自分の人生をどう展開していくかだと考える。自分の中で熟成させるってことかな。このことは以前も書いたかなあ…。

一度しかないし大事な人生。読書だけが情報収集の方法だとは思わないが、自分自身と会話する孤独な時間と隣り合わせである読書の時間は、上っ面ではない地に根差した人生を生きるためには必要なものだと考える。

読んだ中で、いい本を紹介しようと思ったけど選べないし、めんどくさいのでまた気が向いたときにでも紹介します。

以上
またね***

2010年6月7日月曜日

自画自賛☆彡

お久しぶり!

しばらくこのブログにノータッチでした。で、今久しぶりに自分のブログの内容読んで感じたことがある。

結構いいこと言ってるんじゃねえかあ…、やるなあ、俺!
読んでて中身もあるし、さ。

でも、長時間読むものじゃないな(・_・;)

疲れちゃって・・・。

ま、読むのにエネルギーはいるな。書くのも結構しんどいからな。

だが、中身はいい!だから、ちょくちょく書いていくことが自分のためにもなるし、元気もらうと感じた。書きたいネタがあったら書こう!「心のきた言葉集」や「スピードスタート」や「食べる読書」以外でもね(^_-)-☆

以上
またね***

2010年2月28日日曜日

50で飛び抜ける☆2

昨日、千葉県市川市で行われた映画「降りてゆく生き方」を見てきた。

今まで見た映画の中で一番奥が深いと感じた。
その理由は、この映画では、現代社会の問題点を取り上げているが、それに対する明確な概念は提示されているが、具体的な対応は見出されていないこと。また、私自身、これまで人類に対して、この社会に対して、次の世代に対して自分は何ができるかを生きる指針としてこれまで生きてきた。だから、その答えを身をもって示すのは私自身であるという意識なので、とても興味深く、臨場感をもって映画に入り込めたことがあげられる。

以前、このブログでも紹介した「変革は、弱いところから、小さいところから、遠いところから」という本にとても衝撃を受けました。本当に衝撃的でした。“人間はこんな可能性もあるのか”はっきり言って、人間に対する信用が増しました。

この本では、実際の人々の取り組みが綴られていて、それが今の価値観ではない中で、きちっと結果を出している。映画は具体性が乏しいとは感じたが、この本は具体性どころか、実際の取り組みそのものだから、とても考えさせられた。

そして、厳しいことを言うかもしれないが、今の三十前後やそれより若い人にとって、この映画のメッセージは、“今さら”と思う人も多々いるのではないかとも感じた。

ニートや引きこもりが出始めたこの世代の人。“おれたちはすでに降りてるっチューの!”と言いたい人もいるのではないか。すでに、二十年ほど前から、大人たち自身どう生きればいいかわからないと焦ってるなと、私自身感じていた。映画の中の小学生たちが言うように、大人たちは次の世代を見て日々を生きてはいないと感じていた。理由として、子供の素朴な疑問に答えられる人がいなかったからだ。

映画の中で、教師が宮沢賢治の詩の大事さを説いている中、生徒たちはそれに意味を見いだせていなかった。そして、女の子がこう言う。「これがなんの役に立つんですか?」それに対して、先生は何も答えられなかった。

あほか!

答えてやれよ!正解なんてないだろ。はっきり言って、大人が子供に教えられるのは、生き方のひとつを見せてやれるだけだと考える。ここで、答えられない時点で、この先生は、“詩”という人間の大事な表現手法を題材にしていながら、自身の考えを子供たちに表現できなかった。先生自体、子供ではなく、国の決めた教育内容を見て生徒に接していたということだろう。人を育てる教師なのに対象となる人は観ていない。

ここで少女に対する答えを私ならこう答えるなというのを記したい。映画を見ながらいろいろ考えたな。

「この詩は、“人生”がテーマだ。人間は、うれしいときもあれば、悲しいときもある。生きていれば多くのいろんなことがあるんだよ。みんなも、十一年生きてきて楽しいことや辛かったことなどあっただろ?特につらいときは、“もう、どうでもいいや”と投げ出したくなるよね。でも、そんなとき、この宮沢賢治さんは、辛いことがあっても投げ出さない“人生”を生きたいと考えたんじゃないかな。みんなは辛いことにぶつかったら、どうするだろう?どうすればいいかわからない場合もあるかもしれない。でもね、宮沢賢治さんはどうしただろうと分かれば、少しは楽にならないかな?辛いとき、こうした人がいた。いや、別のことをした人もいた。また、さらに違うことをした人もいた。昔の人たちは、みんなが素晴らしい人生を生きるためにいろんな答えを教えてくれるんだよ。この詩は、今は役には立たないかもしれない。でも、辛いときには役に立つかもしれない。ご飯食べるときに、はさみは役に立たないだろ?でも、紙を切るときは、はさみは役に立つ。逆に、紙を切るときにお箸は役に立たない。ご飯を食べるときにお箸は役に立つんだ。少しはわかったかな?」

みたいな・・・。

難しいな。でも、一人の人間として、目の前の人に何ができるかを考えれば、おのずとやることは決まります。

話は少しずれたが、新たな価値観を作らないといけない。デカルトとニーチェからこのことについて考えたい。

ネオテニーという考えがある。幼形成熟とも言う。これは、ニーチェの言う三段の変化の赤ん坊のことだと解釈する。つまり、不完成こそ完成なのである。常に変化していくということ。今の世の中は、合理主義という一つの考え方が大方を支配している。それは、デカルトの「方法序説」が一つの始まりであったのではないかと考える。これは十七世紀のこと。それから、人類の生活は大きく変わった。が、変わらないのが、この合理主義。一つの価値観(合理主義)以外は認めないというこの考え。デカルトの考えを多くの考え方のひとつとしてみなせる社会が次の社会の在り方の理想だ。それはどんな社会かというと、やはりニーチェの言う赤ん坊のように変化を自分の成長とする社会だと考える。その時その時によって考えを変えればいいんだよ。蝶々が花から花へと飛びまわるように、我々一人一人がいろんな考えという花を飛びまわるのが理想だ。すると、新たな花も見つかるだろう。一つの花には蜜はそう多くはないからね。

他にもいろいろ書きたいが、この辺にして…。

素晴らしい映画を製作してくださった皆様!そして、市川市で上映を開催してくださった皆様!そして、この映画を私に紹介してくださった虫鹿さん!楽しかったです☆

ありがとうございます☆彡

以上
またね***

一枚の葉

 今、私は死んだ。 そして、その瞬間、自我が生まれた。 私は、一個の生命体なのだ。もう死んでいるのだが。 死ぬことでようやく自己が確立するのか…。 空気抵抗というやつか。 自我が生まれたが、自身のコントロールは利かず、私はふらふらと空中を舞っているのだ。  私はこの樹の一部だった...