2018年1月7日日曜日

いたこニーチェ(食べる読書136)



ニーチェの考えをわかりやすく、小説という形で説明している。


やっぱりニーチェの考えに触れると勇気がもらえる。


弱気になっている自分に違う次元で勇気を与えてくれる。
物事の見方の次元を上げてくれる。

ありがとうございます。


以下抜粋

現実は小説より奇なり。
まあ、当たり前なんだけどね。混沌とした現実から、一定のルールで物語を切り取ったのが小説なんだから。


「しかし、同一でないものを同一とみなすことにより、概念は成立するんだ」
「それは抽象的な≪葉≫という概念が生まれるということですか?」
「うむ。≪葉≫という概念は、個別の差を捨てたり、忘れたりすることで形成される」


「男と女は相手について思い違いをしておる。結局、お互いに自分の理想を愛しているだけなんだ。男は女が柔和であることを望んでいるけど、女は猫に似て本質的には柔和ではない」
「今ほど女が尊敬されている時代はなかろう。これは、民主主義的な傾向だ」
「男女平等の世の中ですからね」
「それをいいことに、女性に対する尊敬が悪用された。結果、女は恥知らずになった。要求が底知らずになり、男を恐れなくなった。女は本能を捨ててしまった。女は堕落してしまったんだ」


「ここで重要なのは、女が男のレベルまで堕落したということだよ」


「近代的理念によって女が女を破壊したのだ。問題は、それを助長する男がいること。連中はうまいこと女を説得して、女性らしさを喪失させ、男の愚行のすべてを真似させようとしておる」


「同じように≪普遍的真理≫は存在しない。要するに、誰にとっても真理になるようなものはありえないんだ。現実には≪個別の真理≫が存在するだけだ」
「≪普遍的真理≫も≪葉≫という概念も、人間の頭の中にしか存在しないと・・・」
「そういうことだ。解釈の数だけ真理は存在する」


「こうした学問でさえ、一種の世界解釈にすぎないんだ。現実世界に実在しない数字や記号を使って世界を描写しているだけ。その背後には生理的な欲望がある。先生はこれを≪権力への意志≫と呼ぶんだけどな」



「不健康な真理だって?」
「そうだ。不健康な人間が生み出した真理だ。かつて、人間の価値をおとしめることにより権力を握った連中がいる。人間を病気にさせることが、彼らの生存にとって有利になったわけだ。かれらは≪真の世界≫という概念によって≪現実世界≫をおとしめた」



「それをユダヤーキリスト教的価値転倒といってもいい。人生をよりよく生きること、優秀であること、権力、美、自分を信じることを徹底的に否定するために、かつて価値の転倒が行われたんだ」


「奴隷は自分が苦しんでいる現実を認めたくない。だから≪あの世≫に希望を託した。いつかメ救世主がやってくると信じこんだ。それと同時に、自分を苦しめる強い敵は≪道徳的に悪い≫、反対に弱い自分たちは≪道徳的に良い≫と決めつけた。こうした価値転倒によって、自分たちを優位に立たせたわけだ」


「この奴隷一揆の構造を利用して権力を握ったのがキリスト教なんだ。キリスト教はすべての弱いもの、ロクでもないものを味方につけた。弱者の呪いを集約して、高貴なもの、優れたもの、現実的なものに決戦を挑んだんだ。お前の先祖のパウロが言ってるよ。≪神は世の中の弱いものを、軽く見られているものを、お選びになる≫ってね!」


「現在権力を握っているのは奴隷の神を利用した奴隷たちなんだよ。今の格差社会では奴隷が最上層部に君臨している。だから、正しい格差社会をつくらなければならないんだ」
「正しい格差社会だって?」
「そうだ。健全な社会では、高貴な人間がピラミッドの最上層部に座り、思いやりを持って大衆を支配するんだ」
「高貴な人間ってたとえば誰?」
「ボク」
「えーっ!それじゃあ単なる自己中じゃん」
「当たり前だ。他に何を中心にするんだ?好機ということは強者の自覚と自制心を持って判断の主体を引き受けるということだ」


「当たり前だ。道徳とはワタシたちがワタシたちの人生において発見するものなんだ。カントの言う≪普遍的な道徳≫≪普遍的な義務≫≪普遍的な善≫など幻想にすぎぬ」


「こうしたばかばかしいカラクリによって、お前たちは権力を独占したのだ。プラトン、パウロ、カント、社会主義、民主主義というイデオロギー・・・」
なるほど。
真理は神のみぞ知るというわけか。
だから僧侶たちは、神の代弁人を名乗ることによって真理を独占し、強大な権力を手中にすることができたと…。


「民主主義はたんに政治制度だけの問題ではない。それは、人間そのものが落ちぶれたこと、卑小になったこと、凡庸になったこと、価値が落ちたということだ。こんな愚劣なイデオロギーが世界を支配しておる」


「人間の均等化と凡庸化だ。社会主義も民主主義も国家主義も発生源はキリスト教。そこで生み出されるのは、せいぜいが器用な労働者、口喧しい奴隷といったところだ。問題は現代人の多くが、民主主義が危険なイデオロギーであることを見抜けなくなっていることだ」


「完全に洗脳されているな。僕らにとって大切なのは、人間の歴史と文化を慎重に扱うことなんだ。それ以外にはない」
「民主主義は少数者、偉大な人間、特異な人間を排除するシステムに過ぎないんだ」
「でも、多数意見を採用する代わりに、少数者の権利をきちんと守るのが民主主義でもあるわけだろ」
「権利は他人に守られるものでもなければ、与えられるものでもない。強者は弱者からの同情など受けない」


「≪神による選択≫だよ。多数意見が少数意見より優れているという根拠はどこにもない。それを保証しているのはキリスト教の神なんだ。かつて神が座っていた場所に、いまは民主主義が奉られている。人間は神の下に平等であるというイデオロギーにより、ヤツラはすべての偉大なものに決戦を仕掛けたんだ」


「イエスは自由な精神を持った男だった。すべての決まりごとを一切認めず、≪生命≫≪真理≫≪光≫といった精神的なものを、自分の言葉で語っただけだ。このイエスの人物像をどんどん歪めていったのが初代キリスト教団だ」
「イエスの弟子なのに、どうしてそんな裏切り行為を?」
「無論、権力を握るためだ」
「うーん」
「それで教団の宣伝に都合のいい≪キリスト像≫が捏造された。宗教にはまる人間は、信仰する神を理由に自分の弁解をするものだからな」


「生む。本題はここからだ。キリスト教道徳は≪高貴な道徳≫を否定するために発生した。人生をよりよく生きること、優秀であること、権力、美、自分を信じること。こうした大切なものを徹底的に否定するために、ヤツラはまったく別の世界をでっちあげたのだ」
「別の世界?」
「そうだ。≪あの世=真の世界=神の国≫によって、現世をおとしめた」
「結局、イエスは利用されただけだったのか…」
「うむ」
「イエスの弟子たちは、あの世に希望を託すことにより、現世であきらめることを教えたと」
「少しは理解してきたかね?」
「はい。なんとなく」
「ヤツラは高貴な人間、強い人間を≪悪人≫と決めつけた。そして常に、心の弱い人間、お下劣な人間、できそこないの味方になってきた。こうして弱者の恨みや呪いを集約し、強大な権力を手に入れたのだ」


「自分たちの薄汚い呪いを≪普遍的真理≫に結びつける。神を歪めて≪善≫を独占する。価値観を共有できないものを≪悪≫と決めつけ断罪する。こうしたキリスト教の独善性は、近代イデオロギーにそのまま引き継がれてるんだ」
「ニーチェが≪民主主義はキリスト教の継承≫って言ったのはそういう意味?」
「そういう意味。ついでに『アメリカ独立宣言』から引用しておこう」
≪我々は以下の諸事実を自明なものとみなす。すべての人間は平等に作られており、創造主により、生存、自由、幸福の追求を含む、譲り渡すことのできない権利を与えられている≫


「つまり、法の権威を≪神≫と≪祖先≫で理由づけるのか…」
「うむ。こうして民族は無意識になる。先ほど三木君が説明してくれたようだが、≪民族の本能≫は長年の経験により、意識的なものが排除されることで生まれるのだ」


「民族は≪民族の神≫というフィクションを持つ。民族は≪民族の法典≫というフィクションを持つ。民族は≪民族の歴史≫というフィクションを持つ。これが長年にわたる経験と知恵、犠牲のうえに手に入れた≪民族の真理≫なんだ」
「民族の真理…」
「神は本来、民族において、民族の強さや民族の権力を求める感情であった」


民族の真理は、民族の美意識と自己肯定によって生まれる。
民族の真理は、民族の経験と犠牲のうえに立ち現れる。
健康な民族は健康な真理を持つ。
神は鏡のように、民族の姿を映し出す。
健康な民族は健康な髪をもつ。
神の国は、現実社会そのものである。
神は≪民族の真理≫しか映さない。


「こういう神は単純なものではない。人間にとって有益でもあり有害でもある。味方でもあり敵でもある。よいことにおいても悪いことにおいても神は必要とされる。それが本当の神の姿なんだ」
「キリスト教の神とはだいぶ違いますね」
「うむ。神は僧侶たちの都合のいい道具になってしまった。ヤツラは<すべての幸福は神のおかげだ>≪すべての不幸は神を信じないことへの罰だ≫などと言い始めた」
「なるほど」
「ヤツラのせいで、神と土地・自然・民族派結びつかなくなってしまった。つまりキリスト教とは、民族の価値、あらゆる固有の価値に対する呪いなんだ」


空想の産物でしかない≪普遍的真理≫を設定し独占すること。
≪絶対的な善≫を自称し、≪悪≫と決めつけたものを排除すること。
≪あの世≫というフィクションを利用して≪この世≫を否定すること。
キリスト教は自分たちの組織を永遠化するために、不幸そのものを生み出してきた。
つまり、不健康な真理。


「民族が徹底的にダメになっていくとき、すっかりあきらめてしまったとき、敵に屈服することが一番良い選択だと考えるようになった時、民族の神は変質してしまう。今の日本のようにな…」


真の世界は存在しない!
ただ個別の世界が存在するだけだ。生物は自らの生存に都合がいいように、生々流転しているカオスの中から<世界>を切り取っている。つまり、世界とは≪権力への意志≫による解釈にすぎない。世界は人間にとって必要不可欠な虚構である。


対立と犠牲を恐れるな!
高いところから見下した、抽象的で一般的な≪真理≫≪道徳≫など、どこにも存在しない。高貴な人間は、他人の価値基準に従うのではなく、≪自分の真理≫≪自分の道徳≫を、勝ち取っていくものなのだ。そこでは、世間との対立と犠牲を恐れずに、自分の判断に良心を持つことが必要とされる。


「つまり我々は世間と大きく距離をとっているわけだ。そして強者の自覚を持っている。他人が≪もうダメだ≫と言いだすところに、迷路の中に、厳しい人間関係の中に、そしてものごとを試すことの中に、自分の幸福を見つけるんだ」


≪精神的な人間は重い課題を特権とみなす。そして、弱い人間だったら押しつぶされてしまうと感じるような重荷を、もてあそぶのだ>


以上
またね***

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