2012年4月11日水曜日

男を磨く女女を磨く男(食べる読書88)




はっきり言って女性経験は少ない方だ。


そんな貴重な経験を振り返ってみても、本書にあるような関係を築けたことはない。


まだまだ上っ面の吹けば飛ぶような関係しか作れなかったと痛感する。


その原因として、自分に対する自信のなさが挙げられる。相手の女性はそんなことは求めていないということもわかっているし、そのままの私を認めてくれているということも感じるのだが、どうしてもおのれの弱さとどう付き合っていけばいいのかわからずもやもやしたままになる。


それは、相手の女性と今後どうなりたいのかという願望だったりがないためだと感じる。または、ただ一緒にいるだけで満足だというような本気で惚れ込んだことがないからということもあるのだろう。


どちらにしろ、一人でいるときは顕在化しなかった自分の弱い部分が出てくる。それにどう対処すればいいのか。


今気づくのは、私には”厳しさ”がなかったということだ。


私自身に対する”厳しさ”でもあるし、彼女に対する”厳しさ”でもある。


人はそう簡単に割り切れるものじゃない。


身をもって経験していくことで分かっていくことだろうが、目指すべきモデルとなる男女関係の形が本書にはある。


”厳しさ”をキーワードに己も女性も、男女関係も磨いていきます。


以下抜粋

恋愛も仕事も、断られてからがスタートだろう。断られても、一度や二度ではめげないで、一生懸命に誠意を示せばいい。傷ついている暇などない。それでもダメなら、未練を捨ててすっぱりと諦める。違う女性、違う企画を考えればいいだけのことだ。


自分の手に余る仕事、神経を使う仕事、煩雑な仕事、突然の残業などなど。できればやりたくないような仕事でも、まずは不平、不満ではなく意欲や誠意を見せる。そんな女性の前では、不思議なことに、男は「身勝手」を忘れてしまう動物なのだ。その代わり、知らぬ間に湧いてくるのが「男気」なのである。


プライドを主張するあまり、周囲に不快な思いをさせれば、つまるところ自分の評価を下げるだけである。自分のプライドを大事にするなら、他人のプライドにも配慮できる度量が欲しい。


干渉と世話焼きの違いはどこにあるのか。それは、自分のためにやっているか、相手のためにやっているかだろう。


女性の変わらぬ美しさや気立てのよさが、男にとって有効な場合があるということだ。つまり、女性の存在そのものが男を伸ばす力になることもあるということ。いくつになっても妻が美しくあるために、努力して身だしなみにも気を使うのは、夫にとって大きな力になることは間違いない。


ただ相手の意見にうなずくばかりではなく、ときに間違いを正し、場合によっては叱責してくれるような人。そういう人が結果として、人に好かれるのだ。


ファッションばかりではないが、トータルな外見の印象こそが、人間関係のスタートを決めると私は思っている。外見を整えることは、人間関係の門を広げるためには、とても有効な手段なのである。


たしかに男でも女でも、セックスライフが充実しているか、していないかは、人生にとって大きな意味がある。セックスを生殖目的から切り離して、快楽の手段にしてしまった動物は人間だけである。快楽を求めることは、人間が生きている証。それをどんな形で実現するかは、各人各様だが、満ち足りたセックスライフは男女間をより密接なものにすることは確かだ。


恋愛とは、どちらかが一方的に自分を相手に同化させることではなく、惹かれ合った双方が互いのアイデンティティーを尊重し合い、歩み寄ることで、はじめて成り立つものだからである。お互いに、これができないと恋愛は長続きしない。


これまでの自分を脱ぎ捨てても、という女性の献身は、男にとってはつらいだけのものなのである。


女の理想は、仕事もバリバリやるけど、恋人との時間や家庭の時間も大事にする男なのよ


妻の不出来は夫の責任なのである。逆に妻の出来のよさは夫の評価を上昇させる。


「その異性を本当に自分が独占したいか」ということである。この要素が大切だ。そして、独占させてもらうために、きちんと自分の欠点を見直し、相手に対して譲歩できるかということである。間違いなく、結婚とはお互いに「独占契約」を結ぶことだ。


結婚相手探しは、完成品探しではなく素材探しである。


「独身(ひとり)ということは自由ではあるけれど、その分”実り”のないことだとつくづく思う」


「祖母や母の時代に比べ、人生の選択肢は広がりました。そのぶん迷うのはわかりますが、選択したらその結果を引き受ける覚悟だけは持ちたい。女性は男性に比べて、選択の結果を他人のせいにする環境にあります」


子離れとは、子供の価値観を尊重し、自分のそれを子供に強要しないことである。


個人的に当事者責任はないにしても、会社という組織が直面した「公」的な場では、「公」を演じなければならない。この使い分けができるのが社会人というものだ。


昨今、男女を問わず自分の事情ばかりを口にして、社会的責任という意識が欠如しているような人間が多すぎる。


男女共に、磨き合うカップルにとって必要なことは、つねに「どうしたの?大丈夫?」と声をかけるのではなく、相手の窮地を察する目を持って、ここぞというときに出せる助け舟なのである。


人生における大きな決断の局面では、単純な言葉こそ説得力がある。


大切なことは、ふだんは適度な距離感を保ちつつも、イザという時に相手の心に響く、とっておきの「隠し言葉」を口に出せるかどうかなのである。


以上
またね***





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