2012年4月17日火曜日

成熟社会の経済学(食べる読書91)




経済には興味があり、経済に関する本は読み始めるが挫折ばっかりだった。


理由として、読んでもわけわからなかったからだ。つまり、現実のモノ・金の動きを表していると感じなかったからだろう。


本書は、わかり易かった。


今の日本社会は成熟社会に入っているので、従来の経済原理が違うように作用してしまうということだ。


つまり、成熟社会はそれに合った経済の考え方・政策が必要ということ。


本質をついていると感じた。


この不況を払しょくするには、需要を増やす必要がある。それは価値の創造ということでもある。


この試練に我々は応えないといけない。


以下抜粋


成熟社会の長期不況は生産性の低さではなく需要不足が原因ですから、政府が雇用を行って事業を行っても、余った労働力が使われるだけで民間の生産活動は阻害せず、そのまま総生産を増大させます。


成熟社会とは、物やサービスがそろい、お金の魅力を放棄してでも購入しようという欲望は伸びなくなったのに、潜在的な供給能力は資本の蓄積や技術の進歩で拡大し、需要を超えてしまった状態です。


欲望が土地や株式に向かえばバブルが起こり、お金そのものに向かえばデフレと不況が起こるのです。


成熟社会ではもともと生産力が余っているため、生産力を拡大しても企業の売れ残りが増えるだけで、経済拡大には結びつきません。


需要はたくさんあるのに生産力が足りない発展途上社会に必要な知恵とは、いかに生産力を増やすかです。いかに倹約して捻出した資金を投資に回し、生産設備を増やして生産効率を上げ、欲しい物やサービスをどうやって満足に供給させるかです。このような社会では、コスト削減や労働力のやる気ことが必要です。また、不要不急の消費はできるだけ我慢して生産力拡大に使うべきです。


実社会に入る第一歩で、よくきたと歓迎し、よく働きよく遊ぶ環境を整える。あり余るほどの生産力を身につけた国なら当然のことでしょう。大人は若者の作る物をどんどん買って職場を提供してあげればいい。それなのに大人が買いたい物も我慢して若者が働く場を減らし、自分の生活が大変だからと仕事ばかりして若者の分まで働けば、若者の職場が減るのは当然です。最近の若者は覇気がないとか、仕事ができないなどと非難する大人も多いですが、現在の需要状況では、もし若者が非常に優秀でやる気満々なら、仕事を失うのは自分たち大人の方なのです。


すべての人々が同じ能力を持ち、同じように努力をする気があっても、需要が足りない以上かならず誰かは職を失うことになる


成熟社会の不況では、生産サイドの構造改革ではなく、需要サイドの改革が必要です。需要を創出することで雇用を確保し、余剰人員を少しでも活用する。


経済学で言う本当の効率化とは、人々の効用(経済的な満足度)を高めるように、労働力などの生産資源を使うことを意味します。


個別企業の効率化が経済全体の本当の効率化になるには、作られた物やサービスがすべて使われ、働きたい人がすべて働けるという完全雇用の状態が保証されていることが必要です。


うまくいっていればどんどんやれといってあおり立て、うまくいかなくなると経済の悪い面ばかりを取り上げて規制強化を叫ぶ。物作りでも金融でも、現状追従の後付け論ばかりが横行し、景気の山と谷を深めているのです。


何も生み出さないまったく無駄な公共事業、何もさせずにお金を渡すだけの給付金や失業手当、あるいは何もさせずに税負担を減らすだけの減税などです。これらは、計算上の乗数効果の大きさは違っても、経済への実質的な効果は同じで、いずれも何も効果がなく、何もしないのと同じということがわかりました。


労働力が余っている長期不況では、増税して国民の役に立つ事業を行うと、再分配はあるが、経済全体での負担と便益を差し引きすれば、その事業が直接役に立つ分のプラスだけが残る、ということがわかります。


財政負担の有無は、歳入と歳出の両方を見てはじめてわかることであり、税金の側面だけを見て負担を論じても仕方ありません。


政府が支援すべきは、経営的には独り立ちできないけれど、あった方が国民生活の質が上がるような分野です。


もっと生活を楽しむにはどうすべきか、そういう方向で頭を働かせれば、余った労働力や生産力が活用されて無駄が減る。これこそが成熟社会に生きる国の人々にとって必要な知恵なのです。
こうした分野を考えるのは、本来政策担当者ではなく、国民自身です。政府にビジョンがないという人がいますが、政府に国民の欲しい物を決めてもらうのではなく、国民自身が何をして欲しいか積極的に訴え、政府はそこから選ぶのが仕事です。自分で何が欲しいか考えることもせず、政府が何かをやろうとすれば無駄だ無駄だと言っているだけでは、失業も不況も収まらず、生活の質も向上しません。


需要を作るのは重要だが、需要は消費だけではない。投資需要も大切で、投資促進のために投資減税をしたり、投資補助金を出したりするべきだ、という意見もあります。しかし、投資は最終的な需要ではなく、あくまでも消費の裏付けがあってこそ意味があるものです。


不況下の成長戦略とは、どんどん伸びる産業を探すことではなく、いまある十分な生産能力をちゃんと生かし、働きたい者が皆働けるようにすることです。それによって完全雇用が達成され、すべての人びとが社会の役に立つことになれば、すでに巨大な生産力を手に入れている成熟社会では、それ以上の成長がなくても、人びとは十分幸せに暮らせるはずです。


目先の必需品ではなく、たとえ経営的には赤字であっても、ぜいたく品、不要不急品と思われるような分野において雇用を作る必要があります。


不況のときこそ公共心がいるのに、また、それによって自分にもプラスになる可能性が高いのに、そのときこそ人々に余裕がなくなり、目先だけを考えて一銭も出したくないと言い出す。


無駄をなくすという目的で予算を削れば、その予算で給与や補助金をもらっていた人たちが不満を言い出します。つまり無駄なお金がかかるということは本当の無駄ではなく、誰が払い誰がもらうかという分配の問題にすぎません。


本当の意味で無駄かどうかは、それによって経済全体から物やサービスの意味で便益が失われたかどうか、ということで判断すべきです。失業している人がいるなら、彼らを使っても失われる便益はありません。そのため、この場合のもっとも無駄な財政の組み替えとは、それまでなんらかの役に立っていた事業をやめ、ただお金を配るという目的にした場合です。


実際には、いまの日本では有利な投資機会がないのです。将来作った物が売れる見通しもなく生産設備も余っているのに、いくら金利が安くても、企業は投資して生産設備を拡張しようとは思いません。金融機関からも、貸し渋りではなく借り渋りだという声が聞こえてくるくらいです。こんな状態では、まったく新しい分野で需要が生まれないかぎり、まとまった投資需要など生まれようがありません。


消費税の効果とは、流動性の総量を消費税分だけ引き下げることです。これは、消費税をかける代わりに、日本銀行が消費税の割合だけ貨幣量を減らすことと同じ効果があります。


そもそも経済学に国力の競争などという概念はありません。経済学的に考えると、人口が減れば一人あたりの土地や資本が増えるから、国民の平均生活水準はかえってよくなるくらいです。


生活に追われて働かなければならないのに、そんな余裕はないと言われそうですが、日本人がそうやって消費もせずに働こうとばかりするから、物が売れず人が余って不況から抜けられません。保育所の受け入れ条件を広げれば、特に都会では、ただでさえ不足気味の保育所が満杯になって困る人も増えるでしょうから、財政資金を使って、もっと保育施設を充実させればいいのです。それによって雇用も生まれます。



復興資金確保の制度が確立していれば、被災地にとっては、政府からちゃんとお金がくるという安心感が生まれますから、復興への行動も素早く、自発的に起こせるでしょう。


このような円高は外から降ってきたものではなく、日本企業が効率化努力によってみずから作り出したものです。


勝ち負けの議論があるのは、当該産業しか頭にないからです。ある産業の生産性が向上すれば、もちろん外国ではその産業が衰退しますから、日本の勝ちだといわれます。しかし、日本ではその産業に人も資本も集まって別の産業が衰退し、日本で衰退した産業で外国がシェアを伸ばすだけです。つまり、国全体の勝ち負けではなく、産業構造の転換が起こるにすぎません。


需要が大切という場合の需要とは、人びとの生活を快適で楽しくすることです。また、それが実現できるのは、お金ではなく物やサービスです。効率化を図って生産を増やし、外国人に日本製品を愛用してもらうのも結構ですが、我々もお金を稼ぐことばかり考えず、稼いだお金を使って自分自身の生活をどう快適に楽しくするかに知恵を絞らなければ、円高を誘導して失業を拡大するばかりで、せっかくの生産力も生かせません。


円高は、好況では生産性のバロメーターですが、不況では内需低迷のバロメーターです。


環境・エネルギー規制は、新市場を作ることによって巨大なビジネスチャンスを生み出すのです。それなのに、後ろ向きでコストの心配ばかりしていては、新産業も育たず雇用も増えません。


たとえば、タオル産業の生産性が中国のライバル会社より優れていても、日本の自動車産業の中国企業に対する優位さの程度がそれ以上であれば、タオル産業は衰退します。なぜかというと、もし自動車でもタオルでも中国に勝てば、日本の経常収支は大幅黒字になって対外資産が積み上がるからです。これが円高を呼び、相対的に弱いタオル産業が打撃を受けますから、経常収支の過剰黒字が調整されます。つまりタオル産業のライバルは、同じ国内の自動車産業なのです。もしタオル産業の生産性が大きく上がるなら、自動車産業の方が危なくなってしまいます。


したがって、TPPなどの自由貿易協定は内需の拡大とともに進めることが重要です。そうすれば、日本と外国の両社に大きな恩恵をもたらします。輸入を拡大せずに輸出ばかり画策していれば、円高が進んで日本経済はかえって苦しくなってしまいます。


農業保護による国土の維持も、生活の質の向上に結びつく内需の重要な選択肢なのです。


都会の製造業やサービス業と地方の農業との関係は、EU域内におけるドイツとギリシャの経済関係と似ています。いずれも同じ通貨圏における地域間生産性格差の問題だからです。


以上





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