2012年4月10日火曜日

質量はどのように生まれるのか(食べる読書86)




物質を細かく見ていくと、これ以上分解できない素粒子というものに出会う。しかし、科学の発展により、それらの素粒子はさらに小さな素粒子から成っているということが次々わかってくる。


このことと、


光は粒子の側面を持ち、それは光子と呼ばれるが、これは質量をもたない。


物質を分解していっていきついた素粒子は質量をもち、光子は質量をもたない。この違いをもたらしている要因はなんなのか。


つまり、質量はどんな時にどのように発生するのか?に答えるのが本書である。


読んだ感想としては、難しかった。比較的優しく説明されてはいるが、量子力学自体がイメージしにくいためなかなか理解できない。まあ、でもおもしろかったことは確か。


何度も読めば理解できるだろう。


普段我々の見ている世界とは異なる物理法則が働いている素粒子の世界。そこに思いをはせるには想像力をフルに働かせる必要がある。しかし、それが魅力でもあるし、ワクワクすることでもある。


考えの幅を広げるという意味で量子力学の世界を知ってても損はない。


以下抜粋


あらゆる現象はエネルギーの低くなる状態をめざして進んでいくのだ。


行列というのは、異なる成分を混ぜることを考えると出てくる。


最小限の仮定だけから出発して多くの実験事実を説明できるのがよい理論で、一つの仮定で一つの現象しか説明しない理論はゴミ同然。これが理論物理学者の価値判断だ。


素粒子理論の世界で「いいことがある」というのは何かというと、それを考えることで何か他のことも説明できるか、ということだ。



この粒子は、右巻きと左巻きを行ったり来たりしながら、それと同時に前に進んだり後ろに戻ったりをくりかえしている。これこそが、質量をもつ素粒子で起こっていることだ。これは、素粒子の固有の性質というわけではなく、真空に凝縮している「何か」の性質を反映している。南部が考えた理論では、素粒子はこうして質量を獲得する。



結局のところ話のミソは、粒子と反粒子のペアが凝縮した真空の中で、粒子がある種の抵抗を感じて思うように進めなくなりそれが質量の源になっている、というところだ。


きちんとした実験的証拠があれば、信じるべき仮説という段階から確固たる事実に格上げできる。


この電子の波を使えば、その波長と同じくらいの長さのものを”見る”ことができることになる。実際には標的に当たって跳ね返った電子の方向とその数を数える実験をやることになるが、考え方としては物(標的の陽子)に電子の光を当てて映し出される像を見ているのだと思えばよい。


陽子や中性子はクォークからできている。そして、クォークに働く力は量子色力学だ。


どうやら量子色力学の真空は、静かに何も起こらないところではなく、余分なエネルギーをあたえることなくクォーク・反クォークがそこらじゅうで生まれたり消えたりしているものらしい。


以上
またね***





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