2009年9月21日月曜日

英国病の教訓(食べる読書2)


PHP出版 香山 健一 著

この本は1978年に出版されました。約30年前に書かれたものです。社会科学の本になるかと思います。

大まかには、英国病という先進国病について、この日本においてはどうかを考察し、ではどうすればいいかという提言をする。この二つで構成されている。

今の世界はパクスアメリカです。その前はパクスブリタニカ。そのイギリスが衰退していった国力の低下を“英国病”という。

著者は、英国病の症状を4つあげている。
1、経済停滞症状
2、財政破綻症状
3、慢性ストライキ症状
4、政局不安定症状

この4つの病理現象の根底にある共通した本質的な病理症状として4つ挙げている。
一:社会の自由で創造的な活力の低下
二:自立精神の衰弱と国家への依存心の増加、自由な競争原理の崩壊と国家の肥大化
三:エゴの拡大とモラルの低下
四:国家社会の意思決定能力の低下

1)科学技術の発達、2)国民教育の普及、3)マスコミュニケーションの発達。この3つが個々の能力を衰退させる一因になっているのではないかと著者は言っている。ここで、本ではホイジンガを引用している。

「国民教育が広く行き渡り、日々の出来事が広くじかに広報され、分業のシステムが貫徹されている社会にあっては、一般の人が自分で思考し、自分で表現する機会はますます少なくなる。・・・・・・・・・・・・。

かつての時代の農夫、漁夫、あるいは職人といった人々は、完全におのれ自身の知識の枠内で図式を作り、それでもって人生を、世界を測っていたのである。自分たちの知力では、この限界を超える事柄については一切判断を下す資格がない、そう彼らは心得ていた。判断不能と知ったとき、彼らは権威を受け入れた。だから、まさしく限定することによって、彼らは賢くなりえたのである。

人のおおいに誇りとする、二つの偉大な戦利品、一般国民教育と情報宣伝の組織、これがそのまま文化の水準を高める方向には機能せず、逆に、その機能するところ、頽廃と衰弱を示す現実を生み出しているというこの事実、私たちの時代は、この事実に脅かされているのである。」

このことが、活力低下、国家への依存、エゴの低下とモラル低下につながっているのではないかということ。

以上の現象から、「戦後民主主義」は、「疑似民主主義」として、次の特徴をあげている。

・その非経験科学的・ドグマ的性格
・その画一的・一元的・全体主義的傾向(多数決原理の自己目的化による成員の自由の抑圧)
・権利の一面的協調と責任・義務の自覚の欠如
・建設的提案能力の欠如
・エリート否定・大衆迎合的性格
・コスト的観点の欠如

福祉については、すべてを国が行うのではなく、国レベル・企業レベル・地域レベル・家族レベルで分けてやっていくことだということ。福祉というのは一種の相互扶助であるから、助け合いをどのレベルでやれば、税金が少なく、個々のやる気も維持できるかという観点から考えていくべきではということ。

そして、学校教育。
学習塾が乱立し、受験過熱が起こるかについて筆者はこう言っている。
「学習塾がはやるのはなせか?学校教育の質が低下し、学校教育だけでは子供の才能を伸ばすのに全く不十分になってしまっているからである。
受験競争が過熱するのはなぜか?学校教育、とりわけ公立学校教育の質が驚くばかりに低下し、教育需要の拡大と反比例的に、”質の高い学校””いい学校”が少なくなってしまったからである。」

著者の教育に関する考えで特に印象付けられたのが、「悪平等主義」と「最近の子供は経験から学ぶことが少ない」ということだった。

ほかにも、日本の社会構造として、“甘え”と“恩”の関係が述べられていた。

以上、とても勉強になった。が、しかし、やはり30年前の本だ。古すぎる感がある。言っていることは正しいし、今でも通用することは多いだろう。だが、この本を読んで一番学んだことは、「立ち位置」の重要性。はっきり言って、この本での論点は、2009年においてはずれている。なぜか?一言でいえば、30年前と今とでは、住んでいる世界が違うということ。価値観も違うし、未来に何を求めているかも違う。できることも違うし、最も重要な問題も違う。

一番の違いは、この本では国というくくりを基本にして書かれている点である。考察する出発点が“国”なのだ。だが、これからは、国は人が生きていくうえで、近代よりは重要ではなくなる。イメージとしては、各地域独自の文化はあるが、シルクロードで他地域の人々とモノの交流が多様になる感じかなと思う。当時は、あまり国という概念は近代よりは強固ではなかっただろう。最も強固な結びつきは、コミュニティだろう。基本的な形はこういった、自分が自立するコミュニティを個々が形成しつつ、そこが主な活動範囲になるのではないかと思う。その個々の活動には国はほとんど関与しなくなるのではないか。もちろん、人とモノの交流は中世よりは全然早く行われる。

とてもいい本だと感じた。若干古臭くて退屈する部分はあったが、大事なことも分かった。30年前の問題が今なお何の対策も打たず、放置されている問題が多いと感じた。放置しているわけではないんだろうが、ほとんど改善されず、あるいは悪化していると読んでいて感じる。が、ここなんだよなあ。この本は昔の価値観にその現象をあてはめようとしてる。その結果、その現象は”問題”と名を変えることになる。しかし、昔言われていた”問題”が今では、”普通”と名を変える。そして、今の問題はその昔“問題”だった、今は“普通”から出発する。これが、俺の言う「立ち位置」だ。

面白いねえ。
ということで、
以上
またね***


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