2012年3月19日月曜日

第三の敗戦(食べる読書84-1)




以下抜粋


国政を預かる者は「治にいて乱を忘れず」、日ごろからこの手順を心得ていなければならない。


納戸化した住居で育った子供たちが将来、世界に通用するような美意識を持てるだろうか。貧しくとも「よりよい住環境」を創ろうとする意欲が家庭にみなぎっていなければならない。


徳川幕藩体制は、身分社会、鎖国経済、縮み文化の三つから成っていた。それを支えた「正義」は「社会的安定」である。徳川幕藩体制二百六十年は、「安定」がすべてに優先された。このためには、生活の利便も、経済の豊かさも、日々の楽しさも、捨て去られた。


政権は変わり易い。だが、体制は簡単には変わらない。災害や財政の破綻、無能悪逆の君主の出現ぐらいでは、一国の社会体制が崩れることは滅多にない。世の体制を根本から変えるのはただ一つ、支配階級の「文化」が国民に信じられなくなった時である。


「軍隊」であるためには、三つの必要条件がある。
その第一は、他に断然優越した兵器を保有し、組織的に運用できること。
第二は、集団的軍事行動のできる組織と指揮命令系統を常に備えていること。
第三は、その集団だけですべての行動が可能な「自己完結性」を有していることだ。


軍隊は、すべての平常活動が停止した戦場で働くことを前提としている。従って、戦闘行為だけではなく、物資運送に当たる輜重兵も、土木建設に当たる工兵も、医療担当の軍医も、軍事法廷を設置する権限と機能も備えていなければならない。死者を弔う従軍僧も欠かせぬ要素である。


「維新の志士」には転向者の暗さを感じない。彼らの心中では「攘夷」も「開国」も、「外国に蔑まれない日本を創るための手段」に過ぎなかったからだろう。


版籍奉還は、政治的決断よりも武士以外の者を多数官軍に組み入れてしまった結果の「止むを得ない措置」だった。


国の「かたち(構造)」の基には、その国の目指す「きもち(倫理)」が明確であらねばならない。


教育に限らず、明治政府はほとんどの分野で徳川時代の既成機関を活用しなかった。飛脚を改善して郵便にしたのではない。イギリスのローランド・ヒルの提唱した近代郵便制度(全国一律切手貼り)による郵便網を設けた。


明治維新は、単なる政権担当者の人事変更(政権交代)ではない。
その第一は、安定の倫理と身分社会の構造を否定し、進歩の概念を採り入れた思想革命であった。そこで信じられた倫理は忠勇と勤勉、創られた国家コンセプト(国是)は「富国強兵」であり「殖産興業」である。


日本人の受教能力の高さ(モノマネ上手)の理由の一つは、技術導入による社会変化などの全体像を考えず、ひたすら技術や制度だけを学ぶ生真面目さにある。


陸軍大学校を出れば、陸軍部内では排他的な出世コースに乗る一方、陸軍以外では出世の道はない。そんな人間集団が、どんな心理でどんな行動をするか、昭和初期の陸軍軍人の思考と行動がよく示している。その恐ろしさに、日本国民は無知無関心であり過ぎた。


司馬遼太郎も、山本七平も、自らの軍隊経験から、「軍は軍を守るのであって、国民を守るのではない」と喝破している。


ことの「原理」は単純である。人間は誰しも自分の立ち位置から世の中を見る。近いところは大きく重要に見え、遠いところは小さく霞んで見える。その程度は人それぞれの性格や経験、知識の程度によって異なるが、原理的にはみな同じだ。
自分の立ち位置がはっきりしない人や変更を考える人は、いろんなことを思う。職業、家族、地域、宗教などの複数の立ち位置を持つ人も、偏狭な組織に捉われ難い。逆にいえば、組織への帰属意識(忠誠心)が薄いのである。
ところが、自分の生涯を一つの職場に定める者は、組織への帰属意識のみ強く、すべてが「職場」という中心からの同心円でしか見えなくなってしまう。


日本は、十九世紀末(明治)になってから西洋近代文明を学んだ新興国であり、アジア諸国に教えるのはすべて西洋の受け売りだった。アジアの人々にとっては、受け売りよりも本物のほうがいい。つまり、日本帝国主義は領土、市場、資源を奪うだけで、拡めるべき独自文明を持たなかった。


日本が植民地支配を拡げようとしたのは二十世紀に入ってから。特に第一次世界大戦前後からである。その頃、アジア諸国では騎馬民族の征服王朝は衰亡、それぞれの国には大衆の愛国心が生まれだしていた。


硬直化した組織では必ず年功序列制が採られている。年次を飛ばしての抜擢や飛び級は絶対に許されない。逆にそんな仕掛けができているところでは、組織の硬直化と役職の身分化が進んでいる、と見て間違いない。


当時の陸軍や海軍の首脳部に限って、阿呆だったわけでも悪人だったわけでもない。むしろ軍に忠実な真面目な人物が多かった。だからこそ、組織のために忠実に思考し行動してこの国を亡ぼしたのである。


改革は「受け皿」を用意してから出発するものではない。まず、前時代の文化を否定することではじまるのだ。


「極東の端」という地理的位置と、欧米における動乱期に遭遇した歴史的な幸運によって、日本は特定の国の植民地にはならなかった。また有史以来、国土国民が分裂したことのない統一により、分割統治されることも、長い分裂抗争に陥ることもなかった。


to be continued・・・



0 件のコメント:

生きる

生きることを目指してきた いつからかはわからない 単に意味を見いだせなかった いや、自分本来の好きなことをする余地がなかった ただそれをしているだけでいい 別に生きる目的などなくても、それをしていればいい それをすることで飯を食っていくことはできない世の中...