2012年3月23日金曜日

第三の敗戦(食べる読書84-3)




日本の歴史に対して勉強になったという部分が大きい。


そして、そこから導かれる結論として、現行の体制ではなく別の新しい体制が求められていることも分かった。


堺屋太一さんは洞察力が鋭くて、今まで見なかった視点から物事をとらえ、それが本質をついていると感じることが多々ある。


しかし、たぶんここまでなんだろうなと感じる。


何がここまでかというと、時代の要請というか、世代の役割というか、今の論客の人たちなどは、声高に叫ぶだけしかできないということ。


歳も60,70…だし、これから何かをしようというにはエネルギーがないだろうし、逆に彼らが変革をおこしちゃうと若い世代が育たずに、結局その変革はその後長期安定を保証するものにはならないだろうからだ。


ま、でも、つねに変革というのは若者が成し遂げてきたことだ。


明治維新は30前後の人たちが多いだろう。坂本竜馬などだ。


新たな体制の要請は本書を読まなくても社会の変化などから肌で感じる。だから、わかりきっていたことを、歴史的観点からもうらをとってくれたといったくらいだった。


つまり、肝心の新たな体制とは何かについては詳しく記述されてはいなかった。


繰り返しになるが、そのことについては彼らは詳しく書けないだろうと思う。予測ということもできにくくなっていると感じる。


行動することだ。


スピリチュアルブームが去り、今はネットワークや利他といった価値観が注目されている。


しかし、まだ体制というには体系化されていないし、認知もされていない。まだまだ実験段階といったところだろう。


しかし、行動することだ。


こうして一つ一つこれまでとは違う価値観を試していき、どれが今後の社会を創っていくか、今の社会の膿を出してくれるか。


行動することだ。


たぶん、行動していく中で気づくことではあるが、何か考えがないと、または哲学がないと行動なんてできない。


特に、どんな逆境にあっても行動し続けるには、それの基になる考え・哲学が明確になっていないと、行動を貫き通せない。


これも歴史が示しているが、何かしらの革命なりが起こるにはそれを支える思想というものがある。


まず、新たな思想ありきなのだ。それは、現行のまずさを払しょくしてくれるものであるという条件があるが…。


行動と何度も書いたが、新たな体制が必要といわれてすぐ行動をとれる人は何人いるだろうか。


すぐ行動をとれるという人は、常日頃からこういうことを考えていた人だ。彼なりの結論・考えがあってそれに沿って動いただけだ。


まあ、防災訓練みたいなものだ。こんなときどう行動すればいいか事前に分かっていれば、パニックにならずにすぐ動ける。


今それが起きている。


この非常時代で、我々はどんな人生を生きるのか。それがそのまま哲学となり、行動の基となる。


新たな体制というのは、我々の生活に直接かかわってくる。それは、我々が今後どんな人生を生きたいかによって決まる。


革命の前に哲学・思想がある。そして、その哲学・思想の基はこうなりたいという今後の自分の人生がある。


だから、革命というのは若者にしかなしえないのだ。


死にゆく者、衰えてゆく者には革命という文字はない。


この時代で、何も行動をおこせないのなら、それは我々が死にゆく者であったということ。後世の歴史家にこう冷笑されるだろう。


今、歴史の真っただ中にいる。


以上
またね***





0 件のコメント:

一枚の葉

 今、私は死んだ。 そして、その瞬間、自我が生まれた。 私は、一個の生命体なのだ。もう死んでいるのだが。 死ぬことでようやく自己が確立するのか…。 空気抵抗というやつか。 自我が生まれたが、自身のコントロールは利かず、私はふらふらと空中を舞っているのだ。  私はこの樹の一部だった...