2017年10月22日日曜日

「棲み分け」の世界史(食べる読書131-1)




以下抜粋

モスクワ大帝国を引き継いだ帝政ロシアは、17世紀末から18世紀初頭のピョートル大帝の時代に、ヨーロッパの学問、軍事技術、宮廷文化などを輸入し、ヨーロッパ型の文明に接近した。しかし権力は皇帝へ一極集中し、ヨーロッパ型の封建制が展開しなかった。封建制に由来する権力の棲み分けを重視する本書としては、このような歴史を持つロシアをヨーロッパ史の枠組みで語ることは困難である。


富の棲み分けは大航海時代にさらに促進された。一五世紀以降の海外進出が様々な職人の技術を必要としたからである。船舶の建造法、航海術、測量術、地図・望遠鏡・武器の製作などである。ヨーロッパの海外進出が職人の技術を必要とし、それが技能の競争を生み、彼らの富の獲得を可能にした。職人が富を引き出せるチャンスが、ある意味無限に存在していた。富(貨幣)獲得のチャンスの多さが、職人の技能を向上させたのである。こうして国家も職人の技能から富を得るようになり、その社会的地位を認知するようになっていく。


中国では鄭和の航海の後、造船所が皇帝の命令で壊された。全長百メートル以上、幅五〇m以上の巨大戦艦数十隻に二万人越えの人間を積み込み、インド、ペルシア、アラビア半島、さらにアフリカにまで及んだ鄭和の大航海を実現した中国の造船・更改技術は、一五世紀には間違いなく世界一の水準にあった。しかし以降失速する。彼らは鋼鉄製の蒸気船も造れなかった。オスマン帝国では、印刷所が危険思想を流布するとして閉鎖された。このように、権力の一極集中は時として技術の向上をストップさせてしまう。反対に、ヨーロッパでは権力が棲み分けし、優れた製品をもとめる権力者がたくさん存在した。敵対する権力との争いの中で、例えば武器なら性能の良い方を好んで買ったであろう。

中国やイスラム圏ではよい製品をつくっても、職人がそこから富(貨幣)を引き出すチャンスがなかったのである。市場は大都市(皇帝所在地)と少数の中規模都市に限定されていた。極端に言えば、良い製品を認める権力者は皇帝及び官僚しかいなかった。富を独占していた皇帝が興味を示さなければ、商人はその「良い製品」をいったい誰に売ったらよいのか。


結局、権力、都市(市場)、富の棲み分けのなかった中国やイスラム圏では、皇帝が技術の発展を阻害する一方、職人に富が入ることも、職人の地位が向上することもほとんどなかった。だから職人同士の競争もなく、技術はある段階でストップした。職人の競争からサイエンスを生んだヨーロッパとは対照的であった。だから科学革命も産業革命も、そしてもちろん後述する資本主義もありえなかった。


良い製品や良い機械をつくれば富が入るチャンスはヨーロッパ中どこでもあった。しかし当時のイギリスは綿織物・紡績機・蒸気機関・製鉄で「より儲かるチャンス」があったのである。ある意味で各種棲み分けの成果を一番享受できたのが一八世紀から一九世紀にかけてのイギリスであった。


医学者を筆頭にサイエンティストの社会的地位は権威主義的になるほど上昇した。サイエンティストのエリート化と、彼らを養成する大学の社会的地位の向上が、資本主義社会の要請に合致していた。サイエンスの発達は資本主義国家に富をもたらすと考えられていく。


現在、資本主義とサイエンスは一心同体で、しかも加速度的に自己増殖している。われわれ現代人の思考パターンもそれに合致するように教育あるいは洗脳されている。現代社会は資本主義・サイエンス的思考法で運営され、われわれはそこから逃れられない。


非ヨーロッパ圏で早くから展開されていた、「人々の移動の自由、生業・職業選択の自由、自由主義市場」が展開された経済システムを「レヴェル1の資本主義」と名付けよう。


資本家が、多くの賃金労働者を工場に集めて、一部は機械を使って大量に工業製品(農産物ではない)を持続的に生産・販売し儲けをあげていく経済システムを「レヴェル2の資本主義」と呼ぼう。


マルクスは労働力でそれを説明する。百人の労働力と百人の労働力の生産物は等価である。ところが一人が操作する一台のトラクターが百人の労働力の仕事をすれば、A国で製造されたトラクターをB国が購入するためには、A国に提供しなければならない。たった一台の工業製品で取引相手から膨大な資源・原料や農産物を引き出すことができる。だから工業製品を作れる国、団体、人に儲けが集まる。


「自制的・生態学的な富の棲み分け」は、当初から各人に富が配分されていたわけではなく、富を獲得するチャンスが多いということである。しかし最初から「富」は保証されるが一定以上は増えないこともわかっている「富の能動的棲み分け」社会=ソ連では、サイエンスは、かつての中国やイスラム圏のように、ある段階でストップしてしまうのである。


ヨーロッパに「資本主義の精神」(金儲け精神)が浸透する過程で、同時にサイエンス的発想が浸透していった。サイエンス的行為とは実験・観測・測定・臨床である。この作業を効率的におこなうために、「数値化、合理化、均一化、画一化、マニュアル化、様式化」といった手法が採用された。資本主義も同じである。儲けを生むためには「数値化、合理化、均一化、画一化、マニュアル化、様式化」が有効である。私が、資本主義・サイエンス的思考と呼ぶものはこれである。資本主義もサイエンスも富の棲み分けの産物であり、同根である。


聖俗の棲み分けは、特定の空間と特定の時間には一つのことしかできないという発想である。これが資本主義社会に適合的なのである。例えば、十九世紀初期には、まだフランスの職人や労働者は、伝統に従って、仕事の合間にワインを飲んだり居酒屋に行ったりしていた。ところが同世紀後半になるとこういった行為は徐々に許されなくなっていく。工業化が始まると、工場や仕事場は、まさに仕事をするだけの空間となっていく。


フランスには、標準語とされるフランス語の他に、西端ではケルト系のブルトン語、南フランスではプロヴァンス語などロマンス語系のオック諸語、スペイン国境では、なんと非インド=ヨーロッパ語であるバスク語とロマンス語系カタロニア(カタルーニャ)語、ベルギー国境ではドイツ語系フラマン語、ドイツ国境のアルザス・ロレーヌ地方でもドイツ語系が使用されている。・・・だからこそ、こうした地域において標準フランス語、標準ドイツ語、標準英語が強制的に教育されていった。フランス革命では外国語はもとより標準語以外の方言もすべて使用禁止とされた。ここに国語(標準語)が成立したのである。そして、国語の普及には初等教育制度による識字率の向上が不可欠となった。同一規格の教科書を使った国語教育、さらに音楽教育(日本でいえば文部省唱歌のようなもの)によって正書法も発音も同時に均一化され、無味乾燥な国語が人工的に創られていった。


19世紀以降のヨーロッパは、なぜそんなにナショナリズムにこだわったのか。一つの説明として、ナショナリズムによる言語の純化(標準語化)が、工業化や近代的軍隊にとって効率的であったからというものがある。


ナショナリズムは物語に過ぎないかもしれないが、それが国際的なゲームのルールになってしまったため(いわば世界標準)、こだわっていなかった国も巻き込まれざるをえなくなったのだ。


理念的あるいは心情的にはアトム化した個人を国家に結びつけるにはナショナリズムは便利な装置である。ナショナリズムによって国家内部の対立、とくに金持ちと貧乏人、あるいは多数派民族と少数は民族の対立・相違をある程度隠蔽ことが可能だからである。


国家という空間を「同一民族」で構成しようとするから、ナショナリズムには「異なった民族」を排除する傾向があると述べた。これが人間の「能動的棲み分け」につながる。つまり、空間の「能動的棲み分け」によって「異なった民族」「異なった人間」を排除しようとする傾向が進むと、人間を「能動的に」棲み分けさせて異なる要素を排除しようとする発想が必然的に出てくる。


われわれはつい「西洋諸国=民主主義国家」とイメージしがちであるが、少なくとも第二次世界大戦以前で議会民主主義を採用できたのは植民地をもっていた国家だけだったのである。イギリスやフランスでは植民地のおかげで民主主義が機能していたのである。少し説明しよう。植民地の存在が工業化を促進し国家に富をもたらした。それによって国民がある程度裕福になったので不満は抑えられた。それに対し、農業国家のままであった東洋諸国は工業化した植民地国家の収奪地でしかなかった。国民の不満は常にくすぶっていた。先進国の収奪に対抗するため、さらに国民の不満を抑えるためには独裁者、とくにカリスマ的独裁者が必要であった。現在でも議会民主主義の機能しているのが先進国や新興国といった豊かな地域に限定されているのを知っている読者、中東や北アフリカあるいはラテンアメリカの現状を知っている読者ならおわかりであろう。先進国の収奪を免れるためには独裁制もやむをえないのである。


北米は、人間の棲み分けのもとに発展したといってよいのだろうか。それは少し違う。空間・時間の「能動的棲み分け」の発想と連動して工業化したというのが正解である。しかし「能動的棲み分け」は必然的に人間の棲み分けに連結する。これが悲劇であった。ともあれ、人間の棲み分けが徹底された北米が工業化し、それが不徹底だった中南米が工業化できず今でも貧困状態にあるというのは(ブラジルのように新興国として抜け出しそうな国もあるが)、残酷な現象である。人間の棲み分けに成功した方が経済的に豊かになるなんてどういうことなのか。こちらの方がおかしいとは思いませんか?確かに空間・時間の「能動的棲み分け」は資本主義の発展には適合的である。中南米ではそれが実行・成功できなかった。しかし、この「能動的棲み分け」の冷酷さが、欧米に世界の覇権を握らせた「武器」でもあった。


ヨーロッパの人間の棲み分けの論理が「普通でない」ことに、どれだけの人が気づいているだろうか。


マーシャル・プランの目的は、ヨーロッパにアメリカのための巨大市場を再生させることであった。要するにアメリカ製品の販路として、ヨーロッパ人の購買力を復活させなくてはならなかったのである。そのためのヨーロッパ経済の再生、さらにいえば経済的統合は、アメリカにとっても都合がよかった。アメリカもただではお金を出さない。


EUとは何なのか。私は「ヨーロッパ人の国」という巨大な国民国家をつくる夢、しかも完成することのない夢であると思う。十九世紀に成立した国民国家の原則は、同空間=同民族=同言語である。それがナショナリズムである。この原則を当てはめてみると、いーろっぱという空間を設定(創造)し、そこにヨーロッパ人を創出し、ヨーロッパ語という言語を均一化しなければならない。これにはフランス革命以来できあがってきた個別の国民国家を一度壊し、新たに「ヨーロッパ国民国家」を創るという作業を行う必要がある。そんなことができるだろうか?無理である。


ナショナリズムが暴発して独立にいたるのは必ず貧しい農業国である。


「貨幣関係のネットワーク」が社会全域に浸透すると同時に「資本主義の精神」という「共同幻想」が浸透する。(ちなみに、すでに物々交換の段階から、交換はすべて共同幻想に基づいておこなわれていた)。これを「レヴェル1.5の資本主義」と名付けてみよう。


私に理論からすれば「レヴェル2の資本主義」の勝者になるには、その前提として「レヴェル1.5の資本主義」が展開され、その結果少数の「金持ち」(資本家予備軍)と多数の「貧乏人」(労働者予備軍)が生まれる必要がある。それが成立する条件は、権力・人口・都市(市場)・富の棲み分け及び農村内での職の棲み分けが存在していることであった。もちろん皇帝一極集中型のロシアでは各種棲み分けがなく、したがって「レヴェル1.5の資本主義」も展開されなかった。大量の「賃金労働者予備軍」が存在しなかったから、農奴を開放してそれを創出しようとしたのである。しかし、ロシアでは農奴解放後も農民は「社団」といった農村共同体から離脱できなかった。彼らが農村共同体から離脱して「賃金労働者予備軍」になれたのは十九世紀末以降のことであった。


ヨーロッパの「自生的・生態学的棲み分け」が資本主義とサイエンスを生んだ。サイエンスと資本主義に連動するように、欧米人は空間・時間の「能動的棲み分け」を始めた。資本主義・サイエンス・能動的棲み分け。この三者は確かに適合的で相性が良い。ただそれだけでなく、今やこの三者は合体して意味もなく勝手に自己増殖して制御不能になりつつある。制御不能にしているのはわれわれ人間である。しかし制御することもできるのも人間であるのだ。制御できないと「ロボット社会」となる。


to be continued・・・



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一枚の葉

 今、私は死んだ。 そして、その瞬間、自我が生まれた。 私は、一個の生命体なのだ。もう死んでいるのだが。 死ぬことでようやく自己が確立するのか…。 空気抵抗というやつか。 自我が生まれたが、自身のコントロールは利かず、私はふらふらと空中を舞っているのだ。  私はこの樹の一部だった...