2012年5月14日月曜日

水滸伝3(食べる読書97)




これまで偉人だったり物語の登場人物だったり魅力的な人と本を通して、または現実社会の実在の人物と実際に出会ってきた。


惹かれる人は多数いるが、やはりどこかしら自分のモデルと呼べる人には出会えなかった。何かが違うと感じるのだろう。自分の目指しているものとのずれを感じているのだろう。


そんな中、私が目指しているのはこういう人、こんな役回りといえばいいだろうか、こういうことを成す人物になりたいと昔から抱いていた想いを生きている人物がこの水滸伝にいる。


宋江。


がその人だ。


私はなぜか”始まりの人”になりたいと小学校高学年のころから思っていた。


なぜそこに価値を感じるようになったのかはわからないが、強く意識した人物というかその生き様があった。


それは、ブッダ (第1巻) (潮ビジュアル文庫)に出てくるチャプラという登場人物の生き様である。


小学生のころなぜか家に手塚治のブッダの単行本が第一巻しかなかった。その先を読もうにも一冊しかないため仕方なく何度もその第一巻を読んだ。ちなみに、ブラックジャックも単行本の第一巻しかなかった。特に親にねだるということもしなかった。ただ単に家にある本を読んでいるという感覚で、なければないで(うちの家の本事情は)そんなもんだろうとしか思っていなかった。


チャプラは奴隷である。古代インドの時代、いまも残っているカースト制度の最下層だ。そんな奴隷のチャプラが身分の壁を超えようとする話だ。


そこには、現実の不条理さに対するチャプラの怒りが描かれている。そして、それはカースト制へと向けられる。その挑戦が奴隷から兵士へと身分を変えることで達成しようとする。


水滸伝も根本はそうだ。官の腐敗による民の苦しみに不条理さを見いだし、男たちは立ちあがるという話だ。


チャプラはただ単に、自分もその社会の上の層に行こうとした。宋江は、その社会自体を変えようとしている。


二人の動機は同じだが、それをどう解消するかが違うのだ。


おそらくブッダも宋江と同じ立ち位置だろう。新たな価値を社会に訴えた。この対比を手塚治は描きたかったのではないだろうか。だからプロローグとしてチャプラを描いた。


ではなぜブッダではなく宋江を最もマッチしたモデルと私は思ったのか。


それはただ単に、ブッダが偉大すぎるというのもあるし、具体性が見えないという点が大きい。たしかに、前から自分のやりたいことは、大きな視点で見ればブッダやキリストのような新たな価値観を提示することだろうな、とは思っていた。だが、それは数百年単位で見てはじめていえることであって、それまでいろいろな人がそれぞれの時代に対して意見は言っていたと思う。


その点、宋江は、(あくまで物語であるが)役回りはブッダと同じとは思うが、その方法が具体的だ。既存の社会を壊し新たな社会を創る。そのため叛乱という形から国対国へと持っていく闘い。実際闘うのは晁蓋はじめ林冲など腕のたつ者たちである。しかし、本当の闘いというのは、いまある社会(水滸伝でいえば宋という国)よりも価値あるものを創り出すことである。


つまり”生む”闘いである。何かを壊したり、誰かと競争するということではないのだ。


今の価値に見切りをつけ、さらに良い価値を産み出す者へ投資できるか。


戦闘の腕では平凡でしかない宋江が梁山泊の頂点に立つのは、この点を梁山泊の雄志たちがよく理解しているからである。


怒りを単なるフラストレーションのはけ口で終わらせるのかどうかは、さらに高い視点でこの怒りを見ることができるかどうかだ。そこから新たな道が見えてくるし、切り拓かれる。


まだ具体的にどんな国にするのか宋江の口からは語られてはいない。


だが、期待しよう。ついに宋江は国全体を観る旅に出た。どんな答えを出すのか。


歴史は、その時代時代の問題を当時の人が一つ一つ答えていった結果である。どんな答えであったにしろ、その答え自体がなければそこで歴史は終わっていた。答が正しいかどうかなんてわからない。


とりあえず出すのだ。このいまを生き残るために。その積み重ねだった。まずここだ。この危機を乗り越えるのだ。そして、その次の問題に対しては、またそこで対応していく。


私は、そんな人類の営みの中で、答を提出する者でいたい。どんなに醜くても生きてやるという次の一手を出すという、人間の泥臭さというのをこの人生で表現したい。私は人類の一員になりたい。そう思っている。


以下抜粋


「小さくかたまるなよ、楊志。おまえがこれから歩くのは、道のない荒野だ。いままでの考えを、すべて捨てなければ、一理も進めん。道をただ歩いて行こうというような考えをな」


公孫勝は、見るところはすべて見ている。それがこの男のすごさだ、と石秀は思っていた。兵のつらさや苦しさも、決して見逃してはいない。



事をなす者は、場所を選ぶ。


「間違ったことを聞いた、と私は思っていない。それにこの山寨は、私のものではない。世を糺そうという思いを持った者たち、全部のものだ」


「人間になるのが、叛乱か?」


およそ、古今の覇者というものは、たったひとりの志からはじめているのです。


「いいのだ、呉用。こんなことがほんとうにあるのか、と私も思う。しかし、あるのだ。私も押し潰されそうだし、宋江もそうだろう。そして、おまえもだ」


「そうだ。大きなところで、頭が働かなくなるのだ。だから、晁蓋殿や宋江殿の手を汚させてはならん。あの二人には、大きなところでいろいろと考えて貰わねばならんからな。おぬしも同じだ」


私は、好きか嫌いかだけを訊いている。そして、好きならば行け、と言っている。それだけのことだ。


自分が抱いている志を語っていいのかどうか、宋江はやはり迷った。語った以上、宋清をそこに引き込むことになる。


人から、志を奪うことはできない。その志と、宋清に対する思いを、秤にかけるのも、不遜というものだ。人にとっては、それぞれに大切な思いに違いないのだ。


「考えてこい。そして、覚悟もしてこい」


自分の強さを確かめないかぎり、不安になる


「豊かさを求めてはいないが、それでもここの暮らしは豊かになった。静かな日々の中で、私も鮑旭も武松も、それぞれが自分とむかい合い、土を耕し、焼き物を焼いた」


棒術の強さなど、人間の強さの中では小さなものだ。それをすべてと考えているから、おまえは幅の狭い男になった。


おまえは、すでに棒の技はきわめている。あとは、人としてどれだけの幅を持つかということだ


「一生、忘れぬと思う。そして俺は、自分のために死ぬことを、自分に禁じた。苦しかろうが、悲しかろうが、それから逃れるためには死なん。死んではならん」


「人間は、どこかで気持ちを緩ませなきゃならん。ほんのちょっとだけな。うまいものを食い、酒を飲み、女を抱く。そしてまた、厳しい闘いの中に戻ってくる。兵も人間なのだ、楊志。人間だから、この世の不条理に我慢がならず、命をかけて官軍と闘っているのだ」


闇の中を、ゆっくりと歩いた。いまの自分の状態によく似ている、と宋江は思った。志を抱きながらも、歩いているのは暗闇の道である。しかし、遠くに光明は見えているように感じられる。


「生きることは、苦しいな、宋清」


以上
またね***



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