2009年10月23日金曜日

素直な心になるために(食べる読書8)



素直な心になるために (PHP文庫)
」 PHP文庫 松下幸之助 著

あの松下幸之助さんだからこそ書けた本ではないかと思う。

素直な心について書いてある本。

読んだ印象としては、なんかはっきりしないことに対していらつく感じ。だけど、その世界観に入っていくことはできる。素直な心について書いてはあるが、「素直な心とは~である。」といった定義があるわけではない。だが、いろんな視点から素直な心について考察してある。だから、確かに素直な心というものが存在はしているのだろうと、推測できる範囲である。その素直な心による影響を深い洞察力で語っている。ただそれだけの本ともいえる。が、ここに未来へのヒントがあるようにも思う。

素直な心とは、時と場合によって表現の仕方は変わるし、その影響の現れ方も違う。何より、自分と他人がどう受け止めるか。これも素直な心でひとくくりにまとめて論じているところが大雑把かなと思う。

だが、普段の生活の場面場面において深く考察していくと、松下幸之助さんが語っているように、確かに素直な心というものがそういった日常のことを解決してくれそうに頭ではなく体で腑に落ちる。


素直な心になるために (PHP文庫)


ここで、現代科学がどんな考えのもと発達してきたか考えてみたい。
その根本の思想は、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」である。これは、疑わしいものはすべて排除し、間違いなく確かなものだけ認めてあげるということ。だから、科学は発達してきた。なぜか。数字を使うからである。文学や社会科学などは対象となるものすらはっきりしないものをしっかりと把握する術を持たない。しかし、科学は、対象物を明確にし、それを数字でその明確化を裏付けできるということができる。それは数学という道具があって成り立つ。が、これは数字の性質上、一つの面からしか物事をとらえられない。だから常に対象物は数字で把握できるものに限るのである。というか、対象物と言った時点で、自分を含めた何物かは客観的に把握できないということを意味しているのではないか。

数字は時と場に制限をかける。この、常に時間は流れていく現実に対して、ほんの一瞬のほんの限られた場しか数字は表示できないのだ。我々人間生活は違う。家では、父親として子供を教育し、妻に対してはよき伴侶でなければならない。同じ空間(場)にいても担っているのは複数の役割である。これをどう数字化するか?おそらくできないだろう。職場では、上司であり、部下であり、取引先であり、お得意様であり、同僚であり、公共の社会人である。こういう次元の異なる世界を瞬時に処理して生活しているのが我々人間なのだ。同じ時と場所で異なる関係を同居させられる。逆にいえば、世界(価値観)を創るのが人間ともいえるのかもしれない。

今起こっている世界的な問題。環境問題。人口問題。経済問題。などなど。これらは一つの視点からしか見なかったために起こってきたのではないか。あらゆる視点(あらゆる時と場合)を同時に処理できるようなものであっただろうか。人間の目をそこにくぎ付けにするだけのものではなかったか。

今、世界は変わるチャンスであると信じている。具体的にどんなふうに変わるかははっきりわからないが、大まかな方向性は何となく感じている。それは、「静」から「動」へ、である。いままでは、一つの側面からしか物事を見れなかった。その側面では対応できないとわかると、また新たな側面を創り、物事を見てきた。変わるたびに変えていくのだ。はっきり言って、ただ跡を追っているだけである。未来は、自らの動きも加味したうえで、全体をみる。うまく説明できないし、私もまだその見方を習得できていないのでイメージが的確かわからないが、人々、企業、自分は今どこへ動いているか、そこはどこで何があるのか、なぜそこへ向かうのかといった視点に立ち、主に動きをみるということだと思う。今までは「状態を」見てたがこれからは「動き」である。で、その「動き」をより説明する道具として「力」の概念があると考えている。「状態」は“数学”だが、「動き」は“力”が道具。

私の夢は、次世代を切り拓く哲学思想を構築するというものである。で、この「力」の概念がまさにそれではないかと考えている。まだまだ研究不足だし、未熟だが、必ず、この哲学思想を完成できるだろう。少なくとも、7,8年以内には形になっているはずだ。そんな自分にとって、この「素直な心になるために」はとても参考になりました。松下幸之助さんありがとうございます。これからもいろいろ参考にさせていただくと思います。よろしくお願いします。

今回は、本当にありがとうございます。異なる視点をいただきました。ありがとうございます。


素直な心になるために (PHP文庫)


以上
またね***


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