2009年10月25日日曜日

恥の殿堂(食べる読書9)



恥の殿堂 (小学館101新書 58)
」 小学館101新書 落合信彦 著

落合信彦は私の好きな作家さんの一人です。その彼の初めての新書本。

“恥”をキーワードに、現在の社会に対する意見を記した本。これまでの落合さんの本も“恥”に触れてた部分はいくつかあった。なので、基本的には、いつもの落合さんの文章で書かれている。

いろいろな“恥”について書かれていたが、共通するのは、一人の人間という視点から物事を見れなくなった時点から“恥”になるんじゃないかと感じた。「一人の人間として何を成せるか。」という視点。政治家の恥は、国家国民に対して何ができるかではなく、次の選挙のことを考えるところが恥。一人の人間として、政治家という立場で何を成すか。

この世の中には色々な役割がある。人間は社会的動物なので、互いが役割を果たさないといけない。それは、まず一人一人が地に足をつけ、立つことが前提。そこから、社会的役割を果たしていくのだ。しかし、現実は、自分の足ではなく、政治家という役職にもたれかかっている。すでに、人間を放棄しているというか、なんだろう?こういう人に、あなたは何者ですかと問うと、なんと答えるだろう?やはり、役職しか答えないんだろうな。つまり、人間ではなく、社会システムという主人に使われる召使いのようだ。こういった“恥”を他に多数取り上げている。マスコミの恥。親の恥。若者の恥。教育の恥。スポーツの恥。アメリカの恥。中国の恥。独裁者の恥。である。

この恥について落合さんはこう分析している。人が、グリード(強欲)に心を奪われたからだと。もともと人は、デザイア(欲望)がある。これによって、人間は時代を動かしてきた。しかし、グリードがそれを上回ってしまった。そして、グリードの対象はお金のみ。そのためなら何でもやるといった具合だ。じゃあ、どうすればいいのか。


恥の殿堂 (小学館101新書 58)


「人の心から生まれたグリードを克服するのは、人の心から生み出すモラルからしかあり得ないのだ。」と筆者は語る。「“足るを知り、分に安んず。“非現実な高望みをせず、自分が置かれた状況を把握する。そして、きちっと定めた心の軸を持って自分の抱く夢や理想に突っ走る。軸さえしっかりしていれば、悪木には近づかないし、盗泉の水は飲まない。成功しても大金を得ても、転落して貧乏になっても、“知足安分”の精神で生きれば、恐れるものは何もない。」

以前もこのブログに書いたと思うが、ヤスパースという哲学者は、釈迦や孔子・キリストが語る考えは、人の際限ない欲望を抑える役割を果たしたと言った。おそらくそういうことだろう。人の生きる道はグリードにはない。では、どこにあるのか。それを探すところからが、人間の生きる道だと思う。他から与えられるものではないのだ。

落合さんには、いつも勇気・希望といったものをもらう。本当に感謝しているし、いつか自分が一人前になって、仕事で落合さんに会うことがあったら、「ありがとう」と言いたい。「あなたのおかげでめげずにどうにかここまでやってこれました・・・」と。いつもありがとうございます。あなたは、私に、素晴らしい世界があるということを教えてくれました。本当にありがとうございます。


恥の殿堂 (小学館101新書 58)


以上
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