2012年8月22日水曜日

水滸伝十二(食べる読書121)





梁山泊にとって厳しい展開になっていく。



しかし、それでも崩れないのは、梁山泊自身も変わっていっているからだ。



この巻では、三人の男の変化があった。



楊春は、解珍との旅により己を見つめ、一皮むけた。これは時間をかけ、変わるきっかけを与えてもらっての成長である。



官軍の関勝は、梁山泊に入った。これは、これからの活躍の場を変えた。そのことで梁山泊はその分大きくなる。



これら二つはこれからの梁山泊を良いほうへと導く変化である。



しかし、必ずしも準備万端整った後にものごとは動いていかない。



いまある危機を脱するには、その場でこれまでの自分を超えないといけない。



盧俊義を救出した燕青がそれである。人間業ではなかった。火事場のくそ力のようだが、おそらく違う。生きているのが奇跡のような状況を超えてきたのだ。敵もどうしようもない。



この変化。


いざとなれば、どうにかする。これまでの梁山泊は、多くの男達のこのような奇跡の上に立ってきたのだ。



おそらくこれからもだろう。



勝ち残るために変わる、そして超える。



以下抜粋


帝が、ただ帝であれば、それでいい。すべてのことが、帝の権威のもとで、進んでいくのだ。つまり、秩序の拠りどころであり、中心なのだ。



帝を暗殺するのがどういうことか、李富には容易に理解できる。帝を秩序の拠りどころにした国のあり方を、否定することだ。そして、帝をただの道具にしてしまうということだ。



「伏す者は、去れ。嘆く者は死ね。ひとりひとりが、自らの足で立つのだ。晁蓋に対してできることは、それだけだ。それぞれが部下のもとに戻り、私の言ったことを伝えてやってくれ。晁蓋が、勝利を待っていると」



生きていることが発する痛み、心が発する痛み。それは思想というより、独白に近いのかもしれない。思想は、独白の底流にあるのだ。



「感じやすい男だ。あの男の拳を見るたびに、そう思う」
「強さと弱さを持て余す。俺のまわりにいるのは、そんな男ばかりだ」
「私には見えるな、梁山泊がどういうところが」



「大きな場が必要なのだ、関勝殿には。器量も、それにしか合っておらん」



「わからんが、なんでもやってみることで、いままで道も開けてきた」



死ぬのは恐れはせぬが、理不尽な死は拒みたい



人には、それぞれ、身の丈に合った勝負というものがある。万余の敵を相手にした勝負なら関勝殿にふさわしいが、牢城の見張りではな



「言うさ。梁山泊は、おまえも欲しい。俺は、人たらしなのだ。どんな人間でも、必ずたらしこんでみせる」



「犬死にか。それもまた人生、という気もするが」



この男は、人とうまく融和しながら、いつの間にか自分の思惑通りに周囲を動かす。そういう揺らがないなにかを持っているから、副官にしたのである。



関勝殿の出方を見ている、と考えるべきです。それには、時を稼ぐことで対抗する。それが良策でしょう



「関勝殿には、どこか稚気がある。それが、人に誤解を与える。はじまりは、そこからでしょうね。特に、遠くから見ていると、稚気の部分は見えず、結果だけがすべてということになる。これが戦ならいいのですよ。勝敗という動かし難いものがあるのですから」




「誰もが、関勝殿の力を認めているからですよ。だから忠誠であると信じられないかぎり、どこかで外へ押し出そうとする力が働くのです。その外が、雄州ならばいい。さらに力が働けば」



「人は、果たさなければならない責務というものは持っている。それさえなせば、あとは好きなように生きたいものだ、と思う。俺はそうだ。卑屈になりたくもない」



「雄州という池は、関勝殿という魚には小さすぎます。狭い池では、魚も大きくなれないと言いますし」



「この暮らしを大事にしたい、という気持ちはあります。しかし、過ぎたものだという思いもまたあるのですよ。ここで静かな暮らしを持った代償は、死であっても構わないのです。意味のある死なら」



「役人の数が、多すぎます。諸国が乱立していたころの役人を、そのまま抱えているようなものです。役人は、以前は仕事を持っていました。実入りになる仕事をです。しかし宋として統一されると、民が商いをするようになりました。生産もです。役人に残されたものは、権限だけです。その権限が、賂を招くのです。それ以外に、昔のように役人が儲ける方法はないのですから」



「浪費そのものが悪ではなく、浪費によって富める者が、ごくかぎられた数だということが悪なのです。働かされる者が、きちんと賃銀を貰えば、それが使われ、またものが、動きます。いまは、そうなっていません。働く者は、徴発され、自らの生産を中止して、労力だけを出すのです。これでは、国は疲弊します。なぜそうなるのか。一部の者が、私腹を肥やそうとするからです」
「人は、欲で動くものだからな」
「その欲を果たすために、賂を使います。これも、民の手には渡りません。民の手にまで動く富が行き渡れば、浪費は決して悪いことではないのです」
「いま、民は無償で駆り出され、働かされているだけだ」
「だから、腐るのですよ。腐る原因は、富める者がごく一部いて、ほかの者がどんどん貧しくなっていくことからはじまっています。それを修正できるのは、政事だけということになります」



「とにかく、やらねばならぬことが、次々に出てくる。人の営みとはすごいものだと、改めて考えさせられる」
「その営みの中で、人は悲しんだり怒ったり、そして喜んだりしているのですね」



学べば学ぶほど、法と実際の社会は違うのだ、と思わざるを得なかった。解釈の仕方で、どんなふうにも法は曲げられる。しかし、人の世を律するものとして、法以外には考えられなかった。



張りつめ、決断する時はもう過ぎた。あとは待つしかないのだ。



「法は、いつでも人のために作られる。どんな法も、最初はな。それから、少しずつ執行する者が都合よく解釈するのだ。そういうことができないようにしても、時が経つとそうなる」



「それぞれの戦がある。盧俊義様も、そう思っておられる。寝ても醒めても、続く戦がある。それは実戦より苛酷だ、と私は思っている」



兵としての強さではなく、人としての強さと闘わなければならない。
「まず、希望を打ち砕く。かすかな希望を抱かせ、打ち砕く。それをくり返すということだな、沈機?」
「まさしく、そこからはじめます、聞煥章様。躰の痛みは、躰を打ち砕くのではなく、希望から打ち砕いていくのです。行き着くところは、死ではなく、荒廃。つまり命はあっても、人ではなくなるということです」
「責める者は、相手の心とむき合い続けていかなければならない、ということか?」
「責める者が、負けることもあり得ます。その時は、なにも得ず、ただ殺してしまったということになります」



「いえ、聞煥章様。そこだけには触れません。恥じているものは、人を頑なにもします。触れない方が、かえって傷つくのです。その傷つき方には、無力感が伴うと思います。だから、頑なになることもありません」



「周囲から、人の気配は断った方がいいのです。たまに現われる人間が、私ひとりの方が。私を待つという心境に盧俊義がなった時は、半分落としたようなものでしょう」
「責めるのか?」
「私が行くたびに、痛い思いも苦しい思いもさせます。殺さない程度にです」
その痛い思いや苦しい思いを、やがて待つようになるということなのか、と李富は思った。



都合の悪い時のための頭領として、宋江は巧妙に晁蓋を使うつもりなのだろう。茫洋として、誠実という印象が宋江にはあるが、無情でしたたかな面も持っているのかもしれない。頂点に立つ男は、そういうものだと呼延灼は思っていた。



人間離れした、異様な力が作用したのだ。奇蹟と言ってもいいだろう。理屈を超えたものは、確かに存在している。聞煥章はそれを認め、敵にそういう力が作用した時は、割り切って諦めることにしていた。いつでも、どこでも、そういう力が作用するわけではない。



ほとんど勝ちを手にしながら、人間離れした力が働くと、最後の最後で逆転ということもあり得る、と痛感する出来事だった。



「人には、いるべき場所というものがある。私は、そう思っています。私のいる場所は、関勝殿が作ってくれた」
「俺のいるべき場所は?」
「自分で作るしかないのですよ。他人が作るには、関勝殿は器が大きすぎる」



「勝手にひねくれていろ。俺はいま、長い友であった韓滔の最期を、ただ語っているだけだ」


「先の先まで考える。百年、二百年先まで考える。それは不遜だと、私は思う。おまえの欠点は、国家のありようというものが、いつもあるところで思考を遮ることだ。国家がこうあるべきだというのは、逃げにすぎん。ありとあらゆる方法で、直面している現実を切り開くのが、われらのなすべきことだろう、李富?」



「私は、どんな手段を使っても、梁山泊を潰したいと思っている。国がどうとか、そういうことではない。私は、宋という国の、青蓮寺という組織で、仕事をすることになった。その仕事を全うすることで、歴史が動くとも思っている。だから、いま直面しているものがすべてなのだ」



梁山泊は、闇の塩を糧道にして、宋を乱している。ならば、こちらも闇を使う。城郭を三つも奪ったということは、世俗にまみれるということでもある。



「楊春殿はまた、楊令が持っていないものをお持ちです。じっと耐える。それができる。苦しみや痛みではないものにも、耐えられます。心が弱い。それを、誰にも頼らずに克服している」



「部下の三人も、私も、関勝殿に運命を懸けている。虚心になっていただきたい」



「生き生きとしているぞ、関勝殿。男は、やはり思うさまに生きるべきだ。私の人生は、関勝殿と出会ったことで、どれだけ救われ、豊かになったかわからないほどだ」



以上
またね***



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一枚の葉

 今、私は死んだ。 そして、その瞬間、自我が生まれた。 私は、一個の生命体なのだ。もう死んでいるのだが。 死ぬことでようやく自己が確立するのか…。 空気抵抗というやつか。 自我が生まれたが、自身のコントロールは利かず、私はふらふらと空中を舞っているのだ。  私はこの樹の一部だった...