2011年10月5日水曜日

プリンシプルのない日本(食べる読書61-1)




本書は白洲次郎が1951年から1969年に文藝春秋に載せた文章をまとめたものである。




若い頃はイギリスへ留学し、終戦後は外国との交渉などをした人物。




そんな彼の日本人に対する考えが述べられている。




終戦後、連合国と対等に渡り合った唯一の日本人ということで知られる。




が、それは当時の欧米の価値観を理解していたからだろう。




題名にもあるように、プリンシプルの重要さを理解しており、日本人にはそれがないといっている。明治維新以前には武士道として日本にもプリンシプルはあったのではとも本書で語っている。




歴史や価値観などもそうだが、一歩引いてみることでそれらを相対的に観ることができる。




日本の考え方と欧米の考え方である。




歴史は600年周期で東洋と西洋が主役を入れ替わっている。現在は西洋の時代でそろそろ東洋の時代へと移行する時期だといわれている。




白洲次郎が生きた時代は西洋の時代である。そんな中、日本は明治維新から西洋文明を取り入れて発展してきた。それは、当時の価値基準を学んでいるということ。



この意識。



自国の価値観とは土台の異なる価値観を取り入れる。それはあくまでその時代を勝ち残るための手段としてのもの。それは決して己のアイデンティティにはならないと区別できていたのではないかと思う。




だから、日本本土の風習というか慣習までは西洋化はしていない。




その一貫性の無さを著者は指摘しているのではないかと感じた。これからも西洋文明の時代であり続けるのなら、白洲次郎の主張は大いに取り入れるべきだと思う。しかし、時代は変わる。いや現在進行形で変わっている。この2011年の時点でだ。




が、おおいに同感する部分もある。これは以前紹介した希望は絶望のど真ん中に (岩波新書)のむのたけじさんと同じ意見だが、憲法は日本人自身の手で作るべきだという指摘である。




当時は作る余裕がなかったというかそこに目を向けるタイミングではなかったとは思うが、現在はどうだろうか。GHQ押しつけの憲法からそろそろ自立してもいいのではないか。たとえ内容がほとんど同じなものになったとしてもだ。




西洋文明のプリンシプルは、西洋の歴史の上で醸造されてきた。それは他国、他民族との闘いの中で養われたものである。主義主張をはっきりすることが最も大事。広い大陸で生きる人間の性である。




一方、日本は小さな島国。そんな中で争いをしても、生きる場所は限られている。妖怪学講義でも書いたが、どこにも行く場所がない小さな島国だと、そこには人の恨み、妬みがどうしても発生してしまう。つまり、一時的に己が勝ったとしても時間の経過、周囲の人間関係など総合的に観ると結局マイナスになるということがしばしばあるのではないか。そんな環境で養われたのが日本式の「まあ、まあ」やなあなあ主義なのではないか。





対外的には西洋的でいいが、やはり我々日本人の生きる場所はほとんどがこの狭い日本である。それを、いきなり西洋化するのは無理があるというもの。それをするならまずその価値観を創った環境を変えるのが手っ取り早い。つまり、日本を島国ではなくするという無理難題に直面することになる。





この日本の価値観。これは結構すぐれているのではないかと最近思っている。一見、何にも物事は前には進んでいないようである。しかし、物事が進むということは何らかの変化を要求するということ。その変化に対して必ずしも全員がいい感情を抱くとは限らない。だから、もっと大きな視点で物事を見る必要がある。それが日本式の価値観である。それはおそらく言語化はできないだろう。あまりにも多くの要因が相互に関係し合っているからだ。





恨み、妬みの歴史でもある日本は、人の感情も考慮に入れて物事を進める傾向が強い。それは、ただ法案が通るやただ公式的に認めるだけでは何にも変わらないということを知っているのではないか。どれだけ相手の感情を動かすか、それこそが大事。それさえあれば、別に政府のお墨付きなどはいらない。人々が認めているということこそが大事なのだ。それは多様な人がいい感情を抱いていることを意味する。





なので、世界的に日本は、もっともマーケティングが盛んで優れているという。






話は少々それたが、ただ単にその時代の主流の価値観からずれているというだけの言説はあまり価値はない。相互を比較して、そして今の時代とこれからの時代の推移も考慮しての批判が必要だろう。そこからは、どんなに自国と世界の価値観が違っていようとも、うまく自国をアピールすることができる何かしらのものを見つけることができるのではないか。


to be continued ・・・




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