2012年2月23日木曜日

知の編集工学(食べる読書81-3)




人でも、本でも、彫刻、絵画、何でもいいが、自分の人生を大きく前進させる出会いはあるだろうか。


もしくは、この出会いによって大きく人生が変わったという出会いだ。


その出会った瞬間、この出会いは人生を変えるものだと認識できるだろうかという疑問はあるが、私にとってこの本は私に道を示してくれたと思っている。


私がスタート地点へ立つまでの道をだ。


「次の時代を切り拓く哲学思想を構築する」


これが私の夢であり、人生の目標でもある。


その新たな思想とは、「動きを表す情報処理技術」の獲得であると考えている。


しかし、これが何なのか全くわからない。今、目の前にないもの、いやあるのだがそれを認識する術を現在のわれわれは持ち合わせていない。そんなものをどうやって発見するのか。


正直言って何をすればいいのか、とっかかり自体がわからないという状態だった。


しかし、この本の「編集工学」はそのとっかかりになるだろう。



内容は、私の考えていたことと似通っている部分がいくらかある。そして、それについて著者は裏付けがあって本書に書いてある。


なるほど~。ここをこう研究すればいいのかあ。


当分、松岡正剛さんの著作をメインに読むことになるだろう。





<エディトリアリティ>や「述語」の概念は、「動きを表す情報処理技術」に通じるものがある。


特に「言葉」について書いてあるのは驚いた。


情報処理技術であるため、もちろん「言葉」の改造というか、言葉自体も変えないと「動きを表す情報処理技術」は得られないだろうとは思っていた。


しかしなあ、その言葉をつかって世の中を把握しているんだよなあ。その言葉以外で把握できるのかあ?できるとは思うが、社会を構成するために、それは伝達という役目も果たせるのかあ?ただ自分の中で完結していたんじゃあ、動きじたいできないぞお。


などと考えていた。


そういう意味で「述語」に焦点を当てているのは、衝撃でもあったし納得でもあった。



さらに、なぜ次の時代の新たな思想が「動きを表す情報処理技術」になるのかというと、いまの時代を支配している思想というか考えが、科学的思考であると考えるからだ。つまり、主体と客体を完全に分けて、そこで統計的データによってどこで線を引くのか決めるといった具合だ。これまでは主体と客体で、客体に対してこちらから作用を及ぼしていた。その作用された客体は対岸の火事といった具合で、こちら主体側には客体の変化は影響を及ぼさなかった。



しかし今、環境問題、国際的変動など、対岸の火事であったはずの客体がこちらに作用してきたのだ。この事態に対する対処法を人類は手にしていない。なぜなら、主体と客体の相互作用を把握しうる情報処理技術がないからだ。よって、次の時代を切り拓くには、主体と客体をそれ自体ひとつとみなし、その変化(動き)を全体として(または局所的に、焦点も自由に変えれるような)把握する「動きを表す情報処理技術」が求められていると考えたからだ。


こういう私の文脈の流れと大きな矛盾はないという論理で「述語」の重要性を説いているのはちょっと自信になりました。


まだまだ本書を理解したとは言えないが、ページをめくるたびに、本当にいろんなインスピレーションが頭をよぎり、なかなか進まないという状態だった。その分、疲れはする。しかしそれは、この本の内容と自分の考えとを照らし合わせ、さらに深めるために脳をフル回転させているから。ま、編集しているわけです。



「編集とは関係性の発見」と書かれてある。たしかにそうだ。


これに照らして表現すると、「動きを表す情報処理技術は、関係性を”産み出す”土台となる」だ。


以上
またね***




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