2009年2月8日日曜日

フルメタル・ジャケット

フルメタル・ジャケット [DVD]
」という映画を見た。

アメリカ映画。ベトナム戦争の映画だった。

そんなに多くはないが、今まで戦争映画を見てきた。

見てる最中は”これが戦争なんだ”と思う。でもすぐに、現実の世界に戻れる。

アメリカの戦争映画は、兵士の苦悩というか、戦争という非日常にどうにか適応しようとする姿を描き、そんな中でもやはり人間性は失ってないんだという構成になってるように感じる。自由や平等に対して、おもに、その人個人に焦点が当たってる。

けど、日本の戦争映画は、文化の違いだろうが、個人に焦点は当てるが、その個人にはその家族も含まれている。戦争に出た時だけがその人ではなく、平和なときには彼には恋人がいたり、家族がいたり、そんな中で一人の兵士として戦争に参加しているんだと。そのバックグラウンドも含めてその人なんだよと。だから、戦争という非日常で人間性を感じるのは、敵にも家族がいるということに考えが及んだとき。

こう考えると、兵士の教育の仕方もアメリカと日本では違うのではないだろうか。


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この映画では、お前らに人権はない、上司の命令は絶対だという印象を受けた。自由を重んじる国なら自由という人間的なものをそぎ落とせばいいということかな?だから、一人の命令に従い、いつ死ぬか分からない戦場でも戦える。戦場には民主主義は不可能。だが民主主義のための戦い。

一方日本は、先の大戦でもわかるように、天皇への忠誠を利用。自分も含めて最近は、天皇に対する想いが人によって違いすぎるが、当時はそうではなかったのだろう。あるいは、愛する家族のためにを合言葉に兵士は踏ん張ったんだろう。教官は、愛する家族・天皇への想いをえさにしてしごけばよかった?つまり、感情を利用。これは、心にきた言葉集9にも書いたが、感情だけで突っ走るのは危険。それは盲目を意味し、真実から遠ざかる。

で、ちょっとこの対比を違った角度から見てみる。考え方という点で見ると、アメリカ:理系、日本:文系のように感じる。まあ、どっちがいい、悪いではなく、ある程度大まかに自分の考え方の特徴を知ってれば、それを新たな考えの基準にして、自分の考えをチェックできるんじゃないか。自分の盲点を探すという目的で。

実際、日本はABCD包囲網によってアメリカと戦争せざるを得なくなったが、当時の日本の領土内に油田が眠っているかもという考えのもと調査はしなかったのかな。実際、東シナ海油田があるし。それに関しても、中国と戦わざるを得ないと思うが。それを発見できる能力がなかったのか、そんな余裕はなかったのかな。あるとこから調達するではなくて、うちの庭にはないのか?という発想はなかったのかな。理系なら、まず自分の領土・相手の領土の地理的特性を詳細に調べて、どこを攻めた方が効率的かを明確にしそう。ま、だから満州にこだわったんだとは思うけど…。

話はずれたが、戦争は非日常。普通の人間であってはいけない。人間性をなくせということ。

経済学では、戦争は“最終経済”だそうだ。つまり、生産がなく消耗だけ。

何事も基本が大事といわれる。実際真実だ。人が生きる上で何が基本かを考えることが大事と感じた。

やっぱり、「自分を大切に」に繋がっていくな。


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以上
また、明日***

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