2011年7月1日金曜日

堺屋太一の見方(食べる読書27)





堺屋太一さんの過去の書籍の中から歴史と世間に対する「味方」について興味ある短文を抽出したものを載せている形の本である。







ある特定のことについていろんな視点や文脈から語った本ではなく、短文の羅列のみである。







しかし、数ある文から抽出しただけあって、かなり深く鋭い短文である。





したがって、各短文とても味わいがある。短文ということでその他の部分を自分で補わないといけないため、読んでていろいろ頭を働かせるのですらすらとは読めない本である。






堺屋太一さんの本はこれまで一冊しか読んだことはないが、かなり知的で本質をズバリつく人だという印象を持っている。







今後はもっと堺屋さんの書籍を読もうと感じさせる本です。









内容に関しては、すべての短文が心にきたといった状況である。





そのすべてに対して述べるのも大変だし、私自身全くまとまっていない。






ので、か・な・り偏見と嗜好で厳選した心にきた部分を紹介したい。






以下抜粋






ほとんどすべての技術進歩は、まず基本的な物財技術の発明に始まり、かなりの年月をかけてその利用技術が進歩、その結果、新しい利用に適した物財の改良が進むという形をとる。その間に、硬軟双方の技術を受容する対人技術が整備され販売網ができる。
このため、一つの新しい技術が一般の消費者に普及するためには、早くて15年、長ければ30年ほどの利用技術開発期間が必要である。そしてその結果、普及される利用分野は、当該物財技術を発明した人が予想したものとは違うのがむしろ一般的である。









希望にあわせて環境を変える英知、環境に希望を順応させる情知







裏話と早耳情報は長期展望を狂わせる








自分がいかなる情報と付き合いたいのか、どんな種類のどんな形の情報が自分の脳に収まりやすいか、発想を活性化するのに適している情報は何かを知ることも、人間の知恵の一つである。







高度経済成長のために人間精神が堕落したとか、美意識が失われつつあるとかいった主張に対して、正確な数値を上げて反論することはできそうもない。これらの価値が計量化不可能な「満足」となればますますだ。
しかし、貧しい家庭の子女が不衛生な工場や遊興地で働かざるを得なかった戦前や終戦直後に比べて、今日の豊かな社会のほうが、より精神的堕落を招きやすいとは信じ難い。仮に、現代社会の一部で、伝統的な精神や美意識のある部分が失われつつあったとしても、それは経済成長のためとはいえない。







現象から原因を探すのは「知性」、
原因から原理を発見するのは「理性」である。








何事によらず、法律や官僚統制で義務づけると利権化が生じる。










日本の官僚機構は、あらゆる局面で供給側を保護する。
・・・
戦後の官僚機構は、それぞれが供給者を所管する組織原理で作られている。











人間が声高に語るのは「建前」である。人はみな語るときには、それを聞いた相手の反応を気にするからだ。しかし、自分が行動するとなると「本音」を出さざるを得ない。だから、人の言葉(何を言っているか)よりも、人の行動(何をしているか)に注目するほうがよいのである。









成功者が成功した道だけが、成功への道ではない。いやむしろ、先行者の歩んだ道を真似ることは、すでに成功した強者を相手に競争しなければならない困難を伴う。







以上
またね***





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