2011年8月19日金曜日

人生の波に乗る人乗れない人(食べる読書42)



深見東州氏、植松愛子氏、に師事する著者が人生で起こる事柄に対しての考え方を霊界や仏教的な視点から書いている。




ほとんど霊界や仏教に関して勉強していないので、この本で物事に対する新たな見方を知ることができた。




特に、すべては陰と陽のバランス。例えば料理はあえて手を加えない部分があるので、「料理する+料理しない=料理」。

一流の人はだれよりも多くの失敗をしている。そこから、「こういうことはしてはいけないんだな」と学んでいく。世間で注目されるのは、成功した一つの作品であるが、構想や習作、試作などそこへたどり着くまで、どれだけの失敗や行き詰まり、葛藤があったか。だから、「成功+失敗=成功」となる。





他にも読んでて新たな視点だったり、子供のころはそうだったが気がつけば失っていた考え方など、自分の視野の狭さを感じるとともに、世界の広さというか仕組みというかこれまで目を向けてなかった世の中、自分への見つめ方を知れたので清々しさも感じる。




面白いです。




以下抜粋



「誰にも知られずにいた花」は誰にも知られないけれど、私たちは「誰にも知られずにいる花」があることを知っています。そこに精神的な意味が生まれるのです。
ひとたび、それが人間の精神や行動と結びついて語られると、突然大きな光を持って私たちの心に迫ってきます。






オーケストラの演奏には、普通に聞けば聞こえない音が含まれていることをご存知でしょうか。
この耳では聞こえない音を、私たちは体と心のどこかで受け止めています。これが微妙な奥行きや深みなどを与える、いわば音楽の隠し味になっているわけです。





そのものの持つ真の価値は、後世になってみないと分からない、また、視点をどこに置くかによって初めて分かるという例はかなりあります。






よく「自然な状態」と言いますが、これは八割が「自然」で、二割方不合理な要素、つまり不自然が混じっている状態を言うそうです。十割すべてが合理的というのは決して自然ではなく、どこかに割り切れない部分があるのが本当に自然な状態なのです。





来世に持ち越せる三つの宝。学問、芸術、信仰心の三つを深めていくことは、己を磨いていくことであると同時に、運勢を改善することでもあります。そしてこれらは、日々の生活の中でも磨いていくことができます。





一つのことを貫いていくこと、これが信仰心なのです。
そして、もう一つの側面から言えば、どんな相手に対しても愛の想いを出せるようになれば、これも立派な信仰心のあらわれということができます。







誰にでも、いくら精進努力してもなかなか良い結果が出ない時期というのがあります。いわゆる衰退期ですが、実はその期間こそ自分の内面がどんどん磨かれ深まる大切な時なのです。






忍従と忍耐は違うということです。観念的な正義感や道徳で自分をしばり、表面を取り繕いながら耐え続け、心の中でもがき苦しんでいるのは単なる忍従です。本当の忍耐というのは、内面があくまで明るくなければなりません。そのためには悟りが必要ですが、明るく耐えるために、いろいろ想念を工夫することが大切です。
つまり、「耐える+明るさ=忍耐」、これが大切なのです。






物事にはすべて両面があります。今の自分があるのは自分の力、つまり自力だけではなく、何か別の力、すなわち他力も働いているのです。






人生にとってポイントとなる部分は、自力よりむしろ他力に負うところが大きいのではないでしょうか。






今世で大きく成功しているスーパースターというのは、必ず前世で多くの人を救っています。その徳分が今世で才能を発揮できる環境となって現れているのです。






本当に愛があれば、人々を幸せにしたいという切なる想いがあるなら、必然的に己を磨いて実力を蓄えるという方向にその想いが向くはずです。
求道、すなわち真理を探求し己を磨くことにより、人間性が豊かになり、叡智が備わり、そこで始めて多くの人を幸せにすることができるようになります。




愛と真心をもって、仕事や社会、家庭生活の中で、学問、芸術、信仰心を深める努力をしていくこと。少なくとも人に迷惑をかけない人生、すなわち、自分のことはすべて自分で(もちろん他力も使って)解決できることが第一歩です。








守護しないことによって何かを教えている場合もあるのです。







同じ答えが三つ重なったら守護霊のメッセージと受け取ってよいようです。投げかければ投げかけるだけ答えが返ってきます。従って、神仏や守護霊から答を間接的に受けるには、まず発願をすること、次に実行し、そして何でも投げかけることが大切です。







「天道人を殺さず」という言葉がありますが、世のため人のために自分の時間と労力を割いて、社会に貢献している人がいれば、神や回りの人が放っておきません。必ず、捨てた分だけ神様は補ってくださいますし、協力者が現れたりして、人の何倍も効率よく物事が進んだりします。
このような良い循環ができるまで、多少時間はかかりますが、誠の心で突き進んで行けば、必ず道は開けるのです。








地獄に落ちることを恐れていては大きな仕事を成し遂げることはできません。多くの社員の生活を守るために、冷徹な決断を下すこともできなければ、大きく世の中の役に立つこともできないわけです。
つまり極端にいえば、地獄に落ちるのを覚悟で善を貫かなければならない場合もあるのです。









能力に関しては一朝一夕で伸びるのは難しい。しかし、すべてがこさせるような環境、これは他力で整っていく。そうなると一見不可能にみえたことも可能になって来るものです。







素晴らしい教えを聞いたあと、それをすぐ実践するかどうかでその人の本質が分かります。







謙虚に学んで、ある程度体得し、深く咀嚼して、いろいろな角度から研究した話であれば、聞いた人にも必ず喜びや感動が伝わり、また何らかの悟りがその中にあるものです。







どのような境遇に立たされてもじっと堪え、愛と真心を失わずに、その時に自分ができる精一杯を黙々とやり続けていく。
これのできる人は、かなり大本ができあがっていると観ることができるでしょう。






物事の外相に囚われるのでなく、志を立て、大本に目を向けていることが大事です。物事の成否、成功、不成功に捉われるのではなく、前向きか、自分の魂が愛に満たされているかどうか、燃えているか、努力しているか、清々しいか、明るいかなどに目を向け、常にチェックしていくことが大切です。







何でも一流のものに触れたら、その背後の奥深い気を吸収するようにすると、自然な形で、総合的なレベルアップを図ることができるようになるのです。





以上
またね***



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