2011年8月24日水曜日

運命学(食べる読書43)



運命学と題して、人相と手相について語っている。



著者は長年多くの人相・手相を観てきたが、この本がそういう分野において初めての著作だという。また、本の内容は、主に雑学的である。





著者の経験等を織り交ぜながら人相・手相の相について述べているので、読んでて面白いし楽しい。






だが、本自体の過失ではなく、読んでてその都度自分の顔や手とにらめっこしている自分に対してちょっと複雑な思いを抱いたというのが本音だ…。






俺はこんなにまでして自分自身の良い部分をどんなに細かいところも見逃さないように探さないと見つからないほど自分のよさを自分で認められていないのか…。と思う一方で、運命学から観た自分はどんな人間なのか知ることは決してマイナスではない、となぜか積極的な自分もいる。





といった相反する自分にすこしばかり翻弄されていた読書時間でした。





結論として、この本のみで判る(しかも自分で理解し、素人判断した)自分の人相・手相は、あまり良くなかった…。というか、そんなに悪くもなかった。可も不可もないと言ったとこだろうか。





おおまかに言うと、人相より手相がよかった気がする。顔はあまりい人相の部類には入ってなかった。自分とは違うタイプが人相いいんだよなあ。一方、手相は悪くなかった、中の上と言ったとこだろうか。良いところだけ覚えてて恐縮だが、どうやら、「銀のフォーク」らしい☆





夜の電車に乗りながら読んでいたのだが、その都度窓に映る自分の顔を見ていろんな顔をしていた。眉間のしわって顔をしかめたりしたらできるよなあ。額ってこの形はどうなんだあ?眼の色は窓に映る自分ではわからないなあ。口小さいんだよなあ。などと思いながら窓に映る自分を見つつ完全に自分の世界に入っていた。気がつくと、ほかの乗客の”なんだこいつ?”という視線に気まずくなり、小さくなる。が、しばらくすると同じことをする…みたいな(笑)。





本にもあったが、人相・手相は変わるそうだ。あくまでその時点でのその人の状態ということだろう。大事なのはどうそれを良いほうへ変えるかである。これに関してはあまり触れていなかった。だから、人相・手相で現状把握し、どう軌道修正するかは他の方法で自分で頑張ってくださいというとこだろうか。だからと言って、人相・手相が役立たずだとは思わない。人生80年のこの時代。どんなに生きても100年前後である。だが、人相・手相は長い歴史があり、また多くの人の記録からなる。つまり、一人の人間の一生では見えてこないものが、長い年月と多くの人を観た経験から見えてくるのが人相・手相である。




そう考えると、一人の人間を超えたものが人相・手相を通して見えてくる可能性はある。それが運命であったり、宿命と呼ばれるものかもしれない。




楽しかったです。
ありがとうございます。



以下抜粋


ヤクザは失敗のけじめに小指を詰める。・・・。なぜ小指なのか。小指には子供、子分、後継ぎといった意味がある。失敗したり、不始末をしでかしたり、取り返しのつかないことをした場合、
「ヤクザ稼業はお前一代で終わり。子分を作ることはならんし、独立して一家を持つことは許さない」
ということから、小指なのである。その後に手柄を立てたり親分の覚えめでたいなどで独立といったケースはあるだろうが、本来はそういうことなのである。







学問やアドバイザーとしてやっていくのと、実際に渦中で手腕を示すのとは違うのである。






「翁は法相を学ぶために、三日間“神相全篇”を受けましたところ、講義があまりに月並みであったため、独学で相学を研究する決心をしたのであります。
そのためには風呂屋の三助を三年やって、あらゆる体格を覚え、髪結いの弟子を三年やって人の顔形を知り、最後に焼場の隠亡となって三年間、人の骨格を研究し、そして現在に伝わるところの一大法相の聖典“南北法相”を編み出した人であります。」






不幸を最小限に止めることこそ人相・手相を観る上でのメリットなのである。
「不幸よ悲しみよ、どうしても逃れられないならば、せめて私を賢くせよ」
とは、評論家の故・亀井勝一郎の言葉である。








実は、この線(太陽線)に限って出たり消えたりする。つまり、幸運の女神がぴったりくっついている時にはくっきり刻まれており、ひとたび衰運となるや消えてしまう。では、消えないためには、あるいはまったく無くとも刻まれるようにするにはどうするか。心の持ちようが問題。いつも、“心に太陽を、唇に歌を”を信条としていれば、この線はぐんぐん勢いよく刻まれるのである。






昨今のようにバブルがはじけ、不況が長引くと、サラリーマンは野心など持たずにじっと死んだふりをきめこむのも一つの生き方であろう。





以上
またね***



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