2011年8月2日火曜日

中国大活用(食べる読書37)





2002年出版、堺屋太一著作の本。



当時の状況から中国をどう活用するかを論じている。もう9年も経つので、現状は大きく変わっているし、あまり参考にはならないかもしれないが、その考え方は勉強にはなると思う。



まず、中国の近代化を世界経済の流れの中から観ている。


日本を含む日本以前の産業化と、80年代以降の東南アジアなどの産業化はその過程から異なる。



18世紀後半に起こった産業革命は社会のほとんどを変えた。




「産業革命で出現した大型機械を利用する工場や鉄道などの生産手段は、労働者がそれぞれ所有するには高価すぎ、家族で運営するには複雑すぎる。そのため、生産手段の所有は特定の資本家に、やがては株式会社や国家、自治体などの法人に帰することになった。一方、全人口の多数を占める労働者は、労働力だけを販売する“自由な労働者”になった。


このことが社会経済のあらゆる面を決定的に変えた。“自由な労働者”は、土地と身分を離れて移動し、職のあるところに集住して都市を造った。家族は生産機能を失い核家族化した。教育は職能訓練よりも一般教養を先行するようになった。経済は貨幣化し、競争と開発が当たり前になった。そして、国家は皇帝や王家から離れて法人化し、機能と権限は猛烈に強烈に強くなった。


要するに、人類社会の体制と組織と価値観のすべてが、産業革命で変わった。逆にいえば、社会の全面改革が成し得なかったところでは、産業革命は実現せず、近代工業社会は生まれなかったのである。」


その産業革命を成すには、資本・市場・規格大量生産を可能にする大勢の中堅技能者と中間管理職が必要だった。
それらを得るのに日本は大変な努力をしたのである。



しかし、80年代以降の産業革命では比較的簡単にそれを達成する。



知価革命・経済と文化のグローバル化・コンピュータ制御の普及がそれを可能にした。


先進国で知価革命が起こることでそんなに資本はいらなくなった。その資本が、アジア諸国や中国へ流れる。


経済と文化のグローバル化で市場は世界中にある。


コンピュータ制御によって大勢の中堅技能者や中間管理者もいらなくなった。


よって、80年代以降の工業化は、外国の資金で外国の技術を導入して外国向けの製品を大量安価に造る「水際造業」の発展によるところが大きいのだ。





こういう経緯で工業化を果たして中国は今後どうなっていくのか。


三つの見方がある。


雁行説:各国の経済は雁の列が飛ぶように、同じ軌道を時間差で追うという考え。よって、これからの中国は戦後の日本と同じような軌道を進む。



蛙跳び説:中国は今後、日本経済が辿った跡を追うだけでなく、ハイテク分野では外国の技術と資本を導入して日本を飛び越してしまうだろう、というもの。



蝶にはばたく説:中国経済が成長するとともに、需要のソフト化や価値観の変化で知価革命が生じ、急速に知価社会に入る、という見方。





また、日本との関係からも三つの将来に対する見方がある。


中国脅威論:中国の経済は急速に発展し、日本の産業に大きな打撃を与える可能性が高い、という考え。



日中共栄論:中国の経済が発展すれば、日本の産業の補完となり、日本の人と資源は一段と効率的に配置できる。また中国は市場としても拡大し、日本の高度産業の大きなマーケットになり得る。




挫折論:中国には、安価な労働力など有利な条件もあるが、地域間業種間の経済格差は大きく、水不足など環境問題も厳しい。このため中国の経済は計画通りには成長せず、国際競争力もさほどには強まらない。




この三つの始めの二つに対して著者はこう述べている。

「日本も、中国などからの低価格品の流入を契機として、大胆な知価革命を引き起こせば、新しい繁栄の道はある。ただし、それにはまず官僚主導の体制を改める必要がある。中国脅威論の大きな部分は、官僚主導体制への固執から出ているといえる。」




また、歴史的視点から「挫折論」に対してはこう述べている。


「中国の歴史を見ると、常に地域間には大きな経済格差があったが、それでも統一国家(王朝)を維持してきた。中国がヨーロッパやインドと異なり長く続く統一国家であったのは、地域の経済格差がなかったからではなく、政治的統一体制と文化的な共通認識(中華の民)が強かったからである。」





中国をどうとらえるかに関してはここがなるほどと感じた。


「量は質に転化する。大国は、小国の乗数ではない性格を持つのである。

中国を考える場合、一つ一つの事例を積み上げるだけでなく、大国の本質を理解することが欠かせない。」


として、



「結論としていえば、“巨大な国“中国は、様々な要素を抱え込んだ一つの国となりそうだ。最先端の知価創造産業やハイテク産業から、大量生産によって安価な規格品を造る製造業、そして小規模な農業や小売業まで、”あらゆるものが共存する大国”が出現しそうである。」



そして、こう結ぶ



「中国という巨大で多様で強力な隣国は、市場としても工程分業の相手としても、活用できる存在である。だが、決して甘い相棒と考えてはならない。日本には“巨竜の横で暮らす者”の緊張と独尊の精神が必要である。」





他に中国進出でいい傾向のある(2002年当時)企業の経営者から聴いた中国とのビジネスについて述べている。




読んでて難しかったが、同じ事象を異なる視点で繰り返し述べるため、より立体的に把握できる。






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以下、気になった部分を抜粋




中国が政治的に分裂し内乱状態に陥るのは、統治する王朝の権威と制度と人脈に対する尊敬が失われた場合、つまり「文化的破壊」が生じた場合に限られている。





中国政府が地域間格差の問題を解決ないしは緩和するためには、政治的判断によって内陸部に人と金が流れる仕組みを作る必要がある。それを実効の挙がるものにするためには、内陸部を(税制等で)有利にするだけではなく、沿海部の負担による投資と助成が必要である。





グローバル化は経済だけではなく技術、情報、組織、慣習などの「文化」の国境をなくする。
ただし、このことは、全世界の文化ーー特に倫理と美意識ーーが同じになることを意味しない。それぞれの地域の文化に従った活動を、誰もが行うようになる、という意味である。





日本の大相撲は、横のつながりではなく、縦につながった閉鎖的官僚主導社会なのである。




プロレスには国の助成も伝統の援けもない。それだけにローコスト・長寿命に徹している。




カンフーには日本の大相撲のような協会があるわけではない。その時、その場で、主催者が代わり、ルールも変わる。




カンフーの試合に臨む者は、まず自分に有利なルールを創ることからはじめなければならない。主催の実力者だけではなく、観衆にも訴えることが大切である。




アリストテレスの論理学では、論理(思考の形式)は、普遍的で排他的でなければならない、と説いた。





中国論理学は西洋系の近代的論理学とは異なり、普遍的でも排他的でもないのである。
やむを得ずとか、誰かのためとかいうのではない。古来、中国ではそれが正しいとされている。




エイベックスや吉本興業などの「中国観」は、まったく新しい。巨大なソフト市場、いわば「早熟な知価社会」である。





経済と文化がグローバル化し、企業が工程別分業の立地を選ぶ世界では、国家は各企業により多くの事業所を立地してもらうように努めねばならない。それはあらゆる面での自由化であり抵廉化である。産業立地はもちろん、教育、医療、生活習慣を自由に選択できるようにする必要がある。つまり、国家と官僚機構は脇役的存在にならざるを得ないのである。






最後に中国市場は中国の強い企業が支配するだろう。それが中国人の強さだ、と矢野社長はいう。今日の日本人は公家集団だが、中国人には野武士のような強さを感じる。





今日の中国は、たとえば「ステンレス加工の新潟県」と同じ一つの産地と意識している。とはいえ、中国には魅力がある。ただ人件費が安いだけでなく、中国人の一生懸命さ、向上心がある。今の日本人とは全く違うお金に対する執着心がある。「その分お金への感謝の気持ちが強い」と矢野社長はいう。





笑いと人情こそは、生活文化の中核である。そこに立ち入り、相手国の人々(市場)で受けてこそ、本当の「文化」が浸透したといえる。


以上
またね***







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