最近祖父の具合が悪いということで、祖父の見舞いに九州へ行った。
父の実家へは今回で3回目である。初めは私が一歳くらいの頃、二回目は小五の頃、そして今回31歳である。
祖父は全然元気で、食欲も十分だった。退院して、今はひと月に一度病院に行く程度だという。
墓参りも19年ぶりである。
墓は、畑の近くにあり、新しく造りかえられていた。
墓参りをして感じたことは、田舎での生活、人の生きる姿である。
ニーチェのいう「大地に根ざして生きる」
または、
小林よしのりのいう「大衆化されていない庶民」の姿を見た気がした。
祖父は農業をやっていた。なので、自然と共に仕事をし、そしてそこには代々続くご先祖様もいる。こんなに恵まれて生きるということはないなと感じた。
しかし、農業ではやっていけないということで、祖父は息子たちには農業を継がせなかった。
ここが難しいところだ。
家訓と表現していいだろうか、わが家系はこういう家系である。こういう価値観の基社会に貢献していくといったアイデンティティの根幹をなす価値観を言葉ではなく親の後ろ姿で理解できたのが昔であろう。仕事と住居が一体となっていた時代である。
ご先祖様の仏壇に手を合わせるのも19年ぶりである。祖父の家で一泊お世話になった。夜、仏壇のある部屋で布団を敷いて寝る。
心の中で仏壇を通してご先祖様に問いかける。高平家の家訓のようなものはなんですか?と。どんな人間を社会に送り出すのですかと。なぜなら、19年も御無沙汰の状態でわかるように、私は高平家の魂というか誇りのようなものを誰からも教わっていないからである。そもそもそんなものはあるのですか?と問うたりする。
そして、もし私ならどんな家訓を創るだろうと考えた。これは二十代半ばにも考えたことがある。当時の答えがなぜか思い出せなかったが、おそらく同じだと思う。私が子孫たちに説く家訓はこれである。
1、無知の知
2、勇気
どちらも私の座右の銘からのものである。
時代が変わっても子孫たちが時代に翻弄されるのではなく自らの足で自らの道を歩める力をつける指針となるものは何かと考えた結果がこれである。
1は「自分の無知に背いて語るものこそウソつきなのだ」というニーチェの言葉から。これは、情報が大事だということである。自分の生きる時代はどんな時代か。自分はどんな素質などを持っているか。そして、それらを基に何かしら自分の夢があるのならそれを叶えるために何をどうすればいいのか。その生きる戦術戦略も情報がないことには何にもならないからである。昔から、天下をとった者は情報を持っていた者であるからだ。だから、ただ多くの情報を持つのではなく、謙虚に客観的に自分に必要な情報は何かを見出し、獲得する能力を身につけてほしいという意味である。
2は「勇気とは人が恐れるべきことと恐れるべきでないことを区別することだ」という新渡戸稲造の武士道―サムライはなぜ、これほど強い精神力をもてたのか?の中の言葉。この本で著者は「武士は死ぬべき時に死に、死ぬべきでない時には死なない」という武士道の精神が、西洋のプラトンの思想に通じるところがあると紹介したのが上の部分である。単に死ぬべきでないと表現するより、恐れるべきと表現した方がわかりやすかったからこちらを選んだ。これは情報に左右されない軸を作るということである。いくら情報があり、金があり、社会的に恵まれていたとしても、己の生きる指針となる絶対的軸がないことにはそれらに振り回されるだけである。社会的地位や金など社会的有利なものをすべてなげうつことでしか自分の求めていたものに少しでも近づけないなら、このチャンスを己の社会的有利で買う決断ができるかということである。自分は何のために生まれてきたのか。それを失うこと、それを放棄することが最も恐れるべきことなのである。
この二つがあれば、どんな時代であろうとどんな場所であろうと、人間として立派にやっていけるのではないかと考える。
私はまだまだこの二つを呼吸するように生活の中で行えていないが、昔に比べてできるようになっているのも感じる。
祖父は元気だったが、グラスを持つ手や箸を持つ手などふるえたりする。そんな祖父にお酌したりしながら、この人のおかげで自分が要るんだと思うといとおしく感じた。
普段血筋の上の人と接することがないため、こうしてたまに接するとその生命の神秘かつ人間社会の根幹をなすい家族をほんのささいなことで感じる。
また、今回の帰省で叔父たちがリンゴ狩りへ連れて行ってくれた。
取ったリンゴはその場で食べ放題ということでいろいろ物色した。
が、これは一期一会だ。直感で選んでそのリンゴをおいしくいただくのが自然に対しての礼儀だなと思った。
君かわうぃ~ね~♡
おいしかったです(●^o^●)
以上
またね***
2011年9月24日土曜日
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