2011年9月29日木曜日

「なぜか人に好かれる人」の共通点(食べる読書60)






一緒にいて気持ちのいい人。




ただ一緒にいたい人。



一緒にいるとこっちも明るくなってくる人。





いろいろな人がいるが、自分はどっちだ?





まあ、そんなこと考えても人によって受け止め方が違うから、こんなことで悩むよりどれだけ自分自身が楽しい時を過ごせるかを考える方がいい。それができるようになったら、一緒にいる人全員が楽しい時を共にするにはどうするかといった具合で、同心円状に幸せの輪を広げられたらこれほど最幸なことはないだろう。






本書は嫌われる人と好かれる人を比較しながら、好かれる人の特徴を挙げている。






全部で99項目あるので、自分の思わなかったが言われると納得する好かれる人の条件も見つかって、人間を観る視野が少し広がるのではないかと思う。





ぜひ、読んでみてください。




以下抜粋



よけいなおせっかい。そう思っても、ひとまず「ありがとう」と好意だけは受けておこう。それで、あとにつづく断りの言葉も和らぐというものだ。







いくら完璧をめざしても、人は、完璧にできるものではない。できないから、心には不満が生じ、グチをいうようになり、不満たらたらになる。
完璧主義者は不平不満にもなりやすい。
それほど親しくない人たちからは「あの人は向上心があって頑張り屋」という評価を得られるかもしれないが、身近に接している人から見ると「不満たらたらな人」である。







「これだけ手に入ればじゅうぶん幸せ」と感じることができたとき、人は、自分だけではなく、まわりの人たちも穏やかな気持ちにさせることができるのではないだろうか。








「自分にも他人にも厳しい人」は、りっぱな人には違いないが、まわりの人をリラックスさせない人でもあり、つい、身を引いてしまうのである。









「自分にはほどよく甘くてほどよく厳しく、他人に対しては寛容」がいちばんだ。








「専門的な内容にまで話が及ぶから、一般の国民にはわからないだろう」






ほんとうの協調性とは、それぞれの希望を率直に伝え合い、それが食い違っても、お互いに歩み寄ることができる関係をいうはずなのだが。









自分を「ご機嫌」にさせてくれるものは何か。そういう意味で、長い人生を通してみれば趣味は大切なのである。








「ありがたい」と「ありがた迷惑」の分岐点になるのは、「私とあなたは違う」ということがわかっているかどうか、なのではないか。結局のところ、違いを認めていないから、善意の押しつけ魔と化すのではないだろうか。







「正しさ」を押しつけること、それを自己保身のために受け入れること、傍から見ればどっちもどっちだ。








子供が自分で道を見つけられるように、最低限だが最高の助言をしようという気持ちでいれば、子供はうまく自立する。「産んで育てて手放す」がスムーズだ。








なんでも楽観的に構えるのも危険だが、悪いイメージを膨らませるのは不幸だ。肯定的なイメージがもてそうになかったら、むしろ、よけいなことは考えないほうがいいかもしれない。いいも悪いもなく、すっかり忘れて日常を過ごすのがいい。







人というのは「自主的」であることが大切で、それがやる気につながり、活発な行動となって表れる。先回りされて、だれかに「命令」されては、やる気が生まれない。








人を慰めるというのは、相手の気持ちを推し量りながら言葉を選ぶという作業である。








実際、趣味に夢中になっていると、その分野の知識が増えるのは当然ながら、ものの見方や考え方に幅が出てくる。







「妬み」というのは、もっともやっかいな感情だろう。なぜかといえば、理屈が通らないからだ。







イヤなことも、大きな夢の前では小さなことに思えてくるものだ。「根にもたない」ことが、無心の活躍につながっていく。








よく眠るということは、イヤなことを考える時間をなくすということだから、それだけでも幸福ともいえよう。







下り坂に見える状況下でいち早く立ち直り、自力で道を切り開いていく人に、悪い印象をもつ人はいない。あなたは、どうだろうか。








話の内容に一貫性があれば、それぞれの人の相談にも応じられる。「自分の価値観」「自分の考え」というものの大切さをよく知っているから、それぞれの人の立場も尊重しながらアドバイスをする。







悪い噂は、
自分のところで止めよう







トラブルにさらされたときには、聞き手に回ってくれる人もありがたい。痛みをわかってくれる人もありがたい。いっしょに動いてくれる人もありがたい。
しかし感情やひとり合点を抑えて冷静にものごとを見ることができる人もまた、とても信頼されると思うのだ。







相手が歩くのを黙って見守り、転んだときだけ手を貸す。







自立はしているが、ときには素直に人の手も借りるし、貸しもする。そういう人でありたいではないか。








またあの人と食事をしたい。あの人となら冷めたコンビニ弁当だっておいしく食べられる。そう思われたら幸せだ。そういう人をめざそう。







意地の張り合いはやめよう。
さっさと「わからない」合戦から降りて、「じゃあじっくりあなたのトラブルを聞かせて」と切り出したいものだ。好感を与える条件とは、相手の気持ちをわかろうとつとめる姿勢があるかどうか、である。







自分がちゃんと立っていなければ、人を立てることはできない。人を立てるには、まず自分自身を尊重していなければならない。







万人に好かれる特効薬などない……だからこそ、だれもが幸福になれる可能性があるということも忘れてはならない。






最初の思い込みのまま行動しているだけだ。現実は変わる、人の態度や気持ちも変わるということがわかっていない。







どうしても譲れないこだわりがあるなら、まわりの人とこだわりを秤にかけて、優先順位の高い方を選べばいい。





以上
またね***




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