2011年9月17日土曜日

妖怪学講義(食べる読書55-1)




私は妖怪大好き人間です。正直怖いけど…。




真剣に妖怪に会いたいと思っている。鬼太郎に会いたいなあ(●^o^●)






本書は東洋大学で行われた妖怪学の講義をまとめたもの。






本書でなぜ私が妖怪が好きなのかが、明確に言葉にされている。







「妖怪現象の解明というのは、人文・社会・自然科学のあらゆる領域から取りかからなければならないというのです。つまり、さまざまな学問を総動員して取り組むべき問題群ということになります。ここから円了先生は、“妖怪学を持って全知全能の学となす”と述べています。」




「妖怪はなんにでもつながっている。だからこそ楽しい。と同時にだからこそ難しい。なぜなら、知性も感性もフル回転させて取り組まねばならないからです。清純な心も邪悪な心も射程に入れて取り組まねばならないからです。」




円了先生というのは、今の東洋大学の前身哲学館の創始者で、120年前にその大学で妖怪学を講義していた人。妖怪学の第一人者といってもいいのではないか。あの水木しげるさんが、今も頼りにしているのは円了先生の井上円了・妖怪学全集〈第1巻〉
というほどの人です。






本書を読んでいろいろ考えるところがある。時代とともに、妖怪の様相も変わる。どちらにしても共通しているのは、“想い”が妖怪を生みだし、妖怪そのものであるということ。







解明されていない現象を妖怪というなら、人の“想い”は解明できない。なぜなら、人の“想い”は変わるからだ。だが、変わっても“想い”には違いない。だからこその“想い”。








アインシュタインは、重力は時空を歪めるといった。なら、“想い”は概念を歪める。その時代の社会の「常識」という概念を。






なぜ、概念を歪めるのか。人間が生きているからだ。





物体が動くというのはそこに力が働いているからだ。その力は重力とも言い換えられる。





その社会の常識に合わせるのみなら、人間は生きてはいない。なぜなら、それはロボットの特徴だからだ。決められたルールに愚直に従う。その場合、「常識」という概念には力が働いていない。「常識」は歪められていない。そこには新たな動きなどあろうはずがない。なぜなら“想い”という力が働いていないからだ。







本書の中で、遊牧民族には妖怪伝説の類はほとんどないと書かれている。なぜなら、嫌な人とは我慢して一緒にいる必要がないからだと。彼らには、新たな土地でのさらなる幸せへの“想い”が働いている。一方、日本は島国で村社会である。そこには村のためといった社会のために自分を犠牲にする際の悔しさやつらさ、恨めしさなどが強くなる。よって、妖怪伝説が多いと。








”生きるということは動くということだ”






ここで、私が体験した霊体験を紹介したい。




もう5,6年前になるだろうか。



当時、わたしの部屋は壁にベッドをつけていた。右側に壁で、左側が机などの置いてあるスペース。



夜中だった。私はあおむけに寝ていた。



と、がさごそと音が聞こえる。誰かが私の部屋で何か探し物をしているようだ。まあ、夢だろうと思い特に気にしなかった。




しばらくして、そいつが私の方に振りかえり、私のベッドのほうへくる。まあ、夢だしなあ、なんだろうなあ…。ぐらいの気持ちでいた。まどろみの中で。




だが、そいつが私のベッドに上がった時に、「なんかこいつおかしい、というかなんだ?やばいぞ」と思った。なぜなら、そいつがベッドに上がった時、妙にリアルにそいつの挙動がわかるのだ。サクッ、サクッとした感じで、そいつの重みで布団がへこむのがわかる。しかもそいつのふんだ形にへこむ様子がだ。普通誰かが、寝ている自分の足の上に乗ると重くて痛いだろう。しかし、そいつは私の足の上に乗っているのにもかかわらず全然重くなく、だが確かに、しっかりとそいつが自分の足に乗っているのがわかるのだ。重みがあるというかは、やわらかく変な気持ち悪い感じだった。だから、「幽霊か?と思ったが、まあ夢だろうしな…。」と眠気を優先していた。



そして、そいつがベッドに上がってくるとほぼ同時くらいに、気がつけばわたしは口を開けていく。ちょうど、気道確保して人工呼吸するような順序で、自分の意志とは関係なく自ら口を開けていくのだ。「マジか、もしかして魂抜かれるのか?」と思いつつもどうしていいかわからなかった。





その時、急にバッ!!!と、映像があらわれる。それは、私の上に乗ったそいつの姿。白い着物のような、一般的な幽霊の服装で、少しぼんやりその白さが光っていた。夜なので周りは真っ暗で、その白い弱い光の中で、そいつは大きい口で「にや~」と笑っている。顔で見えたのはその大きな口だけで、他は見えなかった。髪もどれくらいの長さだったかもわからない。男か女なのかも判別できなかった。だが、その様子からは嫌な感じしかしなかった。そして、なんとなく自分の口を強引に開けさせられているような気がする。



すると、左側からカメラのフラッシュのような光が光る。「何だ、やっぱり夢で、誰かがカメラ持ってイタズラしてたのか?」と思ったが、そうではなかった。



当時、私のケータイにはたくさんの迷惑メールが来ていた。その光は、メールが来ていることを知らせるライトの光だったのだ。


その光は私にとってかなりまぶしかった。ので、その光を止めようと体を起こし、ケータイを手にし、操作する。


もう、その時点で私の意識はケータイに向いていたので、あの幽霊のことはほんの少し、2~3秒の間だったが意識外だった。


そして、その時気づいたのだが、ケータイを取ろうとした時に私は初めて目を開けたのだ。


なので、その幽霊は私のどこか、意識に働きかけて姿を見せたのだ。


ケータイを見ると四時過ぎころだった。


そしてすぐにベッドに戻り、すぐ寝るのだが、どうしても視線をベッドの上に移したくないのだ。なので、ケータイしか見ないようにしていた。



というか、ベッドに戻るとそいつはまだいるのだ。さっきのように映像を見せてはくれないが、確実にいる。


もうすでに、私はばっちり起きてて、怖くて、でもどうすればいいか必死こいて頭の中で考えていた。もちろん目はつむったままでだ。


だが、わかるんだよ、じーっと私の顔をのぞいているのが。「てめー、見てんじゃねえ、こえーだろっ!!!」と思いながら、でもいろいろ考えた。



何かあるんじゃないか?こいつは何かを探しているようだった。何か俺に伝えたいことがあるんじゃないか?俺にどうしてほしいんだ?とかいろいろだ。どうすればハッピーエンドで終われるかを考えた。



で、その幽霊に話しかけた。もちろん、目をつむりながら。



「何か意味があってあなたはここにきたと思う。あなたの身に何があってきたのかはわからない。また、私には私の人生がある。まだ、私は死ぬわけにはいかない。やることがある。だが、あなたも何かそういう意味があってここに来たのなら、私には何ができる?大事なのはお互いの目的を達成することだと思う。私は霊感がないし、あなたの世界ではどうすればいいかわからない。他の人を当たったほうがいいと思う。(あなたの目的を私に伝えてくれるか?)」


という内容だったと思う。もう、怖くてあまり覚えていないが、こんな感じだったと思う。カッコ内は言ったかどうか定かではない。



でも、意志の疎通ができてないなあと感じたのは覚えている。



こんなことを言ったが、相手の反応がよくわからない。というか、怖くて目を開けていないので、視覚に訴える返答だと困るなあ…。なんて当時はこれっぽちも思わなかった。もし必要なら、一日中だって目をつむってやると意気込みながらの、まあ、会話だった。



で、私自身も、4時という中途半端な時間帯に起こしやがって、これから寝たいけど怖くて寝れないし、だからと言って怖いから起きれないし、何してくれてんねん(-"-)


みたいに逆切れで気を紛らせていた。


まあ、その後の幽霊は、私の体をなでまわすようにしばらくまとわりついていた。


もう、私はシカトして話しかけもしなかった。


そして、目覚ましが鳴り、普通の一日が始まった。その時には、幽霊の気配はなかった。その時まで、目はつむっていたが、一睡もできなかった。





後半グダグダだな(・.・;)







いま振り返ると、当時も今も自分はここぞというときに何もかも投げ出して勝負していないなと気づいた。一度もそういうことしなかったんじゃないかとさえ思う。どうしても先のことを考えてしまう。それをした後はどうなる?と。




あの、幽霊がまとわりついていた時。口を開けられていた時。幽霊の力はそんなに強くはなかった。だから、ハッ!!!と気合を出せば、幽霊を圧することはできると算段をふんでいた。しかし、できなかった。それを、もし誘っているとしたら?と。相手は俺の口を開いてきた。それは魂をとるためじゃないのか?なら、ここで気合を出すのは魂が外に飛び出ることなのかもしれない。そうではないかもしれないが、その確証がない。今は、相手の様子をうかがいながら、大事な砦は堅守することだと決断した。よって、後手後手に回った。





しかし、私自身はこの幽霊を、ご先祖さんか何かだと思っている。私のために来てくれたのだと。



なぜなら、当時の私は生きることを放棄しているような状態だった。生活も最悪。ただ、自分の未来を信じれなかった。遅かれ早かれどこかで野垂れ死にするだろうと自分で思っていた。もう身動きが取れず何もかも真っ暗だったのだ。だから、一日中部屋に引きこもっていたこともしばしばだった。




そんな自分のけつを叩いてくれた。そんなことも分からず、幽霊の出た日は外に出て自分のやることに精を出した。




その後も今も苦しい戦いは続くが、いつも私は誰かに助けられている。




本当に、もうこれで最後というところでいろいろな人に、多くの人に助けてもらっている。




だが、そんな人たちの恩になかなか報いれていないことに少しいらついてもいる。しかし、そんなことを気にしているようじゃまだまだ本気で取り組んでいないということも自覚している。






といった具合に、私にとって幽霊や妖怪はただ怖いだけの存在ではない。たぶん、日本人にとって、あるいは人間にとっても怖いだけの存在ではないと思う。





すこしは幽霊や妖怪、それと関わる人間の複雑さ、奥深さ、矛盾を感じ取ってもらえたら嬉しい。



ご先祖様や多くの先代の人々に感謝しつつ


to be continued ・・・






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