2011年9月13日火曜日

般若心経、心の大そうじ(食べる読書54)



般若心経で心をリフレッシュし、明るく楽しく生きようという本。




著者の経験などを例に挙げながら般若心経をわかりやすく解説している。




目の前に見える事象はすべて“縁”により成っているという考えが最も腑に落ちた。




この部分を読んでいると、空のことを思い出した。





すこし前から、空はすごいと感じていた。実際は空模様なのだが、一日たりとして同じ空模様はない。もちろん一刻一刻変化している。そこに作用している原理・法則は単純で圧力に関する法則(ボイル・シャルルの法則)くらいだろう。なのに、一度として同じ表情を我々には見せないのだ。それがすごいと空を見上げながら感じていたのだが、この“縁”の思想から、まさにそういうことだなと実感した次第です。






色即是空 空即是色




この思想はこれまで読んだ本の中でも幾度かであっているので、親しみを感じるし、日々の中で実感することもある。





本書はわかりやすくていいのだが、逆にそれがこちらがその真意を知るために思考することを妨げてもいるんじゃないかとも読んでて感じた。なので、味わい深いとは読んでてあまり感じなかった。解説している般若心経はきっと味わい深いに違いないだろうに。そこが、逆説的で面白い。仏教的にはこういう現象をどう解釈するのだろうか。




それは”行”だから、それも“空”なのです。また、この本が味わい深いと感じないのは“識”です。もちろんこれも“空”です。なので、この本が興味深いかどうかに焦点を当てるのは、本質を見失っていませんか。著者はこの本で何を伝えようとしているのでしょうか、般若心経は何を伝えようとしているのでしょうか、あなたは何を求めてこの本を手にしたのでしょうか。全てが“空”なら、この本にたどり着くまでの一連の心の動きと実際の行動、また本書を読んだ後の心の変化と言動を1つとみなした場合、何が見えてくるのかと考えてみることも可能だと思いますがどうですか。その時の“識”、”行”がすべてではないのですよ。





と、仏様は言って下さるだろうか。まだまだ悟りには遠い私ですが、少し考えてみました。




以下抜粋



「色(物体のこと)」が空と異なることはない、条件が集まっているにすぎないことを否定表現で「色は空に異ならず」と説きます。






食べ物が食卓に並んだ時、そこに農家、漁師、運送した人、調理した人など数多くの縁を観じて、「空(縁によってこの食事は今ここにある)」をふっと思ってみてください。そして何よりそこに命の犠牲があることも。死を含めた命を考えることなしに、心のそうじはできないでしょう。







「私はね、ここにいる間にそんな自分のことしか考えていない人たちの目を、たくさん観察しようと思っているんです」







考えると、死は無になることではありません。一つの変化の過程、通過点と考えることができます。







人にどう思われるかは、芸や仕事の上では大切なことでしょう。しかし、トイレそうじは、後から使う人が気持ちよく使うため、たったそれだけのためにすればいいのです。









「有(在)ること難い」で「ありがたい」です。・・・。相手に感謝する言葉を「普通ならあり得ないようなことが、あなたのおかげで起こった」という意味で表現するのです。









生きている人間にはなかなか集めることができないメンバーを、葬儀や法事では亡き人が集めてくれます。それだけでも、亡くなった人はたいしたものだと思います。








好きなことしてるんなら嫌な顔しなさんな







若い時から、自分の心を磨くために、その時、その時、やれることをやっていった結果、70歳にして矩を踰えずという心境になれたはずです。






いままで自分ができなかったことをやるのが“練習”って言うんですよ








心のそうじは毎日の作業の積み重ねでもあるのです。









あなたも、何かの問題にあたった時に「こんな時、仏さまならどうするだろう」と考えて真似してみてください。その真似ができたとき、あなたは菩薩なのです。菩薩として心のそうじをしてみるのです。








足なんか引っぱらないで、手を引いてくれればいいのに







「私のことを分かってくれないと思っている自分は、どれだけ人のことを分かろうとしているだろう」








一人で暮らせるようになってしまったら、支え合うという意味からはもう人ではなくなってしまいます。









煩わしさを嫌がり、ニヒルを気取り、卑屈になるよりも、死ぬまでの生きている間の人生を、しがらみを楽しみながら、心を大きくしていきたいものです。









わからないことをわからないとしておく勇気








家に帰ってまず何をするかといえば、食事の心配をすることでもなく、明日の仕事の段取りを考えることでもありません。「ただいま」と笑顔で言うことでしょう。








自分の大変な時と人の楽な時を比べれば、誰だってうらやましくなります。本当は、そんなことを比べずに、自分がやることをやったのだということで満足するべきですが、なかなかそうはいきません。どうしても比べたいのなら、他人の大変な時と自分の楽な時を比べてみるべきです。









まさか…という坂をこえるには、おかげというかげをおいかける







自分から考えて行動するのではなく、他から与えられた指令によって行動を決めていく姿を見るにつけ、その人自身の生き方の不安定さを垣間見るような気がします。人から指図されなくても、自分の中にしっかり生きていく勇気と元気たあるのに…と思うのです。








「あなた自身の中にある、生命力や反省して向上しようという力。その力を、足元を照らす燈明として人生を歩んいけばいい。バランスの取れた仏の教えを寄辺として、自ら考え、感じ、行動していけばいい」









私たちが日常の中で直面することは、すべて「真実にして虚しからず」なのだと思います。
虚しくしてしまっているのは、私たちの心なのです。








あなたにとって、叩かないで渡るべき島は、何ですか?
心のそうじを躊躇することはありません。実行あるのみ!です。




以上
またね***



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